健康情報: 康治本傷寒論 第五十八条 少陰病,下利,白通湯主之。

2010年6月23日水曜日

康治本傷寒論 第五十八条 少陰病,下利,白通湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、下利、白通湯、主之。

 [訳] 少陰病、下利する者は、白通湯、これを主る。

 この条文も前と同じように下利の次に脈沈者という句を入れると意味がはっきりする。
 宋板、康平本ではこの条文の次に「少陰病、下利、脈微者、白通湯、云々」という条文があるから、『集成』では「下条に由ってこれを考えれば、此の条は下利の下に脈微者の三字を脱せり」という。この脈微について、『解説』四三七頁では「脈がわかりにくいほどかすかにうつもの」とし、『入門』三九○頁でも「微脈は心臓搏動の力が衰弱したときに現われるので、有るが如く、無きが如き脈である」というように、衰弱の程度を強調した解釈は正しくない。第五一条の少陰之為病、脈微細の脈微であり、第四三条(白虎加人参湯)の背悪寒の微はほとんどわかりにくいほどかすかな悪寒ではないように、弱いが確実に搏動がわかるものでなければ少陰病とは言わない筈である。私が脈沈と言うのはそういう意味である。
 裏寒がもとになっていて、その寒邪が胃をはじめとする内位を冷やした時に下利という症状が起るのである。『講義』三六六頁に「蓋しこの下利は陰寒恣に裏(消化管)を侵し、精気閉塞するの致す所」というのは誇大にすぎる。『傷寒論講義』(成都中医学院主編)一七八頁に「これ陰寒盛んにして陽気虚し、腎火は衰微して水を制すること能わずして致す所」という程度に解釈するほうがよい。


葱白四茎、乾姜一両半、附子一枚生用去皮破八片。
右三味、以水三升煮、取一升二合、去滓、分温再服。

 [訳] 葱白四茎、乾姜一両半、附子一枚生用うるには皮を去り八片に破る。
右の三味、水三升を以て煮て、一升二合を取り、滓を去り、分けて温めて再服す。

 乾姜の量は康治本、貞元本、永源寺本は一両半、宋板、康平本は一両となっている。
 主薬の葱白(ネギの偽茎の白い部分)は寒をちらし、血行障害と下利を治す作用をもつ。乾姜と附子の組合わせは温めて陰症を治す。毒性の甚だ強い生附子を用いているのは、それによる中毒症状を緩解する作用をもつ乾姜を配合しているからである。
 処方名の白通に二説がある。
①『集成』には「白通は人尿の別称、此の方は人尿を以て主と為す。故に白通湯と云うなり。後漢書の載就伝に云う、就を覆船の下に臥し、馬通を以てこれを薫ずと。註に馬通は馬の矢(糞)なりと云う。……此れに由ってこれを考えらば通は乃ち大便の別称、今加うるに一つの白の字を以てするは其れ小便たるを示すなり」という。そして病人に人尿を使用していることをかくすために白通と称したという。事実宋板と康平本の白通加猪胆汁湯という処方には人尿五合を用いている。
②『解説』四三八頁には「白通は葱白のことである。山田正珍や山田業広は白通を人尿にあてているが、私はこれを葱白とする説に賛成である」という。『集成』に「方有執、程応旄の諸人は皆云う。葱白を用いて白通と曰う者は其の陽を通ずれば則ち陰自ら消えればなりと。果して其の言の如くなれば則ち橘皮を直ちに皮と書いて可なるか。杏仁は単に仁と曰いて可なるか、大い笑うべし」という。
①の説が正しいであろう。

『傷寒論再発掘』
58 少陰病、下利者 白通湯主之。   (しょういんびょう げりするもの びゃくつうとうこれをつかさどる)
   (少陰病で、下痢する者は甘草湯がこれを改善するのに最適である。)

 この条文をそのまま漫然と読んでいきますと少陰病であって、下痢するものはどんなものでも、白通湯が良いのであるというように解釈してしまう可能性がありますが、現実の問題として、そのように解釈するのは当然おかしいと思われます。むしろ、「下痢」以外に症状としては何も書いていないという点から考えて見ますと、下痢が主体であって、その他に特別な症状のないような状態で、体力がかなり減退しているような基本病態(少陰病)には、白通湯が良いのである、と解釈した方が良いように思われます。
 白通 というのは何かということについて、それは「人尿」であるという説と、「葱白(ネギの偽茎の白い部分)」であるという説とがあるようですが、筆者は葱白で良いと思っています。その理由は以下の如くです。
 1.湯の命名法の原則から言えば、白通が人尿であると言うためには、生薬配列の最初に人尿がきていなければなりませんが、それがありません。脱落しているのであるとすれば、それを証明しなければなりません。それも不可能です。
 2.葱白の白をとって、白通の白にしているとすれば、湯の命名法の原則に反しないことになります。ただしこの場合は、生薬名と下半分のみを湯名に採用していることになりますが、こんな事が許されるものかどうかということが問題になります。そこで、この「原始傷寒論」を調べあげてみましたところ、許されることが判明しました。すなわち、梔子豉湯を見てみますと、香豉という生薬のうち、その下半分の「豉」だけが生薬名に採用されているのです。
 3.白通の「通」がいかなる意味が中々むずかしいことですが、馬通が馬の矢(糞)のことであり、通が大便の別称であるとすれば、白通湯というのは、葱白という生薬の使用を特徴として、大便の通利を改善する湯というような意味の薬方ということになります。茯苓四逆湯や半夏瀉心湯などに似て上半分が生薬名、下半分が機能表示名という薬方であることになります。

56’ 葱白四茎 乾姜一両半 附子一枚生用 去皮破八片。
   右三味、以水三升煮 取一升二合 去滓 分温再服。
   (そうはくよんけい かんきょういちりょうはん ぶしいちまいしょうよう かわをさりはっぺんにやぶる。
    みぎさんみ、みずさんじょうをもってにて いっしょうにごうをとり かすをさり わかちあたためてさいふくす。)

 この湯の形成過程は既に第13章16項で述べた如くです。すなわち、乾姜附子湯に葱白の特殊作用を期待してつくられたのであると思われます。血管内水分の激減を改善する基本作用と下痢などを改善する局所作用をもっている 乾姜 (第16章25項参照)と強力な「水分の体内への保持作用」という基本作用と下痢などを改善する局所作用をもっている 附子 (第16章17項参照)との配合である 乾姜附子湯 には、かなり強力な「体内水分保持作用」と「下痢改善作用」のあることが推定されます。その上に葱白が使用されていて、「少陰病での下痢の改善」に活用されているのです。多分、古代人は何らかの機会に、葱白 が下痢の改善に有効であることを知ったのであり、それがこの白通湯の形成に利用されたのであると推定されます。
 「原始傷寒論」では、附子 が生のまま使用される時には必ず乾姜が一緒に使用されています。誠に興味あることです。桂枝加附子湯や真武湯など生姜を含むものも、芍薬甘草附子湯や附子湯の如く生姜を含まないものでも、附子は生でなく炮じられてから使用されています。どうしてこのような差があるのでしょうか。乾姜には生附子の中毒症状を緩解する作用があるからであると信じている人もいるようですが、これは少し単純すぎる感じがします。実証されるまではその結論を保留するとして、もっと他に説明はないものでしょうか。
 一番はじめに乾姜附子湯が創製された時、生附子が用いられ、その後、乾姜附子湯を基本にして、白通湯も四逆湯も通脈四逆湯も茯苓四逆湯も形成されていったからである、というのが筆者の考えている説明です。湯の形成過程から考えた方が多分、正しいでしょう。

康治本傷寒 論の条文(全文)

【コメント】
恣に ほしいままに