健康情報: 康治本傷寒論 第三十六条 太陽中風,下利,嘔逆,発作有時,頭痛,心下痞鞕満,引脇下痛,乾嘔,短気,汗出不悪寒者,表解裏未和也,十棗湯主之。

2009年11月12日木曜日

康治本傷寒論 第三十六条 太陽中風,下利,嘔逆,発作有時,頭痛,心下痞鞕満,引脇下痛,乾嘔,短気,汗出不悪寒者,表解裏未和也,十棗湯主之。

『康治本傷寒論の研究』
太陽中風、下利嘔逆、発作有時、頭痛、心下痞、鞕満、引脇下痛、乾嘔、短気、汗出、不悪寒者、表解、裏未和也、十棗湯、主之。
 [訳] 太陽の中風、下利、嘔逆し、発作時あり、頭痛し、心下痞し、鞕満して、脇下に引いて痛み、乾嘔し、短気し、汗出で、悪寒せざる者は、表解して、裏いまだ和せざるなり、十棗湯、これを主る。

 この条文は結胸や痞と同じような症状を呈した場合のことであるが、中風系列で病気が進行した時にも、水毒が多いときには同じ症状となることを示したものである。
 はじめの太陽中風、下利嘔逆だけを見ると、これは太陽病の激症で陽明位に反射的に影響を与えて下利を生ぜしめた太陽与陽明合病であるように考えられる。第一三条の「太陽と陽明との合病なる者は必ず自ら下利す、葛根湯これを主る、」と第一四条の「太陽と陽明との合病にして下利せず但嘔する者は葛根加半夏湯これを主る、」を思い出させるが、これは太陽傷寒の激症であることは前に説明した。したがって本文は太陽中風の激症のように見えるが、その次に発作有時という句があり、発作は広辞苑に「病気の症状が急激に発し、比較的短い時間に去ること」とあるように、下利嘔逆の発作が時々起るという意味になるから、これは太陽与陽明合病とはちがうというわけである。しかし何が原因になってこの合病に似た症状が生じたかはまだわからない。そこで他の症状について考察をめぐらすことが以下に続くわけである。
 ところが宋板では下利嘔逆の下に「表解する者は乃ちこれを攻むべし、其の人は漐漐とし汗出づ」の一三字があり、康平本では「其の人は漐漐として汗出づ」の六字がある。そこで次の発作有時が下利嘔逆に続かなくなり、『解説』三二一頁では「もしその人が発作的に熱が出て」とし、『入門』二二○頁では「発作時あり、は一定時に発熱することと」とし、『集成』では医宗金鑑の説を引用して発作は発熱に改めるべきであると論じている。「発作時ありとは固より発熱を以てこれを言う。所謂続得寒熱、発作有時、および煩躁発作有時は皆是れなり。故に冠するに漐漐汗出の四字を以てす。漐漐は即ち熱汗の貌なり、桂枝湯条の下に謂う所の温覆すること一時許りならしめ、通身漐漐なる者を見るべし。豈熱なきを言うことを得んや、」と。『講義』一八六頁では「此の発作有時は、発熱有時は、発熱および汗出で、頭痛するに係り、」というように後の句にも係るとしている。浅田宗伯も『傷寒論識』で「汗出と頭痛とは太陽中風の証たりと雖も、唯だその発作時ありを以て、大いにその位を異にす。故に其人と曰いて以て更端するなり。蓋し発作有時とは汗出、頭痛の休作あるを言うに非ずして熱を以てこれを言う。汗出、頭痛も亦これに随うものなり、」というように文法的に正確に読むことなど意に介していない解釈をしている。
 宋板には発作有時の句をもつ条文は他に二条ある。

     病人、不大便五六日、繞臍痛、煩躁、発作有時者、此有燥屎、故使不大便也。
     婦人中風七八日、続得寒熱、発作有時、経水適断者、此為熱入血室、其血必結、故使如瘧状、発作有時、小柴胡湯主之。

 いずれも前の句をうけてその発作有時と解釈していて、後の句に続けて解釈することは決してしていない。また発作を発熱と解釈することもしていない。第三六条の時だけ特別な解釈をすることは不思議というほかない。これは註文を本目と見做したところから生じた混乱であるから、康治本が最も正しい文章を伝えているひとつの証拠になる。
 また、中風を軽病と解釈することが通説であり、『解説』では「太陽の中風であるからその邪は経微であるが、平素から裏に水飲の証ある人は、中風の外邪のために水飲が動かされて下利、嘔逆を起こすようになった」とし、『講義』でも同じ解釈をしているが、軽微な外邪が重病になりうるとしたならば、傷寒論では傷寒と中風という区別は本来不要なものになりはしないだろうか。『講義』では表解者、乃可攻之、を「表解せざるにこれを攻むれば、中風の緩証と雖も其の変測り難し」と説明しているが、これを攻めなくても、中風の緩証と雖も其の変測り難し、という解釈をしていることに気がつかないのであろうか。
 頭痛し、心下痞し、鞕満して、脇下(脇腹)に引いて痛み、乾嘔し、短気(呼吸の間隔が短いこと、呼吸促迫)し、汗出で、悪寒せず、という諸症状はさきの結胸の条文における症状と同じであるから、胸腹部に存在する水毒によって生じたものと判断できるし、さらに下利嘔逆の発作時ありという状態もそれで納得できる症状であることを「裏いまだ和せず」と表現したのである。
 この激症は水毒を一挙に排除しなければならないから陥胸湯の使用も考えられるが、第三二条のような熱実という条件もないし、第三三条のような小腹鞕満という条件もないので、大黄という取腸性下剤を用いず、小腸性下剤だけで処理するために十棗湯を使用することになる。そしてこのような峻下剤を使用するのだから表証のないことを確認しておかなければならない。頭痛、汗出という症状の存在が表証とまぎらわしいが、脈によってそれが表証でないことを知りうる。そのことを「表解して」と表現したのである。

大棗十枚擘、芫花熬末、甘遂末、大戟末。
右四味、以水一升半、先煮大棗、取一升、去滓、内諸薬末等分一両、温服之。

 [訳] 大棗十枚擘く、芫花熬り末とす、甘遂末とす、大戟末とす。
右の四味、水一升半を以て、先ず大棗を煮て、一升を取り、滓を去り、諸薬の末の等分一両を内れ、これを温服す。


 大棗の一○箇が主薬の形式をとり、十棗湯という処方名につかわれているので、大棗は利尿剤として使われているという説があるが、多くの処方では一二枚使用されているから、この処方では恐らく胃を保護する位の役割りしかもっていないと見てよいであろう。他の三種の薬物を粉末として沪液の中に入れ、かきまぜて服用する形をとっているのは、有効成分が水に不溶な物質であるからである。中国の薬物の分類ではこの三種は瀉下薬ではなく、逐水薬に入れている。


『傷寒論再発掘』
36 太陽中風、下利嘔逆 発作有時、頭痛、心下痞 鞕満、引脇下痛、乾嘔、短気、汗出、不悪寒者 表解 裏未和也 十棗湯主之。
   (たいようちゅうふう げりおうぎゃく ほっさときにあり、ずつうし しんかひし、こうまんし、きょうかにひいていたみ、かんおう、たんき、あせいで おかんせざるもの、ひようかいし、りいまだわせざるなり、じゅっそうとうこれをつかさどる。) 
   (太陽の中風で、下痢や嘔吐が時々おこる病態のうち、頭痛し、心下がつかえ、かたくはった感じがして、脇腹に痛みがおよんで、からえずきし、呼吸は促迫し、汗は出る状態でも、悪寒しないような者は、表は解して、裏がまだ和していない状態なのである。このようなものは、十棗湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は陽病の状態で、胸部に異常な水分がたまり種々の異和状態を呈する病態を、主として胃腸管より水分を急激に排除することによって改善していくような対応策を述べたもののうちの一つです。既に述べた「陥胸湯」がこれと同様な対応策の薬方です。
 この十棗湯を使用すべき状態は、陥胸湯の時と、症状として似た部分もありますが、陥胸湯の時は、「熱実」や「心下より小腹に至るまで鞕満」などの症状があり、「下痢嘔逆』などはない病態ですので、明らかに異なった病態と言えるでしょう。
 嘔逆とは嘔吐のかなり強いもので、いかにも何か悪いものが飲食物の通過方向とは逆に、下から上につきあがってくる感じの状態を表現したものと思われます。

36' 大棗十枚擘、芫花熬末、甘遂末、大戟末。
右四味、以水一升半、先煮大棗、取一升、去滓、内諸薬末等分一両、温服之。
   (たいそうじゅうまいつんざく、げんかいりてまつとし、かんついをまつとし、たいげきをまつとす。みぎよんみ、みずいっしょうはんをもって、まずたいそうをにて、いっしょうをとり、かすをさり、しょやくのまつのとうぶんいちりょうをいれ、これをおんぷくす。)

 大棗の十枚(十個)をつんざいて、それの煎じ汁で、その他の薬物の末を服用するため、十棗湯と名づけられたわけです。「枚」というのは、小さくて円形のものを数えるときに使用する助数詞です。普通は十二枚を使用しますが、十枚は少しすくない感じです。これは、この煎液を異和状態を改善する為に使用するのではなく、むしろ、その他の生薬の粉末を服用する為に使用しているのであり、せいぜい、胃腸の保護作用か、その他の生薬末の瀉下作用を若干おさえる作用が期待されているのではないかと推定されます。
 この湯の形成過程は既に第13関8項で考察した如くです。すなわち芫花や甘遂や大戟などの生薬の瀉下作用が、それぞれ単独に知られていって、はじめは、芫花の末だけを服用していたのに、その他のものが次々と試みられ、追加されていったのではないかということです。これらの粉末は一緒に煎じられるわけではありませんので、生薬間の密接な相互作用は余り期待出来ないわけです。多分、瀉下作用という共通の作用が求められて、追加されていったのだと思われます。
 これに関連して、若干、興味あることは、「金匱要略」の中に、葶藶大棗瀉肺湯という薬方があることです。これは大棗の煎液をまず作っておいて、そこに葶藶という瀉下作用をもった生薬を入れて煎じ、それを服用するのですが、「肺癰」やその他、胸部に水分が異常にたまって呼吸も苦しくなっているような病態を改善していく作用があるようです。胸部の異常な水分を排除するのに、利尿という作用もあるでしょうが、多分、胃腸管を通じての瀉下作用も、大いに役立っているのではないかと推定されます。
 胸部にたまった異常な水分を胃腸管を通じて排除していく場合、このように瀉下作用を持った生薬を大棗と共に使う時(十棗湯、葶藶大棗瀉肺湯)と大黄と共に使う時(陥胸湯)とがあることになります。大棗と大黄とはともに、下方反応に最も密接に関連する生薬(下方剤)ですが、その基本作用は全く正反対なので(第16章5項、第16章6項参照)、それだけ余計に興味深く感じられます。

『康治本傷寒論解説』
第36条
【原文】  「太陽中風,下利,嘔逆,発作有時,頭痛,心下痞硬満,引脇下痛,乾嘔,短気,汗出、悪寒者,表解裏未和也,十棗湯主之.」
【和訓】  太陽(中風),(下利)嘔逆し,発作時あり,頭痛,心下痞硬満し,(脇下に引いて)痛み,乾嘔短気し,汗出でて,悪寒する者は, (表解し裏未だ和せざるなり) 十棗湯これを主る.
【訳 文】  太陽病を発汗して後,陽明の傷寒(①寒熱脉証 遅 ②寒熱証 潮熱不悪寒 ③緩緊脉証 緊 ④緩緊証 不大便) となって,嘔逆し,頭痛,心下痞硬し,心下痛み,乾嘔短気し,汗が出て悪寒する者は,十棗湯でこれを治す.
【解説】  十棗湯は,南方神の朱雀より命名されて朱雀湯ともいわれ,吐剤(上部腸管に作用する薬方)の原方であります.第32条33条で出てきた陥胸湯はこの十棗湯の変方であります。
【処方】  大棗十枚擘,芫花熬末,甘遂末,大戟末,右四味,以水一升半,先煮大棗取一升,去滓内諸薬末等分一両温服之.
【和訓】  大棗十枚擘き,芫花末炒り,甘遂末,大戟末,右四味,水一升半をもって,先ず大棗を煮て一升を取り,滓を去って諸薬末等分を入れて一両之を温服す.
【句解】
 熬(ゴウ):火にかざして炒り,水分を取り去ること.

証構成
  範疇 腸熱緊病(陽明傷寒)
 ①寒熱脉証   遅
 ②寒熱証    潮熱不悪寒
 ③緩緊脉証   緊
 ④緩緊証    不大便
 ⑤特異症候
   イ嘔逆乾嘔(小便不利)
   ロ頭痛(小便不利)
   ハ心下痞硬
   ニ心下痛(甘遂)
   ホ短気(小便不利)
   へ汗出(小便不利)



康治本傷寒論の条文(全文)


(コメント)
『康治本傷寒論解説』にて「心下痞鞕満」等で、「硬」の字が使われているが、
原文である『康治本傷寒論標註 』(戸上重較)では、「鞕」が使われている。

『康治本傷寒論解説』では、「~汗出,悪寒者~」となっているが、
原文である『康治本傷寒論標註 』(戸上重較)では、「汗出不悪寒者」と「不」がある。