健康情報: 康治本傷寒論 第三十三条 太陽病,発汗而復下之後,舌上燥渇,日晡所有潮熱,従心下至小腹鞕満,痛不可近者,陥胸湯主之。

2009年11月4日水曜日

康治本傷寒論 第三十三条 太陽病,発汗而復下之後,舌上燥渇,日晡所有潮熱,従心下至小腹鞕満,痛不可近者,陥胸湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、発汗而復下之後、舌上燥、渇、日晡所有潮熱、従心下至小腹鞕満、痛不可近者、陥胸湯、主之。
 [訳] 太陽病、汗を発して復これを下して後、舌上燥き、渇し、日晡所に潮熱あり、心下従り小腹に至るまで鞕満し、痛んで近づくべからざる者は、陥胸湯、これを主る。

 この条文は結胸の水毒が腹部にまで影響を及ぼした変証(激症)を述べたものであるから、第三二条の冒頭とちがった表現になっている。発汗したり下したりすることを単なる形式上のこととすれば、次の舌上が燥き、口が渇することは裏熱によって起った症状と解釈することができる。
 ところが一般には発汗したり下したりすることを文字通り解釈することが普通であるから、それによって津液が失われてしまい舌上燥渇となると解釈することになる。しかも宋板と康平本では「太陽病、重発汗而復下之、不大便五六日」(太陽病、重ねて汗を発し、而して復たこれを下し、大便せざること五六日)となっているために、『解説』三○五頁のように「太陽病を再度にわたって発汗し、またこれを下したために体液は滋潤を失い、大便さぜること五六日に及んだ。すでに汗下を経る間に四五日を経て、今また大便せざること五六日に及ぶから、初発から云えば十余日となるのである。日数から考えると陽明病になる時期であ識。しかも舌上が乾燥して渇き、日暮れ時に潮熱を発するは陽明病の大承気湯の証に似ている」と説明することになる。浅田宗伯は「全くこれ承気の証なり」と書いている。『講義』一六○頁では中間の説をとって「舌上燥而渇はこれ唯だ汗下に由て津液を脱失せるのみならず、復た内に熱を生ずるの致す所なり」という。
 日哺はジッポと読み、ひぐれの意。哺は申の刻、今の午后四時で日餔、哺時ともいう。日哺所のは、ばかりの意で許と同じ。それで日晡所は午后頃のことである。潮熱は『講義』一二一頁では「潮水の進退するが如く、時を定めて発し、全身に漲る熱を謂う」とし、『解説』二七四頁では「全身に熱が行きわたり、悪風や悪寒がなく、全身がしっとりと汗ばむのである」と追加説明している。これを陽明病の熱状とするのである。そこで『弁正』では「其の常に於けるや、必ず身熱し、其の発するに当るや必ず悪熱し、人をして煩躁せしむる所以なり。ただに日哺所に於いてせず、或は午未の間(正午から午后二時の間)に於いてす。亦以て名づくべし。もし必ずしも日晡所に於いてせずして名づけば惟だ潮熱と曰いて足れり。復た何ぞ日哺所の字に煩うか」、と論じているように、日哺所でなければならない理由は結局わからない。
 いずれにしてもここまでの解釈では大承気湯を使うという結論になってしまい、大陥胸湯に結びつける理由が見出せないので、宋板と康平本で「小有潮熱」となっているところから小の字にその役をおわせることになるのである。浅田宗伯が「潮熱小しくと曰うは則ちそれ陽明に入ること未だ深からざるものなり」と論じたように『入門』、『解説』、『講義』でもその説を採用している。しかし康治本に小の字がないように、ここでは屁理屈を言わない方がよいと思う。何故ならば次の句は陽明の邪が深いことを示しているからである。
 心下より小腹に至るまで鞕満して痛み近づくべからずとは『解説』三○六頁に説明してあるように「鞕満が腹部全体に及んでいる」のであるから正しく陽明病といわなければならない。それを「心下が主であって、その影響するところが下腹にまで及ぶのであるから、大承気湯の腹証が臍部を中心として膨満するものとは異なる」と説明することは、心下の鞕満痛が主であるという根拠が不明確である以上納得できない。まして『講義』一六一頁のように「熱結の専ら心胸部に在りて、心下より少腹に及べるを示すなり」と言うことは一層根拠がない。
 腹が鞕満して痛み、手を近づけることもできないほど神経が過敏になっていることが水毒によるものであることを示しているのではないだろうか。内熱による大承気湯証や、裏熱による白虎湯証でこの症状に言及したものがないから私はそのように考えたい。『講義』のように「近づくべからずとは、其の痛み劇しきを形容せる語に過ぎざるなり」と解釈するのは不充分のような気がする。
 心下から鞕満痛がはじまっているのでこれを結胸の変証と判断して陥胸湯で急速に水毒を駆逐する必要があると解釈すべきであろう。したがって津液が脱出して生じた症状と解釈することは何としても筋が通らない。また宋板に不大便とあることから浅田宗伯は「その水熱を駆せば則ちただ結胸の病除かるるのみに非ず。承気の証も亦随って除かるる。是れ少陽、陽明併病の治例と為すなり」という。大承気湯証とまぎらわしいだけではないという考えも一理あるが、恐らくそうではないであろう。


『傷寒論再発掘』
33 太陽病、発汗而復下之後 舌上燥、渇、日晡所有潮熱、従心下至小腹鞕満痛 不可近者 陥胸湯主之。
   (たいようびょう、はっかんししこうしてまたこれをくだしてのち、ぜつじょうかわき、かっし、じっぽしょちょうねつあり、しんかよりしょうふくにいたるまでこうまんしていたみ ちかづくべからざるもの、かんきょうとうこれをつかさどる。)
   (太径画飛、発汗させ、更にまたこれを瀉下させたりしたあと、舌上がかわき、渇を生じ、夕方には潮熱が出て、心下より小腹に至るまで鞕満し、痛んで手を近づけることも出来ないようなものは、陥胸湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は前条文と同じく、陥胸湯を使うべき状態を述べていますが、前条文の状態よりも更に激症の状態についての条文です。
 日晡所 とは、日哺がひぐれの意味で、所がそのあたりの意味であり、哺は申の刻すなわち午後四時のことであり、結局、日晡所とは午後四時頃ということになるようです。
 潮熱 とは、潮水の如く、時を定めて発し、全身に漲る熱のことです。勿論、悪寒などはない熱のことで、陽明病の時の熱状とされています。


『康治本傷寒論解説』
第33条
【原文】  「太陽病,発汗而復下之後,舌上燥渇,日晡所有潮熱,従心下至小腹鞕満,痛不可近者,陥胸湯主之.」
【和訓】  太陽病,発汗して復たこれを下して後,舌上燥きて渇し,(日晡所)潮熱あり,心下より小腹に至って鞕満し,痛んで近づくべからざる者は,陥胸湯これを主る。
【訳文】  太陽病を発汗して,或いはまた陽明病を下して(下剤を与えて)後,なお陽明傷寒(①
(①寒熱脉証 遅 ②寒熱証 潮熱不悪寒 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 不大便) であって,心下より少腹まで硬満し,心下痛,腹痛があって,手を近づけることができない場合には,陥胸湯でこれを治す.【句解】
 日哺所(ニッポショ):午後4時ごろの日暮れ近くをいう.
【解説】  前条では,陥胸湯証の基本証を述べ,本条においては誤治によって陥胸湯証をあらわした場合を述べています.また,この場合の硬満,痛みは心下より少腹までと前条に比べて広範囲にわたっています.


証構成
  範疇 腸熱緊病(陽明傷寒)
 ①寒熱脉証   遅
 ②寒熱証    潮熱不悪寒
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    不大便
 ⑤特異症候
   イ舌上躁
   ロ心下痛
   ハ腹痛
   ニ心下硬満
   ホ少腹硬満(甘遂)



康治本傷寒論の条文(全文)

(コメント)
日晡所の読み
『康治本傷寒論の研究』も『傷寒論再発掘』も日哺所の読みを「じっぽしょ」と書かれているが、
「にっぽしょ」とも読む。「にっぽしょ」の方が一般的と思われる。

『康治本傷寒論解説』では、硬満になっているが、康治本原文は鞕満。
『康治本傷寒論解説』では、少腹になっているが、条文は小腹。