健康情報: 康治本傷寒論 第十九条 発汗後,汗出而喘,無大熱者,麻黄甘草杏仁石膏湯主之。

2009年10月1日木曜日

康治本傷寒論 第十九条 発汗後,汗出而喘,無大熱者,麻黄甘草杏仁石膏湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
発汗後、汗出而喘、無大熱者、麻黄甘草杏仁石膏湯、主之。

 [訳] 汗を発して後、汗出でて喘し、大熱なき者は、麻黄甘草杏仁石膏湯、これを主る。


 冒頭の発汗後と次の汗出而喘を必然的な関係と見て、『入門』一○九頁では「本条は発汗性治癒転機を起させた後に起り来れる喘息の治法を論ずる」としている。他の解説書でもすべて同じ解釈をとっている。そして『講義』八一頁のように、「汗出而喘は、喘而汗出と異れり。即ち此の証、汗出づは主にして、喘は客なり」、とするのならば、「本条は発汗性治癒転機を起させた後に起り来れる汗出の治法を論ず」と言わなければならないはずである。『解説』二二七頁でも「発汗したため、発汗前からあった発熱、悪寒などの表証は消散したが、平素から喘鳴のくせのある人は、喘が余症として残った」と解釈し、汗出という症状は問題にされていない。これは大変奇妙なことと言わねばならない。
 私は冒頭の句をその条文と直接結びつけない解釈をこれまでしてきた。この立場では、この発汗後は、第一八条の発汗若下之後と同じに解釈したいのである。しかし第二句の汗出を解釈しやすいように、この場合は若下之を省略した方が良いと見るのである。
 即ち、この汗出は、第七条第一一条で示したような発汗させたために陰病に陥入った汗出とちがって、陽病の汗出、しかも桂枝湯証の汗出ともちがうものを読取らせるためのものであると考えなければならない。後という辞は状態がすっかりかわったことを示しているか現、それに続く汗出はもう太陽病の症状ではなく陽明病の症状なのである。
 陽明病の熱邪によって汗出となったのならば、承気湯類を使う(内位)か、白虎湯類を使う(裏位)かしなければならない。ここでは而喘とあるから、水毒が関与しているので裏位の熱邪によるものという判断になるのである。そしてこれを裏書きするように、次に無大熱とあるのである。これは第一八条で説明したように身熱、または微熱のことである。そして悪寒については言及されていないので、悪寒はないとすると、この場合は陽明病であることは間違いないことになる。
 そこで裏熱を除くには石膏を必要とするが、裏熱による汗出を治す作用も持っていることは次に示す外台秘要の巻一四と巻一五の条文で明らかである。
      深師、療柔風、体疼、自汗出、石膏散方。
          石膏二両研、甘草一両炙。
      延年、療風虚、止汗、石膏散方。
          石膏研、甘草炙各四分。
 また喘に対する薬物は麻黄、甘草、杏仁であるから、以上の症状を呈した時に麻黄甘草杏仁石膏湯で治癒させることができるのである。
 ところが『解説』では「大熱は体表の熱で、表熱のことである」とし、大熱なしとあるのだから裏熱があることなのであるという。そこで「表証はすでに解し、裏熱のために汗出でて喘するに至ったのである」ことがわかり、「そこで麻黄湯の桂枝の代りに石膏を入れて裏熱を散ずる手段とする」という。
 この場合の裏とは内臓の意味である。私の言う内と裏を包含した概念なのであるから、その部分に熱邪があるからといって石膏を用いる根拠にはならないのである。さらに不思議なことは、無大熱とは説明であって症状ではないというのだから、臨床上は何をもって裏熱があると判断するのであろうか。表証のないことが裏熱のある理由になるとでも言うのであろうか。
 『講義』では「発汗の後、余熱内に迫って鬱積し、内の水気と相激して喘を発する」と説明している。この時の内は「ほぼ裏(消化管)に等しいが、裏より広いところを指す」のだから、この場合も石膏を使う根拠にはならない。さらに「内の水気」とあるが、この処方は麻黄と甘草が重要な役割をもっていて、その意味は金匱要略の水気病篇にある「裏水、越婢加朮湯、主之、甘草麻黄湯亦主之」に相当していて、裏水とあり内水とは表現されていない点に注目すべきである。
 宋板には発汗後の次に不可更行桂枝湯(更に桂枝湯を行るべからず)という句が入り、康平本には喘家不可更行桂枝湯という句が入っている。これらは註文と見做すべきである。

麻黄四両去節、甘草二両炙、杏仁五十箇去皮尖、石膏半斤砕。  右四味、以水九升、先煮麻黄、減二升、去上沫、内諸薬、煮取二升、去滓、温服一升。

 [訳]
 麻黄四両節を去る。甘草二両炙る、杏仁五十個皮と尖を去る、石膏半斤砕く。  右四味、水九升を以て、先ず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て二升を取り、滓を去り、一升を温服する。

 康治本にも貞元本にも「杏仁五十箇去皮尖」の八字が抜けているのでそれを補っておいた。また宋板、康平本では麻黄の次に置かれていて、処方名もそれに対応するように麻黄杏仁甘草石膏湯となっているし、水の量は七升である。
 康治本では処方中の薬物の配列は処方の意味を考える時に役立つように配慮されているのだから、ここでは二番目にくるのは甘草の方が良いか、それとも杏仁の方が良いかを考えなければならない。
 裏水の治療に用いる甘草麻黄湯(私は麻黄甘草湯とすべきであると思っている)の意味が重要であるとするならば、甘草は二番目に置いてある方がよい。もし三番目に置いてあれば喘咳を治すという観点が重視されることになる。
 『入門』では麻黄について「発汗性治癒転機」を起させるには桂枝の協同作用を要し、止汗の目的には石膏の協同作用を要する。更に麻黄、桂枝、石膏の三者を同時に使用するときは強力なる発汗剤となる。即ち麻黄湯は第一類に属するもの、麻杏甘石湯、越婢湯は第二類に属するもの、大青竜湯、桂枝二越婢一湯は第三類に属するものである」と論じているのは、いわゆる薬効方向転換説の立場にほかならない。
 麻杏甘石湯では麻黄と石膏が組合わさって止汗作用があらわれるのではなく、石膏そのものに止汗作用があるのである。また麻黄と甘草で裏水を除くので止汗の効果があらわれる。そして麻黄の発汗作用は桂枝がないことによって強く現われないのである。
 また大青竜湯は麻黄、桂枝、石膏の三者が組合わさって発汗作用が強くなるのではなく、麻黄の量が第一類の麻黄湯の場合の倍量になっているから発汗作用が強く現われるのである。そして桂枝二越婢一湯はこの三者が配合されていても、用量が少いので発汗作用は強くない。第三類に入れるのは間違いである。方向転換説がいいかげんなものであることはこの例をもつ言てしても明らかである。



『傷寒論再発掘』
19 発汗後、汗出而喘、無大熱者、麻黄甘草杏仁石膏湯主之。
   (はっかんご、あせいでてぜんし、たいねつなきものは まおうかんぞうきょうにんせっこうとうこれをつかさどる。)

   (発汗後に汗が出ている状態でしかも喘があり、それほどの熱のないようなものは、麻黄甘草杏仁石膏湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は発汗の処置をとって、その処置によって改善されるべき症状はだいたい無くなったのに、主として「喘」の症状がある病態のうちのある種のものについて、その改善策を述べたものです。
 もし「喘」があっても、「悪風無汗」であったなら、既に第15条で出てきた麻黄湯を使ったら良い筈です。ところがこの場合は丁度正反対の「汗出」と「無大熱者」です。麻黄湯の生薬構成の中で、麻黄・桂枝・甘草の組み合せは「無汗」の病態に対して、大いに発汗させて様々な異和状態を改善していく作用を持っているわけですので、この場合には不適当なわけです。麻黄・桂枝・甘草の組み合せのうち、麻黄を除いてしまったら、「喘」を改善する作用はかなり弱くなるでしょう。そこで桂枝を除いた場合は、発汗させる作用はかなり弱くなるでしょうが、「喘」を改善させる作用は存分に残ると思われます。現に、甘草麻黄湯という湯は「喘」を改善するために、今日も臨床において使用されています。したがって、そこに杏仁を加えた湯すなわち、「麻黄甘草杏仁湯」とでも言うべき湯は、当然、「喘」を改善するのに有効であり、古代人も大いに使用していたと推定されます。この麻黄甘草杏仁湯を使用して「汗出而喘」の症状のものは、よく改善されていたと思われますが、そういうもののうち、「発熱悪寒」などのようにいわゆる「表証の熱」などはなくて、もっと身体の奥の方すなわち胃腸管の方からの熱のため、「無大熱者」という状態であるものに対して、石膏を使用したところ、益々有効であったというような体験があってから、麻黄甘草杏仁石膏湯というような湯が誕生してきたのであろうと推定されます。
 要するに、発熱悪寒などがあり、汗が十分に出ないために、胸部に水分が余分にあつまって苦しくなるような病態は、麻黄湯などで存分に発汗してやれば、喘も改善されるでしょうが、もう十分に汗も出ていて、しかも発熱悪寒などなくて胸が苦しくなるようなものは、発汗で水分を除くのではなく、利尿で胸部の余分な水分を取り除いていけば良いわけです。こういう場合に、麻黄甘草杏仁石膏湯が適応すると推定されるわけです。

19' 麻黄四両去節 甘草二両炙 (杏仁五十箇去皮尖) 石膏半斤砕。
   右四味、以水九升 先煮麻黄 減二升 去上沫 内諸薬 煮取二升 去滓 温服一升。

   (まおうよんりょうふしをさる かんぞうにりょうあぶる きょうにんごじゅっこひせんをさる せっこうはんぎんくだく。 みぎよんみ みずきゅうしょうをもって、まずまおうをにて、にしょうをげんじ、じょうまつをさり しょやくをいれ にてにしょうをとり かすをさり、いっしょうをおんぷくする。)

 「康治本傷寒論」では(杏仁五十箇去皮尖)の部分が抜けておりますが、条文の方で麻黄甘草杏仁石膏湯となっていますので、当然、入っているべきものです。
 この湯の形成過程については、条文と生薬配列から記述しました如くです。すなわち、麻黄甘草に杏仁が加わり更に石膏が加わって形成されたわけです。「一般の傷寒論」および「康平傷寒論」では湯名が少し異なって、麻黄杏仁甘草石膏湯となっています。薬方の生薬の配列も麻黄杏仁甘草石膏の順となっていて、「原始傷寒論(康治本傷寒論)」とは少し異なっています。薬方の形成過程などを考察する水準に至っていない、従来までの傷寒論の研究の段階では、致し方のないことでしょう。しかし、これからの傷寒論の研究家は、こういうことにも十分な知識を持ってほしいと思います。この湯の場合、麻黄のあとに甘草が来ていた方が、湯の形成過程を統一的に考察していく立場にとっては、より簡単であり、より自然であると思われますので、やはり「健治本傷寒論」の方が「原始形態」をとどめていると思わざるを得ません。
 なお、生薬の作用についてですが、麻黄(第16章1項)や甘草(第16章3項)や桂枝(第16章4項)や石膏(第16章9項)については、それぞれの項で考察しておきましたので参考にして下さい。
 麻黄は桂枝と一緒に使用されて、大いに発汗作用を呈しますが、麻黄と甘草だけですと利尿作用の方が明瞭になるように思われます。石膏そのものにも利尿作用がありますので、麻黄甘草に石膏が加われば当然利尿作用は更に増強される筈です。
 麻黄と桂枝が一緒になると発汗作用が出るのに、麻黄と石膏が一緒になると発汗作用がなくなって利尿作用になってしまうという見方(薬効方向転換説の見方)は確かに一見、面白いのですが、少し考えが浅すぎるような気がします。なぜなら麻黄にはもともと発汗作用も利尿作用もあって(この共通点として、心拍出量の増大作用を考えていますが)、桂草があると発汗作用が強く出て、桂枝がないとそれが弱くなり、本来ある利尿作用が強く出ると、考えた方が単純に説明できるからです。

『康治本傷寒論解説』
第19条
【原文】  「発汗後,汗出而喘,無大熱者,麻黄甘草杏仁石膏湯主之.」
【和訓】  発汗して後,汗出でて喘し,大熱なき者は,麻黄甘草杏仁石膏湯之を主る.
【訳文】  太陽傷寒を発汗して後,少陽の傷寒(①寒熱脉証 弦 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊症 小便不利) となって小便不利のために汗が出て,更に喘する場合には,麻黄甘草杏仁石膏湯(麻杏甘石湯)でこれを治す.
【解 説】  麻杏甘石湯は,一名麻黄去桂加石膏湯(麻黄湯から桂枝を去り,石膏を加えたもの〔章平〕)ともいわれていて,前出の桂枝去桂加白朮茯苓湯のパターンと類似しいます。前者の基本は,太陽傷寒の麻黄湯から,一方後者は太陽中風の桂枝湯から少陽病位に転入してきたものということになります。
【処方】  麻黄四両去節,杏仁五十箇去皮尖,甘草二両炙,石膏半斤砕,右四味以水九升,先煮麻黄減二升,去上沫内諸薬煮取二升,去滓温服一升.
【和訓】  麻黄四両節を去り,杏仁五十箇皮尖を去り,甘草二両を炙り,石膏半斤を砕く,右四味水九升をもって,先ず麻黄を煮て二升を減じ,上沫を去って諸薬を入れて煮て二升に取り,滓を去って一升を温服する.


証構成
  範疇 胸熱緊病(少陽傷寒)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    小便不利
 ⑤特異症候
  イ喘(麻黄)
  ロ汗出(小便不利)






康治本傷寒論の条文(全文)