健康情報: 10月 2009

2009年10月31日土曜日

康治本傷寒論 第三十二条 傷寒,結胸熱実,脈沈緊,心下痛,按之石硬者,陥胸湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
傷寒、結胸、熱実、脈沈緊、心下痛、按之石硬者、陥胸湯、主之。

[訳] 傷寒、結胸、熱実、脈は沈緊、心下痛み、これを按ずるに石のごとく硬き者は、陥胸湯、これを主る。

 康治本の陥胸湯は宋板、康平本の大陥胸湯のことである。
 冒頭の傷寒という句は広義の傷寒であるから二十六条(小柴胡湯)の傷寒中風という意味に等しい。それならば(+-)型であるかというと、悪寒に言及していないから(++型)、即ち温病であり、条文中に胸と心下とあるのだから部位からみて少陽温病である。また第三一条(桃仁承気湯)が熱邪と血毒によるものであったから第三二条と第三三条は熱邪と水毒によるものについての例である。
 結胸とは、宋板に「結胸、無大熱者、此為水結在胸脇也」とあるように、水飲が胸脇部に結(堅くとりつく)ぼれた病気であるから、『入門』一八八頁に「胸部から心窩部にかけて、疼痛を訴え、呼吸短少、煩躁、心中懊憹、心下鞕等の証候複合を呈するをいうのであるが、かかる証候複合を現わす場合は肋膜炎、膿胸、気胸、肺気腫、肺炎、横膈膜下膿瘍、肝臓膿瘍、腹膜炎等である」としているが、典型的なものは脇坂憲治氏によると急性肺炎であるという(陰陽易の傷寒論、第五巻、一九六一年)。
 宋板では冒頭の句が傷寒六七日となっているように、傷寒あるいは中風の形で発病し、若干の日数を経過して悪寒がなく熱が高くなり胸痛を覚えるようになる。この状態を熱実と表現したのであり、文字通り熱邪が充満していることである。『集成』では「胃家実の実、大便不通これなり」としているが正しくない。
 これは陽病の激症であるから、脈は浮緊数のように思えるが、実際には沈緊であるというのだから、第二五条(真武湯)のように陰病か陽病か判断しかねる時に脈を診てそれを決定するやり方ではないので、脈沈緊の句は条文の中間に位置している。争は水毒の甚だしい時の脈であり、沈は普通は陰病の脈であるがここでは痛みが甚だしく気血の滞りが生じているためと見てよいであろう。
 『弁正』で「脈沈にして緊なるは則ちその陰位に在るものに似る。惟うに其の心胸に結するを以ての故に浮緊なる能わずして沈緊なるものなり」とし、喩嘉言も「脈の沈緊は胸廓内に有熱性炎衝のあるときの候」という意味のことを述べているが、宋板には「小結胸病、正在心下、按之則痛、脈浮滑者、小陥胸湯、主之」という条文があるのだから心胸に結ぼれるだけでは脈が沈緊になる根拠にならない。成無己は「今は脈浮滑、熱のいまだ深く結せざるを知る」と説明しているが、深浅だけの問題ではないように私には思える。程応旄(傷寒論後条弁)は「此処の緊脈は痛に従ってこれを得たり」とし、『講義』一五八頁では「肌沈は水邪ありて動かざるの候、緊は発勢ありて発するを得ざるの候」とし、宋板の太陽病下篇の最初の条文に結胸は「寸脈は株、関脈は沈」とあることから『入門』一九五頁では「本条の沈緊は関脈をさしていうのであろう」とし、浅田宗伯(傷寒論識)は「脈沈緊は熱裏に結ぶの候」としているように、この脈証に関して定説はない。
 心下痛は心窩、即ち俗にいうみずおちの部分が痛むと解釈するのが普通であるが、もう少し広くして胃部が痛む、または心は胸をさすとすれば心下は胸下だから胃、膵臓、肝臓、脾臓の部分の痛みと見てもさしつかえないと思う。何故心下が痛むかについては『講義』に「心下の痛みて鞕きも、亦既に胸に結実するの候なり」とあり、これだけではよくわからないが次に示す『入門』の説明はわかりやすい。「解剖学的胸腔の下部と腹腔の上部とは、神経支配からいっても、リンパ管の配置からいっても、同じ単位の内にあるから」であり、「横膈膜附近の病変のためにその疼痛を胸廓内に投影する場合の病名を現代病理学より列挙するときは、基底肋膜炎、呑気症、幽門痙攣症、心窩部ヘルニア、胃潰瘍、胃穿孔、胆嚢疾患、急性膵臓炎、脾臓梗塞等で、これらの疾病により膈内拒痛(横膈膜附近の痛むこと)する外、呼吸器、心臓及びその附属器の疾病によっても膈内は拒痛するが、これに対応して心窩部に疼痛を訴える場合は、その急性で激烈なるものは胃或は十二指腸潰瘍、壊疽性虫垂炎等の穿孔、急性膵臓炎、腸閉塞、胆嚢より発する疝痛等である云々」と。
 按之石硬者とは、按はおさえる、なでる、しらべる意であるから腹診をすることであり、自覚的には心下痛、他覚的には石の如くかたくなっているものは、結胸が下方に影響を及ぼしているのである。それを『入門』では「心窩部における疼痛は結胸の主要な証拠」であるとしているのは、第三五条の心下満、鞕痛者、為結胸および宋板の小結胸病、正在心下、按之則痛、からくる見解であるが、本条では心下痛は脈沈緊の後に置いてあること、および結胸という名称から考えると、主要なる証候は胸痛等の胸部の症状でなければならないと思う。
 以上の熱邪と水毒による病気に対して、脇坂氏によると「急に攻下すべきであると同時に、快利を得れば直ちに中止し、その後多くは小柴胡湯を殆ど無条件と言ってよいほどに用いてきた」という。これは水毒の排除を目的とする攻下だから陥胸湯という処方を用いることになる。

大黄六両酒洗、芒硝一升、甘遂一両末。   右三味、以水六升、先煮大黄、取二升、去滓、内芒硝、煮一両沸、内甘遂末、温服一升。

 [訳] 大黄六両酒にて洗う、芒硝一升、甘遂一両末。   右三味、水六升を以って、先ず大黄を煮て、二升を取り、滓を去り、芒硝を内れ、煮て一両沸し、甘遂を内れ、一升を温服す。

 大黄に芒硝という塩類性下剤を配合し、小腸から水分が吸収されるのをふせぐほか、腎臓で尿の再吸収もさまたげるようにし、その作用を一層増強するために峻下剤の甘遂末を配合する。甘遂の有効成分は樹脂性物質で水に不溶であるから粉末として用いる。


『傷寒論再発掘』
32 傷寒、結胸 熱実 脈沈緊 心下痛 按之石硬者 陥胸湯主之。
   (しょうかん、けっきょう ねつじつ みゃくちんきん しんかいたみ これをあんじてせっこうのものは かんきょうとうこれをつかさどる。)
   (傷寒で、結胸し、熱実し、脈は沈緊で、心下が痛み、これをおさえてみると石の様にかたいようなものは、陥胸湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は陽病の状態で、胸部に異常な水分がたまり種々の異和状態を呈する病態を、主として胃腸管より水分を急激に排除することによって改善していくような対応策を述べた初めての条文です。
 傷寒 というのはこの場合、悪性の病気という意味ではなく、もっと一般的に軽く言う意味です。すなわち、「病にかかって」と言うほどの意味です。特に太陽病とか陽明病とか、その他あえて限定する必要のない時、このような言葉をもって、条文の始まりとしているわけです。
 結胸 とは胸に何かがむすぼれた病態を言うのでしょう。この場合は肋膜炎とか肺炎とかのように、水分が異常にたまるような病態を言うのであると思われます。
 熱実 とは熱が充実している状態を言うのであり、同じく胸部に水がたまるような病態でも、発熱状態があるような場合が陥胸湯の適応となるのでしょう。
 脈沈緊 とは肌が沈んでいて、緊張の強い、力のある脈です。多分、血管内の水分量は若干減少していて、濃縮されているような状態の血液になっているのではないでしょうか。
 心下痛 とは狭義には心窩部の痛みの事ですが、広義には胸の下の痛みすなわち肋骨弓を中心とした上下の部分の痛みをも含むと考えてよいように思われます。
 按之石硬者 とは、腹診して心窩部および肋骨弓下のあたりが、石のように硬くなっていることです。胸部の異常状態のため、多分、筋肉が反射的に硬く張っているのでしょう。
 胸部に水分が異常にたまった時、主として発汗でこれを排除するには麻黄湯があり、利尿で排除するには小柴胡湯やその他のものがあるわけですが、瀉下反応で排除していくのには、この陥胸湯や十棗湯などがあるわけです。これらの方法を通じて様々な異和状態が改善されていくのですから、誠に面白いものです。


32' 大黄六両酒洗、芒硝一升、甘遂一両末。   
   右三味、以水六升 先煮大黄 取二升 去滓 内芒硝 煮一両沸、内甘遂末、温服一升。
   (だいおうろくりょうさけにてあらう、ぼうしょういっしょう かんついいちりょうまつ、みぎさんみ みずろくしょうをもって、まずだいおうをにて、にしょうをとり、かすをさり ぼうしょうをいれ、にていちりょうふつし、かんついまつをいれ、いっしょうをおんぷくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章8項で考察した如くです。すなわち、大黄という植物性の瀉下剤に芒硝という塩類性下剤を加えて瀉下作用を強めているのに、さらに甘遂という峻下剤を追加しているわけです。よほど強力に瀉下しようとしていることがわかります。初めは「心下痛」などを大黄・芒硝で瀉下して対応していたのでしょうが、やがて、甘遂末を使用すると更に有効であることが知られて、やがて、大黄芒硝甘遂という生薬複合物の使用が固定化されたのでしょう。胸部に結ぼれた異常を破壊するという意味で、「陥」という字が採用されたようです。勿論、「原始傷寒論」が初めて書かれた時にです。


『康治本傷寒論解説』
第32条
【原文】  「傷寒,結胸熱実,脉沈緊,心下痛,按之石硬者,陥胸湯主之.」
【和訓】  傷寒, (結胸熱実し) ,脉沈緊,心下痛み,これを按ずるに石硬なる者は,陥胸湯これを主る。
【訳文】  発病して,陽明の傷寒(①寒熱脉証 遅 ②寒熱証 潮熱不悪寒 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 不大便) となって,心下痛み,これを按ずるときは心下石硬である場合には,陥胸湯でこれを治す.
【句解】
 石硬(セッコウ):石のように堅いことをいう..
【解説】  本条は第35条の半夏瀉心湯条との比較をすることによって心下部における痛みの相対度合で適用方剤の分類を行っています.
【処方】  大黄六両酒洗,芒硝一升,甘遂一両末,右三味以水六升先煮大黄取二升去滓内芒硝煮一両沸,内甘遂末,温服一升.
【和訓】  大黄六両を酒で洗い,芒硝一升,甘遂一両を末とし,右三味水六升をもって先ず大黄を煮て二升を取り滓を去って芒硝を入れ一両沸して,甘遂末を入れて温服すること一升す.


証構成
  範疇 腸熱緊病(陽明傷寒)
 ①寒熱脉証   遅
 ②寒熱証    潮熱不悪寒
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    不大便
 ⑤特異症候
   イ心下痛
   ロ心下硬(甘遂)


康治本傷寒論の条文(全文)

(コメント)
『康治本傷寒論の研究』
横膈膜 横隔膜に同じ
拒痛(きょつう)とは拒んでも痛むこと。

程応旄(ていおうぼう) 
傷寒論後条弁(しょうかんろんごじょうべん)(清 康熙9年(1670))の著者
『傷寒論』を自己流に解析し、『傷寒論』中の自説に合う部分を張仲景の正文とし、自説に合わない部分を王叔和や後人の竄入として切り捨てる過激ともいえる学派の一人(方有執・揄嘉言ら)。

芒消 → 芒硝に訂正。

硬=石のようにかたい
鞕=革のようにかたい

2009年10月28日水曜日

康治本傷寒論 第三十一条 太陽病,熱結膀胱,其人如狂,血自下,下者愈。但少腹急結者,与桃仁承気湯。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、熱結膀胱、其人如狂、血自下。下者愈。但少腹急結者、与桃仁承気湯

[訳] 太陽病、熱膀胱に結し、其の人狂の如く、血自ら下る。下る者は愈ゆ。但少腹急結する者は、桃仁承気湯を与う。

 冒頭の太陽病という句は第三○条(大柴胡湯)と関連していることを示し、それよりも熱邪が下方に移行していることを熱結膀胱と表現したのである。結とはかたくとりつくことである。
 其の人とは第七条で説明してように、今までとは状態がすっかりかわって、という意味になる。狂の如しとは精神異常を起した人のような言動をする意味である。銭潢の「これを狂の如しと謂うは、狂にして未だ甚しからざるの詞なり」というのがよい解釈である。熱邪が膀胱にかたくとりつけば、何故に狂人のようになるかは後に論ずることにする。血自ら下るとは、『解説』二七八頁に「その時に血が自然に下ることがある。このように血が下る時は、瘀血が去るのであるから、治るものである」と説明している。ではどこから血が下るかについては、『入門』一六一頁に「身体の何所の部分から出血するのであるか明細な記載はないが、熱結膀胱、少腹急結と記載せることより推論するときは、出血は肛門、尿道、子宮等よりするもののようである」と説明している。桃仁承気湯を実際に用いる病名から考えてもこの説明は妥当である。
 ところが熱結膀胱と言うのだから、尿道からの下血であれば一番納得できるのであるが、肛門や子宮からの下血ではその関連がはっきりしない。そこで熱結膀胱の句について色々な解釈がされることになる。
①『入門』では「膀胱は今日の解剖学的名称と異なって単に膀胱附近という意味。下焦と同じ意味」と解釈する。そして熱邪が下焦に結ばれるから血行がめぐらなくなり、停滞して瘀となるという。『講義』、『解説』、『集成』もこれと同じ説明をしている。しかし下焦をなぜ膀胱と表現したかについてはこれらの諸書では何も言っていない。ただ荒木正胤氏だけが腹診の際、下焦において触知される臓器は膀胱だけであるから、膀胱という語は下焦の代名詞にほかならないという見解を発表している。
 確かにこれまで一応理屈はつくのであるが、膀胱という語の使い方が医学的でないという点、および下腹部は何故血毒を生ずるかという点で私は納得できないのである。
②『集成』には発秘に曰くとして「血室(子宮)を言わずして膀胱を言うは、其れ専ら男子のために設けるや明らけし」という説を紹介している。昔は徹底した男尊女卑だったからというのであろうが、私にはむしろその人の発想がそうなのだとしか考えられない。医者の身分は低いものであったから、支配階級に属する女性の前では大きな顔はできなかったはずである。第一、素問の中にも女性について記述があるし、漢書芸文志にも婦人嬰児方十九巻という書名がでている。したがってこの解釈は最も劣悪なものに属するということができる。
③成無己は「太陽は膀胱経なり。太陽経の邪熱、解せざれば経に随って府に入る。熱膀胱に結すとなす」というように、経絡説と結びつけて説明している。傷寒論の三陰三陽は経絡における三陰三陽と必ずしも一致しないが、これも一つの理解の方法であろう。しかし「熱膀胱に在れば、必ず血と相搏つ」ということは、何故必らずであるのかは、これだけでは理解できない。しかも傷寒論の条文の解釈に経絡説を用いるならば一貫して使用すべきであり、都合のよい時だけ利用するのは議論の対象にならない。
④漢方生理学によれば、胃に入った飲食物は、そこで腐熟され、次に小腸に送られる。小腸は物を化して清濁を区別するところであるから、分離抽出された気は肺と脾(膵臓)に送られ、水液は膀胱に送られ、残った糟は大腸に送られて体外に排出される。膀胱に貯えられた水液は一部分は体液となり汗として排出され、一部分は脈(血管)にそそがれて、中焦で肺からの気と混合されて赤くなり、それが血液になり、また大部分は小便として排出される。――素問や霊枢荷論じられている生理学的記載を結びつけても、またそれによる中医学の記述によっても、以上のような機構が古代にすでに考えられていたことがわかる。
 そうすると膀胱に熱邪が結すると、貯蔵されている水液から血液に入りこみ、やがて全身に邪毒がまわることになる。このように考えれば出血が肛門、尿道、子宮等から生じてもおかしくないことになる。
 傷寒論の中だけで字句の解釈をしようとすると、膀胱は下焦の代名詞ということしか思いつかないであろうが、漢方の世界はもっと広く考えた方が良いのである。①、②、③の諸説では、古代医学において、膀胱はどのような生理的機能をもつとされていたかについて考察したものがひとつもないことは驚くべきことと言わねばならない。以上の膀胱に関する私の見解は次に記す資料を読んで考え出したものである。
   膀胱者、津液之府也。(霊枢・本輸篇)
   飲入於胃、遊溢精気、上輸於脾、脾気散精、上帰於肺、通調水道、下輸膀胱。(素問・経脈別論篇)
   中焦、受気取汁、変化而赤、是謂血。(霊枢・決気篇)
   小腸居胃之下、受盛胃中水穀、而分清濁、水液由此而滲於前、糟粕由比而帰於後。(類経の張介賓註)
 ところが今迄は誤った解釈が横行している。『東洋医概説』(長浜善夫著、一九六一年)では膀胱は「広く秘尿器系統の機能を称したもの」とし、「小腸は水穀を分離して大小便を分けることをつかさどる。即ち水液は膀胱へ送り、残滓は大腸へ送る」としている。津液を小便と解釈するという大きな誤りをおかしている。
 『黄帝内経素問新義解』巻二(柴崎保三著、一九六九年)では膀胱は「中に水がたまって周囲にふくれ出し、中に水がゆれている臓器」、つまり、「膀胱自体としては自主的積極的活動力を有せず、心の命ずるがままに中にたまっている尿を体外に排泄する臓器であると考えたわけである」という。霊枢の津液之府を尿の府と解釈しているのだから恐れ入ったものである。「ここで説くところの津液とは人体の小便をさして言ったものである」とはっきり書いている。
 『経絡治療講話』(本間祥白著、一九五○年)でも「膀胱は小腸から滲出した水分を此処に溜め置き、適当な時に排出する所である」、というように、いずれも古代中国の臓腑観を正しく把握しなければならないと言いながら西洋医学の説をいつのまにか採用して誤解を重ねている。
 其人如狂、血自下に関する臨床的観察として、『入門』一六二項には「急性熱病に於て、これらの出血を伴う場合は脳症を起し易く、ために意識は混濁し、了解困難、注意減退、見当識障碍、記憶力減退、幻視、幻聴等のために言語は不明瞭となり、振顫、運動不安、睡眠障碍を来し、幻覚の内容に応じ無思慮の行動を起し、放歌高吟し、或は縷々と談話するが如きことが起る」と説明している。しかし膀胱部位、即ち私の言う裏位に熱邪が結ぼれることが直接発狂につながるという見方を傷寒論はとっていない。傷寒論の陽明病のところに論じてあるように内位(腸)に熱邪があるときに脳症を起して讝語(うわごとを言うこと)するのであるから、裏位から血液によって邪毒が内位に転位したと見なければならない。宋板では讝語するときに使う処方として大承気湯小承気湯調胃承気湯柴胡加竜骨牡蛎湯の条文しかないことでもわかる。もうひとつは熱邪が血室(子宮)に入って狂の如くなった時に桃仁承気湯抵当湯を使用する条文がある。
 中医学ではこのふたつの場合をまとめて血熱という温病条弁の術語で説明している。熱邪が最も深く入ったものという見方である。
 次の下者愈には二つの解釈がある。
①下すものは愈ゆ、と解釈し、桃仁承気湯を服用して下せば治るとする。つまり血が自ら下っても病気が治るとはみないのである。『入門』一六二頁で「急性熱病でこれらの出血を伴う場合は脳症を起し易く」とあるように。『講義』一二六頁でも「自ずから下るとは、服薬に因らずして自然に下るの意なり。ここに至るまでを桃核承気湯の正証となす」としているし、下者愈を「本方服用後の例を挿む。之れを下せば則ち愈ゆの意なり」としている。『弁正』も同じ見解である。
 いずれの場合も「下るものは愈ゆ」と読み、「下すものは愈ゆ」とは呼んでいない。しかし他動詞として読むためには脈経の第七巻のように、「下之即愈」(これを下せば即ち愈ゆ)となっていなければならない。自動詞として読んで意味を他動詞にとるのがこの解釈の欠点となる。
②自ら血の下る者は愈ゆ、と解釈する。『解説』二七八頁に「その時に血が自然に下ることがある。このように血が下る時は、瘀血が去るのであるから、治るものである」とあるのが、その例である。『集成』では次の太陽病の条文を引用して、それでよいことを強調している。
     太陽病、脈浮緊、発熱、無汗、自衂者愈。
衂は鼻血を出すことであるから、上下の違いはあっても類似した問題なのである。これを次の条文と比較すると、血自ら下る場合でも桃仁承気湯を服用してさしつかえないことがわかる。
     傷寒、脈浮緊、不発汗、因致衂者、麻黄湯、主之。
もうひとつは次の条文である。
     婦人、傷寒、発熱、経水適来、昼日明了、暮則讝語、如見鬼状者、此為熱入血室。無犯胃気及上二焦、必自愈。
 但少腹急結者の但(ただ)はそれのみ、もっぱら、ひたすら、という意味である。少腹は『講義』一二七頁に「下腹部なり。即ち膀胱に同じ」としているように、下腹部をさすというのが定説になっている。しかし発秘では「少腹の少は、金匱玉函経と程応旄本(傷寒論後条弁)では小に作る。是なり。けだし臍上を大腹といい、臍下を小腹という。素問の蔵気法時論に明文あり。徴すべし」といい、劉完素は傷寒直格で「臍上を腹となし、腹下を小腹となし、小腹の両旁はこれを少腹と謂う」という。どれを採用さべきか私にはよくわからないので、とにかく下腹部と解釈しておく。
 急結とは『講義』では「攣急結滞の謂なり」とし、『入門』では「充血し痙攣的な疼痛を訴えること」であるという。
 ほとんどの解説書で少腹急結は熱結膀胱の外候他ならずとしているが、同じことを二度繰返して表現することは不自然であるから、血熱が下腹部に集中したことと解釈した方が良い。膀胱の急結では下剤を与える理由にならないからである。
 宋板、康平本では処方名を桃核承気湯としているが、玉函経、康治本の桃仁承気湯の方が正しい。薬に用いる種子(仁)は、内果皮に相当する核の中に存在するからである。

桃仁五十箇去皮尖、大黄四両酒洗、甘草二両炙、芒硝二合、桂枝二両去皮。  右五味、以水七升煮、取二升半、去滓、内芒硝、更上微火、一両沸、温服五合。
 [訳] 桃仁五十箇、皮と尖を去る、大黄四両酒にて洗う、甘草二両炙る、芒硝二合、桂枝二両皮を去る。
 右五味、水七升を以て煮て、二升半を取り、滓を去り、芒硝を入れ、更に微火に上せて、一両沸し、五合を温服す。


 この処方は血毒を治す桃仁を主薬とし、陽明内位の病に用いる調胃承気湯を配し、最後に桂枝を置いている。
 類聚方広義では方極を引用して「血証、小腹急結し、上衝する者を治す」としている。桂枝があるから気が上衝している筈であるというのである。尾台榕堂は上衝甚しとさえ言っている。こういう観点を前提にしているから竜野一雄氏は「康治本傷寒論について」という論文の中で、「宋板、成本、康平などすべて桃仁、大黄、桂枝の順になっているのが正しいと思うが、康治本では桂枝が最後に置かれていて全くなっていない」と書いている。
 桂枝の量は、桂枝湯で三両、上衝のはげしい桂枝加桂湯で五両用いている。それがここでは二両、しかも一回の服用量はさらに少ない。どうしてこれを上衝甚しと言えるのであろうか。さらに言うならば、表証や外証のある場合にはまずそれを治して後に下剤を与えるのが傷寒論の原則である。上衝の場合も同じである。
 したがってこの桂枝は鎮痛作用を期待して用いているのであり、気の上衝を治すようには働かないのである。それを『漢方入門講座』(竜野著)で「桂枝甘草は気の上衝を治す。故に上部に於て気上衝による神経症状があり、下部及び体表に於て鬱血性の循環障害症状が見られる。上衝が強いので下剤を以て誘導する働きを兼ねている」というでたらめな理屈を述べている。気の上衝のように見える症状は実は血熱によるものであることを知るべきである。


『傷寒論再発掘』
31 太陽病、熱結膀胱 其人如狂 血自下 下者愈 但少腹急結者 与桃仁承気湯
   (たいようびょう ねつぼうこうにけっし、そのひときょうのごとく、ちおのずからくだる。くだるものはいゆ、ただしょうふくきゅうけつするものは、とうにんじょうきとうをあたう。)
   (太陽病で、熱が膀胱にかたくとりつき、その結果、状態がすっかり変わって、精神異常に似た状態になり、血がおのずから下るような事がある。血が下るものは病が愈えるものである。血がおのずから下ることがなく、ただ、下腹部にひきつれて痛むものが生じたような者は、桃仁承気湯を与えて様子を見ると良い。)

 この条文は太陽病であったものが更に進んで、精神異常に似たような状態を呈するようになった場合の改善策を述べた条文です。
 精神異常に似たような病態の成因として、この「原始傷寒論」の著者は「熱結膀胱」(熱が膀胱にかたく取りつくこと)の為と考えていたようです。膀胱と言っても現代医学でいう膀胱そのものとは、かなり違うようです。また、当時の解剖学の知識は今から見れば誠にあやしいものだったでしょうから、そのような頼りない知識の上での説明は現代の立場から見れば、所詮、「空論臆説」の一種に過ぎないものですので、あまり真剣に受けとる必要はないでしょう。
 成因はともあれ、精神異常に似た病態であったものが、自から血が下ることによって改善されていくような体験があったのであり、また、血は下らないが下腹部にひきつれて痛むものが出来て、精神異常に似た病態が生じた時、桃仁承気湯を与えて便通を促すと、時には血が下るようなこともおきて、その病態の改善されていくようなことなども経験されていたのでしょう。その結果、こういう条文も残されたのであると推定されます。
 実際、精神異常を含めた実に様々の病態が、少腹急結という腹証を基に、桃仁承気湯を使用することによって誠に良く改善されていくことは、全く日常的に経験されていることです。「熱結膀胱」という「空論臆説」は全く不用なわけです。こういう不用な部分は除いて、古代人の純粋経験にもどれば、それは現代人でも完全に通用する部分なのです。「傷寒論」の大きな魅力の一つは、こういう有用な部分が誠に豊富に存在するという点です。それなればこそなお一層、「傷寒論」については、机上の空論ではなく、実質的な研究が尊重されるわけなのです。

31' 桃仁五十箇去皮尖 大黄四両酒洗 甘草二両炙 芒硝二合 桂枝二両去皮。
   右五味 以水七升煮 取二升半 去滓 内芒硝 更上微火 一両沸 温服五合。
   (とうにんごじゅっこひせんをさり、だいおうよんりょうさけにてあらう、かんぞうにりょうあぶる、ぼうしょうにごう、けいしにりょうかわをさる。みぎごみ、みずななしょうをもってにて、にしょうはんをとり、かすをさり、ぼうしょうをいれ、さらにびかにのぼせて、いちりょうふつし、ごごうをおんぷくする。)

 この湯の形成過程は既に第13章8項で述べた如くです。すなわち、この湯の生薬配列は、桃仁+(調胃承気湯)+桂枝となっていますので、基本的な作用は調胃承気湯の瀉下作用です。その上に桃仁の特殊作用を強調し、桂枝の鎮痛作用あるいは上衝改善作用を追加しています。単なる下しではなく「血自下」のと同様な生体反応を通じて、下腹部にある「しこり」を取り去りながら、生体全体の異和状態(如狂)を改善していくためには、桃仁が必要とされているのです。
 「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、この生薬配列は、桃仁大黄桂枝甘草芒硝となり、調胃承気湯のそれは甘草芒硝大黄あるいは、芒硝甘草大黄ですので、もう全く滅茶苦茶になってしまっています。生薬配列の重要さが忘れ去られてしまった時代の産物ですから、止むを得ないとは思いますが、すくなくとも、これからの研究者はこの蒙昧状態を脱却してほしいものです。



『康治本傷寒論解説』
第31条
【原文】  「太陽病,熱結膀胱,其人如狂,血自下,下者愈。但少腹急結者,与桃仁承気湯.」
【和訓】  太陽病,熱膀胱に結び,その人狂の如く,血自ずから下る,下る者は愈ゆ。ただ少腹急結するものには,桃仁承気湯を与う.
【訳文】  太陽病を発汗して,陽明の傷寒(①寒熱脉証 遅 ②寒熱証 潮熱不悪寒 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 不大便) となって,自然に下血する場合もある.下血する者は,自然に治る.少腹急結のある場合には,桃核承気湯桃仁承気湯)を与えてこれを治す.
【句解】
 如狂(キヨウノゴトク):精神分裂症様の症状のある場合をいう.
 少腹急結(ショウフクキュウケツ):下腹部が硬く結ばれている状態をいう.
【解説】  “熱結膀胱”の膀胱は,今日の解剖学ていうところの膀胱を指すのではなく,漢法医学で用いられている三焦の中の下焦に当たる場所を指します。これはまた,抵当湯条に「熱在下焦」というに同じであります.すなわち熱結膀胱とは,少腹急結のことです.
【処方】  桃仁五十箇去皮尖,大黄四両酒洗,甘草二両炙,芒硝二合,桂枝二両去皮,右五味以水七升,煮取二升半去滓内芒硝,更上微火一両沸温服五合。
【和訓】  桃仁五十箇皮尖を去り,大黄四両を酒で洗い,甘草二両を炙り,芒硝二合,桂枝二両皮を去り,右五味水七升をもって,煮て二升半を取り滓を去って芒硝を入れ,更に微火にのぼせて一両沸し,五合を温服する.


証構成
  範疇 腸熱緊病(陽明傷寒)
 ①寒熱脉証   遅
 ②寒熱証    潮熱不悪寒
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    不大便
 ⑤特異症候
   イ如狂(桂枝)
   ロ下血(桃仁)
   ハ少腹急結(桃仁)


第12条31条までの総括

 第12条から第17条までは,第3条を受けて太陽傷寒の治療方法を論じています.先ず代表的な薬方である葛根湯を掲げてその治法を説き,次に三陽緊病にのみ存在する合病について挙げて,最初には下部腸管に波及した場合に対しては葛根加半夏湯(生姜-半夏)にその治法を求めています.
 第15条においては,麻黄湯証を明らかにし,次いで麻黄湯証にして心煩足躁のある場合を(大)青竜湯に求めて,発汗の法をここに極めています.この場合も先ず正証を述べ,次に太陽病と少陽病との往来証のあることを症候の側から明らかにしています.すなわち「身不疼」でただ重きときを少陽病位とし,「身軽」で痛みを伴う場合を太陽病位に在ることを説き,また四肢沈重や但欲寝などのある少陰証との鑑別のために「無少陰証」といって,その別を明確にしています.以上が太陽傷寒の薬方についての解説であります.
 これらを特異症候から見ていくと,葛根湯は“コリ”の原方であり,麻黄湯は“痛み及び喘”の原方となり,また大青竜湯は“心煩足躁(ダルサ)”の原方と考えることができます.そしてそれぞれの原方は,各病期に波及して胃気各系統の方剤を応用していくことができます.
 第18条から第24条までは,各条文の冒頭に「発汗若下之後」が示されていて,その時に与えるべき薬方の時間と量とが適切でなかったために太陽病位から乾姜附子湯証,麻杏甘石湯証以下6方の各病期に転移する病道を論じています.なお第20条の場合は,「発汗後」とだけ記るされていて,太陽病位から壊病の範疇に転移した場合の治法について述べられています.
 第25条からは少し趣が変わり,肌熱緩病から肌寒緩病への病道を論じています.同じ“めまい”でも真武湯苓桂朮甘湯の相違は,前者はめまいがして倒れそうになるので壁によりかかったりしたり,杖などを持っていないと歩けないが,後者の場合は,横になった状態から急に起き上がったりした時にめまいが出現します.
 次に三条にわたって出てくる小柴胡湯証は,後出の少陽病の定義条文以下のところでは論じていなく,この部分で詳述しています.また第28条第29条では小柴胡湯小建中湯との腹痛の別を説いて,次条に大柴胡湯を挙げて柴胡の証をここに極めています.最後に太陽病から陽明病の転移する病道を述べて少腹急結の治法を挙げ,第31条までの結としています.


康治本傷寒論の条文(全文)




(コメント)
『康治本傷寒論の研究』
P.196 六行目
~血自ら下る場合でも桃仁承気湯を服用してさつかえないことがわかる。
~血自ら下る場合でも桃仁承気湯を服用してさしつかえないことがわかる。 に訂正。

『傷寒論再発掘』
P.384
五十箇の読み
ごじゅっこ を ごじっこ 訂正。

『康治本傷寒論解説』
P.58
但寝欲 を但欲寝 に訂正。

2009年10月25日日曜日

康治本傷寒論 第三十条 太陽病,反二三下之後,嘔不止,心下急,鬱鬱微煩者,大柴胡湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

太陽病、反二三下之後、嘔不止、心下急、鬱鬱微煩者、大柴胡湯、主之。

[訳] 太陽病、反って二、三これを下して後、嘔止まず、心下急、鬱鬱微煩する者は、大柴胡湯、これを主る。

 冒頭の句が傷寒でなく、太陽病に変っているのは、条文の性格に相違があることを示している。第二六条(小柴胡湯)の後に位置しているから、その変証をのべることになる。それは少陽病であって太陽病でないから、第二句目に反って、二、三これを下して後、とつけ加えただけであって、これに特別な意味があるわけではない。太陽病であったから発汗すべきところ、間違って二三回下痢を起させたために、病位が変って、次のようになったというだけである。
 嘔止まず第二六条の喜嘔よりも症状が激しいことを示す。心下急は心下部(胃部)にいらいらした感じがすること。『皇漢』には山田尾広の書物から引用して「説文に急は褊(せまい)也とあり。褊とは小児の衣服を大人の着したるが如く、ゆきつまり、きゅうくつなることなり。これにて心下急の文を始めて了解せり」と述べている。これは心下急の自覚症状を大変うまく説明している。『解説』二七一頁には「この急は物のつまった感じであるから、心下部が張って、堅くて、抵抗圧重感があること」と説明している。
 心は胸(胸部を前面から見た部分)のことであるから、心下は胸下ととった方がよいと思う。しかし自覚症状がはっきりでる所は胃部であることは事実である。
 心下急を『講義』一二○頁では「是れ亦胸脇苦満の一段進行せる証なり」と説明しているが、これは吉益東洞流の腹診により見方であって、傷寒論の胸脇苦満は胸部の自覚症状を指しているから、心下部と胸部は位置がちがっていることに注意しなければならない。このことは薬物の面からも指摘できるのであって、柴胡と黄芩の分量は第二六条と同じなのである。小柴胡湯証の胃部の状態は心下痞鞕であるから、これの一段進行したものと言うべきである。
 鬱々とは気がふさがることで、第二六条の嘿々よりも症状が重い。微煩とは心煩の軽いもの。したがって鬱々微煩は第二六条の嘿々不欲飲食、心煩と同じような程度と見てよい。『講義』では「微煩は微熱煩悶の意なり。是れ亦嘿々として飲食を欲せず、心煩す、の更に進行せる証なり」と説明しているが、微を微熱と解釈するのは無茶である。
 以上を総括すると、小柴胡湯よりも胃部の症状が激しくなっていることがわかる。胸部の症状はどうなっているのであろうか。第二六条の往来寒熱、胸脇苦満について何も言及していないのは、なぜなのかわからない。第二八条から第三○条までに示された症状はすべて第二六条と比較する形になっているから、基本条件は同じなのだというわけであろうか。

柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升、生姜五両、芍薬三両、枳実四枚炙、大棗十二枚擘。
右七味、以水一斗二升煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升、日三服。

[訳] 柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升、生姜五両、芍薬三両、枳実四枚炙る、大棗十二枚擘く。  右七味、水一斗二升を以って煮て、六升を取り、滓を去り、再び煎じて、三升を取り、一升を温服し、日に三服す。

 小柴胡湯と比較すると、柴胡と黄芩の分量に変化はないから、基本条件は同じというわけである。
 生姜の三両が五両になっているから、半夏との共力作用で鎮嘔作用が著しく強化されている。
 人参と甘草がなく、その代りに芍薬と枳実が加えられているのは、胃部に対する作用が補から瀉にかえられていることを示している。枳実の苦味は、人参の苦味よりも格段に強いからである。金匱要略の婦人産後病篇の枳実芍薬散の条文にあ識「腹痛煩満、不得臥」が参考になる。
 康治本における薬物の配列は、このように整然としているので、処方の意味を考える時にも、亦類似処方と比較する時にも大変好都合である。それは処方をつくる時の発想がそのまま記録されているからである。これに対して宋板等の異本における配列は、次に示すように混乱状態にあることを知らねばならない。
 現在大柴胡湯というと、大黄を加えた八味の処方となっているのは、宋板に「一方に大黄二両を加う。もし加えざれば、恐らく大柴胡湯と為らず」と註がついており、成本がそれを採用したからである。それに古方家が虚実の概念を乱用したことが関係している思う。
 宋板には半夏半升の下に洗の字があり、生姜五両の下に切の字がある。これが正しい。

康治本 柴胡 黄芩 半夏 生姜 芍薬 枳実 大棗
宋板 柴胡 枳実 生姜 黄芩 芍薬 半夏 大棗
康平本 柴胡 黄芩 芍薬 半夏 生姜 枳実 大棗
成本 柴胡 黄芩 芍薬 大棗 半夏 生姜 枳実 大黄



『傷寒論再発掘』
30 太陽病、反二三下之後 嘔不止 心下急 鬱鬱微煩者 大柴胡湯主之。
   (たいようびょう、かえってにさんこれをくだしてのち、おうやまず、しんかきゅうし、うつうつびはんのものは、だいさいことうこれをつかさどる。)
   (太陽病で、発汗すべきであったのに、あやまって二三回下してしまったため、病態が変わって、嘔吐がやまなくなり、心下はものがつまったような、きゅうくつな感じがして、うつうつとして、少し胸苦しい状態であるようなものは、大柴胡湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は小柴胡湯の適応病態よりも更に「嘔吐」や「心下痞鞕」の甚だしい病態の改善策について述べている条文です。
 生薬構成から考察してみますと、まず小柴胡湯の時は生姜が三両であったのに大柴胡湯では五両になっています。鎮嘔作用が強化されているわけです。また、小柴胡湯の甘草と人参がなくなり、それにかわって、枳実と芍薬が追加されて、大柴胡湯になつているわけです。甘草の基本作用(第16章3項)は反瀉下作用であるのに対して、枳実の基本作用(第16章10項)は瀉下作用であるわけですので、この点から見ると、大柴胡湯は小柴胡湯よりも瀉下作用が強化されていると推定されます。人参の基本作用(第16章15項)は芍薬の基本作用(第16章15項)は芍薬の基本作用(第16章16項)と同じで、ともに「経胃腸排水作用」に対しては「抑制的」ですので、この点からは差はないことになるでしょう。結局、大柴胡湯は小柴胡湯より鎮嘔作用と瀉下作用を強化したものになっていることがわかります。
 実際の使われ方では、大柴胡湯の適応病態の人の方が小柴胡湯の適応病態の人より、一般に体格も栄養もよく、学術的に正しく言えば、歪回復力が大きいと推定される状態を呈しているものです。すなわち、大柴胡湯の適応病態の方が小柴胡湯の適応病態よりも「実」していると表現されるわけです。これはまた、小柴胡湯の適応病態の方が大柴胡湯の適応病態より「虚」しているとも表現され得るのです。

30' 柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升、生姜五両、芍薬三両、枳実四枚炙、大棗十二枚擘。
右七味、以水一斗二升煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升、日三服。
   (さいこはんぎん、おうごんさんりょう、はんげはんしょう、しょうきょうごりょう、しゃくやくさんりょう、きじつよんまいあぶる、たいそうじゅうにまいつんざく、みぎななみ、みずいっとにしょうをもってにて、ろくしょうをとり、かすをさり、さいせんし、さんじょうをとり、いっしょうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章10項で述べた如くです。すなわち、小柴胡湯の形成過程と同様に、黄芩加半夏生姜湯(黄芩芍薬甘草大棗半夏生姜)の生薬配列をもとにしているのです。この生薬配列の中の甘草を枳実に代え(調胃承気湯から大承気湯をつくる時と同様)、柴胡を追加してこれを最初に持っていき、半夏生姜の位置をすこしずらして柴胡黄芩のあとへ持っていけば、柴胡黄芩半夏生姜芍薬枳実大棗となり、大柴胡湯の生薬配列が得られます。
 嘔吐にも下痢にも対応できる作用を持っている黄芩加半夏生姜湯を基にして、そこに柴胡を加え、柴胡黄芩基の特殊作用を手待して、それを生薬配列の最初に置き、次に、半夏生姜基の特殊作用を期待して、これを柴胡黄芩基の下に持ってきているのは、小柴胡湯の時と同様です。小柴胡湯の時よりも嘔吐の強い病態に使用するので生姜を増量し、腹満も強いので、これを瀉下する期待もあって、甘草を枳実に代えたのだと思われます。基本的には小柴胡湯に似ていますが、それよりも瀉下作用の増強された生薬配列になっているわけです。そして、その為に、この二つの湯はその作用の大小によって、大柴胡湯・小柴胡湯と区別されるようになったのだと思われます。
 「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、この所の大柴胡湯の生薬配列は柴胡黄芩芍薬半夏生姜枳実大棗という配列やその他の配列になっており、混乱状態であるわけです。その上に、「一方に大黄二両を加う。そし加えざれば、恐らく大柴胡湯と為らず」という註までついているのです。「金匱要略」では大黄の入った大柴胡湯が記載されており、その影響を強く受けている「註解傷寒論」にも大黄が入った
大柴胡湯が記載されていますので、多分、この影響も受けて、このような註も出来たのでしょう。勿論、大黄はなくても良いのです。いや「原始傷寒論」ではもともと大黄はなかったのですが、その後の時代に、大黄を入れる習慣が出来てしまき、それを「金匱要略」や「註解傷寒論」が採用し仲しまったのであると思われます。実際臨床上では、大黄というものは色々の湯について、便通の状態を見ながら去加していけばいいものですので、こういう事もおき得たのでしょう。


『康治本傷寒論解説』
第30条
【原文】  「太陽病,反二三下之後,嘔不止,心下急,鬱々微煩者,大柴胡湯主之.」
【和訓】  太陽病,反って二三之を下して後,嘔止まず,心下急,鬱々として微煩する者は,大柴胡湯之を主る.
【訳文】  太陽病を発汗し,或いは陽明病に二三回下剤を与えた後、少陽の傷寒(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 小便不利) となって,嘔気が止まらず,心下急し,押さえ付けられたようにかすかに心煩する場合には,大柴胡湯でこれを治す.
【句解】
 心下急(シンゲキュウ):心下部(胃部)が硬く結ぼれている状態をいう。
【解説】  本条では,太陽病位から少陽病位という病道を述べています.そしてここに柴胡湯の変化を極めています.
【処方】  柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升,生姜五両,芍薬三両,枳実四枚炙,大棗十二枚擘,右七味以水一斗二升,煮取六升去滓再煎取三升,温服一升日三服。
【和訓】  柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升,生姜五両,芍薬三両,枳実四枚を炙り,大棗十二枚を擘く,右七味以水一斗二升をもって,煮て六升を取り滓を去って再煎して三升に取り,温服すること一升日に三服す.


証構成
  範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
   イ嘔不止(生姜)
   ロ心下急(枳実)
   ハ微煩(生姜・枳実)






康治本傷寒論の条文(全文)

2009年10月24日土曜日

康治本傷寒論 第二十九条 傷寒,心中悸而煩者,建中湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

傷寒、心中悸而煩者、建中湯、主之。
[訳] 傷寒、心中悸して煩する者は、建中湯、之を主る。

  宋板と康平本では、傷寒二三日、となっているので、『解説』二六九頁のように「傷寒二三日は、太陽病の表証のある時期である。もし四五日から五六日ともな れば、邪が少陽の部位に進んで、柴胡の証となる。傷寒にかかって、まだ一度も汗、吐、下の治療をしないのに、すでに胸で動悸がして、じゅつないという者 は、元来その人が平素から虚弱で、裏が虚しているためであるから、……まず裏の虚を補わなければならない」と解釈するが、康治本のように、傷寒とだけあっ て二三日がない時にはこのように解釈することができない。
 これは第二八条と同じように、第二六条の小柴胡湯条に関連した条文なのである。第二六条の第一段の心煩、第二段の或いは胸中煩而不嘔、或いは心下悸小便不利との関係を考察しなければならない。
 心中悸而煩は心煩等に似ているが、軽く考えてはいけない場合のあることをここで示したものと見れば、第二八条と同じ性格の条文になるのである。
  『講義』一一九頁に「心中とは……汎く心胸の間を指し云う。悸とは悸動の意、煩すとは煩悶の義なり。これ即ち心悸し、征忡(心悸亢進)して安んぜざるの形 容なり」とあり、煩に胸部の熱感の意味をもたせていない。そしそうならば、この症状は第八条の脈促胸満する者は桂枝去芍薬湯これを主る、と同じことになっ てしまう。これは去芍薬であり、建中湯は加芍薬であり、この相違は大きい。それで傷寒論のほとんどすべての註釈書では、「その人、中気もと虚す」とか、 「この証、元来元気欠乏し、勢力衰憊せる者なり」と説明しているが、これを示すような表現は原文には何もないのである。
 このような矛盾におちい るのは、而という接続詞を無視しているからである。『入門』一五四頁ではこの点に注目しているので、而は「この字の前に記せることが原因で、後に記せるこ との起るを示す」と解釈する。そして次のように説明している。「王宇泰(肯堂)は煩し而して悸するものは別あり。大抵は先ず煩して後悸するものは是れ熱、 先ず悸し而して煩するのは器質的障碍のために起り来たったのでなくて、神経性のもの即ち虚煩である。故に徐霊胎は、悸し而して煩する、その虚煩たるを知る べし、故に建中湯を用い、以って心脾の気を補す。蓋し梔子湯は有熱の虚煩を治し、此れは無熱の虚煩を治す、という」と。
 虚煩という解釈は正しい。しかし理論上、無熱の虚煩という状態はありえない。梔子豉湯(第二四条)との相違は有無、無熱という点にあるのではなく、心中悸の有無にあるのである。
 『弁正』に「此れ其の病位に於けるは、蓋し太陰に在りて、而して少陽に関わるなり」とあることを、別の表現を使うと、太陰温病ということになるであろう。この状態を治すことを建中湯と表現しているのだから、これは中気を建てるという意味になる。
 第二八条と第二九条で建中湯を小柴胡湯と関連させていることは、『集成』で「もし嘔ある者は乃ち少陽病にして柴胡を与うべし」というように区別を論じたのではなく、少陽の部位にも、温病の系列があることを示したものと解釈すべきである。
 そうすると、今までに出てきた処方の中では梔子豉湯、調胃承気湯と建中湯との相違が問題になるのである。


『傷寒論再発掘』
29 傷寒、心中悸而煩者、建中湯主之。
   (しょうかん、しんちゅうきしてはんするものは、けんちゅうとうこれをつかさどる。)
   (傷寒で、胸の奥が動悸して胸苦しく落ち着かないようなものは、建中湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は、建中湯の適応病態の一変態を挙げて、その活用を報じた条文です。
 建中湯の基本的な条文はこの前の条文第28条)であり、その主たる使われ方は、「腹中急痛」を改善することであったわけですが、現実には、この条文のような活用のされ方もあるわけです。このような使われ方がどうして可能なのか、その構成生薬から考察してみることは既に第13章13で論じておいた通りです。すなわち、「体力」が減退している人で、心悸亢進などがあり、胸苦しさ(心煩)をおぼえる病態に対しては、この湯の構成生薬となっている「桂枝甘草湯」の心悸亢進をおさえる作用と「膠飴」の作用が協調して、奏効してくるかもしれない、ということです。
 建中湯については、前条第28条では「腹中急痛」の改善に使用されており、「建中」という名もその事に基づいているわけですが、この事について一番大きな役割を果たしているのが「芍薬甘草湯」の部分であり、本条第29条での「心中悸」の改善について、一番大きな役割を果たしているのが「桂枝甘草湯」の部分であるということになりそうです。建中湯はこの両湯のそれぞれを含んでいたので、このような二種の湯の作用が実際上体験されて、このような条文も出来たのでしょう。


『康治本傷寒論解説』
第29条
【原文】  「傷寒,心中悸,而煩者,建中湯主之.」
【和訓】  傷寒,心中悸して煩する者は,建中湯之を主る.
【訳 文】  発病して,太陽の中風 (①寒熱脉証 沈 ②寒熱証 手足温 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 下利) となって,心中で動悸がして心煩がある場合には,小建中湯でこれを治す。
(小)ケンチュウトウ
証構成
  範疇 腸寒緩病(太陰中風)
 ①寒熱脉証   沈
 ②寒熱証    腸寒手足温
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    下利
 ⑤特異症候
  イ心中悸(甘草)
  ロ心煩(生姜)

康治本傷寒論の条文(全文)

2009年10月23日金曜日

康治本傷寒論 第二十八条 傷寒,陽脈濇,陰脈弦,法当腹中急痛,先与建中湯。不愈者,小柴胡湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

傷寒、陽脈濇、陰脈弦、法当腹中急痛、先与建中湯、不愈者、小柴胡湯、主之。
[訳] 傷寒、陽にて脈は濇、陰にて脈は弦なるは、法まさに腹中急痛すべし。先ず建中湯を与え、愈えざる者は、小柴胡湯、これを主る。

 冒頭の傷寒は第二七条の傷寒と同じ意味である。即ち広義の傷寒の意にとるべきである。
 陽脈濇陰脈弦は二通りの読み方がある。
①「陽にて脈濇、陰にて脈弦」、と読めば陽は陽病のこと、陰は陰病をさしている。『弁正』で「此の条は病位の二道に渉るを論ず。……桂草湯(第四条)に陽浮而陰弱といい、今陽脈濇陰脈弦という陰陽の義は大同にして少異なり」とし、陰は太陰病を、陽は少陽病を意味していると論じている。『講義』と『入門』はこの解釈を採用成ているし、私もこれが正しいと思う。
②「陽脈は濇、陰脈は弦、」と読めば脈診のことをさしている。『解説』二六六頁で「軽按してみると、脈が濇で、重按していると、脈が弦である。濇は血少なしとし、弦は拘急をつかさどるとあって、陽脈が濇であるということは血行が悪きて、正気が外にめぐり難いことを意味し、陰脈が弦であるということは腹内の拘急を意味する」というのがそれで、これは中国での解釈と同じである。『傷寒論講義』(成都中医学院主編)七八頁に「陽脈濇は気血の虚を主り、陰脈弦は病が少陽に在り、これ少陽病に裏の虚寒証を兼ぬ」とあるように。
③『集成』では「陽脈以下の八字は叔和の攙(つくろう)する所、何ぞ脈を陰陽に分けん。仲景氏の拘わる所にあらず」と言って無視している。
 私は②と③の解釈に賛成できない。それは一貫した解釈をしたいからである。
 濇の字は、宋板では澀(=澁)となっている。いずれにしても、しぶる、とどこおる意である。したがって陽脈濇とは症状は陽病であるのに、血行が悪いためにしぶるという陰病の脈を呈している、ということになる。傷寒論では脈証を重視するから、このように症状と脈証が相反する場合には特に注意しなければならない。宋板の弁脈法には「陽病に陰脈を見す者は死す」とあるように予後の悪い徴候なのである。
 弦はつよい、はげしい意である。
『講義では弓の弦を按ずるが如き感ある脈という。したがって陰脈弦とは、症状は陰病であるのに、陽病の脈状を呈していることである。弁脈法には「陰病に陽脈を見す者は生く」とあるように、この場合には一般に予後は良い。
 次には規則、おきて、手本という意味であるから漢方病理学では、と解釈してよいであろう。私はこの法に該当文があるいは素問か霊枢の中に記録されているかもしれないと思って探してみたが、まだ見出していない。『入門』一四九頁では法は類推の意と解釈して「これによって類推するときは、腹中に急迫した疼痛が起っている」としているが、これは症状を何も聞かないで、脈診だけによって診断を下すことになり、傷寒論の著者の方法とは一致しなくなる。法という字には類推という意味はないから、『入門』では当に……すべし、から類推という解釈を思いついたのであろう。
 『解説』二六七頁では法当は、当然来るはずであるが、まだ来ていないの意として、「当然に腹痛を訴えるはずであるが、まだ腹痛の現われない時でも、その脈状によって、小建中湯(建中湯のこと)を与えるがよい」と解釈している。この解釈も脈診だけで診断を下すことになり、よい解釈とは言えない。
 諸橋大漢和辞典では当を「まさに云々すべし」と読む時は、①断定の意を表わす辞、②推測の意を表わす辞、の意味があるとしている。傷寒論では具体的な症状に対応する処方をあてがうのを基本としているから、ここでは①の断定の意味にとらなければならない。
 腹中急痛は『講義』では腹中の攣急疼痛の謂いなりという。『入門』はもっとわかりやすく、痙攣性の激痛のこととしている。問題は第二六条の第二段の中にある腹中痛との関係である。『入門』一五○頁のように「少陽病の脈は本来弦であるが、腹痛するときは濇となる」と解釈すれば、第二六条と同じことになってしまい、陽脈濇に示された予後の危険性が軽視されてしまう。
 即ち腹中痛という症状は軽く考えてはいけない場合のあることをここで示したものと見なければならない。宋板に「腹痛し、時に痛むものは太陰に属す」という条文があるように、症状が陽病(少陽病)であっても、脈状が陰に属するときは大事をとって太陰病と見做し、反対に症状が陰病(太陰病)であって、脈状が陽に属するときは、脈証を重視する基本的立場があるにも拘らず、大事をとって太陰病として治療を行なう、という意味が先ず建中湯を与う、という表現で示されている。『入門』に「単に腹痛のみ著明に現われて、他の証候が著明でない場合、腹痛の病位を鑑定するには脈候によらねばならないが、これは甚だ困難であるから、先ず腹痛本来の病位、即ち太陰と仮定し、試験的に小建中湯を与え」と解釈しているのは良くない。他の症候が著明でないというが、具体的には省略されているが、一方は陽病であり、他方は陰病であると明確に表現してあることに留意しなければならない。
 愈えざる者は小柴胡湯これを主るは、建中湯を服用しても腹中急痛が治らない場合は小柴胡湯を与うべきであることを示している。『講義』一一七項に「諸家の間には、此の章、初めに先ず小建中湯を与え、而る後、差えざる者には、小柴胡湯を与うるの方法を述べたる者なりと為す説多し。然れども今従わず」とある。ちょっと読むと何を言おうとしているのかよくわからないが、これは差えざる者というのは腹痛を指すのではなく、傷寒を治すという解釈があり、その解釈をとらないと言っているのである。
 これは『集成』に「希哲が云う、不差の二字は傷寒の不差を言う。腹痛の不差を言うにあらず」とあるのを指しているし、『解説』でも「小建中湯で裏虚を補っても、なお傷寒の邪が解せざる者は、少陽病の小柴胡湯の主治である」と同じように解釈している。この解釈の弱点は、小柴胡湯の主治である証拠が何も示されていないことである。このような解釈は成立たないことは明らかである。『集成』にも「妄なりと謂うべし」とある。宋板の少陰病篇に「少陰病二三日、咽痛する者、甘草湯を与うべし。差えざる者は、桔梗湯を与う」という条文があり、この不差者を『講義』三六三頁に「甘草湯証に非ざる者との謂なり。是れ即ち更に咽喉に熱を挟み、其の腫脹し、或いは化膿せんとして痛を発するに至れる者なり」と解説しているのだから、咽痛のいえざるものを指していることは明らかである。不差者はこの解釈でないとおかしいのである。

桂枝三両去皮、芍薬六両、甘草二両炙、生姜三両切、大棗十二枚擘、膠飴一升。
右六味、以水七升煮、取三升、去滓、内飴、更上微火消尽、温服一升。

[訳] 桂枝三両皮を去る、芍薬六両、甘草二両炙る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、膠飴一升。  右六味、水七升を以って煮て、三升を取り、滓を去り、飴を内れ、更に微火に上せて消し尽し、一升を温服する。

 小柴胡湯の処方内容は第二六条に示してあるから、ここでは建中湯(宋板、康平本では小建中湯)の処方内容だけを示している。
康治本の薬物の順序は桂枝湯の順序と同じであり、ただ芍薬が倍量になっていて、最後に膠飴が記されている。それで一見して桂枝加芍薬膠飴湯という構成であることがわかる。ところが、宋板、康平本では桂枝、甘草、大棗、芍薬、生姜、膠飴の順になっている。これは何の意味もない配列である。
 康平本には温服一升の下に日三服の三字がある。これが正しい。
 桂枝加芍薬湯は太陰病の処方で、腹満、時に痛むものに用いるが、ここでは腹中急痛であるから、緩和強壮剤としての膠飴をさらに加えてある。

 


『傷寒論再発掘』
28 傷寒、陽脈濇、陰脈弦、法当腹中急痛、先与建中湯、不愈者、小柴胡湯主之。
   (しょうかん ようにてみゃくしょく いんにてみゃくげんなるは、ほうとしてまさにふくちゅうきゅうつうすべし、まずけんちゅうとうをあたえ、いえざるもの、しょうさいことうこれをつかさどる。)
   (傷寒で、陽病であるのに脈が濇となり、陰病であるのに脈が弦であるというように脈と証とが不一致であるようなものは、一般には、腹中が急痛するものである。このような時はまず建中湯を与え、愈ざるようなものは小柴胡湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文も小柴胡湯の適応する一種独特な病態を挙げて論じ、あわせて建中湯の基本的な適応病態に触れた条文です。
 「原始傷寒論」以前の日常臨床の経験では、腹中急痛があった場合、まず、建中湯を与えて、その腹の中の急痛を改善させようとしたのであり、それで治らない急痛は小柴胡湯を与えて改善させようとしたのであると思われます。建中湯で改善された場合もあり、それでなおらず、小柴胡湯でなおった場合もあったのでしょう。そこでこのような経験が、伝来の条文(C-14=D-6:腹中急痛先与桂枝芍薬甘草生姜大棗芍薬膠飴湯不愈者 柴胡黄芩半夏生姜人参甘草大棗湯主之 第15章参照)として書き残されていたのでしょうが、「原始傷寒論」を著作した人が、このような理屈もつけて、威儀を正した条文にしただけの事なのです。脈の状態と身体全体の病状とが相応していない時は、少し気をつけなければいけないと、注意を喚気しておきたい気持もあったのでしょう。
 脉濇というのは、「しぶる」というような意味で、血行が悪い脈であり、陰病にふさわしい脈なのでしょう。脈弦というのは弓の弦を按ずるような脈であり、つよい脈ですから、陽病にふさわしい脈なのでしょう。そこで上述のような理屈が成り立つことになります。実際的には、あまりこのような脈と証の理屈にこだわる必要はありません。

28' 桂枝三両去皮、芍薬六両、甘草二両炙 生姜三両切、大棗十二枚擘、膠飴一升。
右六味 以水七升煮 取三升 去滓 内飴 更上微火消尽 温服一升。
   (けいしさんりょうかわをさる しゃくやくろくりょう かんぞうにりょうあぶる しょうきょうさんりょうきる たいそうじゅうにまいつんざく こういいっしょう。みぎろくみ みずななしょうをもってにて さんじょうをとり かすをさり あめをいれ さらにびかにのぼせてとかしつくし、いっしょうをおんぷくする)

 この湯の形成過程は既に第13章13項で論じましたように桂枝加芍薬湯に膠飴が追加されて出来たものです。桂枝加芍薬湯は桂枝湯に芍薬が追加されたものです。「原始傷寒論」ではこれらの事がきちんと生薬配列の中に表現されています。
 ところが、「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、この小建中湯の生薬配列は、桂枝・甘草・大棗・芍薬・生姜・膠飴となってしまっており、全く意味のない配列になってしまっております。誠に誠に、驚き且つ且つ呆れるほどの乱雑ぶりです。しかも、こういうものが傷寒論研究の教科書とされてきていたのです。そしてなおも依然として教科書視されていく傾向があるようです。こんな愚かな傾向は少しでも早く無くなるようにと祈りつつ、「傷寒論再発掘」の研究もしているわけです。


『康治本傷寒論解説』
第28条
【原文】  「傷寒,陽脉濇陰脉弦,法当腹中急痛,先与建中湯,不愈者,小柴胡湯主之.」
【和訓】  傷寒,陽脉濇(ショク)陰脉弦,法として腹中急痛すべし,先ず建中湯を与え,愈えざる者は,小柴胡湯之を主る.
【訳 文】  発病して,脉が緩で手足は温で,腸が冷えて下痢し,腹が硬くなって腹痛するときは,(小)建中湯を与える.また発病して,脉が弦(緩)で,往来寒熱し,小便自利して,腹中急痛する場合には,小柴胡湯でこれを治す.
【句解】
 腹中急痛(フクチュウキュウツウ):これには2つの意味があります.
            腹中急……腹が硬くなっている状態
   腹中急痛   
            腹痛

【解説】  この条は,前条の腹中痛を受けて,寒証・熱証の場合における腹中痛を明確化しています。すなわち小建中湯の場合における腹痛は臍のまわりに感じられる痛みが特徴で,一方小柴胡湯の場合は胸脇苦満の変型が腹部に移行した形で,主に側腹部痛として感じられます.
【処方】  桂枝三両去皮,芍薬六両,甘草二両炙,生姜三両切,大棗十二枚擘,膠飴一升,右六味水七升をもって,煮て三升を取り滓を去って飴を入れて更に微火にのぼせて消滅させてしまって一升を温服する.

(小)ケンチュウトウ
証構成
  範疇 腸寒緩病(太陰中風)
 ①寒熱脉証   沈嗇
 ②寒熱証    腸寒手足温
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    下利
 ⑤特異症候
  イ腹中急痛(甘草・芍薬)
  ロ胸満

ショウサイコトウ
  範疇 胸熱緩病(少陽中風)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    自便自利
 ⑤特異症候
  イ腹中急痛(柴胡)



康治本傷寒論の条文(全文)

2009年10月20日火曜日

康治本傷寒論 第二十七条 傷寒,身熱,悪風,頸項強,脅下満,手足温而渇者,小柴胡湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

傷寒、身熱悪風、頸項強,脇下満、手足温、而渇者、小柴胡湯、主之。

[訳] 傷寒、身熱悪風し、頸項強ばり、脇下満し、手足温にして渇する者は、小柴胡湯、これを主る。

冒頭の傷寒という句は、すべての註釈書で太陽病激症の葛根湯証から進んで来たものを示していると解釈している。また宋板では傷寒四五日となっていて、第二六条の傷寒五六日中風よりも日数が少ないから邪の進むことが速いのだという。
狭義の傷寒は邪の進み方が速いというのならば、第二六条の冒頭の句を傷寒五六日、中風五六日の略と読むこと自体がおかしいものになってくる。私はこの傷寒を広義に解釈しているから、この条文を先輩諸氏とは全くちがう読み方をすることになるのである。
『解説』二六五頁では「傷寒と冒頭しているから、その邪が表裏にまたがっていることを知る」というが、表裏にまたがっていることはこの条文を読んでゆけばわかることであって、それを冒頭で示す必要は何もない。そういう暗示をかけることは誤読のもとになるから傷寒論の著者はもっと慎重に言葉を使っているという立場で私は傷寒論を聞んでいる。第二六条で傷寒中風と言ったのだから、第二七条の傷寒は前者とまるでちがうことを言おうとしていると読まなければならない。
『集成』では「太陽病は三日を以って期と為す。今は乃ち四五日なれば少陽病たることを知るべし。蓋し此の条の証は太陽葛根証より転し来るものなり。故に仍お身熱悪風して頸項強ばるなり。脇下痞鞕し、或いは身に微熱あり、或いは渇する、これなり。往来寒熱、胸脇苦満、黙黙として飲食を欲せず、心煩喜嘔等の正証なしと雖も、然れども其の少陽部位に転入せるを以って、故に柴胡を用いてこれを治するなり」という。冒頭の短い句に多くのことを語らせると誤読のもとになる例がここにある。ここで説明成ている内容は第二六条の第二段と同じことだから小柴胡湯を用いるのだということである。不親切な傷寒論の著者が二回も同じことを繰返す筈がないということがどうしてわからないのであろうか。
『弁正』では『集成』と大体同じことを述べているが、ただ脇下満は少陽病だという所だけがちがう。そして両者とも、頸項強は太陽証だとし、その症状が第二六条に表現されていないのに、小柴胡湯で治せるとして深く触れることを避けている。
『入門』一四八頁では「悪風、頸項強ばるは太陽葛根湯の証、脇下満は少陽の証、身熱、手足温にして渇するは陽明の証で、これらの証候が発病と同時に現われているから三陽の合病で、その治法として太陽、或いは陽明の証候を顧慮せずに、少陽の証候を基準として治療するのが基本法則である」、というが、こんな基本法則は傷寒論のどこにも書いてない。『解説』にも三陽の合病だと書いてあるが、少陽病の正証に属する症状がひとつもないのに、それを少陽病だという根拠は、実に傷寒四五日という句しかないのである。
このように先輩の諸説を検討してみると、この条文の解釈に苦労していることがよくわかる。
身熱は少陽病にも陽明病にも現われる熱状で、微熱と表現することもあるが、悪風が同時に存在すれば太陽病と区別がつきにくい。即ちこの場合は少なくとも太陽病と少陽病にまたがった状態のように思えるのである。
頸項強は項強が太陽病であり、頸強が少陽病であることを示しているから、前の予想は間違っていないとしてよい。頸とは胸鎖乳突筋を指していて、これが強ばることは少陽病であることの特長なのである。喩喜言、強璐、山田正珍、森田幸門、中西深斎氏等が頸項強を葛根湯証としているのは間違いである。『講義』一一五頁で「頸は前面、項は後面。これ葛根湯証の項背強ばるよりは更に深し。実は脇下満ちて上に実するにに因って起れる徴候にほかならず」と説明しているが、これもおかしい。
脇下満はわきばらが重苦しいことであるから、陽明位の症状である。『講義』の胸脇苦満の変態という解釈は不明確な表現である。
手足温は張志聰(清)の「手足の熱なり。乃ち病人自ら其の熱を覚ゆ。按じてこれを得るにあらざるなり。身発熱成て手足温和を謂う者あり。非なり」という説明が一番良い。これも陽明の症状である。
而渇はすべての註釈書が而を単純な接続詞と解釈している。私はこれを第一五条(麻黄湯)の而喘と同じように、ひどくなって陽明裏位の症状であるとはっきりわかる口渇が起ったと解釈している。
即ち太陽、少陽、陽明にわたる症状が存在しているので、これは三陽の併病と見做すことができる。併病ならば、それぞれの病位に対する薬物や処方が加味合方されるのが原則であるのに、この場合小柴胡湯という処方を使うという合病のときに似た方法がとられていることは次のように考えなければならない。
まず太陽の症状は極めて少ないから一応無視してさしつかえないが、陽明の症状は無視できない。脇下満と渇は第二六条の第二段に列記されている症状であるから、小柴胡湯で治せる範囲にある。しかし手足温はそこに表現されていない。この時に而渇の解釈が問題になるのであって、症状が激しくなって生じた渇という症状が治癒範囲に入っている以上、それほど激しくなくない手足温は当然治癒範囲に入れてよいというように私は解釈するのである。
多くの注釈書でこれを三陽の合病と見做しているのに、私が三陽の併病であると主張するもうひとつ別の理由がある。それは次に記すように、宋板にはこれに類似した条文が三つあるからである。
①傷寒六七日、発熱微悪寒、支節煩疼、微嘔、心下支結、外証未去者、柴胡桂枝湯、主之。
②太陽与少陽併病、頭項強痛、或眩冒、時如結胸、心下痞鞕者、当刺大椎第一間、肺兪、肝兪、慎不可発汗……。
③太陽与少陽併病、心下鞕、頸項強、而眩者、当刺大椎、肺兪、肝兪、慎勿下之。
竜野一雄氏編の新校宋板傷寒論および和訓傷寒論に記入されている条文の条文の番号によると、①は二六八条、②は二六四条、③は二九三条、そして第二七条は二一八条であるから、私が説明しやすいように順序を入れかえている。太陽病の症状に、少陽病の症状が次第に多く混入する順序にならべたのである。
①について『集成』では明確に「是れ即ち太陽と少陽の併病なり」と論じている。これに対して『講義』一七五頁では「一種太陽少陽の併病に似たる証」とか「これ即ち太陽少陽の併病に似たる者にして、二陽互に相兼発せる証なり」とか「太陽少陽の兼病」というように奥歯に物が挟まったような不明確な表現に終始している。木村博昭氏に至っては「太陽少陽合併病の変証」という奇妙な術語を発明している。『弁正』と『解説』三一三頁では表現することを避けている。その理由は恐らく、第二七条を三陽の合病という立場をとれば、①は太陽少陽の合病といわざるを得なくなるのに、使う処方は桂枝湯と小柴胡湯を合方した柴胡桂枝湯となっていて説明がつかなくなるからであろう。
②については私のしらべた限りでは、使用すべき処方名をあげた書物はひとつもない。私は①と同じように柴胡桂枝湯を使うべきだと思う。『弁正』では「合併病の治例には凡そ二道あり。太陽陽明の如きは則ち太陽を先にして陽明を後にす。此れ其の一なり。太陽少陽の如きは則ち太陽を措いて少陽を救う。此れ其の二なり」とう驚くべき見解を述べているのに、これを「入門」二○六頁および木村博昭氏はそのまま引用している。その理由は②の最後に慎不可発汗とあるからだと言うに至っては返す言葉を知らない。①は太陽と少陽の併病であるのに、太陽を措いて少陽を救っているのではないことは明らかではないか。
③については、『集成』では太陽と少陽の併病であるから、柴胡桂枝湯証に属するが、第二七条と比較してみると、これもまた小柴胡湯証である、と的確な結論を下している。『入門』二四四頁では「太陽少陽の合病及び併病は共に少陽に従って利尿性治癒転機を起させるべき」であると論じて、この場合は小さい胡湯を使うとしているが、治療法が同じなら合病と併病を区別する必要はなくなってしまうではないか。
第二七条は②あるいは③からさらに陽明の部位に影響が及んだものであるが、小柴胡湯を構成する七種の薬物に中に陽明位に作用する薬物が多いから、小柴胡湯で処理できるのである。少陽の処方で治療するのが原則であるなどと考えてはいけないのであ識。
一般に合病と併病の概念が大変混乱していることが、以上の考察でわかるであろう。


『傷寒論再発掘』
27 傷寒、身熱悪風 頸項強 脇下満 手足温而 渇者 小柴胡湯主之。
(しょうかん しんねつおふう けいこうこわばり きょうかみち、しゅそくあたたまりて かっするものは しょうさいことうこれをつかさどる。)
(傷寒で、微熱があって軽い寒気がして、首の全体がこわばり、わきばらがはって、手足があたたまり、渇するようなものは、小柴胡湯がこれを改善するのに最適である。)

この条文は、発汗に適した病態や瀉下に適した病態と大変まぎらわしい一種独特な病態を挙げて、これもまた小柴胡湯で改善できることを述べた条文です。
身熱悪風は、発熱悪風とは違うのですが、大変似ている状態です。頸項強は項背強とは違うのですが、やはり大変似ています。すなわち、葛根湯や桂枝加葛根湯の適応病態と似ています。また、手足温而渇第23条の「但熱」や第42条の「但熱時時悪風大渇」にも似ています。すなわち、調胃承気湯や白虎加人参湯の適応病態に似ている部分があるわけです。しかし、脇下満という病態の一変態と経考えられますので、小柴胡湯の適応病態と見てよいものです。以上、部分的には小柴胡湯以外の湯の適応病態と大変まぎらわしい面もありますが、結局は小柴胡湯が最も適当である病態の一種について触れている条文ということになります。
頸というのは首の前面であり、項というのは首の後面です。したがって、頸項強というのは、首の前面から首の後面にかけて全体にこわばることになります。項背強と感うのは首の後面から背部にかけてこわばることになります。こわばる筋肉の分布が異なることになるかもしれません。


『康治本傷寒論解説』
第27条
【原文】  「傷寒,身熱悪風,頸項強,脇下満,手足温而渇者,小柴胡湯主之.」
【和訓】  傷寒,身熱,悪風,頸項強り,脇下満し,手足温にして渇する者は,小柴胡湯之を主る.
注:手足温の三字は、補注としてこれを除く〔章平〕.
【訳 文】  発病して,少陽の中風(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 小便自利) となっ て,頸項強り,脇下満し,更に渇する場合には,小柴胡湯でこれを治す.
【解説】  本条での頸項強は,胸脇苦満の変型が側頸部に緊張や疼痛として現れた場合のことで、前条にその基本的な形を述べ,この条で胸脇苦満の変型が上部に出現した場合を述べています.


証構成
範疇 胸熱緩病(少陽中風)
①寒熱脉証   弦
②寒熱証    往来寒熱
③緩緊脉証   緊
④緩緊証    小便塚利
⑤特異症候
イ頸項強
ロ脇下満
ハ渇(身熱,高熱)




(コメント)
「頸」と「頚」は異体字

「脅」は「脇」の異体字([月]+[劦]で「峯/峰」と同様の関係)
「脅」は“わき”のほかに“おびやかす”という意味にも使うが、ここではその意味は無い。
戸上重較の康治本傷寒論では、脅を使用している。

康治本傷寒論の条文(全文)

2009年10月18日日曜日

康治本傷寒論 第二十六条 傷寒,中風,往来寒熱,胸脇苦満,嘿々不欲飲食,心煩喜嘔,或胸中煩而不嘔,或渇,或腹中痛,或脇下痞鞕,或心下悸、小便不利,或不渇、身有微熱,或咳者,小柴胡湯主之。

『康治本傷寒論の研究』

傷寒、中風、①往来寒熱、胸脇苦満、嘿々不欲飲食、心煩喜嘔、②或胸中煩而不嘔、或渇、或腹中痛、或脇下痞鞕、或心下悸小便不利、或不渇身有微熱、或咳者、小柴胡湯、主之。

[訳] 傷寒、中風、①往来寒熱し、胸脇苦満し、嘿々として飲食を欲せず、心煩喜嘔す、②或いは胸中煩すれども嘔せず、或いは渇し、或いは腹中痛み、或いは脇下痞鞕し、或いは心下悸し小便不利し、或いは渇せず身に微熱あり、或いは咳する者は、小柴胡湯、これん主る。

 この条文は二段からなり、第一段は小柴胡湯の正証を述べ、第二段はその変証を示し、最後の小柴胡湯主之という句は、その両方に係るという構成になっている。そして同時に少陽病の正証を述べている。
 まず、冒頭の句について諸説がある。
①宋板では「傷寒五六日、中風」となっていて、『講義』一一一頁では「傷寒、中風と並べ挙ぐるは、其の初め、或いは麻黄湯証より、或いは桂枝湯証より進み来るを以ってなり。また傷寒と中風との間に五六日の字を挿むは、傷寒五六日、中風五六日の略文なり。五六日は概ね少陽に進むの時期なり」と説明している。『入門』一四一頁でも同じ解釈をとり、浅田宗伯の「禹貢(書経の篇名)に玄繊縞繊を節して
玄繊縞と曰い、立政(書経の篇名)に大都伯(大きな都邑)小都伯を節して大都小伯と曰うがごときも亦古文の一体なり」という説明を引用している。文法的にはこれでよいのであるが、傷寒を重病、中風を軽病と見る時は、病勢の激易緩急にかかわらず、病気の進行に変化がないこととなり、矛盾してくる。したがってこの傷寒は傷寒系列、中風は中風系列と解釈しなければつじつまがあわなくなる。その時五六日というのは第二七条の四五日に対応するものとなる。
②そこで『集成』では「劉棟(白水田良)云う、傷寒は五六日、中風は八九日にて必ず小柴胡湯証ありと。鑿てり」と主張するのであるが、宋板で八九日と表現されていない理由を見出すことはできない。
③『解説』では康平本が中風の二字を傍註としているところから、単に「傷寒五六日」として、「この証が漸次太陽病から来たことを見せている。この章は次章(第二七条)と異なり、病勢が緩慢で、傷寒にかかって五六日たってから小柴胡湯の証になったのである」と説明している。傷寒と冒頭にかかげながら、病勢の緩慢なものを基準にしたことに疑問が残る。康平本にはこのようなおかしな所があるので、私は康平本を良くないテキストであると思わないわけにゆかないのである。
④『所論に答う』では「まず傷寒五六日と冒首して、病邪が完全に少陽に転属したる意を示すと同時に、次の中風を以って、少陽の病邪が激しければ太陽中風の証を兼ね現わすことを示し(これ合病の意)、これが具体的症状を或の文字を冠して現わしたのである。故に或の文字には、初頭に太陽中風桂枝湯の変証を挙げ、この変証が少陽小柴胡湯の激化した結果として現われたものになるを示さん為に其の具体的症状を述べ、最後に再び太陽証の変証をあげて、太陽の火大と風大がきかされている有様を述べたものである」と説明している。
 第二段は確かに太陽と少陽の合病の状態を示していることは事実であるが、「口渇、腹痛、脇下痞鞕、心下悸、小便不利は何れも少陽位の火大と水大との症状が激化していることを物語る」と言うよりも、少陽病の激症であるから陽明位に影響を与えたと表現した方が良い。少陽病の激症は陽明位(併病)と太陽位(合病)に影響を与えるということが論理的であり、それを太陽と少陽の合病と表現して、少陽と陽明の併病は表現しないのが傷寒論の流儀であるからである。しかしそうであるからと言って、傷寒五六日中風という表現が太陽与少陽合病と同じ意味であると言うのは、解釈と言うよりはむしろこじつけに近い。何故ならば傷寒と中風という言葉を使った意味かなくなってしまうし、少陽と陽明の併病を包含していることがあいまいになってしまうからである。
⑤私は康治本の表現が正しいと見るものであり、その時は太陽病が傷寒系列を通って下に向って進行しても、また中風系列を通って下に向って進行しても、ある日数を経過すると同じように小柴胡湯証(少陽病)になることを示した句であると解釈する。小柴胡湯証に移るまでの日数果問題にして悪いことはないが、日数を重視することは、中風よりも傷寒の方が激症だという意識が強いからである。私のように系列という見方は病気の進行する構造を重視したことになるのである。私は傷寒論の骨骼は病気が進行する径路であるという、これまで誰も言わなかったことを証明するためにこの研究をおこなっているのだが、こじつけたりして無理にそうしようというのではなく康治本の条文を表現通りに解釈すると、それが浮び出てくるのではないかということを示しているのである。
 陽病としての桂枝湯証を表現するとき、第二条第四条のはじめに発熱をあげ、第五条で部位を示す頭痛をはじめに記してあったように、少陽病の正証を表現するときも往来寒熱という特有の熱状に続いて部位を示す胸脇苦満、嘿々不欲飲食があげられているのである。
 往来寒熱は『講義』で「熱往けば寒来り、寒往けば熱来るの意なり」といい、『入門』で「現今の弛張熱、或いは間歇熱を患者の主観より表現したる熱型」と説明しているように、太陽病の傷寒と中風で発熱と悪寒が同時に存在していたのと性格を異にしていて、発汗させても治らないものであるのでこれを区別して少陽病の熱型としているのである。
 胸脇苦満は『入門』に「胸部及び側胸部に物が填充したるが如く感じて苦しむこと」とあるように、発熱や悪寒と同じように患者の自覚症状である。浅田宗伯が「蓋し胸脇の中は手を以ってその状を認め難し。故にこれを病者に係けて苦満という」と書いているように、やむをえず自覚症状を述べたというような消極的なものではない。『集成』では「満は懣と古字は通用す。悶なり。悶に苦の字を加うるは、これを甚だしくの詞なり。なお苦病、苦痛、苦患、苦労の苦のごとし」と説明している。
 江戸時代の古方家が腹診を重視して、季肋下に抵抗と圧痛のあることとし、他覚症状に読みかえているが、これは応用として見るべきであって、肝臓と脾臓の肥大のあるときに限定することには疑問が残る。吉益東洞が薬徴に、柴胡を「胸脇苦満して寒熱往来す識者に施せば、其の応は響の如し。ただ瘧(マラリア)のみならず、百疾皆然り。胸脇苦満なき者にこれを用うるも、終に効無し」と断定し、方極で小柴胡湯の主治を「胸脇苦満し、或いは寒熱往来し、或いは嘔する者を治す」と表現し、胸脇苦満を最も重視し、往来寒熱を軽視したことは本当に正しいことであったかをもう一度検討する必要がある。私は東洞の人柄に信用できないところがあると考えているからである。
 嘿々は諸橋大漢和辞典では「だまって物言わぬさま」とし、日本語の黙々と同じ意味に解釈しているが、喩嘉言(尚論篇)は「昏々の意にして静黙にあらず」という。昏々とは「くらいさま、物の分らぬさま、またおろかなさま」だから気持ちの暗いこと。宋板では「黙々」となっているが、意味は同じである。不欲飲食は気持が暗いために食欲不振であること。
 心煩は『解説』では胸苦しいこと、『講義』では心中煩悶の意なりという。喜嘔はしばしば嘔するという訳をすべての書物で採用しているが、漢和辞典で喜の字義をしらべても、「しばしば」の意味はないのだから、少しく考察しておかなければならない。『入門』では「このんで嘔すの意、即ち嘔気の発しやすい状態をいう」としているが、嫌なことを好んでするというのもおかしなことである。『集成』では次のように論じている。「喜、善、好の三字は皆転用して数と訓ずるものあり。左伝襄公二十八年に云う、慶氏の馬は善驚すと。正義に云う。善驚と。数驚を謂うなり。古人に此の語あれども、今の人は数驚と謂う。好驚と為すも亦善の意なり。漢書の溝洫志に云う、岸が善崩すと。師古法に云う、憙で崩るを言うなりと。字典に喜の字に注して云う、憙と同じく、好なりと。」これでしばしばと訓ずるわけがわかる。
 以上が第一段であり、これが少陽病の定証であると『弁正』で表現し、これが多く使われている。正証という意味である。ところが第二段については、『弁正』では兼証といい、『集成』では「蓋し人の体たるや、虚なるあり、実なるあり、老あり、少(若いこと)あり、宿疾ある者あり、宿疾なき者あり。故に邪気の留る所同じと雖も、其兼る所のものに至っては則ち斉き能わず」といい、『解説』では「或の字以下は、あることもあり、ないこともある症状である」とし、『講義』では「兼証は各人に由って或いは現われ、或いは現われず、或いはまた二三共に現わるる者あり。然れども、皆本方を以って其の主を治すれば、各自づから消散す」という。
 以上言われているような兼証や客証ならば、すべての処方、即ちすべての条文にあてはまることになる。それにもかかわらず、今までの条文ではそのような配慮をされたものはひとつもなかったし、これより後では第五九条(真武湯)と第六○条(通脈四逆湯)の二条文にしかあらわれない。宋板にまで拡大しても小青竜湯の一条と四逆散の一条の合計二条が増加するだけである。この形式が特定の条文だけに使われていることは、それが「あることもあり、ないこともある」ような単純な意味での兼証や客証でないことを示している。即ち、或いは…或いは…と未定の接続詞を続けて用いているが、その症状が現われる必然性を読みとらなければならないのである。
 第二段に示された各種の症状が起こる原因について言及した文献は今までに『所論に答う』だけである。冒頭の句の解釈の④に引用したように、少陽病の激症であるために、太陽位に影響を及ぼしたところの太陽と少陽の合病、および同時に陽明位に影響を及ぼした少陽と陽明の併病がそれなのである。したがって『所論に答う』で「少陽の病邪が激しければ太陽中風の証を兼ね現わす」だけではないのだから、冒頭の傷寒五六日中風を太陽と少陽の合病と解釈することは明らかな間違いといわねばならない。第二段が太陽と少陽の合病を示していることは、病気の進展における法則性を適用することからわかることであって、冒頭の句でそれを示す必要はないのである。
 胸中煩而不嘔は普通「胸中煩して嘔せず」と読んでいるが、第一段の心煩喜嘔と比較する意味があるから而という接続詞は逆接にとり「胸中煩すれども嘔せず」と私は読んでいる。『所論に答う』ではこれを「明らかに少陽証ではなくて桂枝湯の変証に現われる証である。何となれば、論に、太陽病、初め桂枝湯を服し、反って煩して解せざる者、……却って桂枝湯を与うれば則ち愈ゆ、とあるからである」としている。
 渇は陽明裏位に影響を及ぼしたことを示す。
 腹中痛は陽明内位または裏位に影響を及ぼした場合である。
 脇下痞鞕は陽明裏位、心下悸し小便不利も陽明裏位、渇せず身に微熱ありは太陽外位、咳も太陽外位に影響を与えたものと理解できる。
 『弁正』ではこれらの症状に対し類似した証をもつ処方をあげている。それを『講義』では採用し、例えば渇は五苓散証、白虎湯証に類似す、としている。これは古方家が病理を考えることを放棄して専ら類証鑑別に努めた名残りと言うべきである。

柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升洗、生姜三両切、人参三両、甘草三両炙、大棗十二枚擘。 右七味、以水一斗二升、煮取六升、去滓、再煎取三升、温服一升、日三服。
[訳] 柴胡半斤、黄芩三両、半夏半升洗う、生姜三両切る、人参三両、甘草三両炙る、大棗十二枚擘く。
右七味、水一斗二升を以って、煮て六升を取り、滓を去り、再び煎じて三升を取り、一升を温服す、日三服す。

 柴胡と黄芩の組合わせが往来寒熱と胸脇苦満に対応し、半夏と生姜の組合わせが心煩と喜嘔に対応し、人参と甘草と大棗それに生姜が嘿々不欲飲食に対応すると考えてよい。このように康治本では薬物の組合わせがもつ薬効がはっきりわかるように薬物を配列している。
宋板・康平本 柴胡 黄芩 人参 半夏 甘草 生姜 大棗
古方要方解説 柴胡 黄芩 人参 甘草 生姜 大棗 半夏
漢方処方解説 柴胡 半夏 生姜 黄芩 大棗 人参 甘草
漢方治療百科 柴胡 半夏 生姜 黄芩 人参 大棗 甘草


 他の書物ではこの点がいかにいい加減なものであるかを表にして示してみよう(前頁)。
煎じ方について今までの処方とちがうところは再煎することである。再煎すると飲みやすくなるといわれているが、単にそれだけのために再煎するのか、あるいはもっと別の意味があるのかはわかっていない。山田正珍は傷寒考において「大小柴胡、半夏瀉心、生姜瀉心、甘草瀉心、旋覆花代赭石の諸方はみな滓去り再煎す。按ずるに以上の諸湯はみな嘔噫等の証あり。嘔家は混濁の物を欲せず。強いてこれを与乗れば必ず吐す。故に半ば煮て滓を去り、再煎し以って投ずるは、其の気全くして混濁せざるを取る。和羹調鼎の手段と謂うべし」と論じている。



『傷寒論再発掘』
26 傷寒、中風、往来寒熱 胸脇苦満 嘿々不欲飲食 心煩喜嘔。或胸中煩而 不嘔 或渇 或腹中痛 或脇下痞鞕 或心下悸 小便不利 或不渇身有微熱 或咳者、小柴胡湯主之。
   (しょうかん、ちゅうふう、おうらいかんねつ、きょうきょうくまん、もくもくとしていんしょくをほっせず、しんぱんきおうす。あるいはきょうちゅうはんしておうせず、あるいはかっし、あるいはふくちゅういたみ、あるいはきょうかひこうし、あるいはしんかきし しょうべんりせず、あるいはかっせずみにびねつあり、あるいはがいするものは、しょうさいことうこれをつかさどる。)
   (傷寒であれ中風であれ、やがて往来寒熱の熱型を呈するようになり、胸脇苦満を生じて、食欲不振の状態や胸苦しく嘔吐の起きやすい状態になるようなものは、小柴胡湯がこれを改善するのに最適である。また、脳の奥が苦しくても嘔吐はしない状態、或は渇の状態、或は腹の奥が痛む状態、或は季肋下部が痞鞕する状態、或は心下が悸して小便が不利の状態、或いは渇せず身に微熱のある状態、或いは咳のある状態などのものも、小柴胡湯がこれを改善するのに最適なのである。)

 この条文は、今迄の如く、発汗や瀉下の処置では中々改善しない、一種独特な病態、すなわち少陽病と言われる病態の最も代表的な対応薬方である小柴胡湯の基本条文となっているものです。
 往来寒熱というのは、悪寒が去れば発熱が来て、熱が去れは悪寒が来るような熱型で、今日でいう、弛張熱にあたるようなものを言います。発熱と悪寒が同時にあるような病態の改善には発汗の処置が適当であり、悪寒がなく熱だけがあるような病態の改善には瀉下の処置が適当でしたが、往来寒熱の病態期は、発汗や瀉下の処置では中々改善させ難く、不適当であることが経験的に知られていったと推定されます。今日の立場で言うならばこういう時は発汗や瀉下の処置ではなく、それらの行き過ぎを改善していく方法、すなわち、体内に水分をとどめて、しかる後に利尿に至らしめる処置(和方の処置)が適当なのであり、このような病態を筆者は陽和方湯の適応する病態(陽和方湯証)と言っているのです(第14章参照)。
 胸脇苦満というのは、季肋部のあたりにものがつまったように感じて苦しむことを言います。本来は患者の自覚症状のことですが、現在の日本の臨床下は、腹診によって季肋下部に抵抗と不快感がある時、胸脇苦満があるとして、投薬の参考にしています。
喜嘔とは、しばしば嘔すると言うことであり、痞鞕とは、自覚的につかえた感じがあって、他覚的にかたい感じがあることです。
喜嘔までの症状を呈している病態が小柴胡湯の最も典型的な適応病態ですが、「或」がついたそれ以下のそれぞれの病態も小柴胡湯で改善される病態ですので、小柴胡湯が適応する病態は実に広範囲であることになります。しかし、ここに書かれた状態がすべて無条件で改善されると解釈すべきではありません。むしろ、小柴胡湯で改善されるものもあると解釈しておくべきでしょう。

26' 柴胡半斤 黄芩三両 半夏半升洗 生姜三両切 人参三両 甘草三両炙 大棗十二枚擘。
右七味 以水一斗二升 煮取六升 去滓 再煎取三升 温服一升 日三服。
(さいこはんぎん おうごんさんりょう はんげはんしょうあらう、しょうきょうさんりょうきる にんじんさんりょう かんぞうさんりょうあぶる、たいそうじゅうにまいつんざく。みぎななみ、みずいっとにしょうをもって、にてろくしょうをとり、かすをさり、さいせんしさんじょうをとり いっしょうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)

この湯の形成過程は既に第13章10項で論じた通りです。すなわち、黄芩加半夏生姜湯(黄芩芍薬甘草大棗半夏生姜)の中の「芍薬」を人参に代えて、その生薬配列の前に「柴胡」を加えて、半夏生姜の位置を少し前へずらしていけば、小柴胡湯の生薬配列(柴胡黄芩半夏生姜人参甘草大棗)になるのです。
黄芩加半夏湯は「嘔吐」をも「下痢」をも改善する作用を持った湯ですが、これに、往来寒熱や胸脇苦満などを呈する病態への、柴胡の特殊な作用を追加したものが、小柴胡湯や大柴胡湯などの基本的な作用なのです。詳細を知りたい人は第13章10項を参照して下さい。
「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」などでは生薬配列の法則性が乱れてしまっているので、湯の形成過程は知ることができない状態でした。神秘のヴェールに閉ざされたままでした。しかし、幸にも、「原始傷寒論」の研究を通じて、それが明瞭になってはじめて、その方意・方用もより根本的に理解されてくると思われるからです。そして様々な法則性を知ることにより、知識は統一のとれたものになり、一を知って十を悟る能力もついてくることになるでしょう。臨床能力もそれだけ早く向上すると思われます。また、その為に役立てたいものです。



『康治本傷寒論解説』
第26条
【原文】 「傷寒,中風,往来寒熱,胸脇苦満,嘿々不欲飲食,心煩喜嘔,或胸中煩而不嘔,或渇,或腹中痛,或脇下痞鞕,或心下悸、小便不利,或不渇身有微熱,或咳者,小柴胡湯主之.」

【和訓】 傷寒,中風,往来寒熱,胸脇苦満,嘿々として飲食を欲せず,心煩喜嘔し,或いは胸中煩して嘔せず,或いは渇し,或いは腹中痛み,或いは脇下痞鞕し,或いは心下悸して小便不利し,或いは渇せず身に微熱有り,或いは咳する者は,小柴胡湯之を主る.

【訳文】 発病して,少陽の中風(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 小便自利)となって,胸脇苦満し,食欲不振となり,心煩或いはしばしば嘔気を催す場合、或いは胸中煩のため嘔が認められず,或いは高熱で渇し,或いは腹中痛,或いは脇下痞鞕し,或いは小便不利のために心下悸し,或いは微熱のために渇がなく,或いは咳する場合にも,小柴胡湯でこれを治す.

【句解】
胸脇苦満(キョウキョウクマン):胸部及び側胸部に物がいっぱい詰まったような感じがして苦しむ状態をいう.
喜嘔(キオウ):しばしば嘔気を催すこと.
脇下痞鞕(キョウカヒコウ):脇腹の下が硬くなっている状態をいう.

【解説】 往来寒熱,胸脇苦満,食欲不振,心煩,喜嘔の以上五症候は,小柴胡湯の基本的な症候で,いわゆる定証であります.また或いは以下に嘔しないために胸中にまで広がった心煩の変型,渇,腹中痛(胸脇苦満の変型),脇腹のあたりの硬結,心下に動悸があるために小便不利し,微熱のために口渇がなく,また咳の以上七つの症候は兼証(従属的症候のことで,すなわち必発の証ではなく定証を治療することにより自然に緩解する)であります.

【処方】 柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升洗,生姜三両切,人参三両,甘草三両炙,大棗十二枚擘,右七味以水一斗二升、煮取六升去滓再煎取三升温服一升日三服.

【和訓】 柴胡半斤,黄芩三両,半夏半升を洗い,生姜三両を切り、人参三両,甘草三両を炙り,大棗十二枚を擘く,右七味水一斗二升を以って,煮て六升を取り滓を去って,再煎して三升に取り一升を温服すること日に三服す.


証構成
  範疇 胸熱緩病(少陽中風)
   ①寒熱脉証 弦
   ②寒熱証 往来寒熱
   ③緩緊脉証 緩
   ④緩緊証 小便自利
   ⑤特異症候
    イ胸脇苦満(柴胡)
    ロ食欲不振(黄芩)
    ハ心煩或喜嘔(生姜)
    ニ不嘔(胸中煩)
    ホ心下悸(小便不利)
    ヘ渇(高熱)
    ト腹中痛
    チ咳(半夏)
    リ不渇
    ヌ脇下痞鞕




(コメント)
『康治本傷寒論解説』の【原文】で、
1.黑々となっているが、嘿々に訂正(和訓も同様に訂正)
2.脇下痞硬となっているが、脇下痞鞕に訂正(和訓・訳文・句解・証構成も同様に訂正)
3.小便不和となっているが、小便不利に訂正

同じく【処方】で黄芩三両半となっているが、三両に訂正
(次の半夏の半の字を見誤ったのでは?)

【訳文】の④緩緊証 小便自利や証構成の④緩緊証 小便自利 は、小便不利の間違いでは?

康治本傷寒論の条文(全文)

2009年10月15日木曜日

康治本傷寒論 第二十五条 太陽病,発汗,汗出不解,其人仍発熱,心下悸,頭眩,身瞤動,振々欲擗地,脈沈緊者,真武湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、発汗、汗出後、其人仍発熱、心下悸、頭眩、身瞤動、振々欲擗地、脈沈緊者、真武湯、主之。

[訳] 太陽病、汗を発し、汗出でて後、其の人仍お発熱し、心下悸し、頭眩し、身瞤動し、振々として地に擗れんと欲し、脈の沈緊なる者は、真武湯、これを主る。

 宋板も康平本も、汗出後のところが、汗出不解(汗出るも解せず)になっている。しかしその次の句に其人仍とあるのだから、康治本の表現が一番良い。
 其人とあるから、第七条で説明したように、今までとはすっかりちがって、という意味になる。仍発熱は依然として太陽病の時と同じように発熱している、という意味であるが、「講義」一○三頁では「此の発熱は太陽の発熱に非ずして、所謂真寒仮熱の虚熱なり」と説明している。しかしここまでの文でこれを虚熱とす理由は何も記されていない。
 この発熱は悪寒を伴っていないから陽明病の熱かもしれないし、第九条(桂枝去桂枝加白朮茯苓湯)のように、胃内停水によるものかもしれない。
 心下悸は胃部の動悸。頭眩はめまい。は目のふちがピクピクと動くこと、で身瞤動は胴体の各部の筋肉がピクピク動くことである。振々は『講義』と『入門』一三一頁では、「身瞤動の形容なり」としているし、『解説』二六○頁では「ゆらゆらと揺れて」と解釈している。後者の方が良いと思う。
 擗地の二字は『集成』では「諸家粉紜、いまだ帰一の説にあらず」という。方有執は心を拊つこと、即ちどうしようもなくて胸をたたくように地面をたたくことだという。喩昌はひらくこと、即ち地面にある物をのけて身体をそこにかくすことだという。たしかに大漢和辞典にもそういう意味が述べられているが、『集成』では擗は躃(たおれる)の意味にとるべきであると文献を引用して論証している。これが正しいと思うし、『講義』も『解説』もそうなっている。
 以上の諸症はすべて胃内停水によって起こるのであるが、発熱という陽の症状も存在するので、最終的には脈診によって陰陽を決める以外にない。そこで最後に脈沈緊とあるのである。ところが宋板にも康平本にもこれがない。沈は陰病であること、緊は水毒の甚だしいことを示しているから、この三字は極めて重要な意味を持っているのである。
 水毒を除くためき白朮、茯苓を用い、陰病であるから附子(炮)を用い、その他に芍薬、生姜を加えた真武湯で治療せしめるのである。この場合悪寒はないのだから、少陰温病であることになる。ここで処方内容を明記しないのは、これが少陰病の中心的処方であるために少陰病篇にゆだねたのである。
 『解説』では真武湯といわず、玄武湯と称している。康平本が玄武湯となっており、『集成』では次のように議論されているからである。
 「方名は本は玄武湯と曰う。宋板は改めて真武を作りて、宣祖(宋の太祖=趙匡胤の父)の諱(実名)を避く(死後は諡を称して、生前の名を呼ぶことをいむ)。説は王世貞(明代の人)の四部稿の宛委余編に見えたり。是れ当時に在りては、固よりまさにこれを避くべし。元金以降も蹈襲して復せざるは何ぞや。蓋し沿習(習慣)日に久しく、耳目の慣れる所、(辶+虖)(遽のことであろう、にわか)に改復し難きなり。なお荘助、荘光は明帝(東漢)の諱を避けて改めて厳助、厳光と為すがごとし。後世も従って改めざるのみ」と。
 これを根拠として、宋儒の校正を経ていない康平本が玄武湯となっているのは、王世貞や山田正珍の説の正しかったことを示している、そして康治本が真武湯となっていることは、それが偽書であることの一つの動かせない証拠であると一般に思われている。
 ところが宋代に版本になった千金方では玄武湯、外台秘要では真武湯となっていて、両書とも薬物の玄参はいつも玄参となっている。これは宋代以前に、真武湯と玄武湯が両方とも使われていたことを示している。そして宣祖の諱を避けて真武湯と称したという話は根拠のないものであることを示している。


『傷寒論再発掘』
25 太陽病、発汗 汗出後 其人仍発熱 心下悸 頭眩 身瞤動 振々欲擗地 脈沈緊者 真武湯主之。
   (たいようびょう、はっかん、あせいでてのち、そのひとなおほつねつし、しんかきし、ずげんし、みじゅんどうし、しんしんとしてちにたおれんとほっし、みゃくちんきんのものは、しんぶとうこれをつかさどる。)
   (太陽病で発汗し、汗が出たあと、状態がすっかり変わってきているが、なお発熱がつづき、心下が動悸し、頭眩して、身体がゆらゆらと揺れて、地にたおれそうになり、脈が沈緊であるようなものは、真武湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は、太陽病で発汗し、汗が出て初めの異和状態は改善したのに、目まいなどが生じて倒れそうになるような異和状態の対応策についての条文です。
 発昔したあと、頭痛やその他の太陽病の症状はなくなっても、血管内水分の減少がおきれば、目まいなども起き易くなるでしょうし、脈も「沈」になるでしょう。「緊」になるのは血液の粘度若干高くなることと関係あるかも知れません。
 これを改善するのに、白朮(第16章18項)や茯苓(第16章14項)や芍薬(第16章16項)や生姜(第16章8項)や附子(第16章17項)などの、体内や血管内に水分をとどめる作用をもった生薬の複合物(真武湯)を使用するのは誠に理に適っていると思われます。
 この条文のあとには、その調整法などが出ていませんが、これは第59条の個所で論じられるものだからです。
この湯名については、玄武湯の方が正しいという誤った信仰がまだ一般的であるように感じますが、真武湯でよいのであるということは既に詳細に論じてあります(第13章14項)ので、ここでは再論いたしません。
 第18条からこの第25条まで、発汗や瀉下後の様々な異和状態の改善策を述べてきましたので、ここでそれをしばらく打ち切り、汗下の処置を経ない場合での、別種の異和状態の改善策の条文が、これ以後に幾つか出てきます。


『康治本傷寒論解説』
第25条
【原文】  「太陽病,発汗汗出不解,其人仍発熱,心下悸,頭眩,身瞤動振々欲擗地,脈沈緊者,真武湯主之.」
【和訓】  太陽病,発汗して汗出でて後,その人なお発熱し,心下悸して頭眩し、身瞤動し振々として地に倒れんと欲し,脉沈緊なる者は,真武湯之を主る.
【訳 文】  太陽病に発汗剤を与え発汗し,汗が出て後,少陰の中風(①寒熱脉証 沈細微 ②寒熱証 手足逆冷 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 汗出) となっ て,心下部に動悸があり,頭眩し,ふらふらとして,地に倒れんとするような症状のある場合には,真武湯でこれを治す.
【解説】  この条は,太陽病位に病があった時にこれを発汗したが,法のとおりにしなかったため,汗が出ても病が治らず少陰病に転移したものであります。したがって,この証は已に太陽証でないにもかかわらず発熱といっているのは,寒証特有の仮性発熱(真寒仮熱)であります。また本方は,少陰編においても論じられていますが,今ここに出てきているのは前出の苓桂朮甘湯との鑑別のためです.苓桂朮甘湯は“起則頭眩”といい真武湯は常に存在する“頭眩”をいいます.

証構成
  範疇 肌寒緩病(少陰中風)
 ①寒熱脉証   沈細微
 ②寒熱証    手足厥冷
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    汗出
 ⑤特異症候
  イ心下悸(白朮)
  ロ頭眩(茯苓)
  ロ反覆顛倒(梔子)
  ハ心中懊憹(香豉)




康治本傷寒論の条文(全文) 

2009年10月13日火曜日

康治本傷寒論 第二十四条 発汗,若下之後,虚煩不得眠,若実劇者,必反覆顛倒,心中懊憹,梔子豉湯主之。若少気者,梔子甘草豉湯主之。若嘔者,梔子生姜豉湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
発汗若下之後、①虚煩不得眠、②若実劇者、必反覆顛倒、心中懊憹、梔子豉湯、主之。③若少気者、梔子甘草豉湯、主之。④若嘔者、梔子生姜豉湯、主之。

 [訳]汗を発し、若しくはこれを下して後、①虚煩して眠ることを得ず、②若し実し劇しき者は、必ず反復顛倒し、心中懊悩す、梔子豉湯、これを主る。③若し少気する者は、梔子甘草豉湯、これを主る。④若し嘔する者は、梔子生姜豉湯、これを主る。

 宋板では冒頭の句は発汗吐下後となっている。そこで『講義』九六頁では「此の発汗吐下は尽くこれを経たる者なり。故に若しくはとは言わず。尽くこれを経たるを以って精気にわかに虚し云々」と解釈し、『解説』二四九頁でも全く同じ解釈をとっている。
 ところが第二二条茯苓四逆湯で発汗若下之後に対しては、『解説』二三八頁では「一人の患者に発汗と瀉下とを相次いで加えてこの証となるものがあり、発汗のみ、もしくは瀉下のみの後に、この証となるものもある」と解説してある。とすれば冒頭の句を正確に解釈することは何の意味もないことになってしまう。また発汗若下之後と言いながら第一八条(乾姜附子湯)と第二二条茯苓四逆湯)は陰病になり、第二一条(苓桂朮甘湯)と第二三条調胃承気湯)は陽病になっていることを考慮に入れると、「尽くこれを経たるを以って精気にわかに虚し」と解釈することも正しくないことがわかる。次の虚煩という実際の症状の解釈に直接とりくまなければならないのである。
 『講義』では「虚煩は実煩の反対。即ちこれを按じて心下軟なる者なり。心下軟なりと雖も、虚寒に非ずして尚お熱煩なり」と説明している。ここには二つの問題がある。まず第一に、実煩を虚煩の反対としていること。反対であるということは『解説』に「実煩では腹部が充実している」とあるような解釈になってしまう。私は第二段の若実劇者が実煩であると考えているから、この場合の心下(胃部)も軟かであると思う。宋板も康平本もここは若劇者となっているいて実の字がないので、『弁正』で「若し夫れ胸中実し、心下鞕きは是れ瓜蔕散と為すなり。濡(軟)は以って鞕に対し、虚は以って実に対す。以って虚煩の義を明らかにするに足りん」というような説明になってしまう。しかしここでは心下(胃部)の症状にふれていないのだから胸部の熱状についてもっと考察しなければならないのである。
 『解説』では熱状について何も論じていないが、『弁正』では「余熱胸中に在りて去らず」といい、『集成』では「余熱内伏の候」と表現している。『入門』一二六頁では「虚煩とは器質的変化なくして煩する場合をいう。煩は一種の緊張状態で、或は熱のあるが如く、或は心悸するが如く、或は呼吸の促迫するが如く感ずる不快情緒の一類型である」という奇妙な説明をしている。
 わが国では江戸時代以来、温病なるものを無視してきたために、この虚煩や実煩がわからないのである。この条文は悪寒について触れていなくて、熱状にだけ触れているからまさしく温病なのである。わが国でこの問題に正面から取組んだのは脇坂憲治氏だけであろう。氏の『陰陽易の傷寒論』(第一冊、八九頁、一九五九年)に「此の虚煩、虚熱というのは三陰三陽に関連はしているが、通例傷寒でいうと虚とか実とかとは大変違った意味を持っているのである。謂わば六病(三陰三陽)が一次傷寒ならば、此の一次傷寒の次に来るべき虚の熱とか、または煩の次に来るべき虚である」からこれを二次傷寒とでも表現しなければならず、「此の区別をはっきりしておかないと梔子豉湯類の用薬法が皆目分らなくなってしまうのである」、と書いてある。そしてこれを説明するために、心―心下―胃に中心勢力をもって活動する「内経」という独特の概念、変性軌道や小傷寒、二次傷寒という独特の概念を用いているので、この書物は甚だわかりにくいものになっているが、これらはすべて温病を指しているということがわかると、脇坂氏が主張したかったことを理解することができるようになる。
 そうすると『温病条弁』で「太陰病(太陽病のこと)、これを得て二三日、舌は微黄、寸脈は盛ん、心煩懊悩し、起臥安からず、嘔せんと欲するも嘔を得ず、中焦(胃)の証なきは、梔子豉湯これを主る」と表現していることがよくわかるのである。
 脇坂氏はこの煩はただ悶えるのこととのみ思ってはいけない、熱によって誘発された場合には痛みを伴うこともあるという。胃部(中焦)に自覚症状のない場合は梔子豉湯証であるが、胃部に自覚症状(例えば腹満、胃痛、胃痙攣等)のある場合は第二三条調胃承気湯証である。このような虚煩のために眠ることができないときに、胸部(上焦)の熱をとる作用をもつ梔子と香豉を配合した梔子豉湯で治療するというのが第一段である。第二段の後にある梔子豉湯主之は第一段と第二段の両方に係る。そして第一段の虚とは第二三条の虚と同じく精気のない状態という意味である。
 第二段は第一段と病位は同じ少陽病位の温病でその激症であるが、同じ処方で治療できることを示している。反覆は繰り返すこと。顛は倒れること。顛倒でさかしまになること、したかって煩躁に近い状態である。懊はなやむこと。憹は心乱れること。即ち実煩とは張志聰が『傷寒論集註』で「懊憹は煩の甚しきなり。反覆顛倒は眠ることを得ずの甚しきなり」と説明しているのが最も良い。また痛みを伴うと解釈することもできる。
 第三段の若は「さらに」と訳すと意味がよく通ずる。此の場合は第一段に記された症状のほかに、さらに少気するものという意味になる。若にはもしという仮定の意味の副詞、第二段のようなもしくはという選択を意味する接続詞の場合もあるが、第三段の用法は古義であるという。
 少気とは呼吸量が少ないという意味だから、『講義』九八頁に「気息微少にして、将に絶せんとするの状」とある。それで「本方に甘草を加味して其の急迫を緩むるなり」となる。『解説』では「梔子甘草豉湯を肺炎から来る浅表呼吸に用いるのはこの章の応用である」と説明している。
 第四段もさらに嘔するものと読む。これは心下(胃部)にまで影響を及ぼしたものであるから生姜を加えなければならない。『解説』では「梔子生姜豉湯を急性肝炎に用いるのもこの章の応用である」と説明している。

梔子十四箇擘、香豉四合綿裹。  右二味、以水四升、先煮梔子、得二升半、内豉、煮取一升半、去滓、分為二服、温進一服。
梔子十四箇擘、甘草二両、香豉四合綿裹。  右三味、以水四升、先煮梔子甘草、得二升半、内豉、煮取一升半、去滓、分為二服、温進一服。
梔子十四箇擘、生姜五両、香豉四合綿裹。  右三味、以水四升、先煮梔子生姜、得二升半、内豉、煮取一升半、去滓、分為二服、温進一服。

 [訳] 梔子十四箇擘く、香豉四合綿にて裹む。  右二味、水四升を以って、先ず梔子を煮て、二升半を得、豉を内れ、煮て一升半を取り、滓を去り、分けて二服と為し、温めて一服を進む。
梔子十四箇擘く、甘草二両、香豉四合綿にて裹む。  右三味、水四升を以って、先ず梔子、甘草を煮て、二升半を得、豉を内れ、煮て一升半を取り、滓を去り、分けて二服と為し、温めて一服を進む。
梔子十四箇擘く、生姜五両、香豉四合綿にて裹む。  右三味、水四升を以って、先ず梔子、生姜を煮て、二升半を得、豉を内れ、煮て一升半を取り、滓を去り、分けて二服と為し、温めて一服を進む。


    

『傷寒論再発掘』
24 発汗若下之後、虚煩不得眠、若実劇者、必反覆顛倒、心中懊憹、梔子豉湯主之。若少気者 梔子甘草豉湯主之。若嘔者 梔子生姜豉湯主之。
   (はっかんもしくはこれをくだしてのち、きょはんしてねむるをえず、もし、じつはげしきものは、かならずはんぷくてんとうし、しんちゅうおうのうす、しししとうこれをつかさどる。もししょうきするものは、ししかんぞうしとうこれをつかさどる。もしおうするものは、しししょうきょうしとうこれをつかさどる)
   (発汗したあと或は瀉下したあと、虚の状態になって煩し、眠れなくなるようなもの、或は実の状態で症状の劇しいものは、必ず反覆顛倒し、心中懊憹するほどのことになるが、このようなものは、梔子豉湯がこれを改善するのに最適である。もし、さらに少気の症状の加わるようなものは、梔子甘草豉湯がこれを改善するのに最適である。もし、さらに嘔の症状が加わるようなものは、梔子生姜豉湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は、発汗や瀉下後に一種独特な胸苦しい状態(煩躁状態)が生じてきた場合の対応策を述べている条文です。体力がやや低下した場合となお十分にある場合とに分けて論じ、更にその他の症状の追加された場合の対応策に触れています。
 反覆顛倒というのは、ころがることを繰り返すことで、もだえてじっとしておれず、あちらこちら寝返りをくりかえしていることです。心中懊憹とは胸の奥がいらいらとして、甚だしく胸苦しい状態を言います。少気とは呼吸量が少ないことで、浅表性呼吸のことを言います。


24' 梔子十四箇擘、香豉四合綿裹。
   右二味、以水四升 先煮梔子 得二升半、内豉、煮取一升半 去滓 分為二服 温進一服。
   梔子十四箇擘、甘草二両 香豉四合綿裹。
   右三味、以水四升 先煮梔子甘草 得二升半 内豉、煮取一升半 去滓 分為二服 温進一服。
   梔子十四箇擘、生姜五両 香豉四合綿裹。
   右三味、以水四升 先煮梔子生姜 得二升半 内豉 煮取一升半 去滓 分為二服 温進一服。
   (ししじゅんよんこつんざく、こうしよんごうわたにてつつむ。みぎにみ みずよんしょうをもって、まずししをにて にしょうはんをえ、しをいれて にていっしょうはんをとり、かすをさり、わかちてにふくとなし、あたためていっぷくをすすむ。
    ししじゅんよんこつんざく、かんぞうにりょう、こうしよんごうわたにてつつむ。
    みぎさんみ、みずよんしょうをもって、まずししかんぞうをにて にしょうはんをえ、しをいれ にていっしょうはんをとり、かすをさり、わかちてにふくとなし、あたためていっぷくをすすむ。
    ししじゅんよんこつんざく、しょうきょうごりょう、こうしよんごうわたにてつつむ。
    みぎさんみ みずよんしょうをもって、まずしし、しょうきょうをにて、にしょうはんをえ、しをいれ にていっしょうはんをとり、かすをさり、わかちてにふくとなし、あたためていっぷくをすすむ。)

 これらの湯の形成過程については既に第13章9項で考察しておきましたように、梔子甘草湯や梔子生姜湯がまず形成され、それに香豉が追加された湯が出来、やがて、甘草や生姜を省略して、梔子豉湯が出来たと推定されます。生薬配列に基づいて考察する限り、このようになる筈です。


『康治本傷寒論解説』
第24条
【原文】  「発汗,若下之後,虚煩不得眠,若実劇者必反覆顛倒,心中懊憹,梔子豉湯主之.若少気者,梔子甘草豉湯主之.若嘔者,梔子生姜豉湯主之.」
【和訓】  発汗若しくは之を下して後,虚煩して眠ることを得ず,若しくは実の激しき者は必ず反覆顛倒
し,心中懊憹す,梔子豉湯之を主る.若し少気する者は,梔子甘草豉湯之を主る.若し嘔する者は,梔子生姜豉湯之を主る.
【訳文】  太陽病を発汗し,或いは陽明病を下して後,少陽の傷寒(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 小便不利) となっ て,心煩して眠ることができず,或いは激しいときには,反覆顛倒し,心中懊憹する.このような場合には梔子豉湯でこれを治す.もし少気する場合には,梔子甘草豉湯でこれを治す.もし嘔する場合には,梔子生姜豉湯でこれを治す.
【句解】
 反覆顛倒(ハンプクテントウ):展転反則に同じ.
 心中懊憹(シンチュウオウノウ):心煩の強い状態をいう.
【解説】  この条は,梔子の心煩について述べ,各々その例を掲げて解説しています.
【処方】  梔子十四箇擘,香豉四合綿裹,右二味以水四升,先煮梔子得二升半内豉煮取一升半,去滓分為二服温進一服.
【和訓】  梔子十四個擘き,香豉四合綿に包む,右二味水四升をもって,先ず梔子を煮て二升半を得て豉を入れて煮て一升半に取り,滓を去って分かちて二服となし一服を温進する.


証構成
  範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
  イ心煩(梔子)
  ロ反覆顛倒(梔子)
  ハ心中懊憹(香豉)


【処方】  梔子十四箇擘,甘草二両,香豉四合綿裹,右三味以水四升,先煮梔子甘草得二升半内豉煮取一升半,去滓分為二服温進一服.
【和訓】  梔子十四個擘き,甘草二両,香豉四合綿に包む,右三味水四升をもって,先ず梔子甘草を煮て二升半を得て豉を入れて煮て一升半に取り,滓を去って分かちて二服となし一服を温進する.

証構成
  範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
  イ少気(甘草)

【処方】  梔子十四箇擘,生姜五両,香豉四合綿裹,右三味以水四升,先煮梔子生姜得二升半内豉煮取一升半,去滓分為二服温進一服.
【和訓】  梔子十四個擘き,生姜五両,香豉四合綿に包む,右三味水四升をもって,先ず梔子甘草を煮て二升半を得て豉を入れて煮て一升半に取り,滓を去って分かちて二服となし一服を温進する.

証構成
  範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
  イ嘔(生姜)



 

康治本傷寒論の条文(全文)

(コメント)
梔子甘草豉湯の甘草が炙甘草でないのは何故?
『康治本傷寒論の研究』の①②③④はもとは、四角で囲った数字。文字コードが無いので代用。
『傷寒論再発掘』で、若実劇者の読みが、「もし、じっしはげしきものは、」となっているが、「もし、じつはげしきものは」に改めた。

2009年10月9日金曜日

康治本傷寒論 第二十三条 発汗,若下之後,反悪寒者虚也。芍薬甘草附子湯主之。但熱者実也、与調胃承気湯。

『康治本傷寒論の研究』
発汗若下之後、反悪寒者、虚也。芍薬甘草附子湯、主之。但熱者、実也。与調胃承気湯

 [訳]汗を発し、若しくはこれを下して後、反って悪寒する者は、虚なり。芍薬甘草附子湯、これを主る。但熱する者は、実なり。調胃承気湯を与う。

 現在の漢方では虚実の概念を煩繁に使用しているが、康治本ではここではじめて使用され、ここらら後も二回しか出てこない。古きは重要な概念ではなかったようである。
 前段に反って悪寒する者と表現しているのは、熱感のないことを意味しているから少陰病になつたわけである。そしてこのようになったのは精気(生命力)が虚(うつろ、からっぽの意)となったためである、と説明したことになる。前段は虚也で一応文が切れているから、次の芍薬甘草附子湯主之とは直接つながっていない。だから「これを主る」となっているのに、適応症であるとか、唯一無二の処方であるとかいう関係にはなっていない。
 では何故この処方を記してあるかについて考えてみるに、第四条で太陽病が陽病と陰病に分裂した初期にはひとしく桂枝湯を用いることができると論じている。桂枝湯を構成する五個の薬物のうち、重要なものは桂枝、芍薬、甘草であることはすでに述べた。したがって陰病に変ったことが明らかな時には桂枝湯を用いる必要はないし、その代りに附子を用いるのが妥当である。このことを処方で示すと芍薬甘草附子湯となるのである。
 『講義』八八項に「唯悪寒の一候のみを挙げて、爾余の諸徴を略せるなり」と説明しているのは、『文章』に「傷寒論の文章を一括して眺めると、其の題名(篇名のこと)が示しているように、傷寒なる疾病の脈、証、治方を弁定したものである」と論じて感るような見方がわが国では固定しているからである。このような見方からは、前段において虚也で切れた文章はその意味がなくなってしまうのである。
 また『講義』九○項では「悪寒者虚故也」の説明として「発汗によって表証解し、精気虚して、未だ復せずして悪寒を現わす者なり。此の証は唯精気の虚のみにして、芍薬甘草附子湯証と似て非なる者なり。元来精気の虚は、薬方を以って補う可からず。当に食品を以ってこれを養うべきなり」と論じている。何だか開き直った妙な説明になっている。
 この条文では宋板では次の二条に分かれている。
      ①発汗、病不解、反悪寒者、虚故也。芍薬甘草附子湯、主之。
      ②発汗後、悪寒者、虚故也。但熱者、実也。当和胃気、与調胃承気湯
開き直った説明は②のものであるが①と②は本質的には同じことを論じていると私には思えるのだが。
 後段の但熱する者と感うのは、悪寒がなく熱感だけの者ということだから、陽病の中の(++)というタイプであり、これは(+-)タイプを示す傷寒や中風とは異なった温病というものである。これを指して実也、即ち病邪が実(いっぱいつまる意)になったと表現したのである。そして後段はここで一応切れているから、次の「調胃承気湯を与う」とは直接関連していないのである。
 『講義』九○項には後段は「実証に進む者を論ずるなり。熱とは所謂悪熱の意。実とは邪実の義。この証すでに熱実に属すと雖も未だ陽明の証悉く備わらず。故に調胃承気湯を与えて其の後証の変化如何を見るなり」とあるようにこれを陽明病とは見做さずに、陽明病の入口にきていると見ることが大切である。即ち太陽温病の中期にすでにこの処方を使用することがあるのである。
 このように見てくると、この条文は太陽病の(+-)型から、前段は(--)即ち少陰病へ移行すること、後段は(++)即ち温病に移行することを論じたことになり、太陽病の変証を述べる中において特殊な位置を占めていることが理解できる。
 私がこのような解釈をするのに最も役立った書物は脇坂憲治氏の『陰陽易の傷寒論』(一九五九-一九六一年刊)、楊日超氏の『温病の研究』(一九七八年)、呉鞠通の『温病条弁』(一八一三年)であることを附記しておきたい。


芍薬三両、甘草三両炙、附子一枚炮去皮破八片。  右三味以水五升、煮取一升五合、去滓、分温三服。
大黄四両酒洗、甘草二両炙、芒硝半升。  右三味、以水三升、煮取一升、去滓、内芒硝、更煮両沸、頓服。

 [訳]芍薬三両、甘草三両炙る、附子一枚炮、皮を去り八片に破る。  右三味、水五升を以って、煮て一升五合を取り、滓を去り、分けて温めて三服する。
 大黄四両酒にて洗う、甘草二両炙る、芒硝半升。  右三味、水三升を以って、煮て一升を取り、滓を去り、芒硝を内れ、更に煮て両沸し、頓服する。

 調胃承気湯には植物性下剤の大黄と塩類性下剤の芒硝が含まれているが、宋板の条文に胃気を和すと書かれているように、単純な意味での下剤ではないこと、および胃弱の人に使うことも多いので、大黄を去るかまたは極く少量とするのが実際的であると脇坂氏は述べている。
 頓服とは一頓服の略で、頓は食事や薬や小言等の回数を表わす量詞であるから、一回に服用することである。

『傷寒論再発掘』
23 発汗若下之後、反悪寒者、虚也。芍薬甘草附子湯主之。但熱者、実也。与調胃承気湯
   (はっかんもしくはこれをくだしてのち、かえっておかんするものは、きょなり、しゃくやくかんぞうぶしとうこれをつかさどる。ただねっするものは、じつなり、ちょういじょうきとうをあたう。)

   (発汗したあと或は瀉下したあと、予期に反して悪寒するようなものは、虚の状態であり、このようなものは、芍薬甘草附子湯がこれを改善するのに最適である。悪寒などはなく、ただ熱があるようなものは、実の状態であり、このようなものは、調胃承気湯を与えて様子をみるのがよい。)

 この条文は、発汗や瀉下後の異和状態のうち、悪寒を感じるようなものとその反対に熱だけを感じるようになったものに対する改善策を述べたものです。
 この条文に書かれている体験は非常に原始的な時代に既に古代人によって体験された事であると思われます。したがって、伝来の条文の時代では、「虚也」という言葉もなかった筈であり、「調胃承気湯」という湯名もなかった筈と思われます。それらは「原始傷寒論」が初めて書かれた時に追加されたり、つけられたりしたものと思われます。
 古代人の純朴な経験としては、発汗でも瀉下でも、とにかくその度合が過ぎた為、体内水分が激減して、悪寒するようになった時、芍薬甘草附子湯がその病態を改善するのに大変具合がよかった体験があり、また、発汗や瀉下後に、悪寒などはなくただ熱だけを感じるようになった時、例えば大黄甘草芒硝の生薬複合物を与えてみたところ、大変具合がよかったというような体験があったので、それをもとに条文が書かれたのだと推定されます。
 このような事は十分にあり得ることだ改あたと思われます。なぜなら、芍薬(第16章16項)や甘草(第16章3項)や附子(第16章17項)などはみな体内に水分を保持する作用が強いものですので、発汗や瀉下後の体内水分の激減状態に対しては十分に有効であると思われますし、また、体内水分の激減はそれほどなくて、ただ熱だけが出るような状態は、風邪などを発汗などで治そうとしたあと、時に見られる状態ですが、こういう時は便秘か便秘気味になるものですので、大黄(第16章5項)や芒硝(第16章21項)など、胃腸管内への水分の排出の増大作用を持った生薬を用いて、その発熱の病態を改善していくのは十分に有効なこと仲;あ識と思われるからです。
 発汗や瀉下の処置を加えるのは、それによって何らかの異和状態を改善しようとしたからでしょうが、その予想に反成て悪寒を感じるようになってしまったのは、結局、行き過ぎてしまったのだと思われます。こういう時の最も原初的な体験としては、芍薬甘草附子湯が良いのであり、それをそのまま表現したのがこの条文の前半のようです。そして、その悪寒だけを呈する病態と全く正反対の病態に関しても一応、触れているというのか、此の条文の全体の姿であると言えるでしょう。
 ここに初めて出てくる「虚」と「実」については既に第17章2項で論じてありますので、それを参照して下さい。

23'  芍薬三両、甘草三両炙、附子一枚炮 去皮破八片。
   右三味、以水五升煮、取一升五合 去滓 分温三服。
   大黄四両酒洗 甘草二両炙 芒硝半升。
   右三味、以水三升煮 取一升 去滓 内芒硝 更煮両沸 頓服。
   (しゃくやくさんりょう、かんぞうさんりょうあぶる、ぶしいちまいほうじ、かわをさりはっぺんにやぶる。みぎさんみ、みずごしょうをもってにて、いっしょうごんごうをとり、かすをさり わかちあたためてさんぷくする。
   だいおうよんりょうさけにてあらう、かんぞうにりょうあぶる、ぼうしょうはんしょう。みぎさむみ、みずさんじょうをもってにて、いっしょうをとり、かすをさり、ぼうしょうをいれ、さらににてりょうふつし、とんぷくする。)

 これらの湯の形成過程は簡単です。芍薬甘草湯に附子が加わって、芍薬甘草附子湯が出来、大黄に甘草が加わって大黄甘草湯が出来、そこに芒硝が加わって調胃承気湯が出来てきたわけです。大黄甘草芒硝の生薬複合物を調胃承気湯と名づけたのは、第11条で「胃気不和、讝語者」を改善するのに使用することが出来るので、それとの関連で命名したからでしょう。大黄は植物性下剤であり、芒硝は塩類下剤ですので、同じく下剤であってもその間に微妙な差があるようです。そこを上手に使用していくところが理想的な生薬治療ということになるのでしょう。



『康治本傷寒論解説』
第23条
【原文】  「発汗若下之後,反悪寒者虚也,芍薬甘草附子湯主之.但熱者実也,与調胃承気湯.」
【和訓】  発汗若しくは之を下して後,反って悪寒する者は(虚するなり),芍薬甘草附子湯之を主る.但熱する者は(実するなり),調胃承気湯を与う.
【訳 文】  太陽病を発汗し,或は陽明病を下して後,少陰の中風(①寒熱脉証 沈細微 ②寒熱証 手足厥冷 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊症 小便自利) となって,背悪寒が存在する場合には,芍薬甘草附子湯でこれを治す.もしただ熱があって(不悪寒)の場合には,調胃承気湯を与える.
  注:反悪寒を背悪寒に改める〔章平〕
【解 説】  この条は,汗下の変が直ちに少陰又は陽明に転じたものを述べています.そして範疇症候や特異症候の見方を解説しています.
【処方】  芍薬三両,甘草三両炙,附子一枚炮去皮破八片,右三味以水五升,煮取一升五合,去滓分温三服.
【和訓】  芍薬三両,甘草三両を炙り,附子一枚炮(ホウ)じ皮を去って八片に破る,右三味水五升をもって,煮て一升五合に取り,滓を去って分かちて温服すること三服す.
 

証構成
  範疇 肌寒緩病(少陰中風)
 ①寒熱脉証   沈微細
 ②寒熱証    手足厥冷
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便自利
 ⑤特異症候
  イ背悪寒(附子)
  ロ奔豚様(桂枝)



康治本傷寒論の条文(全文)

 

2009年10月8日木曜日

康治本傷寒論 第二十二条 発汗,若下之後,煩躁者,茯苓四逆湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
発汗若下之後、煩躁者、茯苓四逆湯、主之。

 [訳] 汗を発し、若しくはこれを下して後、煩躁する者は、茯苓四逆湯、これを主る。

 今まで陽病における煩躁は青竜湯(第一六条)を用いる時にあったし、陰病における煩躁は甘草乾姜湯一一条および第一八条)を用いる時に存在した。甘草乾姜湯は少陰病の治療剤であるから、これよりさらに悪化した厥陰病の煩躁もあることをここで示したのである。
 第一一条で「重ねて汗を発する物は、四逆湯、これを主る」とだけ表現していて、重ねて汗を発するとどのような症状を引起すかについては何も示さなかった。具体的なことは少陰病篇で論ずるためである。
 そしてそれが一層悪化すると再び煩躁という熱症状があらわれる。これを真寒仮熱と称しているのは、裏と内の寒を温めると熱症状がとれてしまい、熱は冷やすという治療原則に反する現象が起るからである。ちょうど陽病における合病の場合と同じように、厥陰病における煩躁は一種の反射現象のようなものである。
 そこで四逆湯を基本にして、それに鎮静剤としての茯苓と、強壮剤としての人参を加えて治療をするということになる。
 第一一条四逆湯の症状を何も述べていないのだから、茯苓四逆湯の場合も煩躁とだけしか言うことができない。詳しくは厥陰病篇を見よ、というわけである。それを『解説』二三八項では「煩躁のほかにも余症があるはずであるが、余症に拘わらず、ただ煩躁の一症をとって、直ちに茯苓四逆湯の証とするのである」という。このように決断を下すことをこの条文で示したと解釈することは論理的におかしいことは明白である。だからすぐその後で「ここには煩躁の一症だけを挙げてはいるが、診察にあたっては、脈はもちろんのこと、その他の症状も参酌しなければならない」と書いている。それならば最初から臨床に即してこの条文を解釈すべきではないか。
 『講義』八九項には「本方証は少陰位にありて而も陽勢を示す」とあり、『解説』でもこれを少陰病だとしている。詳しくは少陰病篇で述べることにするが、これは厥陰病と言うべきである。

茯苓四両、甘草二両炙、乾姜一両半、附子一枚生用去皮破八片、人参二両。  右五味、以水三升、煮取一升二合、去滓、分温再服。

 [訳]茯苓四両、甘草二両炙る、乾姜一両半附子一枚生、用うるには皮を去り八片に破る、人参二両。  右五味、水三升を以って、煮て、一升二合を取り、滓を去り、分けて温めて再服する。

 茯苓を最初にあげているのは煩躁を問題にしているのだから、鎮静剤として評価しているのであり、利尿剤と見ているのではない。茯苓は人参を配合すると強壮作用を発揮することもここでは重要である。次の甘草、乾姜、附子は四逆湯のことである。最後に強壮剤としての人参をあげている。康治本では人
(艹+浸)と書いてある。これは人参より古い名称である。宋板では薬物の順序は、茯苓、人参、甘草、乾姜、附子、康平本では茯苓、人参、附子、甘草、乾姜となっている。康治本の順序が処方の意味を考える時に最も役に立つことは、意味のあることなのである。



『傷寒論再発掘』
22 発汗若下之後、煩躁者、茯苓四逆湯主之。
   (はっかんもしくはこれをくだしてのち、はんそうするものは、ぶくりょうしぎゃくとうこれをつかさどる。)
   (発汗したあと或は瀉下した後、もだえ苦しむ(煩躁する)状態になるようなものは、茯苓四逆湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は、発汗や瀉下の度合が過ぎて、血管内水分が激減して、もだえ苦しむような状態になった時の対応策を述べたものです。
 発汗の度が過ぎて煩躁するようになったものについては、既に第11条で述べており、甘草乾姜湯を使用しています。また、それを更に発汗してしまった場合は四逆湯を使用しています。発汗のみでなく瀉下においても、その度合が過ぎて、血管内水分が激減した場合は、基本的に甘草乾姜湯が使用できることが分かります。この条文の場合、この上に、附子(第16章17項)と茯苓(第16章14項)と人参(第16章15項)など、みな体内に水分をとどめる作用を持つものが追加されています。それだけ、血管内水分の欠乏を改善する作用も増強されていんわけです。茯苓にはさらに「鎮静作用」も期待され得ることでしょう。

22' 茯苓四両、甘草二両炙、乾姜一両半、附子一枚生用、去皮破八片、人参二両。
   右五味、以水三升、煮取一升二合、去滓、分温再服。
   (ぶくりょうよんりょう、かんぞうにりょうあぶる、かんきょういちりようはん、ぶしいちまいしょうよう、かわをさりはっぺんにやぶる、にんじんにりょう。みぎごみ、みずさんじょうをもって、にていっしょうにごうをとり、かすをさり、わかちあたためてさいふくする。)

 この湯の形成過程は、まず甘草乾姜湯に附子が加わり、そこに茯苓と人参が追加されていったのでしょうが、「原始傷寒論」が初めて書かれた時「煩躁」を改善ということと関連して、「茯苓」が生薬配列の最初にもってこられて、茯苓甘草乾姜附子人参という生薬配列にされ、湯名は茯苓+四逆湯(甘草乾姜附子)+人参になったと推定されます。
 「宋板傷寒論」も「康平傷寒論」も、茯苓四逆湯の生薬配列は、茯苓人参附子甘草乾姜となっており、四逆湯の生薬配列は甘草乾姜附子となっていますので、湯名と生薬配列との間にある「法則性」は全く乱れてしまっています。
しかも、そういうものが、「教科書」とされてきたのですから、全く驚くべき世界です。混乱と無統一が支配している世界、これを少しでも改善していく為には、「原始傷寒論」を出発点として、近代精神の要請のもとに、根本から研究し直していく必要がありそうです。この『傷寒論再発掘』という研究も究極的には、そういうことを目指しているわけです。従ってあまり細事にこだわらず、目標をしっかりと見つめて、進んでいきたいと思っています。


『康治本傷寒論解説』
第22条
【原文】  「発汗,若下之後,煩躁者,茯苓四逆湯主之.」
【和訓】  発汗若しくは之を下して後,煩躁する者は,茯苓四逆湯之を主る.
【訳 文】  太陽病を発汗し、或いは陽明病を下して後,厥陰の中風(①寒熱脉証 沈遅 ②寒熱証 手足逆冷 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊症 小便自利) となって,煩躁という特異症候が存在する場合には,茯苓四逆湯でこれを治す.
【解 説】  本条は,四逆湯証にして心下部の動悸(茯苓・煩躁)と心下痞(他覚的なもの)のある場合を論じています.
【処方】  茯苓四両,甘草二両炙,乾姜一両半,附子一枚生用去皮破八片,人参二両,右五味以水三升,煮取一升二合,去滓分温再服.
【和訓】  茯苓四両,甘草二両を炙り,乾姜一両半,附子一枚生を用いて皮を去って八片に破る,人参二両,右五味水三升をもって,煮て一升二合に取り,滓を去って分かちて温服すること再服する.


証構成
  範疇 胸寒緩病(厥陰中風)
 ①寒熱脉証   沈遅
 ②寒熱証    手足逆冷
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便自利
 ⑤特異症候
  イ煩躁(乾姜)


康治本傷寒論の条文(全文)

2009年10月6日火曜日

康治本傷寒論 第二十一条 発汗若下之後,心下逆満,気上衝胸,起則頭眩者,茯苓桂枝甘草白朮湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
発汗若下之後、心下逆満、気上衝胸、起則頭眩者、茯苓桂枝甘草白朮湯、主之。

 [訳] 汗を発し、若しくはこれを下して後、心下逆満し、気上って胸を衝き、起てば則ち頭眩する者、茯苓桂枝甘草白朮湯、これを主る。

 この条文は気が上衝するときのひとつの変証を述べたものであるのに冒頭に発汗若下之後とあることは、第一九条第二○条の発汗後という句に対する私の解釈が間違っていないことを示している。
 心下逆満というのは、心下即ち胃部が重苦しくて下から押上げられる感じをいう。これは平素胃内停水のある人に気の上衝が起ったことを示している。
 その気は胃部にとどまらず、さらに上につきあげていることを気上衝胸と表現したのである。即ち胸苦しさや心悸亢進が生じているのである。そしてさらに頭部にまで達しようとしていることを起則頭眩と表現している。頭眩とはめまいのことであり、漢方では胃内停水のある人に起る症状であるとしている。利尿剤で胃内停水を除くと治るという経験からそう判断したのであろう。
 結局和素胃内停水のある人に気の上衝(奔豚)が起ったのであるから、胃内停水を除くための薬物として茯苓と白朮の組合わせが必要であるし、鎮静と気の上衝をさげるための薬物として茯苓、桂枝、甘草が必要になる。しかも胃内停水のある人は胃弱であるので、芳香性、辛味性の健胃剤として桂枝と白朮がその中に含まれていることは治療効果を著しく高めることになる。

茯苓四両、桂枝三両去皮、甘草二両炙、白朮二両。  右四味、以水一斗、煮取三升、去滓、温服一升。

 [訳] 茯苓四両、桂枝三両皮を去る、甘草二両炙る、白朮二両。  右四味、水一斗を以って煮て三升を取り滓を去り、一升を温服する。

 宋板では水六升を以って煮るとなっている。薬物の量からみて、水六升の方が合理的である。
 宋板と康平本では薬物の順序が、茯苓、桂枝、白朮、甘草となっているので、普通は苓桂朮甘湯と略称されている。しかしこの処方は第二○条の苓桂甘棗湯を基本としたものであるので、康治本の薬物の順序の方が良い。


『傷寒論再発掘』
21 発汗若下之後、心下逆満、気上衝胸、起則頭眩者、茯苓桂枝甘草白朮湯主之。
   (はっかんもしくはこれをくだしてのち、しんかぎゃくまんし、ききょうにじょうしょうし、たてばすなわちずげんするもの、ぶくりょうけいしかんぞうびゃくじゅつとうこれをつかさどる。)
   (発汗したあと或は瀉下したあと、心下に下から突きあげられて満ちた感じがあり、さらに何かが胸に突きあがってきて苦しみ、立てばたちまち目まいをおこすようなものは、茯苓桂枝甘草白朮湯がこれを改善するのに最適である。)

 発汗したあとだけではなく、瀉下したあとでも、それによって血管内水分などの激減がおこり、心悸亢進などが甚だしくなってくると、心窩部が下からおしあげられて満ちた感じがしたり、さらにひどければ胸苦しいような状態にもなり、こんな場合は立ちくらみなども当然おきてくるでしょう。この条文はこのような場合の改善策についての条文です。
 茯苓桂枝甘草基について、前の第20条でも説明しましたが、心悸亢進の甚だしい場合にそれを改善するのに有効であるような生薬の結合基であったわけです。それに「大棗」を加えると、下腹部から上に突きあがってくるものを改善する湯(茯苓桂枝甘草大棗湯)になり、「白朮」を加えると、頭部にまで突きあがってきて、頭眩をおこすような状態を改善する湯(茯苓桂枝甘草白朮湯)になることがわかります。大棗(第16章6項)と白朮(第16章18項)の薬能の一つの大きな差ということになるでしょう。
 茯苓桂枝甘草白朮湯は今日、陽証の状態での、目まいを愁訴として持つ、様々な疾患に広く応用されています。筆者の場合、アトピー性皮膚炎の一部に使用して良い効果を見ています(日本東洋医学雑誌第35巻1号41項、同、第39巻1号23項、参照)。

21' 茯苓四両、桂枝三両去皮、甘草二両炙、白朮二両。 右四味 以水一斗、煮取三升、去滓、温服一升。
   (ぶくりょうよんりょう、けいしさんりょうかわをさる、かんぞうにりょうあぶる、びゃくじゅつにりょう、みぎよんみ、みずいっとをもって、にてさんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 この場の形成過程は、茯苓桂枝甘草基に白朮が追加されて、出来たものと思われますので、この生薬配列でよいと思われますが、「宋板傷寒論」では、生薬配列は茯苓桂枝白朮甘草となって、名前も茯苓桂枝白朮甘草湯となっています。生薬配列が湯の形成過程を反映していることに気がつかなかった時代に、多分、生薬の秤量の多い順に並べかえた「金匱要略」の影響を受けているのではないかと推定されます。すなわち「金匱要略」では、茯苓四両、桂枝三両、白朮三両、甘草二両となっていますし、従って湯名も苓桂朮甘湯となっています。そこで「宋板傷寒論」が「金匱要略」の影響を少しでも受けているとすれば「これは十分考えられることですが)、もともと「原始傷寒論」では茯苓桂枝甘草白朮という順になっていたとしても、それが秤量の順に書きかえられた可能性は否定できないことになります。多分、このような事によって、茯苓桂枝甘草白朮湯は茯苓桂枝白朮甘草湯となってしまったのであると推定されます。

『康治本傷寒論解説』
第21条
【原文】  「発汗若下之後,心下逆満,気上衝胸,起則頭眩者,茯苓桂枝甘草白朮湯主之.」
【和訓】  発汗若しくは之を下して後,心下逆満し,気胸に上衝して起つときは則ち頭眩する者は,茯苓桂枝甘草白朮湯之を主る.
【訳 文】  太陽病を発汗し,或いは陽明病を下して後,少陽の中風(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊症 小便自利)となって,気が胸に上衝し,座位より俄に立ったときにめまいを覚える(起則頭眩)ような特異症候がある場合には,茯苓桂枝甘草白朮湯〔苓桂朮甘湯〕でこれを治す.
【句解】
 頭眩(ズゲン):①ふらっとする〔めまい〕
          ②たちくらみ〔瞬間真っ暗になる〕
【解 説】  少陽病位に属する薬方を分類してみると,肺,肝,胃,腎,心,心熱の6つに分けることができます。その中で苓桂朮甘湯〔茯苓桂枝甘草白朮湯〕は,腎を主る方剤として位置づけられます.また,この薬方は頻繁に用いられている真武湯,半夏厚朴湯,当帰芍薬散等の処方構成を分析していく上で,構成要素の一つとして重要な基本方剤となっています。
【処方】  茯苓四両,桂枝三両去皮,甘草二両炙,白朮二両,右四味以水一斗,煮取三升,去滓温服一升.
【和訓】  茯苓四両,桂枝三両皮を去り,甘草二両を炙り,白朮二両,右四味水一斗をもって,煮て三升に取り,滓を去って一升を温服す.
 

証構成
  範疇 胸熱緩病(少陽中風)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便自利
 ⑤特異症候
  イ心下逆満(白朮)
  ロ気上衝胸(桂枝)
  ハ頭眩(茯苓)


康治本傷寒論の条文(全文) 

2009年10月3日土曜日

康治本傷寒論 第二十条 発汗後,臍下悸欲作奔豚,茯苓桂枝甘草大棗湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
発汗後、臍下悸、欲作奔豚者、茯苓桂枝甘草大棗湯、主之。

 [訳] 汗を発して後、臍下悸し、奔豚を作さんと欲する者は、茯苓桂枝甘草大棗湯、これを主る。

 冒頭の発汗後第一八条の発汗若下之後と同じに解釈して差支えないことは、第八条(桂枝去芍薬湯)が太陽病下之後となっていることで証明される。この両条は下腹部から気が上衝する病状を述べたものであるからである。
 臍下悸は『講義』八三頁では「発汗の後、水気の変動によって下腹部に悸動を現わし、其の勢上奔せんと欲するの状」と説明している。『中医名詞術語選釈』三三五頁でも臍下悸は「多くは下焦に平素停水のあるものが、外感により発病したとき、発汗が適当仲でないことによって腎気が損傷を受け、水気が衝逆す識時に出現する下腹部の搏動」であると説明している。両書とも水気の変動と理解している。木村博昭氏ははっきり「水飲の動じたるによる」と表現している。
 しかしこの場合は気が小腹より上って心胸を衝くと解釈すべきであることを欲作奔豚という句で示したと読まなければならない。『弁正』も『集成』もそういう解釈をとり、私もそれが正しいと思っている。金匱要略では奔豚気という術語を使用している位だから、気と水の混同は許さるべきではない。
 奔豚とは古い病名で、金匱要略、霊枢、難経等にもでている。金匱要略には「師曰く、奔豚の病は小腹より起り、上って咽喉を衝き、発作すれば死せんと欲し、復還りて止む。皆驚恐よりこれを得」と説明してあるから、発作性心悸亢進、ヒステリー、ある種の狭心症等のことである。しかし字義には色々な説がある。
①『講義』では「奔は走なり。豚は遁なり」という。即ち豚は遯のことでこれは遁(にげる)の本字なのである。荒木正胤氏は「奔豚気病篇の管見」(漢方と漢薬一○巻一○号一-九頁、一九四三年)の中で類聚方広義の説を採用して、奔も豚もにげる、はしる、の意として、同義の二字を重ねた連語と見ている。私はこの説に賛成する。金匱要略の賁豚の賁も走る意である。
②豚はブタ、ブタの子の意。金匱要略の奔㹠気病篇の㹠もブタの意。そけで『入門』一七五頁に「血管壁が不随意に痙攣的に収縮し、それが下腹部の血管から胸部のそれに波及するとき、恰も豚が腹中を奔走するが如く感ずるのをいう」とある。中医名詞術語選釈三六八頁でもそういう解釈をしている。
③『集成』では「奔は憤と古字通用す」として賁も憤もいきどおる意であるから、憤豚はいきどおったブタと読むべきであるという。そして清の王子接の古方選注から次の文を引用している。「蓋し豚は猪の小なる者。其の性は善く嗔(怒る)、故に憤豚の称あり。而して魚中の鯸鮐(フグ)も亦復善く嗔するの物、故に又これを河豚と称す。卞子曰く、豬の性は卑しくして率(あわてる)と。寧波府志に曰く、河豚は物に触るれば輙(たやすく)嗔し、腹脹れて鞠の如く、水上に浮ぶ。一に嗔魚と名づくと。見るべし。奔豚は病名なり。気小腹より上って心胸を衝くこと憤豚の若く然り。故に以って名と為す」と。
 しかし②と③の説には賛成できない。
 いずれにしても気が上衝を起そうとしているのだから鎮静剤を与えるべきであり、第八条でのべたように桂枝甘草湯と同じ性格の処方である本方を用いることになる。


茯苓半斤、桂枝三両去皮、甘草二両炙、大棗十五枚劈。  右四味、以甘爛水一斗、先煮茯苓、減二升、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。

 [訳] 茯苓半斤、桂枝三両皮を去る、甘草二両炙る、大棗十五枚劈く。  右四味甘爛水一斗を以って、先ず茯苓を煮て、二升を減じ、諸薬を内れ、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服する。

 主薬の茯苓は利尿作用を期待して用いられているのではなく、桂枝と配合することによって強い鎮静作用をあらわすのでここでは主薬の位置を占めていると見るべきである。桂枝と甘草の配合は気の上衝を除き、鎮静作用を示す。大棗もまた鎮静剤である。要するに鎮静剤ばかりを配合した処方なのである。
 『解説』二三一頁に「臍のあたりで動悸がはげしくなり、何物かが胸に向ってつきあげてくるというところを目標にして、ヒステリー、小児の自家中毒症、神経症などによく用いられる。臍部の動悸が心下部にまでつきあがってきて、一時失神状態となり、あるいは痙攣を起して人事不省となることもあり、動悸が腹痛を伴うこともあり、はげしい時は腹中すべて動悸し、臍下が脹り、むくむくと心下へつきあげ、頭痛、眩暈等の症状を伴い、あるいは気鬱の状となり、肩背強ばり、腰痛を訴えるものもある。これらは苓桂甘棗湯を用いる目標となる」とあるのは、欲作奔豚を通りこしてすでに奔豚になっていることを示しているが、処方構成から納得できることである。
 ところが『講義』では「若しすでに奔豚となれば、即ち本方証に非ずして桂枝加桂湯証なり」とし、『入門』等も同じ解釈をしている。これは字句にこだわった解釈というべきである。私は桂枝の分量に関係すると見る。苓桂甘棗湯の桂枝は三両(宋板では四両)を三回に分けて服用する。桂枝加桂湯では五両である。桂枝甘草湯では四両を一回に服用する。したがって苓桂甘棗湯でも分量を多くすれば他の処方と同じように用いることができるはずである。
 この処方は普通の水でなく、甘爛水を用いて煎ずるように指示してある。爛はただれる、熟しすぎるの意である。宋板にはその水の作り方が記してある。「水二斗を取り、大盆内に置き、杓を以ってこれを揚げ、水上に珠子(小水滴)五六千顆(粒)あり、相逐う、取りてこれを用う」とあるから、水を空気とよく接触させて軟かくしたものである。『弁正』では「蓋し後人の註する所なり。今これを作らんと欲せば、茶筅にてこれを撍(手動)するのが便捷なるにしかず」という。『集成』では「瀬穆曰く、甘爛水は即ち労水(百労水とも云う)なり。孫思邈は霊枢の半夏湯を暗解(深く解釈する)して曰く、五労七傷の(嬴-女+羊)弱の病を治するには、薬を詮ずるにはよろしく陳蘆労水を以ってすべし。其の水の強からず、その火の盛んならざるを取ると。能く古意を識り得たりと謂うべし」と説明成てうる。
 以上は肯定的に意見であるが、私は古代の呪術の残存と見做している。杏仁の皮尖を去るのもそうだし、本草書にもいくつも同類のものを指摘することができる。奔豚は突然苦しみだし、ひどい時には失神するが、しばらくすると正気にもどる、というのだから、悪霊にとりつかれたと考えたとしても不思議ではない。祈りながら甘爛水を作っていたのだろう。大塚敬節氏は『主治医』七八号に、甘爛水のことを「悠長な話であるが、ほほえましい風景である。それはあまりにも芸術的である」と評しているが、このような観賞的な見方には賛成できない。


『傷寒論再発掘』
20 発汗後、臍下悸、欲作奔豚者、茯苓桂枝甘草大棗湯、主之。
   (はっかんご、せいかきし、ほんとんをなさんとほっするものは、ぶくりょうけいしかんぞうたいそうとうこれをつかさどる。)

   (発汗のあと、臍の下の動悸が強くなって奔豚という状態がおこりそうになっているようなものは、茯苓桂枝甘草大棗湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は発汗後の異和状態の一種で、下腹部から何かものが胸部の方に突きあがってきて苦しい状態になるようなものの対応策を述べているものです。
 奔豚という言葉が色々に解釈されています。奔は走と同じで、豚は遁と同じであり、ともに「にげる」とか「はしる」とかいう意味の連語であるとする解釈や豚はブタの意味で、豚が腹中を奔走するような感じを受けるとか奔は憤と同じで、いきどおった豚の意味に解釈するものなどがあるそうです。いずれにしても、病態としては、下腹部から何かものが上に突き上がってきて苦しむような病態のことを指しているようです。
 発汗後に、一種の心悸亢進のようなものがおこって、胸苦しくなるような場合は桂枝甘草湯のようなもので、それは改善できるのですが、この湯はその上に茯苓(第16章14項)と大棗(第16章6項)が追加されています。両方とも多分、鎮静作用があるのでしょう。
 実際の場合は、必ずしも発汗後でなくとも下腹部から何かものが上に突き上がってくるような感じがして苦しむような病態なら、何でも応用してみてよいのだと思われます。すなわち、ヒステリーやその他の病態です。
 すべて、この傷寒論の処方の場合、基本的な病態が同じであれば、発汗後であれ瀉下後であれ、それらを一切まだ経ていない病態であれ、また急性であれ慢性であれ、すべてみな応用が可能なのです。勿論、病名とも一切関係はなく、基本病態が同じであればいいわけです。ただ、条文の場合は、発汗後として、最も典型的な場合をあげてあるわけです。したがって、応用する場合には、[発汗後]という言葉にとらわれる必要はないのです。

20' 茯苓半斤、桂枝三両去皮、甘草二両炙、大棗十五枚劈。
   右四味 以甘爛水一斗 先煮茯苓 減二升、内諸薬、煮取三升、去滓、温服一升。
   (ぶくりょうはんぎん、けいしさんりょうかわをさり、かんぞうにりょうあぶる、たいそうじゅうごまいつんざく。みぎよんみ、かんらんすいいっとをもって、まずぶくりょうをにて、にしょうをげんじ、しょやくをいれ、にてさんじょうをとり、かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 この生薬配列から言えることは、この湯については、茯苓甘草基と桂枝甘草基が結合され、茯苓桂枝甘草基がまず形成され、その後、大棗が追加されていって、この湯が形成されたということです。
 発汗後の異和状態の一つである心悸亢進がかなりつよくなって、胸苦しくなったような場合、桂枝甘草基が有効な場合があるわけですが、これがさらに甚だしくなった時、茯苓桂枝甘草基が有効なのであると推定されます。
 古代人の経験としては、茯苓桂枝甘草湯とでも言うべきものが、甚だしい心悸亢進や胸苦しさに使用されていたのであると推定されます。この次の条文に出てくる茯苓桂枝甘草白朮湯も、同様な基本病態に使用されており、しかも、茯苓桂枝甘草基が主体をなしているわけですので、上述の推定は益々、納得され易いことになるでしょう。
 大棗を追加する理由はどんなものでしょうか。下腹部の種々の異常(腹痛、下痢、臍下悸などを含めて)に対して追加されたように思われます。それが結果的には鎮静作用をあらわすのかも知れません。
 甘爛水というのは、盆に入れてある水を杓ですくって、高くかかげて、その盆中の水の上に注ぐことを何度もくりかえして、水と空気の接触を十分にさせた水のことです。爛というのは、ただれる、熟しすぎるとの意味だそうです。現在はこの様な水を使う必要は全くなさそうです。


『康治本傷寒論解説』
第20条
【原文】  「発汗後,臍下悸欲作奔豚者,茯苓桂枝甘草大棗湯主之.」
【和訓】  発汗して後,臍下悸して奔豚をなさんと欲する者は,茯苓桂枝甘草大棗湯之を主る.
【訳文】  太陽病を発汗して後,少陽の中風(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊症 小便自利) から④緩緊脉証が小便自利すべきである英に小便不利となったため、12の函を飛び出して壊病となり,臍下に動悸があって奔豚様である場合には,茯苓桂枝甘草大棗湯(苓桂甘棗湯)でこれを治す.
【句解】
 奔豚(ホントン):臍の横から心臓部へつきあげる感じで,あたかも豚が走っている時に体表がピクピクと波打つ様に昇って行くことをいう.
 壊病(エビョウ):頭部に疾病の重点がきた場合には,範疇分類ができなくなります.この場合の疾病のことをいう.
【解 説】  本方を苓桂朮甘湯と比較すると、苓桂甘棗湯の方が桂枝に対する過敏症が強く、そのため少陽中風の範疇を飛び出し壊病となっていることがわかります。
【処方】  茯苓半斤,桂枝三両去皮,甘草二両炙,大棗十五枚劈,右四味以甘爛水一斗,先煮茯苓 減二升内諸薬煮取三升,去滓温服一升.
【和訓】  茯苓半斤,桂枝三両皮を去り,甘草二両を炙り,大棗十五枚を擘く,右四味甘爛水一斗をもって,先ず茯苓を煮て二升を減じ諸薬を入れて煮て三升に取る.滓を去って一升を温服する.
    注:宋板では,桂枝は四両となっている.今これに従う〔章平〕.
【句解】
 甘爛水(カンランスイ):茶筅等で攪拌し泡立たせることによって得られる水をいう.したがって,空気で過飽和になった水と考えられる.
 

証構成
  範疇 エ胸熱緩病(壊病)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
  イ臍下悸(茯苓)
  ロ奔豚様(桂枝)


(注)
『康治本傷寒論の研究』及び『傷寒論再発掘』では、甘爛水の量が1升になっているが、明らかな誤植であるので、一斗に変更した。




康治本傷寒論の条文(全文) 

2009年10月1日木曜日

康治本傷寒論 第十九条 発汗後,汗出而喘,無大熱者,麻黄甘草杏仁石膏湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
発汗後、汗出而喘、無大熱者、麻黄甘草杏仁石膏湯、主之。

 [訳] 汗を発して後、汗出でて喘し、大熱なき者は、麻黄甘草杏仁石膏湯、これを主る。


 冒頭の発汗後と次の汗出而喘を必然的な関係と見て、『入門』一○九頁では「本条は発汗性治癒転機を起させた後に起り来れる喘息の治法を論ずる」としている。他の解説書でもすべて同じ解釈をとっている。そして『講義』八一頁のように、「汗出而喘は、喘而汗出と異れり。即ち此の証、汗出づは主にして、喘は客なり」、とするのならば、「本条は発汗性治癒転機を起させた後に起り来れる汗出の治法を論ず」と言わなければならないはずである。『解説』二二七頁でも「発汗したため、発汗前からあった発熱、悪寒などの表証は消散したが、平素から喘鳴のくせのある人は、喘が余症として残った」と解釈し、汗出という症状は問題にされていない。これは大変奇妙なことと言わねばならない。
 私は冒頭の句をその条文と直接結びつけない解釈をこれまでしてきた。この立場では、この発汗後は、第一八条の発汗若下之後と同じに解釈したいのである。しかし第二句の汗出を解釈しやすいように、この場合は若下之を省略した方が良いと見るのである。
 即ち、この汗出は、第七条第一一条で示したような発汗させたために陰病に陥入った汗出とちがって、陽病の汗出、しかも桂枝湯証の汗出ともちがうものを読取らせるためのものであると考えなければならない。後という辞は状態がすっかりかわったことを示しているか現、それに続く汗出はもう太陽病の症状ではなく陽明病の症状なのである。
 陽明病の熱邪によって汗出となったのならば、承気湯類を使う(内位)か、白虎湯類を使う(裏位)かしなければならない。ここでは而喘とあるから、水毒が関与しているので裏位の熱邪によるものという判断になるのである。そしてこれを裏書きするように、次に無大熱とあるのである。これは第一八条で説明したように身熱、または微熱のことである。そして悪寒については言及されていないので、悪寒はないとすると、この場合は陽明病であることは間違いないことになる。
 そこで裏熱を除くには石膏を必要とするが、裏熱による汗出を治す作用も持っていることは次に示す外台秘要の巻一四と巻一五の条文で明らかである。
      深師、療柔風、体疼、自汗出、石膏散方。
          石膏二両研、甘草一両炙。
      延年、療風虚、止汗、石膏散方。
          石膏研、甘草炙各四分。
 また喘に対する薬物は麻黄、甘草、杏仁であるから、以上の症状を呈した時に麻黄甘草杏仁石膏湯で治癒させることができるのである。
 ところが『解説』では「大熱は体表の熱で、表熱のことである」とし、大熱なしとあるのだから裏熱があることなのであるという。そこで「表証はすでに解し、裏熱のために汗出でて喘するに至ったのである」ことがわかり、「そこで麻黄湯の桂枝の代りに石膏を入れて裏熱を散ずる手段とする」という。
 この場合の裏とは内臓の意味である。私の言う内と裏を包含した概念なのであるから、その部分に熱邪があるからといって石膏を用いる根拠にはならないのである。さらに不思議なことは、無大熱とは説明であって症状ではないというのだから、臨床上は何をもって裏熱があると判断するのであろうか。表証のないことが裏熱のある理由になるとでも言うのであろうか。
 『講義』では「発汗の後、余熱内に迫って鬱積し、内の水気と相激して喘を発する」と説明している。この時の内は「ほぼ裏(消化管)に等しいが、裏より広いところを指す」のだから、この場合も石膏を使う根拠にはならない。さらに「内の水気」とあるが、この処方は麻黄と甘草が重要な役割をもっていて、その意味は金匱要略の水気病篇にある「裏水、越婢加朮湯、主之、甘草麻黄湯亦主之」に相当していて、裏水とあり内水とは表現されていない点に注目すべきである。
 宋板には発汗後の次に不可更行桂枝湯(更に桂枝湯を行るべからず)という句が入り、康平本には喘家不可更行桂枝湯という句が入っている。これらは註文と見做すべきである。

麻黄四両去節、甘草二両炙、杏仁五十箇去皮尖、石膏半斤砕。  右四味、以水九升、先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬、煮取二升、去滓、温服一升。

 [訳]
 麻黄四両節を去る。甘草二両炙る、杏仁五十個皮と尖を去る、石膏半斤砕く。  右四味、水九升を以て、先ず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て二升を取り、滓を去り、一升を温服する。

 康治本にも貞元本にも「杏仁五十箇去皮尖」の八字が抜けているのでそれを補っておいた。また宋板、康平本では麻黄の次に置かれていて、処方名もそれに対応するように麻黄杏仁甘草石膏湯となっているし、水の量は七升である。
 康治本では処方中の薬物の配列は処方の意味を考える時に役立つように配慮されているのだから、ここでは二番目にくるのは甘草の方が良いか、それとも杏仁の方が良いかを考えなければならない。
 裏水の治療に用いる甘草麻黄湯(私は麻黄甘草湯とすべきであると思っている)の意味が重要であるとするならば、甘草は二番目に置いてある方がよい。もし三番目に置いてあれば喘咳を治すという観点が重視されることになる。
 『入門』では麻黄について「発汗性治癒転機」を起させるには桂枝の協同作用を要し、止汗の目的には石膏の協同作用を要する。更に麻黄、桂枝、石膏の三者を同時に使用するときは強力なる発汗剤となる。即ち麻黄湯は第一類に属するもの、麻杏甘石湯、越婢湯は第二類に属するもの、大青竜湯、桂枝二越婢一湯は第三類に属するものである」と論じているのは、いわゆる薬効方向転換説の立場にほかならない。
 麻杏甘石湯では麻黄と石膏が組合わさって止汗作用があらわれるのではなく、石膏そのものに止汗作用があるのである。また麻黄と甘草で裏水を除くので止汗の効果があらわれる。そして麻黄の発汗作用は桂枝がないことによって強く現われないのである。
 また大青竜湯は麻黄、桂枝、石膏の三者が組合わさって発汗作用が強くなるのではなく、麻黄の量が第一類の麻黄湯の場合の倍量になっているから発汗作用が強く現われるのである。そして桂枝二越婢一湯はこの三者が配合されていても、用量が少いので発汗作用は強くない。第三類に入れるのは間違いである。方向転換説がいいかげんなものであることはこの例をもつ言てしても明らかである。



『傷寒論再発掘』
19 発汗後、汗出而喘、無大熱者、麻黄甘草杏仁石膏湯主之。
   (はっかんご、あせいでてぜんし、たいねつなきものは まおうかんぞうきょうにんせっこうとうこれをつかさどる。)

   (発汗後に汗が出ている状態でしかも喘があり、それほどの熱のないようなものは、麻黄甘草杏仁石膏湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は発汗の処置をとって、その処置によって改善されるべき症状はだいたい無くなったのに、主として「喘」の症状がある病態のうちのある種のものについて、その改善策を述べたものです。
 もし「喘」があっても、「悪風無汗」であったなら、既に第15条で出てきた麻黄湯を使ったら良い筈です。ところがこの場合は丁度正反対の「汗出」と「無大熱者」です。麻黄湯の生薬構成の中で、麻黄・桂枝・甘草の組み合せは「無汗」の病態に対して、大いに発汗させて様々な異和状態を改善していく作用を持っているわけですので、この場合には不適当なわけです。麻黄・桂枝・甘草の組み合せのうち、麻黄を除いてしまったら、「喘」を改善する作用はかなり弱くなるでしょう。そこで桂枝を除いた場合は、発汗させる作用はかなり弱くなるでしょうが、「喘」を改善させる作用は存分に残ると思われます。現に、甘草麻黄湯という湯は「喘」を改善するために、今日も臨床において使用されています。したがって、そこに杏仁を加えた湯すなわち、「麻黄甘草杏仁湯」とでも言うべき湯は、当然、「喘」を改善するのに有効であり、古代人も大いに使用していたと推定されます。この麻黄甘草杏仁湯を使用して「汗出而喘」の症状のものは、よく改善されていたと思われますが、そういうもののうち、「発熱悪寒」などのようにいわゆる「表証の熱」などはなくて、もっと身体の奥の方すなわち胃腸管の方からの熱のため、「無大熱者」という状態であるものに対して、石膏を使用したところ、益々有効であったというような体験があってから、麻黄甘草杏仁石膏湯というような湯が誕生してきたのであろうと推定されます。
 要するに、発熱悪寒などがあり、汗が十分に出ないために、胸部に水分が余分にあつまって苦しくなるような病態は、麻黄湯などで存分に発汗してやれば、喘も改善されるでしょうが、もう十分に汗も出ていて、しかも発熱悪寒などなくて胸が苦しくなるようなものは、発汗で水分を除くのではなく、利尿で胸部の余分な水分を取り除いていけば良いわけです。こういう場合に、麻黄甘草杏仁石膏湯が適応すると推定されるわけです。

19' 麻黄四両去節 甘草二両炙 (杏仁五十箇去皮尖) 石膏半斤砕。
   右四味、以水九升 先煮麻黄 減二升 去上沫 内諸薬 煮取二升 去滓 温服一升。

   (まおうよんりょうふしをさる かんぞうにりょうあぶる きょうにんごじゅっこひせんをさる せっこうはんぎんくだく。 みぎよんみ みずきゅうしょうをもって、まずまおうをにて、にしょうをげんじ、じょうまつをさり しょやくをいれ にてにしょうをとり かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 「康治本傷寒論」では(杏仁五十箇去皮尖)の部分が抜けておりますが、条文の方で麻黄甘草杏仁石膏湯となっていますので、当然、入っているべきものです。
 この湯の形成過程については、条文と生薬配列から記述しました如くです。すなわち、麻黄甘草に杏仁が加わり更に石膏が加わって形成されたわけです。「一般の傷寒論」および「康平傷寒論」では湯名が少し異なって、麻黄杏仁甘草石膏湯となっています。薬方の生薬の配列も麻黄杏仁甘草石膏の順となっていて、「原始傷寒論(康治本傷寒論)」とは少し異なっています。薬方の形成過程などを考察する水準に至っていない、従来までの傷寒論の研究の段階では、致し方のないことでしょう。しかし、これからの傷寒論の研究家は、こういうことにも十分な知識を持ってほしいと思います。この湯の場合、麻黄のあとに甘草が来ていた方が、湯の形成過程を統一的に考察していく立場にとっては、より簡単であり、より自然であると思われますので、やはり「健治本傷寒論」の方が「原始形態」をとどめていると思わざるを得ません。
 なお、生薬の作用についてですが、麻黄(第16章1項)や甘草(第16章3項)や桂枝(第16章4項)や石膏(第16章9項)については、それぞれの項で考察しておきましたので参考にして下さい。
 麻黄は桂枝と一緒に使用されて、大いに発汗作用を呈しますが、麻黄と甘草だけですと利尿作用の方が明瞭になるように思われます。石膏そのものにも利尿作用がありますので、麻黄甘草に石膏が加われば当然利尿作用は更に増強される筈です。
 麻黄と桂枝が一緒になると発汗作用が出るのに、麻黄と石膏が一緒になると発汗作用がなくなって利尿作用になってしまうという見方(薬効方向転換説の見方)は確かに一見、面白いのですが、少し考えが浅すぎるような気がします。なぜなら麻黄にはもともと発汗作用も利尿作用もあって(この共通点として、心拍出量の増大作用を考えていますが)、桂草があると発汗作用が強く出て、桂枝がないとそれが弱くなり、本来ある利尿作用が強く出ると、考えた方が単純に説明できるからです。

『康治本傷寒論解説』
第19条
【原文】  「発汗後,汗出而喘,無大熱者,麻黄甘草杏仁石膏湯主之.」
【和訓】  発汗して後,汗出でて喘し,大熱なき者は,麻黄甘草杏仁石膏湯之を主る.
【訳文】  太陽傷寒を発汗して後,少陽の傷寒(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊症 小便不利) となって小便不利のために汗が出て,更に喘する場合には,麻黄甘草杏仁石膏湯(麻杏甘石湯)でこれを治す.
【解 説】  麻杏甘石湯は,一名麻黄去桂加石膏湯(麻黄湯から桂枝を去り,石膏を加えたもの〔章平〕)ともいわれていて,前出の桂枝去桂加白朮茯苓湯のパターンと類似しいます。前者の基本は,太陽傷寒の麻黄湯から,一方後者は太陽中風の桂枝湯から少陽病位に転入してきたものということになります。
【処方】  麻黄四両去節,杏仁五十箇去皮尖,甘草二両炙,石膏半斤砕,右四味以水九升,先煮麻黄減二升,去上沫内諸薬煮取二升,去滓温服一升.
【和訓】  麻黄四両節を去り,杏仁五十箇皮尖を去り,甘草二両を炙り,石膏半斤を砕く,右四味水九升をもって,先ず麻黄を煮て二升を減じ,上沫を去って諸薬を入れて煮て二升に取り,滓を去って一升を温服する.


証構成
  範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
  イ喘(麻黄)
  ロ汗出(小便不利)






康治本傷寒論の条文(全文)

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