健康情報: 康治本傷寒論 第三十七条 傷寒汗出,解之後,胃中不和,心下痞鞕,乾噫食臭,脇下有水気,腹中雷鳴,下利者,生姜瀉心湯主之。 

2009年11月29日日曜日

康治本傷寒論 第三十七条 傷寒汗出,解之後,胃中不和,心下痞鞕,乾噫食臭,脇下有水気,腹中雷鳴,下利者,生姜瀉心湯主之。 

『康治本傷寒論の研究』
傷寒、汗出解之後、胃中不和、心下痞鞕、乾噫食臭、脇下有水気、腹中雷鳴下利者、生姜瀉心湯、主之。

 [訳] 傷寒、汗出でて解するの後、胃中和せず、心下痞鞕し、食臭を乾噫し、脇下に水気ありて、腹中雷鳴下利する者は、生姜瀉心湯、これを主る。

 冒頭の傷寒は広義にとってよいことは第三八条の冒頭が傷寒中風となっていることでわかる。汗出解之後は太陽病の状態であったから発汗剤で治癒させたが、その人は平素水素を持っていたので(このことはこれ以後に述べてある症状からわかる)、それが影響を受けて今までと違う症状がわらわれたという意味である。
 胃中不和は、『講義』一九二頁では「消化の機能衰えて、飲食物停滞するを謂う」とあるが、胃内停水も生じていることが重要である。胃気不和でなく胃中不和と表現し、さらに『集成』では胃中不和は後の脇下有水気と互文をなしているから、胃中にも亦水気があるのだと説明している。
 その次の心下痞鞕乾噫食臭は胃中不和によって起きた症状である。心下即ち胃の部分はつかえて堅くなり、食べた物の異常発酵したくさいおくび(げっぷ)を出す意である。噫は酸苦水を吐出することと解釈する人もいるが、ああと嘆じ、痛む声が原義であるから、単なるおくびに解した方がよい。乾はかわいたという意味だから酸苦水を出さないのだという説もあるが、むしろ強いという意味にとった方がよい。食臭は食べた物のにおい、または飽食の気と解す人もいるが、むしろ異常発酵した、くさい、嫌なにおいと解する方が実際的である。方有執は[卵+段]気(卵のくさったにおい)と解している。これが良い。
 脇下有水気は脇下(脇腹)に水気(水飲)があるという単純な意味でなく、平素から水気をもっているという意味にとるべきである。その水気が食べた物と一緒になって腸管を移動してゴロゴロと腹鳴を起こして下痢をすることを腹中雷鳴下利と表現したのである。
 この時に生姜瀉心湯を与えるとあるが、腹中雷鳴下利と表現してあればそれだけでも腹部の消化管に水気のあることがわかるのに、何故にその前に脇下有水気という句を置いてあるかを考察する必要がある。『集成』で胃中と脇下が互文をなしているという見方をしていることは、この条文が二段に分かれていることを示している。即ち胃中不和に生姜瀉心湯を用いてもよく、脇下有水気に生姜瀉心湯を用いてもよいのである。『解説』三二七頁に臨床上は「下痢は必発の症状ではない。胃腸炎、胃酸過多症などに用いる機会がある、」と述べているのはそのことにほかならない。『講義』一九三頁に「脇下、胃中は唯文を互にせるのみ。其の実は皆広く消化管内を謂う、」と説明しているのは、ただ解釈をしたというにとどまる見解というべきである。

生姜四両切、黄連三両、黄芩三両、人参三両、甘草三両、大棗十二枚擘、半夏半升洗。
右七味、以水一斗煮、取六升、去滓、再煎、取三升、温服一升、日三服。
 [訳]生姜四両切る、黄芩三両、人参三両、甘草三両、大棗十二枚擘く、半夏半升洗う。右の七味、水一斗を以て煮て、六升を取り、滓を去り、再び煎じ、三升を取り、一升を温服し、日に三服す。

 本方は形式上は生姜が主薬のように見えるが、半夏瀉心湯の場合と同じように、生姜半夏人参湯とも称すべき組合わせと瀉心湯の組合わせが同じ重さで配合された処方と見るべきである。一般に主薬の座を追われた薬物は用量が少なくなるのに、半夏は依然として半升であるのは、今尚主薬の座を分け持っていると考えなければ説明がつかない。即ち半夏瀉心湯を使用してもよいのだが、胃中の熱のためにくさいおくびが出るのだから、乾姜を生姜に代えた方が一層適しているのである。金匱要略の嘔吐噦下利病篇第十七の生姜半夏に、胃弱のために人参を加えたものと見做すことができる。
 瀉心湯を構成する黄連と黄芩は、ここでは心(胸中)の熱をとることには関係せず、胃の熱をとり、下痢をなおすことに役立っている。半夏瀉心湯が胃腸の病気に広く利用されるゆえんである。
 宋板と康平本では黄連三両が一両となっているし、乾姜一両が加わって全部で八味となっている。ここでは胸熱を除く必要がないから黄連は一両でもよいし、要するに大勢には影響のないものと見てよい。



『傷寒論再発掘』
37 傷寒、汗出解之後 胃中不和 心下痞鞕 乾噫食臭、脇下有水気 腹中雷鳴 下利者 生姜瀉心湯主之。
   (しょうかん あせいでこれをかいしてのち いちゅうわせず、しんかひこうし、しょくしゅうをかんあいし、きょうかすいきあり、ふくちゅうらいめいし、げりするもの、しょうきょうしゃしんとうこれをつかさどる。)
   (傷寒で、異和状態を発汗により治癒させたあと、胃に異和状態が生じ、心下は痞鞕し、食臭を乾噫し、脇下に水気があって、腹鳴し、下痢するようなものは、生姜瀉心湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文は、陽病を発汗して改善したあとに、胃腸に異和状態が生じた時、それを改善していく一つの対応策を述べたものです。
 傷寒というのはこの場合、「病にかかって」というほどの軽い意味です。第18章11項を参照して下さい。
 心下痞硬とは、心下部に自覚的に「つかえる」感じがして、他覚的に「かたい」感じのある状態です。
 食臭とは、食べた物の異常発酵したにおいのことです。
 乾噫とは、おくび(げっぷ)のことです。ここでは乾噫食臭とつづけて、食べた物の異常発酵したにおいを、げっぷとして出すという意味になるでしょう。
 脇下有水気は、このあとにくる腹中雷鳴、下痢という具体的な症状に対して、脇下(脇腹)に水分が異常にあるからであると、その原因の説明をしているわけです。
 発汗後の異和状態のみならず、とにかく、口の方にものがあがってきそうな状態や下痢するような病態に対して、それらを改善していく作用が生姜瀉心湯にはあるようです。

37' 生姜四両切、黄連三両、黄芩三両、人参三両、甘草三両、大棗十二枚擘、半夏半升洗。
   右七味、以水一斗煮、取六升、去滓 再煎、取三升 温服一升 日三服。
   (しょうきょうよんりょうきる、おうれんさんりょう、おうごんさんりょう、にんじんさんりょう、かんぞうさんりょう たいそうじゅうにまいつんざく、はんげはんしょうあらう。みぎななみ、みずいっとをもってにて、ろくしょうをとり、かすをさり、ふたたびせんじて、さんじょうをとり、いっしょうをおんぷくし、ひにさんぷくす。)

 この薬方の形成過程は既に第13章11項で述べた如くです。すなわち、黄芩加半夏生姜湯の生薬配列(黄芩芍薬甘草大棗半夏生姜)に黄連を加え、芍薬を人参に代えれば(小柴胡湯をつくる時と同じく)、生姜瀉心湯の生薬構成が得られます。そして、「生姜」の働きを強調して、その特徴を明確にして瀉心湯にするため、生薬配列の最後にある「生姜」を最初にもっていき、生薬配列を完成しているわけです。したがって湯名も「生姜」+「瀉心(黄連・黄芩)」をとって、生姜瀉心湯としているわけです。きちんと法則的に出来ていると言ってよいでしょう。
 「一般の傷寒論」や「康平傷寒論」などでは、乾姜が一両存在する生薬構成になっています。湯の形成過程を生薬配列の解析から法則的に求めていく立場からすれば、乾姜一両など入らない方が法則的であるように思われます。乾姜がしかも一両だけ入らねばならない理由は全くないわけですし、さらに、乾姜がない方が、黄芩加半夏生姜湯から、小柴胡湯をつくり出すのと同じように最小の変化でつくり出せるからです。あえて乾姜を入れた理由を推定すれば、「宋板傷寒論」をつくった人が、半夏瀉心湯や甘草瀉心湯に乾姜が存在するのを見て、生姜瀉心湯にも乾姜が存在する筈であると考えて、入れたのであろうと思われます。しかも、生姜がすでに四両も入っているので、乾姜を三両入れては多すぎると考えて、一両にしたのではないかと思われます。
 半夏瀉心湯や甘草瀉心湯などは、この生姜瀉心湯からつくり出されたものと思われます。なぜなら、それらを黄芩加半夏生姜湯からつくり出すには、生姜をさらに乾姜に代えねばなりませんので、変化としては更に大きくなるわけです。試行錯誤を通じて湯が形成されていく場合、最小の変化のもの(生姜瀉心湯)が先行していたと考えた方が自然であり、妥当であると思われるからです。また、そうであるとすれば、乾姜一両の追加は後の時代の「作為」であることがますます明瞭になってきます。「宋板傷寒論」にあるこういう「作為」の部分までが、「康平傷寒論」に出ているとなると、「康平傷寒論」は「宋板傷寒論」を手本にしているという疑いが、ますます濃くなるわけです。
 何故に半夏瀉心湯の方が生姜瀉心湯よりも条文として先に出てしまったのか考えてみますと、「結胸」との関係で、半夏瀉心湯の方が密接であったことが一つの原因であり、また、この「康治本傷寒論」では、湯の形成過程を説明するのが目的ではなく、病態の流れとそれに対する改善の仕方を論じるのが目的と思われますので、その方向で伝来の条文群が編集されているからでもある、と推定されます。また、このような観点からみると、柴胡湯類や瀉心湯類の条文が終ってから、それらの湯の源泉となっている黄芩湯や黄芩加半夏生姜湯の条文(第40条)が出てくることも十分に納得されます。




康治本傷寒論の条文(全文)

(コメント)
なんとなく、半夏瀉心湯がもとになって、生姜瀉心湯や甘草瀉心湯ができたと思っていたので、『傷寒論再発掘』で、生姜瀉心湯がもとになって半夏瀉心湯ができたという説は、びっくりしました。
ただ、実際上は、半夏瀉心湯と生姜瀉心湯は、効能の重なる所が多く、たいていは半夏瀉心湯で間に合うようです。
ですので、エキス剤を利用する場合などで、在庫の関係でどちらかしか持てないような時は、通常は半夏瀉心湯だけを持っておいて、生姜瀉心湯でなければならないような時には、それに生姜を足すというのが実際的です。

なお、生姜瀉心湯でなければならないような時に使う生姜は、日局のショウキョウ、つまりいわゆる干生姜(かんしょうきょう)ではなく、生(なま)のショウガである必要があります。
ですので、半夏瀉心湯に生姜をプラスして生姜瀉心湯の代用にする場合は、ショウガを八百屋などて買ってきて、それをすりおろして、半夏瀉心湯を溶かした液にプラスした方が良いようです。

半夏瀉心湯がなぜ生姜でなく乾姜であるのか? 不明