健康情報: 康治本傷寒論 第十条 服桂枝湯,不汗出後,大煩渇不解,脈洪大者,白虎加人参湯主之。 

2009年8月29日土曜日

康治本傷寒論 第十条 服桂枝湯,不汗出後,大煩渇不解,脈洪大者,白虎加人参湯主之。 

『康治本傷寒論の研究』
桂枝湯、不汗出後、大煩渇不解、脈洪大者、白虎加人参湯、主之。

 [訳] 桂枝湯を服し、汗に出でざる後、大いに煩渇して解せず、脈洪大なる者は、白虎加人参びゃくこかにんじん、これを主る。

 不汗出は汗に出でずと読み、汗不出の汗出でずと区別する。汗不出は無汗と同じく、客観的に汗が出ていないことを意味し、不汗出は発汗剤を服用しても汗の出ないこという。ここでは桂枝湯を服用してもと言っているのだから、桂枝湯を発汗剤と見做しているのである。第五条で説明したように、桂枝湯は解肌剤であって発汗剤ではないという人が多いが、傷寒論でははっきりと発汗剤だとしている。そういう条文は宋板に特に多い。
 桂枝湯を服用しても、麻黄湯証や葛根湯証の人では発汗力が弱すぎるために汗が出ない。しかしここではそういう中風や傷寒ではないところの温病に用いたので当然発汗しないことを述べるために、大いに煩渇して解せずと言っているのである。
 煩渇は煩(胸部が熱っぽいこと)と渇(口がかわくこと)という意味ではなく、甚だしく渇するという意味である。それに大いにという副詞がついているのでその程度が特に激しいことを示している。『集成』に「煩の字に主用あり、兼用あり。煩、心煩、胸煩、内煩、微煩の如きは皆煩を主としてこれを言う。もし夫れ煩躁、煩渇、煩疼、煩熱、煩驚、煩満は煩を以って主と為さず。けだし兼ねてこれに及ぶ所の客証のみ。判(わか)ちて二証の為すは非なり。故に煩の字の句首にあるものは皆帯説の詞にして軽し。其の句尾にあるものは皆主用の証にして重し。安楽、苦痛、憂患、恐懼の如し」、とあるのが参考になる。解せずとは口渇や熱がとれないというのではなく、病邪が除かれないという意味である。
 口渇が甚しいのは、漢方病理学的に考えると、その原因は二つあり、体液(津液という)が著しく減少したときと、裏熱があるときである。ここでは発汗して体液が減少したのではないから裏熱によるものと考えられる。即ち陽明病になったと判断されるので、それを確認するために脈をしらべると洪大(いずれも大きい意)という力強いものであったので間違いないと結論して白虎加人参湯の適応証と言ったのである。
 今まで新しい処方がでてくると必ずその処方内容が示されていたのに、ここでは何も記されていない。そして第四二条で処方内容が明らかにされている。それは桂枝湯と全く異なった処方構成であるためである。したがって処方構成と症状との関係については後に説明することにする。
 ここで注文すべきことは、第五条(桂枝湯)、第六条(桂枝加葛根湯)が発熱と悪風の共存する場合であるから(+-)の組み合わせであり、そして第七条(桂枝加附子湯)、第八条(桂枝去芍薬湯)が陰病、即ち(--)であり、第九条(桂枝去桂枝加白朮茯苓湯)、第十条(白虎加人参湯)が温病、即ち(++)であることである。これは(+-)を中心に置いて、より陰に偏った(--)と、より陽に偏った(++)に言及しながら、病気の推移と治療法を述べていることになる。同時に桂枝湯を中心に置いてその去加方のつくり方を例示するという二重の目的を追求しているのである。傷寒論の著者の驚嘆すべき論理構成力の一端をここに見ることができる。
 この条文の2句目の不汗出は、宋板でも康平本でも大汗出となっている。『解説』一七二頁では別の条文についてではあるが「桂枝湯のような穏やかな薬を用いても大量の発汗があるほどの患者は相当な虚証であるから脈が洪大になる筈がない」と説明している。これは正論であるから、大いに汗が出た後で白虎加人参湯を与えることはできないことになる。それにもかかわらず同書一七五頁には「表証が去って裏熱をかもしてひどく口渇を訴えるようになった。即ちこの章は太陽病より陽明病に転位した例を挙げたのである」、といい、『講義』三七頁でも「一転して裏証と為れる者なり」、としている。しかし一転する理由が示されていないからこれでは納得できない。即ち大汗出は誤写によるものであることは明日である。
 『漢方入門講座」(竜野一雄著、一一九六頁頁では「大いに汗出でて後、大いに煩渇」を発汗過多のため胃内の水分が欠乏して、胃熱を滞びて煩渇する、と説明している。でたらめもよいところである。
 さて今までの条文の説明の中で表裏という術語を使用したので、原文ではずっと後でないと出てこないのであるが、ここでまとめて内外の説明をしておく。
 これまで色々な解釈がされているが、それを整理すると相対説と絶対説の二種になる。相対説とは、表裏と内外がそれぞれ相対的な関係にあり、表は指すところが狭く、外はそれよりも広的、しかも表をその中に含んでいるとする。また内は指すところが狭く、裏はそれより広く、しかも内を含むとすることである。図で示すとわかりやすい(第一図)。しかしこの立場をとる次の三書では必ずしも一致していないのである。
①傷寒論梗概(奥田謙蔵著、一九五四年)では、表は皮膚表面あたりを指す。
外はほぼ表に等しいが、表よりも広いところを指す。
裏は身体における最深部位、即ち姉化管のあたりを指す。
内はほぼ裏に等しいが、裏より広いところを指す。

②漢方診療の実際(大塚敬節、矢数道明、清水藤太郎共著、一九五四年)では、表は体表を意味する、即ち皮膚及びこれに接する部位を指す。
外は表と裏の一部を含む。
裏は内臓を意味する。
内は内臓のうち特に消化管内を指していう場合に用いられる。

③傷寒論入門(森田幸門著、一九五八年)では
表は皮膚(汗腺、皮下毛細管、神経終末器)と運動器(筋肉、骨、関節)を指す。
外は表と裏を含む。
裏は呼吸器(鼻、肺)、循環器(心臓、心管)、泌尿器(腎臓、膀胱)、消化器(肝、胆、膵)、漿液膜(脳膜、肋膜、腹膜)、中枢神経を指す。
内は消化管(胃、腸)。

即ち胃腸は①では裏といい、同時に内の一部でもあるが、②では内といい、同時裏の一部でもあり、③では内といい、裏には含まれない。このように表裏内外という基本的概念デモ、現代のわが国で最も権威ある人々の考えがこのようにちがうのであり、定説はない。こんな馬鹿な話はないのである。
 これに対し、絶対説とは相対的に変動したり、一部が他の部分に含まれたりはせず、それぞれが一定の部分を胃す説のことである(第二図)。この立場をとる荒木正胤氏は「五大説」において臓器と部位を次のように配当している。…④

  表-肺(肩背部、項頸部、頭面部)
  外-心、肝(胸郭部)
  裏-腎、膀胱、小腸、子宮(臍から下)
  内-胃、大腸、脾(心下から臍まで)

但し荒木氏は内と裏の部位を決めかねたようで、著述の年度によって変更させている。一九五八年からは④の内と裏を入れかえているから、これは⑤となる。そして一九六七年には再び④を採用している。
これを書名で示すと、次のようになる(表)。







   裏位  内位 
 「五大説」(一九四二年)
 漢方治療(初版一九五七)
 漢方問答・四九(大法輪一九六八)
  ④
白虎湯
大承気湯
 「漢方治療の実際(一九五八)
 漢方治療(再版一九五九)
 漢方治療百科
  ⑤
大承気湯
白虎湯


私は④の代に今までにない合理的な考え方があることを感ずる。頸、心下、臍という部分で上下に四分割しているので、そこには人体を円で表現する幼稚な考え方から脱出しようとする努力が認められる。しかし太陽病、少陽病、陽明病という三つの陽病の部位が上下に三分割したものであるのに、その上に上下に四分割したものをさらに重ね合わせ識という必然性がどうしてもはつ言きりしないのである。この不合理性は次のような形になってあらわれてくる。
 『漢方治療』二九頁に「細かく分けると、同じ太陽病でも、次のように区別することができる」として、
 「表位が虚して外が実する傾向にあるもの…………………………………桂枝湯
  表位が特に実し、外位もまた実する傾向のあるもの……………………葛根湯
  表位と外位がともに実するもの……………………………………………麻黄湯
  表位と外位とが非常に実したもの…………………………………………大青竜湯
と述べているが、これでは何のために表位、外位という概念を必要とするのかさっぱりわからない。このような煩雑さを伴うのはもうひとつ工夫が必要であることを示している。
 人体を円で表現することについてももっと疑問をもってほしい。円で表現するということは、胴体の横断面を円で示し、その平面にすべての臓器を投影してそれに表裏内外の区別をつけることである。昔の人は解剖学的知識もとぼしいので、頭の中で抽象的に考えた筈だから、円で表現してもよいなどと軽く扱ってはいけない。霊枢の胃腸篇には消化管の正常な長さを測定しあるし、その長さを表現する単位は先秦時代の物差しに一致していることを私は『現代人の漢方』(一九六二年)の中ですでに明らかにしている。また胃の大きさも容積も正確に測定している。したがって実際から甚だしく遊離した模型を考えたりすることをやめて、内臓を上下の関係で見るという合理的な考えを導入した方がよい。
人体は球形でなく上下に長い物体であるし、また人体の背面が陽で腹面が陰であることを考慮に入れると、表裏内外を第3図のように配当することができる。
 この考え方で、傷寒論の条文で表裏内外の字を含んでいるものの解釈をみると、今までのどの説よりも納得ができたのである。漢和辞典をひくと、表は外に同じとあり、裏は内に同じと書いてある。即ち同じ意味をもった表と外を人体の上部、即ち太陽病に用い、裏と内を人体の下部、即ち陽明病に用いていることは、太陽病を中風系列と傷寒系列に分け、陽明病を承気湯系列と白虎湯系列に分けることに対応することになるのである。後に詳細に説明するが、この関係は陰病にもあてはまる。傷寒論に部位を示す2種類の術語が存在する理由がこれではじめて明瞭になる。
 今までは表裏内外の定義が傷寒論に記されていないので、表は表面、外はそれより幅の広い外面、というように勝手な解釈をしてきたことに気がつくであろう。


『傷寒論再発掘』
10 服桂枝湯、不汗出後、大煩渇不解、脈洪大者、白虎加人参湯主之。

  (けいしとうをふくし、あせにいでずしてのち、だいはんかつしてかいせず、みゃくこうだいなるもの、
びゃっこかにんじんとうこれをつかさどる。)

  (桂枝湯を服しても、汗が出ないで、そのあと大いに渇して苦しみ、病の治癒しないもののうち、脈が洪大であるようにものは、白虎加人参湯がこれを改善するのに最適である。)

 桂枝湯を服して、汗が出すぎて異和状態が生じた場合の改善策については、既に第7条で論じていますが、この第10条はそれとは反対に、桂枝湯を服しても汗が出ないで、その後に生じた異和状態の改善策について論じた第一番目の条文です。
 「一般の傷寒論」では「不汗出後」の部分が「大汗出後」となって、まさに正反対になっています。大汗が出て、大煩渇するようでしたら、体内水分はかなり減少しているのではないかと推定されますので、脈が「洪大」になるのは確かに考えにくい気もします。そこでこの部分はやはり「不汗出後」の方が良いように思えますし、実際に「康治本傷寒論」にこうなっていますので、この立場で考察していくことに致します。また、現実には、桂枝湯を服して汗が出ないで、色々な変証をおこしてくるものもある筈ですので、そういう場合の対応策も論じてあった方が、「原始傷寒論」としては、よりふさわしいことになります。
 なお、この条文のあとに、白虎加人参湯の調整法のこと(生薬配列を含まて)が出ていません。既述した如く(第13章)、「康治本傷寒論」では、発汗や瀉下の処置を経ていない正証を論じる条文の所に生薬配列を記載する傾向があり、発汗や瀉下の処置を経た「変証」を論ずる条文にはなくてもよいわけです。陥胸湯、四逆湯、真武湯など、「正証」の条文と「変証」の条文を持つものは、みな「正証」を論じる条文にのみ、生薬配列が記載されています。すなわち、その湯にとっての基本的な条文の所にその調整法が記載されているのです。したがって、この条文には白虎加人参湯の調整法が記載されていなくてもいいのだと思われます。

『康治本傷寒論解説』

第10条
 【原文】  「服桂枝湯,不汗出後,大煩渇不解,脈洪大者,白虎加人参湯主之.」

 【和訓】  桂枝湯を服し,汗出でずして後,大煩渇し解せず,脉洪大な識者は,白虎加人参湯これを主る.
       注:「不汗出」は宋板に従って「大汗出」に改めます〔章平〕.

  【訳文】  太陽中風に桂枝湯を服用して,大いに汗が出て後,少陽傷寒となって,脉は弦脈に洪大性を帯び,往来寒熱し,小便不利し,大煩大渇の証のある場合は,白虎加人参湯でこれを治す.

 【句解】
  大煩渇(ダイハンカツ):多分心煩と渇のことであろう.〔章平〕

 【解説】  第4条から第11条を通じてみると,この条に出てくる白虎加人参湯のみが傷寒(緊証)側の方剤であります.したがって,ここでは論じないのが本筋と思われますが,本来太陽病位の緊証の患者であるにもかかわらず,緩証と取り間違って桂枝湯を与薬したために,種々の随伴症状があらわれてきた場合の緩解方剤として誤治を集めたところに記載されているものと理解できます.
 すなわち白虎加人参湯は,緩証・緊証の見立てを間違って方剤を用いた場合に緩解する救済方剤と解釈できます。これを拡大解釈して,現代医学の治療薬の多用・乱用(代表的なものとして副腎皮質ホルモン剤などがあります)によって悪化した病態(アトピー性皮膚炎など)に対するウオッシュ・アウトのための薬剤として応用できるのではないかと思います.

 【処方】  石膏一斤砕,知母六両,甘草二両炙,粳米六合,人参二両,右五味以水一斗煮米熟湯成去滓,温服一升.

 【和訓】  石膏一斤を砕き,知母六両,甘草二両を炙り,粳米六合,人参二両,右五味水一斗をもって煮て米熟し湯と成る.滓を去って温服すること一升す.


    証構成
  範疇  胸熱緊病 (少陽傷寒)
①寒熱脉証  弦
②寒熱証   往来寒熱
③緩緊脉証  緊(洪大性)
④緩緊証   小便不利
⑤特異症候
  イ大煩 (石膏)
  ロ大渇 (粳米)


康治本傷寒論の条文(全文)