健康情報: 康治本傷寒論 第六十条 少陰病,下利清穀,裏寒外熱,手足厥逆,脈微欲絶,身反不悪寒,其人面赤色,或腹痛,或乾嘔,或咽痛,或利止,脈不出者,通脈四逆湯主之。

2010年6月28日月曜日

康治本傷寒論 第六十条 少陰病,下利清穀,裏寒外熱,手足厥逆,脈微欲絶,身反不悪寒,其人面赤色,或腹痛,或乾嘔,或咽痛,或利止,脈不出者,通脈四逆湯主之。

『康治本傷寒論の研究』 
少陰病、下利清穀、裏寒外熱、手足厥逆、脈微欲絶、身反不悪寒、其人面赤色、②或腹痛、或乾嘔、或咽痛、或利止、脈不出者、通脈四逆湯、主之。
  [訳] 少陰病、下利清穀し、裏寒外熱し、手足厥逆し、脈は微にして絶んと欲し、身は反って悪寒せず、其の人の面は赤色、②或いは腹痛し、或いは乾嘔し、或いは咽痛し、或いは利は止むも脈は出でざる者は、通脈四逆湯、これを主る。

  この条文も第1段と第2段に分れていて、最後の通脈四逆湯主之はその両方にかかり、第2段は或……或……という形をとっている点で第五九条(真武湯)と全く同じであるが、少陰病篇にこの形式の条文がふたつ存在することはおかしい。内容を検討するとわかることは、この病状は厥陰病なのである。したがって厥陰病の治剤である通脈四逆湯の正証とその変証を述べたものになるが、それを冒頭に少陰病としているのは何故であろうか。
 少陰病は生命力がかなり減退しているために、裏位の病邪が内位へ、外位へ、表位へと影響を与えやすい状態になっている。したがって病位という面から見ると、少陰病の激症(変証)は厥陰病と同じであり、緩急の相違しかないためにこれを少陰病篇に入れていると見ることができる。
 『講義』三七一頁で「四逆湯証の一層激甚なる者、即ち少陰の極にして」といい、『解説』四四二頁で「少陰病で重篤な症状を呈するもの」というのは論究が不充分である。『集成』で「此れ亦少陰、厥陰の兼病なる者、寒邪太盛、陽気虚脱せるなり」というのは用語の使い方がよくない。『弁正』では「此れは蓋し其の少陰に始まり厥陰に薦むの転機を見さんと欲す」と述べているが、この条文は厥陰病の激症をのべていることを見落している点で駄目である。
 下利清穀とは『解説』に「食べたものが消化しないで、そのまま下痢すること」とあるように、胃と腸が寒冷(つまり内寒)になったために消化力を完全に失っている状態である。清は「かわや」のことで、俗に圊とも書く。穀は食物のこと。『講義』では「下利、清穀は二句なり」と言っているのは、第五五条(桃花湯)の下利、便膿血と同じ形式であることである。
 条文の最初に下利清穀という症状をあげているということは、この状態が太陰病(第四九条)からも、また少陰病(第五八条第五九条)からも、それぞれ悪化して導びかれたものであることを示している。即ち陰病の系列を図示すると次のようになる。

裏位
―――――→―――――→少陰病
白虎湯
    
陽明病    陰病              厥陰病―――――→死  (第43条の図に続く)

大承気湯
―――――→―――――→太陰病
内位


破線の所で陽病が陰病に変ることを示している。陰病は下から上に進むことを原則とするのであるから、破線より下は本当は上向きに書くべきであるが、図として見悪くなるために下向きに表現した。この図は三陰病に明確な病位があることを示したものであり、「三陰病は病の緩急を示すだけである」というこれまでの定説を否定するためのものである。

 裏寒外熱については色々な考え方がある。
①『講義』では裏を消化管のあたりを指すとしているのだから、下利清穀が裏寒であり、身反不悪寒、面赤色が外熱であるという。
②『解説』では裏を内臓一般を指すとしているのだから、「体内が冷えて、外表が熱している」ことになり、下利清穀、手足厥逆が裏寒にあたり、身反不悪寒、面赤色が外熱にあたる。『入門』も成無己も同じ見解である。
 この二種の解釈で共通していることは、裏寒外熱の具体的症状がその句の前後に表現されていることになり、『集成』で「裏寒外熱の四字は其の因を説くなり。其の証を説くに非ざるなり」ということに一致していることである。この説の最大の弱点は、四字からなるこの句はなくても良いことになる点である。もうひとつの弱点は、具体的症状を述べた文章の中間にこの四字が置いてあることである。そしてこのような解釈をする人達は、裏寒外熱の前に清穀下痢という句が置いてあることについて何も考察していない。例えば『解説』に「少陰病で、不消化便を下痢し、からだの内は冷え、外は熱し、手足は冷え、云々」というように。
③私は裏寒外熱という特別な表現をした句が文章の途中に置いてあることを重視して次のように考える。この条文の第1段は「少陰病、下利清穀、裏寒外熱」、でそのすべてが表現されているという解釈である。 
 下利そのものは内寒に属する症状である。そして手足厥逆、脈微は裏寒の症状であり、身反不悪寒、面赤色は外熱の症状であるという見方になる。したがって第1段は内寒と裏寒外熱によって生じた病状であることになる。このように解釈してはじめてこの奇妙な句の配列の意味か明らかになり、裏寒外熱という句が必要欠くべからざるものとなるのである。
 手足厥逆は四肢が先の方から冷えてくること。厥は①つきる、②のぼせる(足が冷え、頭がのぼせる)という意味のあることが諸橋大漢和辞典に出ている。厥陰病の厥は①の意味であり、ここでは②の意味である。
 脈微欲絶は少陰病の激症である脈微細よりも一層悪化していることを示している。『入門』では心臓血管機能不全を来しているという。
 身反不悪寒は、少陰病は熱感がなく、悪寒が強いのが原則であるが、ここでは厥陰病という陰病の極地であるから、反対に悪寒せず熱感がでてくる。その状態は身熱(微熱)であるから「身反って」と表現したのである。
 其人面赤色は、今まで自覚症状を列記していたのに、顔色は自分ではわからないから、その病人はという表現で、他人が見て顔色が赤いのがわかると言ったのである。鏡を使用して自分で見たとしても、論理的には鏡の中の他人を見ているのである。
 『弁正』と『講義』では「其人の下に恐らくは或の一字を脱せん」として、面赤色を第2段に入れるべきであると主張しているのは間違いである。
 第2段は第1段の激症をのべたものであり、これを『講義』のように兼証とみたり、『集成』のように「兼る所の客証なるのみ」とみることは間違いである。腹痛、乾嘔、咽痛は水分代謝異常(水毒)が加わったり、他の部分に影響が及んだりしていることを示しているし、利止むも脈が出ないのは、普通であれば下痢が止むことは良い方向に進むことであるから脈状は好転したものとなるが、ここでは脈微欲絶よりもさらに悪化しているのだから激症なのである。


甘草二両炙、附子一枚生用去皮破八片、乾姜三両。
右三味、以水三升煮、取一升二合、去滓、分温再服。

 [訳] 甘草二両炙る、附子一枚生、用うるには皮を去り八片に破る、乾姜三両。
     右の三味、水三升を以て煮て、一升二合を取り、滓を去り、分けて温めて再服す。


第六二条の四逆湯と薬物の順序に相違がある理由はよくわからない。甘草は附子の毒性の解毒作用があること、甘草乾姜湯の意味があり、第一一条のその条文は附子による中毒症状と一致していることから、附子にこれを配合することの重要性がわかる。また附子と乾姜の配合は陰寒の治療に最も有効なものである。





『傷寒論再発掘』
60 少陰病、下利清穀 裏寒外熱 手足厥逆 脈微欲絶 身反不悪寒 其人面赤色、或腹痛 或乾嘔 或咽痛 或利止脈不出者 通脈四逆湯主之。
   (しょういんびょう げりせいこく りかんがいねつ しゅそくけつぎゃく みゃくびにしてぜっせんとほっし みかえっておかんせず そのひとめんせきしょく、あるいはふくつう、あるいはかんおう、あるいはいんつう、あるいはりやみみゃくいでざるもの つうみゃくしぎゃくとうこれをつかさどる。)
   (少陰病で 下利清穀し、裏寒外熱すなわち、手足は厥逆し、脈は微で絶せんとしているのに、身はかえって悪寒せず、その顔は赤色を呈しているようなものは、通脈四逆湯がこれを改善するのに最適である。そのようなもののうち、あるものは腹痛し、あるものは乾嘔し、あるものは咽痛し、あるものは下痢が止まっても脈の出ないようなものがあるが、このようなものもまた、通脈四逆湯がこれを改善するのに最適なのである。)

 少陰病 でというのは、全体的な状態としては、歪回復力(体力あるいは一般生活反応あるいは抵抗力)がかなり減退しているような状態でという意味です。
 下利清穀 とは、食べたものが消化されずにそのまま出てくるような下痢のことです。消化能力がかなり減退していることを意味するわけです。
 裏寒外熱  とは、裏に寒(邪気あるいは病気の原因)があり、外に熱があることです。「裏」と「外」については既に第17章3項において論述し、「寒」については既に第17章4項において論述しておいた如くです。すなわち、裏 とはものの裏面を意味する言葉で、人体について言えば、「消化管およびその近辺の身体部分」を指すのです。外 とはあるものを基準として、それよりも外方を意味する言葉で、この「原始傷寒論」では、裏を基準にして使用された言葉ですので、裏よりも外方のことを意味することになります。すなわち、表だけでなく、裏よりも外方にある。裏でも表でもない部分(後の世の人の考えでは、半表半裏と言われる部分)までも一緒にして、外と表現されていることになります。
 この裏寒外熱という言葉は、そのあとの手足厥逆脈微欲絶身反不悪寒其人面赤色という症性が 伝来の条文 の中に出ていたのを見て、この著者の考え方に従えば、手足厥逆脈微欲絶が裏寒の症状であり、身反不悪寒其人面赤色が外熱の症状であるわけです。このように見ることによって始めて、症状を表現する語句の間に、何故に突然「裏寒外熱」という「高級」な概念を表現する句が出てくるのかという問題が解決されることになります。
 手足厥逆 とは、四肢が末梢の方から冷えあがってくることです。かなりの程度の末梢循環不全のあることを意味するのでしょう。
 脈微欲絶 とは、脈が微細で、今にも絶えてしまいそうな状態のことです。もし脈が滑であるならば、手足が冷えていても、白虎湯が適応である場合があり、この事については、後に第65条で示されています。
 身反不悪寒 とは、手足が冷えて、脈が絶えそうになっていたら、悪寒を感じてもよさそうであるのに、悪寒を感じないでという意味です。
 其人面赤色 とは、その人の顔色が赤くなっているということです。体内が完全に冷え切ってしまっているわけではなく、やはりそれなりの熱があるからでしょう。
 或腹痛、或乾嘔、或咽痛、或利止脈不出者 とは、それぞれの症状が更に加わっている状態を言っています。それだけ重症になっていると見てよいでしょう。
 以上のような病態がすべて通脈四逆湯の適応病態なのです。
 四逆湯および通脈四逆湯の命名に関しては、既に第13章16項において詳述しておきましたので、興味のある方は是非、参照して下さい。



60’ 甘草二両炙 附子一枚生用 去皮破八片、乾姜三両。    右三味 以水三升煮 取一升二合 去滓 分温再服。
    (かんぞうにりょうあブルぶしいちまいしょうよう かわをさりはっぺんにやぶる かんきょうさんりょう。みぎさんみ みずさんじょうをもってにて、いっしょうにごうをとり かすをさり わかちあたためてさいふくす。)

 この湯の形成程程は既に第13章16項で考察した如くです。すなわち、四逆湯(甘草乾姜附子湯)に更に乾姜が増量(一両半だけ)されると具合の良いような臨床経験があって、(甘草乾姜附子+乾姜)、後に乾姜の生薬配列上の位置が最後にずれてきたのです。四逆湯の時の乾姜は一両半でしたが、通脈四逆湯の時は乾姜が三両になっていて、しかも、生薬配列では乾姜が最後になっているので、このような事が推定されるわけです。生薬配列に注目することがいかに重要であるかは、こんな事からも分かるというものです。
 なお、四逆湯の本来の条文は、この通脈四逆湯の条文の前半部分(或のある所まで)であったのではないか、と推定されるのですが、それらについても既に第13章16項の所で論述してありますので、興味のある方は、その部分を参照してみて下さい。




康治本傷寒 論の条文(全文)