健康情報: 康治本傷寒論 第九条 服桂枝湯,或下之後,仍頭項強痛,翕発熱,無汗,心下満微,小便不利者,桂枝去桂枝加白朮茯苓湯主之。

2009年8月27日木曜日

康治本傷寒論 第九条 服桂枝湯,或下之後,仍頭項強痛,翕発熱,無汗,心下満微,小便不利者,桂枝去桂枝加白朮茯苓湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

服桂枝湯、或下之後、仍頭項強痛、翕翕発熱、無汗、心下満微痛、小便不利者、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯、主之。

 [訳] 桂枝湯を服し、或いはこれを下して後、なお 頭項強痛し、翕翕として発熱し、汗なく、心下満し微痛し、小便不利する者は、桂枝去桂加白朮茯苓湯、これを主どる。

 傷寒論では字句の正しい解釈を後の条文で示すことが多い、ということを先に述べてあるが、第九条の冒頭の二句は第七条と第八条の冒頭の解釈に関係があるのである。
 第七条の太陽病発汗は第九条の服桂枝湯のことであり、またそれだけでなく或下之後でもあると読まなければならない。同じように第八条の太陽病下之後は或服桂枝湯と続けなければならないことを第九条が胃しているのである。
 『講義』三○頁のように第八条の下之後を「下すべき急証有りて之を下す」、と意味ありげな解釈をするよりも、下しても発汗させても、という解釈の方が文章上からも、また臨床的にも妥当なのである。
 は「依然として」という意味で、今までの桂枝湯証と同じ症状が続いているものとして頭項強痛と翕翕発熱をあげたのである。しかし桂枝湯証とちがう点をその次に列記している。まず第一に汗出ででなく無汗であ責、また悪風にも悪寒にも言及されていないこと。これは中風でも傷寒でもなく、温病、正確には太陽温病であることを示している。温病の初期には悪寒があるので、その時は桂枝湯を用いて治療をするが、さらに進行して悪寒がなくなれば桂枝を用いる根拠がなくなる。そして無汗については、次の心下満微痛、小便不利と一緒にして考えた方がわかりやすい。これが第二の問題である。
 『弁正』で「心下満微痛なれば則ち頗る結胸に似る」と言うのは、第三五条に「心下満し、鞕痛する者は結胸と為す」とあるからである。『弁正』では続けて「これ何ぞ小陥胸湯を与えざるか。曰く、これただ小便不利にあり」、と論じているが、これはおかしいのであって、成無己の「心下満微痛、小便利する者は則ち結胸を成さんと欲す」を受けたのであろうが、結胸は小便不利するはずである。しかし成無己の次の解説は良い。「汗なく、小便不利すれば則ち心下満し微痛す。停飲と為すなり」。それで茯苓と白朮を加えるというのである。
 停飲即ち胃内停水が各種の症状を引起こすことは多くの人が指摘しているところである。『講義』三九頁では頭項強痛、翕翕発熱、無汗に註をつけて「此の諸証は一見桂枝湯の証に類似せるも桂枝湯証に非ず。実は初めより心下停水の致せる所にして、即ち其の反射的症候に外ならず」、と言い、『解説』一八二頁でも「頭痛、項強とを診てすぐに葛根湯を投ずることは誤りであり、桂枝去桂枝加茯苓白朮湯、苓桂朮甘湯、真武湯によって心下の水をさばくことによって、頭痛、項強の治するものの多いことを忘れてはならない」、と言う。ここで心下というのは、普通はみずおちのあたりを指すとされているが、私はもう少し広く解釈した方が良いと思う。直腹筋と肋骨弓の交点附近まで広げてよいであろう。
 今まではこの処方は実際に使用されることは稀であるが、少陰病の主要な処方である真武湯を理解するために役立つと言われてきた。桂枝のかわりに附子を主薬とし、甘草と大棗を除いたのが真武湯であるからである。このような考え方が常識になっていたのだから、藤平健氏の「桂枝去桂枝加茯苓白朮湯証は意外に多い」(漢方の臨床 一九巻一二号、二九-三三頁、一九七二年)という論文は漢方界の啓蒙に大きな役割りをはたした。即ち感冒で葛根湯証によく似ているのだが、次のような状態のときにこの処方を用いるのであり、気をつけてみると意外に多いという。脈は浮大、または浮数。頭痛、項強。熱がたかく、顔が赤くなっている。無汗、小便少し。胃内停水、心悸亢進。全身が何となくだるい。背中全体が何となくうすら寒い。
 これについて私はこの処方は太陽温病の治療剤であるから、悪寒の全くない時にも用いると考えている。事実、第九条には悪寒について全く言及されていない。その点で感心するのは、『弁正』で太陽温病の治療剤である五苓散との関連を論じていることである。「然らば則ち何ぞ五苓散を与えざるか。曰く、此れただ小便不利ありて煩渇に至らず」、とあるのはまだ裏熱が強くない時に用いるものだと言う意味である。しかし桂枝を用いないのは、茯苓と白朮の力を専ら内に向けるためである、と論じているのは第八条の去芍薬の所で述べたように賛成できない。したがって五苓散に桂枝が用いられているように、この処方の場合も桂枝を加えても臨床上はさしつかえないと私は想像している。


芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、白朮三両、茯苓三両。 右六味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。

 [訳] 芍薬三両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、白朮びゃくじゅつ三両、茯苓ぶくりょう三両。 右六味、水七升を以って煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服す。

 成無己は去桂を無視して、頭項強痛、翕翕発熱は邪気が表にあることだから桂枝湯を用い、無汗、心下満微痛、小便不利は停飲のためであるから白朮と茯苓を加える、と簡単に見ている。しかしこういう場合も実際にはあ識と考えた方がよいであろう。医宗金鑑では去桂は去芍薬の与し間違いだとしているが、論ずるまでもないであろう。
 私は去桂にはもう一つ別の意味があると思う。それは第八条の去芍薬とともに、桂枝湯の中の主要な薬物を除くことによる意味を考えさせるためである。そして第七条の加附子、第六条の加葛根とともに、桂枝湯の変方(去加方)のつくり方を教えるためである。

『傷寒論再発掘』
9 服桂枝湯、或下之後、仍頭項強痛、翕翕発熱、無汗、心下満微痛、小便不利者、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯主之。
  (けいしとうをふくし、あるいはこれをくだしてのち、なおずこうきょうつうし、きゅうきゅうとしてほつねつし、あせなく、しんかまんびつう、しょうべんふりするもの、けいしきょけいかびゃくじゅつぶくりょうとうこれをつかさどる。)
  (桂枝湯を服しても(発汗させようと)あるいは瀉下させた後でも、なお頭項強痛や翕翕とした発熱があり、さらに汗が無く、心下は満ちて微痛し、小便は不利であるようなものは、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は発汗したり或は瀉下したりしたあとの異和状態の改善策についての第一番目の条文です。前の前の条文(第7条)では、発汗後の異和状態の改善策に触れ、前の条文(第8条)では、瀉下後の異和状態の改善策に触れましたので、この条文では発汗後あるいは瀉下後の異和状態の改善策に触れたのであると思われます。極めて自然な著者の心情推移が感じられる気がします。
 「頭項強痛」と「翕翕発熱」は桂枝湯の適応症の時の症状に似ていますが、「無汗」は明らかに桂枝湯の適応症の時とは違います。さらに「心下満微痛」と「小便不利」があるのですから、桂枝湯は適当でなく、それから桂枝を除いて、白朮・茯苓が追加されている形態の薬方が使用されているのは誠に合理的です。
 伝来の条文群(第15章参照)の中では、芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯(C-3)となっていたものを、桂枝湯を基準にして名前を変更すれば、当然このようになるわけです。古代人の原始体験としては、「心下満微痛」があるので、芍薬甘草生姜大棗湯で改善していたのに、「小便不利」の症状が加わった者に対して、白朮茯苓を追加して改善した体験があったのでしょう。そして更に、その湯が「頭項強痛」をも改善していく、ということが経験されていったのだと推定されます。すなわち、生薬構成から推定しますと、「心下満微痛」と「小便不利」が、この湯の基本病態であるということになります。
 湯の名前から考えると、すなわち、桂枝湯を基準にして考えると、その一番大切なと思える桂枝を除くということは中々考えにくい面もあ識ので、去芍薬の間違いであるという見方もあるわけですが、湯の形成過程から考えれば少しも異和感は生じないことでしょう。
 この湯についての素晴らしい治験例報告が既に藤平 健先生によってなされています。(「漢方の臨床」第19巻12号29頁・S47)。大いに参考にしていきましょう。

9’ 芍薬三両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、白朮三両、茯苓三両。 
  右六味、以水七升煮、取三升、去滓、温服一升。
  (しゃくやくさんりょう、かんぞうにりょうあぶる、しょうきょうさんりょうきる、たいそうじゅうにまいつんざく、びゃくじゅつさんりょう、ぶくりょうさんりょう。みぎろくみ、みずななしょうをもってにて、さんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 芍薬甘草基と白朮茯苓基を生姜大棗基が結びつけているような生薬配列をしています。湯の形成過程が見事に出ています。
 芍薬甘草基は「腹痛」を改善する作用があり、生姜大棗基は胃腸の異和状態を改善する作用がありますので、当然、芍薬甘草生姜大棗基は「心下満微痛」を改善する作用がある筈です。
 白朮も茯苓もそれぞれ利尿作用があるのですから、白朮茯苓基は当然「小便不利」を改善する作用がある筈です。
 従って、この両者を一緒にした薬方、芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯は「心下満微痛」と「小便不利」をともに持つ病態を改善する作用がある筈です。それ故、この基本病態の上に、「頭項強痛」と「発熱」と「無汗」の症状がある病態が、この場で改善されても良い筈です。これが原始体験というものでしょう。
 この芍薬甘草生姜大棗白朮茯苓湯を、桂枝湯を基準に表現すれば、桂枝去桂枝加白朮茯苓湯という名前になるのです。これもまた、桂枝湯が先にあって、それからわざわざ桂枝を除いて、白朮茯苓を加えたのではないのです。この点を見落とすと、「去桂枝」や「加白朮茯苓」について、色々な理屈がこねられるようになるのです。ものの認識の仕方が全く逆になるわけです。誠に困った事です。


『康治本傷寒論解説』

第9条
 【原文】  「服桂枝湯或下之後,仍頭項強痛,翕発熱,無汗,心下満微,小便不利者,桂枝去桂枝加白朮茯苓湯主之.」

 【和訓】  桂枝湯を服し,あるいは之を下して後,なお頭項強痛し,翕として発熱し,汗なく,心下微満(痛)し,小便不利なる者は,桂枝去桂枝加白朮茯苓湯これを主る.

 【訳文】  (太陽中風に)桂枝湯を服用して発汗したか,或いは(陽明中風)を下して後,(少陽中風となって) (脉は弦緩で)往来寒熱(発熱)し,小便自利となるべきに,前の発汗,瀉下のために汗はなく,或いは小便不利となって心下満,心下微痛する場合は,桂枝去桂加白朮茯苓湯で之を治す.

 【解説】  誤治による過発汗又は過瀉下のため,緩緊証の真の症候が崩れてしまった場合を記述しています.

 【処方】  芍薬三両,甘草二両炙,生姜二両切,大棗十二枚擘,白朮三両,茯苓三両,右六味以水七升煮取三升去滓,温服一升.

 【和訓】  芍薬三両,甘草二両を炙り,生姜二両を切り,大棗十二枚をつんざき,白朮三両,茯苓三両,右六味水七升をもって煮て三升に取り,滓を去って温服すること一升す.

    証構成
  範疇  胸熱緩病 (少陽中風)
①寒熱脉証  弦
②寒熱証   往来寒熱
③緩緊脉証  緩
④緩緊証   小便自利
       (無汗,小便不利)
⑤特異症候
  イ心下満 (茯苓)
  ロ心下微満 (白朮)


康治本傷寒論の条文(全文)