健康情報: 康治本傷寒論 第三十五条 太陽病,発汗而復下之後,心下満鞕痛者,為結胸,但満而不痛者,為痞,半夏瀉心湯主之。

2009年11月9日月曜日

康治本傷寒論 第三十五条 太陽病,発汗而復下之後,心下満鞕痛者,為結胸,但満而不痛者,為痞,半夏瀉心湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽病、発汗而復下之後、①心下満、鞕痛者、為結胸、②但満而不痛者、為痞、半夏瀉心湯、主之。
 [訳] 太陽病、汗を発して而して復たこれを下して後、①心下満し、鞕痛する者は、結胸と為す、②但満して痛まざる者は、痞と為す、半夏瀉心湯、これを主る。

 冒頭の太陽病病云々という表現は、前条の傷寒云々の変証であることを示しているのは、第三二条第三三条の関係と同一である。前条よりも水毒の関与が著しいという形の変証である。
 宋板と康平本では傷寒五六日云々にはじまる長い条文の後半がこの第三五条に相当している。前半は特に議論をする必要のない文章であり、後半は次の点が本条と異なっている。第1段の為結胸の次に大陥胸湯主之という六字が入っている。したがって本文は結胸と痞との鑑別について論じたものという解釈がされている。
 ところが康治本のように処方名が一つしかない場合には、文章の構成から半夏瀉心湯主之は第1段にも第2段にもかかり、病気が二途に分裂して進行するという見方になる。しかも部位は少陽位の温病であるから、第三四条の症状の最初に胸脇満微結があり、終りの方に往来寒熱があることに対応しているので本条も胸脇満微結に関係のある条文であることに気付くのである。このような見方をしないと、第二六条(小柴胡湯)では症状のはじめが往来寒熱、胸脇苦満となっているのに、第三四条(柴胡桂枝乾姜湯)では往来寒熱がずっと後に置かれていることの理由がわからない筈である。
 第1段は心下部(胃部)が満(重苦しい)して鞕(堅い)痛する者は結胸となす、半夏瀉心湯これを主る、ということである。
 満を『解説』三二○頁では膨満と解釈しているが、自覚症状として解釈するのが原文にふさわしい。結胸という名称からもわかるように、また『集成』に「蓋し結胸なる者は内に水気ありて邪熱と為り団結する所、故に鞕満して痛む」とあるように、これは胸部に水毒が蓄積して生じた病気である。『入門』一九六頁に「解剖学的に胸腔の下部と腹腔の上部とは神経支配からいってもリンパ器官の配置からいっても、同じ単位の内にあるから、これら下胸部および上腹部における病変ときに現わす証候を結胸なる名称に結合していることは甚だ合理的である」あるように、結胸自体が心下痛、心下鞕満を示すことは第三二条第三三条にもあった。したがって『漢方診療の実際』の術語解に「結胸証とは心下部が膨隆して石のように硬くて疼痛ある症」とあるように胸脇満を問題にしない見方が間違いであることは明瞭である。また『講義』一八二頁に「陽気内に陥り」て生ずるとしたり、「入門」二一七頁に「気上衝より」、「客気膈を動かし」て生ずるとするのも間違っている。
 第2段に満而不痛とあるのは心下満而不痛であることは勿論であるが、胸脇満微結という症状もあることは第1段と同じである。これを痞と言うのは『集成』に「痞なる者は心気鬱結して交通する能わざるなり。故に唯満して痛まず。水気なき故なり」とあるように気の流通が行なわれないことである。気のつかえである。しかし水飲はないというのではなく、胃内停水は少ないのではないだろうか。
 痞と結胸は水毒の存在する程度に相違があると考えなければならない。『集成』に「其の人、留飲あれば則ち結胸を成し、飲なければ則ち痞を作す」という程簡単に割切ってはいけないと思う。

半夏半升洗、黄連三両、黄芩三両、人参三両、乾姜三両、甘草三両炙、大棗十二枚擘。  右七味、以水一斗煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升、日三服。
 [訳] 半夏半升洗う、黄連三両、黄芩三両、人参三両、乾姜三両炙る、大棗十二枚擘く。  右の七味、水一斗を以て煮て、六升を取り、滓を去り、再び煎じ、三升を取り、一升を温服す、日に三服す。

 『講義』一八三頁には「半夏を以て君薬と為し、能く心下の痞を瀉す、故にこれを半夏瀉心湯と名づく」とし、『入門』二一七頁でも「瀉心は心窩部の膨満なる不愉快な感覚を除去すること」と言い、その他殆んどの書物がこの間違った説を採用している。その問題点は二つある。ひとつは半夏を君薬と見てさしつかえないかということ。もうひとつは瀉心の心を心下と解釈してもよいかということ。
 後者については『集成』だけが次のような正しい解釈をしている。「瀉心の号は諸を心気を輸与(心中を十分に打明けて示す)するに取る。瀉は写と借音して通用す。成無己、方有執の諸人は皆、瀉心は心下の痞を瀉去するの謂と云う。一説にまた心火を瀉するの義と云う。皆正しき義に非ざるなり。いわゆる瀉心とは乃ち心気の鬱結を輸与するの義なり。故を以て瀉心の諸方は皆芩連の苦味なる者を以て主と為す。周礼に謂う所の苦を以て気を養うこと是れなり」と。
 これが瀉心の正しい解釈であり、黄連と黄芩の組合わせを指しており、これは胸部の熱をとる作用をもっている。康治本では黄連、黄芩をつづけて記していてこの関係を一目して理解できるようにしてあるのに対し、宋板と康平本では、半夏、黄芩、乾姜、人参、甘草、黄連、大棗、というように何の関連もないかのようにならべてある。
 前者の問題については、半夏、人参、乾姜、の組合わせを理解しなければならないのである、半夏の半升という用量の多いことと、最初に置いてあることが君薬の証拠であるとするならば、あとで出てくる生姜瀉心湯、甘草瀉心湯にいずれも半夏が半升用いられているのに生姜と甘草がそれぞれ君薬であると言うようになり、処方の意味を正しく解釈することが出来なくなるからである。
 半夏、人参、乾姜からなる処方は金匱要略の婦人妊娠病篇第二十に「妊娠して嘔吐止まざるは乾姜人参半夏丸これを主る」とある。しかしこの処方名は実はおかしい。傷寒論の著者(張仲景ではない)ならば必ずや半夏乾姜人参丸か半夏人参乾姜丸と名付けたであろう。薬物の分量が「乾姜一両、人参一両、半夏二両」となっているからである。金匱要略の嘔吐噦下利病篇第十七にある半夏乾姜散も参考になる。
 即ち半夏瀉心湯は半夏人参乾姜湯と瀉心湯が同じ重さで関与している処方と見ることができる。ちょうど第一条の頭項強痛という句が頭痛と項強の組合わせであったのと同じことが、ここでは処方配列に使われているのである。康治本における薬物の配列は正しくそのようになっているし、処方の意味と使い方から見てもこのふたつの要素が重要であることを示している。
 この処方はわが国では専ら示腸病の治療に使うものとされているが、それならば瀉心湯という表現は似つかわしくないものとなる。私のように解釈するならば、この処方は結胸、即ち肺炎や肋膜炎の初期にも用いることができる。宋板には小結胸病に黄連、半夏、括蔞実からなる小陥胸湯を用いる条文があり、これとの関連を読み取らなければならない。したがって宋板で黄連一両としていることは正しくないことがわかる。また痞には水毒が関与していないという説も正しくないことがわかる。


『傷寒論再発掘』

35 太陽病、発汗而復下之後 心下満 鞕痛者 為結胸 但満而不痛者 為痞 半夏瀉心湯主之。
   (たいようびょう、はっかんしてまたこれをくだしてのち、しんかまんし、こうつうするものは、けっきょうとなす、ただまんしていたまざるものは、ひとなす、はんげしゃしんとうこれをつかさどる。)
   (太陽病で、発汗させ、更にまたこれを瀉下させたりしたあと、心下が満して、かたく張り、痛むものは、結胸であり、ただ満して痛まないものは、痞である。このようなものは、半夏瀉心湯がこれを改善するのに最適である。)
 この条文は、太陽病であったものを発汗や瀉下したあた、まだ陽病の状態であるもののうち、半夏瀉心湯の適応する病態について述べた条文です。
 「結胸」の状態を改善するのは、既に条文第32条および第33条で述べた陥胸湯が良い筈ですので、この条文で述べた「痞」の状態を改善するのは半夏瀉心湯が良いのである、ということになるのでしょう。
 「心下満」とは、胃部あるいは心窩部に何かものが満ちているような重苦しい感じがすることを言うのであると思われます。
 現在、半夏瀉心湯は色々な胃腸の症状があって陽病の状態で、心窩部に何かものがつかえているような病態(痞)に対して、使用されて、しばしば有効のようです。いかにも心下の痞を瀉すというのにふさわしい作用をもっているように思われます。
 「康治本傷寒論」で「瀉心湯」の名のついたものは、半夏瀉心湯、甘草瀉心湯、生姜瀉心湯の3種があり、それらの湯の生薬配列を見ますと、それぞれ、半夏+(黄連黄芩)、甘草+(黄連黄芩)、生姜+(黄連黄芩)となっていますので、(黄連黄芩)の組み合わせが、(瀉心)の名に対応するものであることが明白です。従って、この「原始傷寒論」を書いた人は、(黄連黄芩)基が(瀉心)の作用を持っていると認識していたことになります。
 これに対して、もっと時代が後になって出来たと思われる「宋板傷寒論」や「康平傷寒論」では、こういう認識が全く欠落してしまっています。その為、生薬配列が全く勝手に書き直されてしまっているのです。その度合のひどさ(法則性のなさ)は誠に呆れ返るほどのものです。この点に関しては、各自が是非一度、調べてみるとよいでしょう。

35' 半夏半升洗 黄連三両、黄芩三両、人参三両、乾姜三両、甘草三両炙、大棗十二枚擘。
   右七味、以水一斗煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升 日三服。
   (はんげはんしょうあらう、おうれんさんりょう、おうごんさんりょう、にんじんさんりょう、かんきょうさんりょう、かんぞうさんりょうあぶる、たいそうじゅうろうまいつんざく。みぎななみ、みずいっとをもってにて、ろくしょうをとり、かすをさり、ふたたびせんじ、さんじょうをとり、いっしょうをおんぷくす。ひにさんぷくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章11項で考察した如くです。すなわち、黄芩加半夏生姜湯の生薬配列(黄芩芍薬甘草大棗半夏生姜)に「黄連」を加え、芍薬を人参に代え(これは小柴胡湯をつくる時と同じですが)ますと、生姜瀉心湯の生薬構成が得られます。ここで生姜四両を乾姜三両に代えて、生薬の位置を若干ずらせば、半夏瀉心湯の生薬配列になるのです。生姜の乾噫食臭を改善する働きよりも、乾姜の下痢を改善する働きをより多く期待し、瀉心湯(黄連黄芩基)のうちでも(人参乾姜)の特殊な作用を期待したので、黄連黄芩のあとに人参乾姜を配置したのでしょう。そして更に半夏の特殊作用を強調した瀉心湯という意味で、瀉心湯基(黄連黄芩)の前に、半夏をもってきたわけです。従って、生薬配列は、半夏黄連黄芩人参乾姜甘草大棗となるわけです。
 この半夏瀉心湯は後に出てくる甘草瀉心湯の基礎になっているものですが、これら3種の瀉心湯の共通の基礎は黄芩加半夏生姜湯です。この黄芩加半夏生姜湯に「柴胡」が追加されて、「柴胡湯類」が形成され、「黄連」が追加されて、「瀉心湯類」が形成されてきたわけです。このように湯の発生を系統的に、法則的に把握することが出来るようになったのも、「原始傷寒論」があったればこそです。「傷寒論の形成過程」の謎の中心的な部分を知るためには、やはり、必要欠くべからざる貴重な書物であったことになります。


『康治本傷寒論解説』
第35条
【原文】  「太陽病,発汗而復下之後,心下満硬痛者,為結胸,但満而不痛者,為痞,半夏瀉心湯主之.」
【和訓】  太陽病,発汗してまたこれを下して後,(心下満し硬痛者は) (結胸と為す).ただ満して痛まざる者は(痞となす),半夏瀉心湯これを主る.
【訳 文】  太陽病を発汗し,或いはまた陽明病を下して後,,少陽の中風(①寒熱脉証 緩 ②寒熱証 往来寒熱 ③緩緊脉証 緩 ④緩緊証 小便自利) となって,ただ心下満して痛まない(心下痞)場合は,半夏瀉心湯でこれを治す.
【解説】  結胸証と痞証との鑑別を相対的にみて「痛」と「不痛」という軽重の差で論じています.
【処方】  半夏半升洗,黄連三両,黄芩三両,人参三両,乾姜三両,甘草三両炙,大棗十二枚擘, 右七味,以水一斗煮取六升,去滓再煎,取三升温服一升日三服.
【和訓】  半夏半升を洗い,黄連三両,黄芩三両,人参三両,乾姜三両,甘草三両を炙り,大棗十二枚擘く,右七味,水一斗をもって煮て六升を取り,滓を去って再煎して,三升を取り一升を温服すること日に三服す.


証構成
  範疇 胸熱緩病(少陽中風)
 ①寒熱脉証   弦
 ②寒熱証    往来寒熱
 ③緩緊脉証   緩
 ④緩緊証    小便自利
 ⑤特異症候
   イ心下痞(黄芩)
   ロ頭汗出(小便不利)
   ハ渇(栝楼根)
   ニ心煩(牡蛎)



康治本傷寒論の条文(全文)

(コメント)
『康治本傷寒論解説』にて「心下満硬痛者」等、「硬」の字が使われているが、
原文である『康治本傷寒論標註 』(戸上重較)では、「鞕」が使われている。