健康情報: 6月 2014

2014年6月29日日曜日

桂枝加黄耆湯(けいしかおうぎとう)の効能・効果と副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
桂枝加黄耆湯
本方は桂枝湯の證で盗汗の出る者を治する。黄耆には盗汗を止める効がある。また虚弱児の感冒並びに湿潤性の皮膚病に用いて効がある。



 漢方精撰百八方 

53.〔方名〕桂枝加黄耆湯(けいしかおうぎとう)

〔出典〕金匱要略

〔処方〕桂枝、芍薬、大棗、生姜各4.0g 甘草、黄耆各2.0g

〔目標〕1.汗が多く出る、下半身が冷える、皮膚にしまりがなく、筋肉が水をふくんだ様にぶくぶくする、盗汗が出る、疲れやすい。
2.皮膚ががさがさして、栄養が悪く、はれものができたり、化膿したりして、治りにくい、しびれ感がある。

〔かんどころ〕皮膚に生気が無く、しまりが悪く、ぶくぶくしていうものと、肌が荒れて汚く、しびれ感がある。

〔応用〕多汗症。下腿潰瘍。中耳炎。むしにかまれるとそれがいつまでも治らない、下肢のしびれ感。
 
〔附記方名〕帰耆建中湯(きぎけんちゅうとう)

〔出典〕華岡青洲創方

〔処方〕桂枝加黄耆湯加当帰2.0g

〔応用〕るいれき。寒性膿瘍。肉芽発育不良。瘻孔。

〔治験〕1.汗疹(あせも)
 肥満した色の白い婦人、汗が出て、夏はあせもがひどくできる。桂枝加黄耆湯であせもがよくなり、からだが軽く動けるようになった。

2.中耳炎
  三才の幼児、かぜをひきやすく、かぜから中耳炎となり、耳鼻科にかかっているが、膿がとまらない。桂枝加黄耆湯を用い二週間で、排膿はやんだが、半年ほどこれをつづけ、かぜもひかなくなり、中耳炎も再発しない。

3.虫垂炎手術後の瘻孔
  二十八才の主婦、虫垂炎の手術をしたところ、半年後も、瘡口から分泌物が出て、口がふさがらない。医師は、今一度手術をする必要があるというが、手術をしたくないので来院。腹診するに、腹部はやや膨満していて、手術の瘡口のまわりに抵抗と圧痛がある。瘻孔は鉛筆の芯が通くらいものである。私はこれに帰耆建中湯を与えたところ、十日ほどたって糸切れのようなもの出て、瘡口は完全に癒合した。
大塚敬節


漢方薬の実際知識 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
4 表証
表裏・内外・上中下の項でのべたように、表の部位に表われる症状を表証という。表証では発熱、悪寒、発汗、無汗、頭痛、身疼痛、項背強痛など の症状を呈する。実証では自然には汗が出ないが、虚証では自然に汗が出ている。したがって、実証には葛根湯(かっこんとう)麻黄湯(まおうとう)などの 発汗剤を、虚証には桂枝湯(けいしとう)などの止汗剤・解肌剤を用いて、表の変調をととのえる。
4 桂枝湯(けいしとう)  (傷寒論、金匱要略)
〔桂枝(けいし)、芍薬(しゃくやく)、大棗(たいそう)、生姜(しょうきょう)各四、甘草(かんぞう)二〕
本 方は、身体を温め諸臓器の機能を亢進させるもので、太陽病の表熱虚証に用いられる。したがって、悪寒、発熱、自汗、脈浮弱、頭痛、身疼痛な どを目標とする。また、本方證には気の上衝が認められ、気の上衝によって起こる乾嘔(かんおう、からえずき)、心下悶などが認められることがある。そのほ か、他に特別な症状のない疾患に応用されることがある(これは、いわゆる「余白の證」である)。本方は、多くの薬方の基本となり、また、種々の加減方とし て用いられる。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、桂枝湯證を呈するものが多い。
一 感冒、気管支炎その他の呼吸器系疾患。
一 リウマチ、関節炎その他の運動器系疾患。
一 そのほか、神経痛、神経衰弱、陰萎、遺精、腹痛など。
(3) 桂枝加黄耆湯
〔桂枝湯に黄耆三を加えたもの〕
桂枝湯證で、自汗の度が強く、盗汗の出るものに用いられる。



明解漢方処方 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.59
桂枝加黄耆湯(けいしかおーぎとう) (金匱)

 處方内容 桂枝湯に黄耆三、〇を加える。

 必須目標 ①上半身、殊に背面に汗の多い体質 ②尿量減少 ③浮腫はないかあっても軽微である ④脉は浮

 確認目標 ①倦怠感 ②食後に上半身に汗をかく ③下肢冷感 ④精神不安 ⑤黄汗

 初級メモ ①本方は多汗症で皮膚に湿気のある体質でこれを応用して小児のストロフィルス、水いぼ、とびひなどの湿性皮膚病に用いる。
 ②もし水滞が更に深部に入り、浮腫、関節腫、身重などの症を現わしてくると防已黄耆湯の証になる。
 ③黄汗については黄耆建中湯の項を参照のこと。

 中級メモ ①原典の条文は甚だ錯乱していて真を伝えていない。これを古型に眼原されたのは荒木正胤氏である(漢方と漢薬一〇巻九号、越婢湯について)。
 ②南涯「裏より外行するなり。血気急し、水気皮膚に在る者を治す。その症に曰く、腰より上汗出、煩躁、これ血気急するなり。腰髖弛痛し、物有りて皮中に在る状の如き、身疼重、これ水気皮膚に在るなり。曰く小便不利、これ裏水外行を示すなり」。

 適応証 湿潤性皮膚病。慢性中赤炎。皮膚の潰瘍。


臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
p.140 盗汗・自汗・多汗症・皮膚病
(4) 桂枝加黄耆湯(けいしかおうぎとう)
 桂枝湯の症で盗汗の出る者に用いる。また虚弱児の感冒・湿潤性の皮膚病・筋肉リウマチ・盗汗・多汗症・黄疸等に用いて有効である。




和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
桂枝加黄耆湯(けいしかおうぎとう) [金匱要略]

【方意】 表の水毒表の虚証による自汗・盗汗等のあるもの。しばしば気の上衝を伴う。
《太陽病.虚証》
【自他覚症状の病態分類】

表の水毒・表の虚 気の上衝
主証
◎上半身の自汗
◎盗汗





客証 ○稀薄な滲出液
 化膿
 身疼痛 腰痛
 蟻走感 しびれ感
○尿不利
 上半身の浮腫
 黄汗 脱汗
 足冷
 疲労倦怠
○のぼせ





【脈候】 浮弱・浮虚・浮洪弱・沈遅。

【舌候】 乾湿中間、やや乾燥に傾くこともある。

【腹候】 やや軟。

【病位・虚実】 水毒は表位にあり、特別に裏証がないために太陽病である。脈候、腹候および平素の虚弱傾向より虚証。

【構成生薬】 桂枝4.5 大棗4.5 芍薬4.5 甘草3.0 生姜1.0 黄耆3.0~6.0

【方解】 本方は桂枝湯に黄耆の加わったものである。黄耆は肌表の水毒を去り、止汗・利尿・強壮作用があり、虚弱・疲労倦怠・栄養不良・自汗・盗汗・滲出性の皮膚病変・浮腫・尿不利に有効に働く。桂枝湯同様に表の虚証であり、元来肌表のしまりが悪く、加えて表の水毒のため自汗傾向が一層顕著である。また一方で桂枝・甘草の組合せがあり気の上衝に有効である。

【方意の幅および応用】
 A1 表の水毒表の虚証:自汗・盗汗を目標にする場合
    虚弱児の感冒、盗汗、黄汗、黄疸
2 表の水毒表の虚証:稀薄な滲出液・化膿を目標にする場合。
    湿疹、ストロフルス、とびひ、あせも、伝染性軟粟腫、皮膚潰瘍、不良肉芽、痔瘻、
    慢性副鼻腔炎、中耳炎、臍炎
  3 表の水毒表の虚証:疼重・しびれ等を目標にする場合。
    筋肉痛、胸痛、腰痛症、顔面神経麻痺 

【参考】 *黄汗の病、両脛自ら冷え、又腰より以上必ず汗出で、下に汗無く、腰髖(腰と腰骨)弛痛し、物有りて皮中に在るが如く、劇しき者は食すること能わず、身疼痛し、煩躁し、小便不利す、桂枝加黄耆湯之を主る。
『金匱要略』
*諸種の黄病、但だ其の小便を利すべし。
『金匱要略』
*桂枝湯証にして、自汗、或は盗汗し、若しくは黄汗する者を治す。
『方極附言』

*此の方、能く盗汗を治す。又当帰を加え、芍薬を倍して帰耆建中湯と名づけ、痘瘡及び諸瘡瘍の内托剤(体力を補い、それにより病毒を体外に出す薬剤)とす。又反鼻を加えて奇発の効尤も優なり。
『勿誤薬室方函口訣』
*本方意の皮膚疾患および化膿は、薄い多量の分泌液を伴うことが多い。時には汚れたヤニ様の局面を呈する。
*本方証の患者が裏の虚証を伴うと黄耆建中湯が第一選択となる。また華岡青洲の帰耆建中湯は肉芽の新生には十全大補湯よりも強力であるとされる。

【症例】 慢性腎炎
  23歳の主婦。本年1月出産後、腎炎に罹り、某市立病院に入院。厳重なる蛋白と食塩制限療法を受けたが、盗汗と全身倦怠が強く、蛋白尿も少しも減少しないので2ヵ月にして退院、漢方治療を求めて来た。
 患者は食事に極端に神経質になり、食事そのものに恐怖を抱き、神経性拒食症の状態になっている。まず東洋的食養法を説き、西洋流の食事制限は誤りであることを教えて玄米食を奨めた。蛋白尿は強陽性であるが、血圧は130/70にして妊娠腎ではなく、産後の急性腎炎が慢性化したものとみた。
 東洋医学的には小柴胡湯の証を呈したので、始めに2週間小柴胡湯を投薬したが、流れるような盗汗が少しも取れない。桂枝加黄耆湯の証と再検討し、黄耆1日5.0を桂枝湯に加え投薬。2ヵ月後には蛋白尿もほとんど消失した。
 今年の夏は酷暑のためが発汗が著しいと患者が訴えていたが、盗汗が消失して全身倦怠感が取れてから、昼間も発汗が減少した。生気感が溢れて初診から約半年後の診察の際は、東洋医学による治療によって救われたと心から感謝の辞を述べた。
阪本正夫 『漢方の臨床』 14・11・29
腰痛
 49歳、女性。本年4月胃癌の開腹手術を受け、11月半ばから腰痛を訴え寝たきりである。癌が腰椎または腰髄に転移したのではないかとの懸念を持ちながら診察すると、下肢にしびれや痛みはなく、腰椎も臨床的には変化がみられぬ。脈は浮弱、大小便は普通、上腹部は正中線の手術創痕を中心にして一般に緊張が強い。背腰部の特に腎兪あたりが緊張して圧痛がある。趺陽の脈は軟、少陰の脈は触れ難い。足は冷たい。
 黄汗の「両脛自冷、腰髖弛痛」と思い出して桂枝加黄耆湯を使った。これで治らなければ他に手なく、尻尾を巻く覚悟である。
 10日ほどたって連絡があり、腰痛が取れたという。20日ほどたって再び連絡があり、腰痛は取れたが排便時に腹が痛むというので烏頭桂枝湯に転方した。
龍野一雄 『漢方の臨床』 2・3・48


『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


桂枝加黄耆湯(けいしかおうぎとう)
 桂枝湯に黄耆を加えたものである。黄耆は皮膚の栄養を高め,汗を調節する要薬で,盗汗・汗かきにはなくてはならない生薬である。もともと桂枝湯が汗の出やすい体質向きの方剤であるから,桂枝加黄耆湯は一層汗の出やすい虚証者向きの方剤と言える。
 カゼや急性熱性疾患の初期(悪寒や頭痛を訴える時期)に用いるほか,虚弱児のアセモその他の皮膚疾患(比較的軽症のもの)に用いて奏効することが多い。



『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

桂枝加黄耆湯(けいしかおうぎとう)
 東
金匱要略(きんきようりゃく)

どんな人につかうか
 桂枝湯(けいしとう)に黄耆(おうぎ)を加えたもの。上半身に汗をかきやすく(特に食後)、下肢(かし)が冷(つめ)たく、疲れやすく,精神不安があり、尿量の少ない人に用い、盗汗(ねあせ)、とびひ、小児ストロスルス、多汗症、風邪(かぜ)などに応用します。

目標となる症状
 ①上半身ことに背中に汗をかきやすい。②食後に発汗(上半身)。③動くとすぐ汗をかく。④黄汗(汗でシャツが黄ばむ)。⑤下肢冷感。⑥倦怠感(だるい)。⑦尿量が少ない。⑧精神不安。⑨寒がる。⑩風邪をひきやすい。

  桂枝湯(けいしとう)に準ずる。

 浮。


どんな病気に効くか(適応症) 
 体の衰えているものの、盗汗あせも。多汗症、とびひ、小児ストロフルス、水いぼ、慢性の皮膚病、中耳炎、黄疸(おうだん)、顔面神経麻痺(まひ)、虚弱者の感冒(かんぼう)。

この薬の処方
 黄耆(おうぎ)2.0g 桂枝(けいし)、芍薬(しゃくやく)、生姜(しょうきょう)、大棗(たいそう)各4.0g。甘草2.0g。(桂枝湯(けいしとう)<72頁>に黄耆(おうぎ)を加味)

この薬の使い方
前記処方を一日分として煎(せん)じてのむ。
東洋桂枝加黄耆湯エキス散、成人一日6.0gを一日2~3回に分、食前又は食間にのむ。

使い方のポイント
 ちょっとしたことで、すぐ汗をかく(上半身)。寒がる(特に下肢)。風邪(かぜ)をひきやすいといった状態(衛虚(えきょ))に用いるものです。金匱要略(きんきようりゃく)には「腰から上に汗が出て下には汗をかかず、腰、大腿部にひきつるような痛みがあり、激しい時は食欲が全くなく、身体が重く、煩躁(はんそう)して、小便の出が悪く、このために黄ばんだ汗が出る時に用いると良い」とあります。
この薬の処方  桂枝湯(けいしとう)に黄耆(おうぎ)を加えたもの。黄耆(おうぎ)は皮膚の血行を良くして発汗をとめ、しびれを軽くし、浮腫をとる作用がある。




副作用
1)重大な副作用と初期症
1) 偽アルドステロン症: 低カリウム血症、血圧上昇、ナトリウム・体液の貯留、浮腫、体重増加等の偽アルドステロン症があらわれることがあるので、観察(血清カリウム値の測定等) を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
2) ミオパチー: 低カリウム血症の結果としてミオパチーがあらわれることがあるので、観察を十分に行い、脱力感、四肢痙攣・麻痺等の異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
[理由]
厚生省薬務局長より通知された昭和53年2月13日付薬発第158号「グリチルリチン酸等を含 有する医薬品の取り扱いについて」に基づく。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、血清カリウム値のほか血中アルドステロン・レニ ン活性等の検査を行い、偽アルドステロン症と判定された場合は、症状の種類や程度によ り適切な治療を行うこと。低カリウム血症に対しては、カリウム剤の補給等により電解質バランスの適正化を行う。

2) その他の副作
過敏症:発疹、発赤、瘙痒等
このような症状があらわれた場合には投与を中止すること。
[理由]
本剤には桂皮(ケイヒ)が含まれているため、発疹、発赤、瘙痒等の過敏症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行うこと。

2014年6月27日金曜日

清暑益気湯(せいしょえっきとう) の 効能・効果 と 副作用


 漢方精撰百八方 

59.〔方名〕清暑益気湯(せいしょえっきとう)

〔出典〕医学六要

〔処方〕人参、朮、麦門冬各3.0g 五味子、橘皮、甘草、黄柏各2.0g 当帰、黄耆各3.0g

〔目標〕夏の暑さに負けて、手足がだるく、からだに熱感があり、小便の量が少なく大便は軟便または下痢で、食欲がないもの。

〔かんどころ〕手足がだるくが、気力がなく、小便は少なくて濃厚で、夏になると病状の憎悪するもの。

〔応用〕夏まけ。肝炎。

〔治験例〕肝炎。
  肝炎には、小柴胡湯大柴胡湯茵蔯蒿湯茵蔯五苓散などを用いる場合が多いが、清暑益気湯がよく効いた例を報告する。
  患者は六三才の男子。無口でおだやかな紳士。主訴は、疲労、倦怠感である。
  脈は緩で、舌には少し苔がある。腹診上、胸脇苦満はないが、深呼吸によって、僅かに肝の辺縁を触知する。腹直筋の緊張なく、腹部は弾力に乏しい。下肢に浮腫がある。血圧120/76である。大便は一日一行で、下痢はしない。食欲はあるが、進む方ではない。口渇はない。尿のウロビリノーゲン反応は、強陽性である。
  口渇があれば、茵蔯五苓散を用いたいところだが、口渇がなく、疲労、倦怠が主訴である。四君子湯にしてみようかとも考えたり、補中益気湯にしてみようかと考えたりしたが、ちょうど七月下旬の暑い日であったので、清暑益気湯を用いてみた。
  これをのむと、十日後には、疲労、倦怠が減じ、下肢の浮腫もとれた。食もすすむようになった。一ヶ月後にはウロビリノーゲンの反応も正常となった。
  ところが、この患者は、その後も、仕事が忙しいと、下肢に浮腫が現れ、疲労がはじまる。そんな時には、この清暑益気湯を用いると、必ず効くが、他の方剤では効がない。冬でも秋でも、季節にかまわず清暑益気湯を用いるが、それで結構きく。
  この患者にヒントを得て、この方を時々肝炎に用いるが、案外この方の応ずる肝炎のあることを知った。むかし夏まけとよんだものには、肝炎が含まれていたのではあるまいか。
大塚敬節


明解漢方処方 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.141
36 清暑益気湯(せいしょえっきとう) (医学六要)
 人参 白朮 麦門冬各三・五 当帰 黄耆 陳皮各三・〇 五味子 黄柏 親枝各一・五(二四・〇)

 補中益気湯の変方で、その名の通り気清め気を益す作用があり、主に夏痩せして食慾なく倦怠感の甚しい者に用いる。夏痩。



『漢方後世要方解説』 矢数道明著 医道の日本社刊

p.33 夏痩せ 暑さ中り
補養の剤
方名及び主治 一四 清暑益気湯(セイショエッキトウ) 医学六要 近製

○ 長夏湿熱大勝、人これに感じ、四肢困倦、身熱心煩、小便少なく、大便溏、或は渇し、或は渇せず、飲食を思わず、自汗す識を治す。

処方及び薬能人参 白朮 麦門冬各三・五 当帰 黄耆 陳皮各三 五味子 黄柏 甘草各一・五

 内外傷弁の方
 人参、白朮、陳皮、当帰、麦門冬、黄耆、蒼朮各三 沢瀉、青皮、葛根各二 五味子、黄柏、神曲、甘草各一 升麻〇・五

解説及び応用○ 此方は注夏病と称する夏やせ、夏まけの方剤である。補中益気湯の変方で平常虚弱の人夏の暑熱に感じて羸痩、倦怠、或は下痢し、或は呼吸苦しく、四肢熱して倦怠甚しく、食欲振わず、自汗の味る者によい。

藿香正気散は実証の暑さ中りに一時的に用いてよく、この方は虚証の人に持薬として用い体力を強める。近製方を良しとするも、老人などの長期服用には内外傷弁の方を用いる。

応用
 ① 注夏病(夏やせ、夏まけの薬)



臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
p.667 夏やせ・暑さまけ(注夏病)
62 清暑益気湯(せいしょえっきとう) 〔医学六要〕
 人参・白朮・麦門 各三・五 当帰・黄耆・陳皮 各三・〇 五味・黄柏・甘草 各一・〇

 「長夏湿熱大勝、人これに感じ、四肢困倦、身熱心煩、小便少なく、大便溏(とう)(下利)、或は渇し、或は渇せず、飲食を思わず、自汗するを治す。」
 補中益気湯の変方で、近製と称する薬方である。注夏病と称する夏やせ、夏まけの専剤である。
 細野史郎氏(漢方の臨床 二巻八号) 陳厚銘氏(漢方の臨床 一一巻八号)の発表がある。
 注夏病(夏やせ・夏まけ・暑さまけ)




和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
清暑益気湯(せいしょえっきとう) [医学六要]

【方意】 脾胃の虚証による食欲不振・下痢傾向等と、虚証による疲労倦怠感と、熱証燥証による身熱・心煩・口渇等のあるもの。時に湿証も伴う。
《太陰病.虚証》

【自他覚症状の病態分類】

脾胃の虚証 虚証 熱証・燥証 湿証
主証
◎食欲不振
◎下痢傾向
◎疲労倦怠



客証  飲食無味
 食後倦怠感
○不眠傾向
 無気力
 息切れ
 るいそう
○口渇
 自汗
 頭痛 
 遷延性炎症
 尿不利
 或いは自利


【脈候】 やや軟・やや弱。

【舌候】 湿潤して微白苔。または無苔。

【腹候】 腹力やや軟。心下部痞満して煩悶感を伴う。

【病位・虚実】 熱証が本方意の構成病態に存在しており陽証。表証も裏の実証・裏の熱証もなく少陽病に位置する。自覚症状からも、また脈力および腹力の低下からも虚証である。

【構成生薬】 人参3.5 白朮3.5 麦門冬3.5 当帰3.0 黄耆3.0 黄柏2.0 五味子2.0 陳皮2.0 甘草2.0

【方解】 人参は滋養・強壮・滋潤作用があり、白朮には強壮・健胃・利水作用がある。人参・白朮の組合せは脾胃の虚証を改善し食欲不振・食後倦怠感を治す。陳皮の健胃作用はこれに協力する。黄耆の止汗・利尿・強壮作用は人参と共に虚証に対応する。黄耆はまた当帰の補血作用を増し、更に湿証にも有効に働いて遷延性の炎症状態を治す。黄柏の寒性は熱証に対応して身熱・心煩等を去り、麦門冬の微寒性と滋潤作用は黄柏を助ける。五味子は温性で収斂作用があり、黄耆と共に湿証に有効に働く。一方では人参・麦門冬・五味子は生脈散であり、虚証に対応し、表証を止汗し、燥証を滋潤する作用がある。


【方意の幅および応用】
 A 脾胃の虚証:食欲不振・下痢傾向等を目標にする場合。
   食欲不振、下痢を主として消化不良、慢性胃腸炎
 B 虚証:疲労倦怠等を目標にする場合。
   四肢倦怠感の強い食欲不振、疲労倦怠感の強い慢性肝炎
 C 熱証湿証:身熱・心煩・口渇・遷延性炎症等を目標にする場合。
   身熱、鬱熱、夏負け、心煩の強い夏痩せ、慢性頭痛

【参考】 *此の方は注夏病を主とす。『医学入門』に春末夏初に遇う毎に、頭疼脚軟、食少体熱するは注夏病と名づく。之の方にて治す。補中益気湯去升柴加黄蘗・芍薬・五味子・麦門冬。即ち此の方一類の薬なり。
『勿誤薬室方函口訣』*『内外傷弁』の清暑益気湯は、『医学六要』に神麹・沢瀉・青皮・葛根・蒼朮・升麻の六味を加える。
*長夏湿熱大いに勝(さか)んに、人之に感じ、四肢困倦し、身熱心煩し、小便少なく、大便溏なり。或は渇し、或いは渇せず、飲食を思わず、自汗するを治す。
『内外傷弁』
*本方は夏まけの薬として用いられる。補中益気湯の方意を含み、補剤としての作用が強い。同名で同様の薬効のものが『内外傷弁』にあるが、そちらは多味で老人の持薬に良く、即効果得るには『医学六要』の本方が良いとされる。
*本書では湿証とは体質的な水毒に虚証・熱証、更には寒証もからんで、遷延性の難治な病態をいう。水毒体質のため尿不利の傾向がみられる。湿証を呈する代表的な疾患としては、慢性下痢・膀胱炎・口内炎・関節リウマチ・痔瘻・フイステル等を挙げることができる。これらの急性期の症状は去り、慢性期に移行したもので、炎症症状が少なくなり、稀薄な分泌液をいつまでも排出して、治癒傾向のみられないものが本書の湿証である。
【症例】 慢性肝炎
 60歳の主婦で、この婦人は4年前ひどく疲れるので医師に診断を乞うたところ、肝炎と診断されて1年あまり入院治療して、肝臓の機能は正常だから食事に注意すれば、薬は飲まないで良いと言われた。毎日寝てばかりいても仕方がないので、漢方の薬局に相談したところ、これを飲んでみなさいと補中益気湯をくれた。しかしやっぱり気力が出ないという。
 脈大弱にして微。舌苔はないがやや乾燥。食事はとれるが、少し無理をし仲食べるとひどく疲れるという。胸脇苦満なく、腹に弾力が乏しい。血圧90/52、低血圧である。安眠できず、動くのが大儀でいつもごろごろしている。大便は軟らかいのに出にくい。清暑益気湯を投与。
 2週間分を飲んで再来した患者は、3年間の悩みが消えましたと挨拶して、安眠でき、疲れを忘れ、大便が硬くなり快通するという。血圧108/62。その後128/80、130/82と正常になり、血色も良く元気になった。
『大塚敬節著作集』 第五巻121


夏季熱
 6ヵ月の男児。主訴は約1ヵ月半の37℃台の熱と数日来の粘液性下痢。色の白い、ロウのように透き通った滲出性体質の子供である。皮膚は湿潤で、やや白い舌苔がある。発熱は11時から朝3時頃が最高でしょうと問うてみると、患児の祖母が「そうですそうです」と感激する。詳細に診察したが大した症例もないので夏季熱として、清暑益気湯エキス0.4mgに賦形薬を加え、下痢があるので檳榔エキス0.25mgを加える。翌日来院時に36.5℃になった。2日服用して2日休薬し来院、少し熱が出たという。今度は下痢なし。1日服薬、3日休薬、また2日服用。不真面目な服用を責めると、父親が大酒飲みで薬代が続かないという。半ヵ月経って今度は少し嘔吐が加わった発熱で些か慌てて、1週間服薬。11月、感冒でやって来た来は、筋肉はしまり、滲出性の外観はなぬなっていた。
陳厚銘 『漢方の臨床』 11・8・32



『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


清暑益気湯(せいしょえっきとう) <出典>医学六要(明時代)

方剤構成
 人参 白朮 甘草 当帰 黄耆 陳皮 麦門冬 五味子 黄柏

方剤構成の意味
 補中益気湯から生姜・大棗のペアと升麻・柴胡を除いて,麦門冬以下を加えたものである。すなわち補中益気湯を暑気対策向けにつくり変えたものである。
 升麻・柴胡が升性であるのに反して,麦門冬・五味子・黄柏はいずれも降性であり,麦門冬・五味子が潤性であること,五味子・黄柏が収斂性であることと合わせて,汗の出過ぎや興奮をしずめるのに適することがわかる。汗の出過ぎには,もちろん黄耆も大切な薬物である。麦門冬の清熱作用,五味子の止汗作用,黄柏の消炎作用も暑気対策として充分納得できる。 補中益気湯が基本であるから,寒虚証者で,汗かきの者の,夏バテ用の方剤と見ることができる。

適応
 虚弱者で汗かきの者の夏やせ・夏まけ


『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

清暑益気湯(せいしょえっきくとう)
 ツ
医学六要(いがくろくよう)

どんな人につかうか
 夏やせ、夏まけに用いる薬で、食欲が減退して、手足がだるく、水っぽいものを欲しがり、足の裏がほてったり、下痢したり、自然発汗があったりする者に用い、夏でなくても食後だるくて眠くなったりする人、老人や胃腸の弱い人の持薬にも使えます。

目標となる症状
 ①夏やせ、夏まけ、夏ばて、暑さまけ。②食欲不振。③水分をほしがる。④下痢、軟便。⑤自然発汗(自汗)。⑥尿量減少。⑦手足がほてる。⑧全身倦怠感。⑨食後の嗜眠、倦怠感。⑩平素胃腸虚弱。⑪息切れ、無力感。⑫口渇、喉の渇き。

 腹壁軟弱で、臍部(さいぶ)に動悸がふれる。

 微細、頻数、散大。

 舌質(ぜつしつ)は紅色で乾燥、舌苔(ぜつたい)はうすい黄色。[気津両傷(きしんりようしよう]


どんな病気に効くか(適応症) 
 暑気あたり暑さによる食欲不振下痢全身倦怠夏やせ(注夏病(ちゆうかびよう)。
 手術後、熱傷、出血、日射病、熱射病、自律神経失調症。

この薬の処方
 人参(にんじん)、朮(じゆつ)、麦門冬(ばくもんどう)各3.5g。当帰(とうき)、黄耆(おうぎ)、陳皮(ちんぴ)各3.0g。五味子(ごみし)、黄柏(おうばく)、甘草(かんぞう)各1.0g。


この薬の使い方
前記処方(1日分)を煎(せん)じてのむ。
ツムラ清暑益気湯(せいしよえつきとう)エキス顆粒、成人一日7.5gを2~3回に分けて、食前又は食後に服用する。

使い方のポイント
補中益気湯(ほちゆうえつきとう)(198頁)の変方で微熱のある時は補中益気湯の方がよい。
疲労感、無力感、息切れ、食欲減退等の気虚(ききよ)と、口渇(こうかつ)、咽(のど)の乾き、尿量減少など、津虚(しんきよ)の症状のある時に用います。

処方の解説
 中医学では黄耆(おうぎ)人参(にんじん)朮(じゆつ)甘草(かんぞう)は補気(ほき)、健脾(けんぴ)の作用、麦門冬(ばくもんどう)は生津(せいしん)作用、当気(とうき)は補血(ほけつ)作用、五味子(ごみし)は収渋(しゆうじゆう)作用、陳皮(ちんぴ)は理気(りき)の効果、黄柏(おうばく)は清熱化湿(せいねつかしつ)の効果があり、これらの組み合わせで気津両傷(きしんりょうしょう)、つまり気虚(ききょ)と津虚(しんきょ)の両方があるような状態を治すとされています。




副作用
1)重大な副作用と初期症
1) 偽アルドステロン症: 低カリウム血症、血圧上昇、ナトリウム・体液の貯留、浮腫、体重増加等の偽アルドステロン症があらわれることがあるので、観察(血清カリウム値の測定等) を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
2) ミオパチー: 低カリウム血症の結果としてミオパチーがあらわれることがあるので、観察を十分に行い、脱力感、四肢痙攣・麻痺等の異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
[理由]
厚生省薬務局長より通知された昭和53年2月13日付薬発第158号「グリチルリチン酸等を含 有する医薬品の取り扱いについて」に基づく。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、血清カリウム値のほか血中アルドステロン・レニ ン活性等の検査を行い、偽アルドステロン症と判定された場合は、症状の種類や程度によ り適切な治療を行うこと。低カリウム血症に対しては、カリウム剤の補給等により電解質バランスの適正化を行う。

2) その他の副作
過敏症:発疹、蕁麻疹等
このような症状があらわれた場合には投与を中止すること。
[理由]
本剤には人参(ニンジン)が含まれているため、発疹、蕁麻疹等の過敏症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行うこと。


消化器:食欲不振、胃部不快感、悪心、下痢等
[理由]  本剤には当帰(トウキ)が含まれているため、食欲不振、胃部不快感、悪心、下痢等の消化器症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]  原則的には投与中止により改善するが、病態に応じて適切な処置を行う。


2014年6月25日水曜日

茯苓飲合半夏厚朴湯(ぶくりょういんごうはんげこうぼくとう) の 効能・効果 と 副作用


和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
茯苓飲合半夏厚朴湯(ぶくりょういんごうはんげこうぼくとう) [本朝経験]

【方意】茯苓飲証の脾胃の気滞脾胃の水毒と、半夏厚朴湯証の上焦の気滞気滞による精神症状脾胃の水毒のあるもの。しばしば水毒を伴う。
《太陰病.虚実中間からやや虚証》

【自他覚症状の病態分類】

脾胃の気滞
脾胃の水毒
上焦の気滞
気滞による精神症状
水毒
主証
◎上腹部膨満感
◎食欲不振
◎心下痞
◎胃腸虚弱
◎下痢傾向



◎過緊張
◎抑鬱気分
◎咽中炙臠






客証 ○上腹部振水音
○悪心 ○嘔吐
 噯気
 呑酸
 嘈囃

半夏厚朴湯
茯苓飲
○心悸亢進





半夏厚朴湯
○尿不利
○目眩
 立ちくらみ



半夏厚朴湯
 
 


【脈候】 やや軟・やや弱

【舌候】 乾湿中間の白苔。

【腹候】 腹力やや軟。多くは上腹部に振水音あり、心下痞硬する。

【病位・虚実】 構成病態が気滞と水毒のため、全体的に発揚性でなく陰証であり太陰病に相当する。脈力、腹力共に低下しており虚証に属す。

【構成生薬】 茯苓5.0 白朮4.0 人参3.0 橘皮3.0 枳実2.0 生姜1.5 半夏8.0 厚朴3.0 蘇葉2.0

【方解】 本方は脾胃の気滞と脾胃の水毒とを構成病態とする茯苓飲に、半夏・厚朴・蘇葉が加わったものである。半夏は脾胃の水毒の動揺を鎮め、鎮嘔・鎮静・去痰作用があり、生姜と共に強力に嘔吐を鎮める。厚朴と蘇葉は上焦の気滞と気滞による精神症状を発散し、過緊張・抑鬱気分・咽中炙臠等を治す。

【方意の幅および応用】
 A 脾胃の気滞脾胃の水毒:上腹部膨満感・食欲不振・悪心・嘔吐等を目標にする場合。
   急性胃炎、胃下垂、妊娠悪阻
 B 上焦の気滞気滞による精神症状:過緊張・抑鬱気分・咽中炙臠等を目標にする場合。
   咽喉神経症、神経性食道狭窄症、声門浮腫、急慢性気管支炎、気管支喘息、ノイローゼ、ヒステリー 

【症例】 懐炉の証
最近また懐炉の証を一人治療している。36歳の背の高い婦人で、数年来懐炉を下腹部から離したことがないという。夜間就寝している時も入れているのである。こ英婦人は元来下痢の傾向があって、懐炉を入れないと下痢が強くなり、腹満が甚だしくなる。腹診するに、腹部は空気が抜けかかった浮袋を按ずるようで、膨満していて、ガサガサしている。脈は沈にして弱である。
 まず理中湯去朮加附子を与えた。すなわち理中丸の方後に「腹満のものは朮を去り、附子1枚を加う」とあるのに準拠したのである。この方を殻すること1週間、食欲は大いに進み、大便もやや硬く、腹満もまた少しく減ずるを得た。しかるに、3週間分を服し終わる頃より、悪心が起こり、食欲は減じ、微熱、咳嗽を訴え、身体倦怠の感が起こって来た。よって茯苓飲に変方するに再び下痢が起こり、食欲は依然として出て来ない。この時患者のいうに、先月は月経がなかったので、或いは悪阻ではあるまいかと思うと。先年も悪阻の時に、こんな状態であったという。よって茯苓飲合半夏厚朴湯として投与するに全く効がない。のみならず下痢が続くので、ひどく疲れるという。そこで再び理中湯去朮加附子湯とする。この方に変えると下痢が止み、悪心が去り、食欲も出て来た。続いてこの方を服用せしめているうちに、先の悪心、食欲不振、微熱、咳嗽等は悪阻の症状として発現したものであったことがはっきりして来た。患者は8年ぶりに妊娠したことを喜び、目下なお服薬しているが、懐炉はいまだに腹から離せない。
『大塚敬節著作集』第六巻65




『重要処方解説Ⅱ』  北里研究所付属東洋医学総合研究所医長 花輪壽彦 先生
胃苓湯・茯苓飲合半夏厚朴湯(イレイトウ・ブクリョウインゴウハンゲコウボクトウ)

 胃苓湯(イレイトウ),茯苓飲合半夏厚朴湯(ブクリョウインゴウハンゲコウボクトウ)の2方は,どちらかといえば実証タイプの消化器疾患に使われる処方です。
(中略)


■茯苓飲合半夏厚朴湯・出典・構成生薬
 次に茯苓飲合半夏厚朴湯(ブクリョウインゴウハンゲコウボクトウ)について説明いたします。茯苓飲(ブクリョウイン)は『金匱要略』の付方として収載されている処方です。付方とは宋代に林億(りんおく)らが追加したもので,本来の出典は『外台秘要(げだいひよう)』です。
 条文は「『外台』の茯苓飲は,心胸中に停痰宿水あり,自ら水を吐出して後,心胸間に虚気満ちて食すること能わざるを治す。痰気を消し能く食せしむ」とあります。さらに「茯苓,人参(ニンジン),白朮,枳実(キジツ),橘皮(キッピ),生姜。右六味,水六升にて煮て一升八合をとり分け温めて三服す。人の行くこと八,九里ばかりにして,これを進む」とあります。「八,九里ばかりにしてこれを進む」というのは、8~9里歩くのに2~3時間かかるであろうということで,2~3時間おきに飲んで気分が楽になったらやめるという意味で空¥
 半夏厚朴湯(ハンゲコウボクトウ)は『金匱要略』にある処方で,「婦人咽中炙臠あるが如きは半夏厚朴湯これを主る」とあります。『千金方(せんきんほう』には「胸満,心下堅く,咽中帖々として炙肉有るか如く,これを吐しても出でず,これを呑みて下らず」と表現しております。構成生薬は,半夏(ハンゲ),厚朴,茯苓,生姜紫蘇葉(シソヨウ)です。いくつか共通する生薬もありますので,茯苓飲合半夏厚朴湯は,茯苓飲に半夏,厚朴,紫蘇葉の入った処方ということになります。結局この処方は,茯苓飲の証に,気滞など神経症状を兼ねるものと考えたらよいと思います。
 茯苓飲は,一言でいえば心下に痰飲があって消化器症状をきたすという病態に用いるものですが,大事な点は甘草,大棗が入っていないという点です。つまり本来脾を補うような作用はなくて,しかも水を下にさばくために甘草,大棗を入れていないという点が大事であると思います。したがって茯苓飲の中にある人参は,補うための人参ではなく,心下痞硬を取るという意味だと思います。したがってオタネニンジンよりも竹節人参(チクセツチンジン)(トチバニンジン)の方がよろしいと思います。

■古典における用い方
 この処方の使い方は,尾台榕堂(おだいようどう)の『類聚方広義(るいじゅほうこうぎ)』の頭註をみますと,「胃反,呑酸,嘈囃等にて,心下痞硬,小便不利,或は心胸痛する者を治す」とあります。胃反は現代的にはアカラシア,逆流性食道炎,幽門狭窄などを考えたらよいと思います。それから「老人,常に痰飲に苦しみ,心下痞満,飲食せず,下痢しやすき者を治す。小児,乳食化せず,吐下止まらず,并びに百日咳にて心下痞満,咳逆甚しき者を治す。倶に半夏を加えて殊に効あり」ともあります。尾台榕堂先生は茯苓飲加半夏(ブクリョウインカハンゲ)をよく使われたようです。『橘黄医談(きつこういだん)』という治験録にも茯苓飲加半夏がたびたび出ております。

■現代における用い方
 現代における茯苓飲合半夏厚朴湯の使い方については,大塚敬節先生らのお書きになった『漢方診療医典』が,非常に簡潔に説明していると思います。『漢方診療医典』によれば茯苓飲の説明は,『本方は胃内停水を去り,充満したガスを消す作用があるので,胃炎,胃下垂,胃アトニー,胃拡張などに用いられる。胃にガスが充満して,そのために食べられないという症状を目標にして本方を用いる。噯気,悪心,胸やけを訴えることもある。腹診上では心下痞硬があり、人参湯証よりもやや実証のものを目標とする」と説明しております。
 また大塚先生の著作集などを読んでおりますと、茯苓飲の証にはしばしば不眠,神経衰弱などの精神症状を伴うということが書いてあります。このあたりが半夏厚朴湯をしばしば合方することの理由ではないかと思います。半夏厚朴湯については,「本方は気のうっ滞を散じて気分を明らかにする効があるので,神経症,特に不安神経症に用いる機会が多く,また咽中の塞がる感じ,梅核気と古人が呼んだ症状で,のどに球状のものが詰まっていて,それゃ気になるという症状も本方を用いる目標である。本方を用いる患者は胃腸が弱く,胃部の停滞感,腹部の膨満感などがあり,胃内停水,ガスの貯留などがみられ,これと上記の症状が表裏一体となっていると考えられ,本方を用いることによって,これらの胃腸障害,精神症状,神経症状もともに消散する」と述べておられます。このようなことから,胃腸の不快感を伴う症状,精神症状を伴うようなものに茯苓飲合半夏厚朴湯を使うわけです。
 藤平健先生は,茯苓飲の目標として「心下部の軽い抵抗と,脾塞,膨満感,呑酸,嘈囃,尿不利の傾向,あまり苦しまずにスポッと吐くという嘔吐」と簡潔に述べております。
 本日は主としてやや実証タイプの消化器疾患に対応される胃苓湯と茯苓飲合半夏厚朴湯について簡単に説明いたしました。


『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


茯苓飲合半夏厚朴湯(ぶくりょういんごうはんげこうぼくとう)
 茯苓飲を使うべき胃下垂・胃アトニー者で,のどのつかえ感など,不安神経症のある者に,半夏厚朴湯を合方して用いる。ただし,生姜・茯苓は共通するので,茯苓飲に半夏・厚朴・紫蘇葉を加えたものということになる。
 胸やけ・吐き気・イライラ,時には動悸を訴えるような状態に用いる。



『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

茯苓飲合半夏厚朴湯(ぶくりょういんごうはんげこうぼくとう)
 ツ
本朝経験方(ほんちょうけいけんほう)

どんな人につかうか
 茯苓飲(ぶくりょういん)(190頁)と半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)(183頁)を合方したもので、抑うつ気分で、のどに異常感(梅核気(ばいかくき))があり、胃部の膨満感(ぼうまんかん)、痞(つか)え感、吐き気、胸やけ、動悸、めまいを伴う人に用い、胃炎、不安神経症、つわりなどに応用します。

目標となる症状
 ①抑うつ症状。②咽頭部の異物感。③胃部膨満感(ぼうまんかん)。④めまい。⑤動悸。⑥悪心。⑦胸やけ。⑧尿量減少。⑨食欲不振。⑩嚥下(えんか)困難。

 心窩部(しんかぶ)に振水音(胃内停水)。

 滑。

 湿ってうすい白苔(はくたい)。

どんな病気に効くか(適応症) 
 気分がふさいで、咽喉、食道部に異物感があり、時に動悸、めまい、吐き気、胸やけなどがあ責、尿量の減少するものの、不安神経症神経性胃炎つわり溜飲胃炎。胃下垂症、胃酸分泌過多症、胃アトニー症、胃酸分泌過多症、胃アトニー症、胃腸虚弱症、食道痙攣、食道浮腫、小児消化不良、血の道症、気管支喘息、気管支炎、扁桃炎、嗄声(かせい)、急性・慢性気管支炎、陰嚢水腫、胃性神経症、神経性食道狭窄、更年期障害、ヒステリー、バセドー病。

この薬の処方
 半夏(はんげ)6.0g。茯苓(ぶくりょう)5.0g。蒼朮(そうじゅつ)4.0g。厚朴(こうぼく)、陳皮(ちんぴ)、人参(にんじん)各3.0g。蘇葉(そよう)2.0g。枳実(きじつ)1.5g。生姜(しょうきょう)1.0g。


この薬の使い方
前記処方(一日量)を煎(せん)じてのむ。
ツムラ茯苓飲合半夏厚朴湯(ぶくりょういんごうはんげこうぼくとう)エキス顆粒、成人一日7.5gを2~3回に分け、食前又は食間に服用する。

使い方のポイント・処方の解説
 胃部膨満感、心窩部振水音、胸やけ、悪心などの茯苓飲を効くような消化器症状に、精神不安、抑うつ、咽頭異常感、動悸、咳、嗄声などの、半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)の適応症状が、いろいろの程度にダブっているような状態に用い、かなりいろいろな場合に使えます。半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)、茯苓飲(ぶくりょういん)の処方解説を参照下さい。



副作用
1) 重大な副作用と初期症状
 特になし

2) その他の副作用
過敏症:発疹、蕁麻疹等
このような症状があらわれた場合には投与を中止すること。
[理由]
本剤には人参(ニンジン)が含まれているため、発疹、蕁麻疹等の過敏症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行うこと。
 



2014年6月17日火曜日

桂枝人参湯(けいしにんじんとう) の 効能・効果 と 副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
人参湯(にんじんとう)
人参 甘草 朮 乾姜各三・ 

別名を理中湯と云い、胃腸の機能を整調するの作用がある。
一 般に本方證の患者は、胃腸虚弱にして、血色があく、顔に生気がなく、舌は湿潤して苔なく、尿は稀薄にして、尿量多く、手足は冷え易い。また往々希薄な唾液 が口に溜まり、大便は軟便もしくは下痢の傾向である。また屡々嘔吐・目眩・頭重・胃痛等を訴える。脈は遅弱或は弦細のものが多い。腹診するに、腹部は一体 に膨満して軟弱で、胃内停水を證明する者と、腹壁が菲薄で堅く、腹直筋を板の如くに触れるものとがある。
本方は人参・白朮・乾姜・甘草の四 味からなり、四味共同して胃の機能を亢め、胃内停水を去り、血行を良くする効がある。従って急性慢性の胃腸カタル、胃アトニー症・胃拡張・悪阻等に用い、 時に畏縮腎で、顔面蒼白・浮腫・小便稀薄で尿量が多く、大便下痢の傾向のものに用い、また小児の自家中毒の予防及び治療に用いて屡々著効を得る。時として 貧血の傾向ある弛緩性出血に、前記の目標を参考にして用いる。
本方に桂枝を加えて、甘草の量を増して、桂枝人参湯と名付け、人参湯の證の如くにして表證があって発熱するものに用いる。
また人参湯に附子を加えて、附子理中湯と名付け、人参湯證にして、手足冷・悪寒・脈微弱のものに用いる。



漢方薬の実際知識 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
8 裏証(りしょう)Ⅱ
虚弱体質者で、裏に寒があり、新陳代謝機能の衰退して起こる各種の疾患に用いられるもので、附子(ぶし)、乾姜(かんきょう)、人参によって、陰証体質者を温補し、活力を与えるものである。

各薬方の説明
1 人参湯(にんじんとう)  (傷寒論、金匱要略)
〔人参(にんじん)、朮(じゅつ)、甘草(かんぞう)、乾姜(かんきょう)各三〕
本 方は、理中湯(りちゅうとう)とも呼ばれ、太陰病で胃部の虚寒と胃内停水のあるものを治す。貧血性で疲れやすく、冷え症、頭痛、めまい、嘔 吐、喀血、心下痞、胃痛、腹痛、身体疼痛、浮腫、下痢(水様便または水様性泥状便)、食欲不振(または食べるとながく胃にもたれる)、尿は希薄で量が多い などを目標とする。本方の服用によって、浮腫が現われてくることがあるが、つづけて服用すれば消失する。五苓散(ごれいさん)を服用すれば、はやく治る。 本方を慢性病に使用するときは丸薬を用いる。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、人参湯證を呈するものが多い。
一 胃酸過多症、胃アトニー症、胃下垂症、胃カタル、胃拡張症、胃潰瘍、大腸炎その他の胃腸系疾患。
一 萎縮腎その他の泌尿器系疾患。
一 心臓弁膜症、狭心症その他の循環器系疾患。
一 肋間神経痛その他の神経系疾患。
一 肺結核、気管支喘息、感冒その他の呼吸器系疾患。
一 吐血、喀血、腸出血、痔出血、子宮出血などの各種出血。
一 そのほか、悪阻、肋膜炎、糖尿病など。

2 桂枝人参湯(けいしにんじんとう)  (傷寒論)
人参湯に桂枝四を加えたもの〕
人参湯證で、表証があり、裏が虚し(特に胃部)表熱裏寒を呈するもの、特に動悸、気の上衝、急迫の状などが激しいものに用いられる。発熱、発汗、頭痛、心下痞、心下痛、心下悸、四肢倦怠、足の冷え、水様性下痢などを目標とする。
〔応用〕
人参湯のところで示したような疾患に、桂枝人参湯證を呈するものが多い。
その他
一 偏頭痛、常習性頭痛など



明解漢方処方 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.64
桂枝人参湯(けいしにんじんとう) (傷寒論)

処方内容 桂枝四・〇 甘草 朮 人参各三・〇 乾姜二・〇(一五・〇)

必須目標 ①下痢(稀には兎便のような便秘)  ②表証(発熱、悪寒、頭痛)がある、頭痛を訴えることが一番多い  ③脉は弱い ④胃部痞えている。

確認目標 ①手足倦怠感  ②下痢は水瀉便で粘液や血を混じえていない ③自然発汗する ④腹痛なし。

初級メモ ①本方は所謂協熱利といわれる表位に熱症状があり裏に寒症状のある下痢を目標にする。表熱には桂枝甘草湯、裏寒には人参湯の行くところで、この両者の合方である。

②平常人参湯を用いるような虚弱体質の人が感冒に罹り表熱症状を伴って下痢するときに用いる。もし丈夫な人で裏寒がないなら葛根湯五苓散を考える。

中級メモ ①たとえ下痢しなくても裏寒の証(小便自利、冷えると胃が痛むなど)のある人の表証(頭痛)に用いてもよい。
 ②南涯「表裏に病めるなり。心下に血凝って気行かず、表裏に熱あって水を逐う者を治す。その証に曰く、心下痞硬これ血凝って気行かず(人参主之)なり。曰く数(しばし)ば之を下すはその逆を示す。曰く協熱利、表裏解せずは表裏に熱あるなり。利下まずといって下痢といわざるは、この利、気行かずして水下降する者に非ずして熱のために逐わるる利ゆえなり。曰く協熱して利するには黄芩を用いず桂枝を加える所以な責」。この南涯の説は裏寒を否定していて、いささか不審の点がある。

適応証 陰証体質の急性腸カタル。感冒。

文献 「桂枝人参湯による常習頭痛の治療」藤平健(日東医15、2、27)
    「桂枝人参湯に関する諸家の説」奥田謙蔵(漢方と漢薬7、9、79)

『漢方臨床ノート 治験篇』 藤平健著 創元社刊
p.346
桂枝人参湯による常習頭痛の治験

〔1〕緒言
 常習頭痛(以下常頭と略)は、疾患そのものとしてはさほど重要性をもつものではないが、患者自身にとってはかなり苦痛の大きい疾患である。しかも本症は、根治がきわめて困難であるために、発病の当初においてはこれを根治しようと努力するものの、やがてあきらめて、ただ対症療法としての一時しのぎにのみ走るようになるのが常である。その結果は胃腸をもそこねて、頭痛と胃腸障害の二重の苦痛に悩まされ続けているものも決して少なくはない。私は或る機会から、私自身の「常頭」に桂枝人参湯を応用して著効を得た。以来本方を相当多数の「常頭」に用いてみて、本方が「常頭」に頻用さられる可能性の多い、しかも根治的効果のある薬方であることを知ったので、ここにこれを報告し、大方の御追試と御批判とを得たいと思う。

〔2〕治療症例
 症例は二十四例(女性二十例、男性四例)である。
 発病は三ヵ月前、あるいは二年前というような比較的新しい例もあるが、大部分は十年ほど前からの古い、いわゆる持病となっているものが多く、中には四十年前からというような古つわものもある。
 頭痛の程度は、おおむねの目やすで、発作時のそれが、つらく不愉快であるが、仕事は続けされる程度のものを(+)とし、仕事が手につかなぬ程度のものを(++)とし、とても激しくて横臥を余儀なくさせられる程度のものを(+++)とした。(+)は七例、(++)は十四例、(+++)は三例である。
 胃症状は「常頭」の発作の際よく出現する胃部のもたれ感、膨満感、不快感等を総称したのであるが、五症例を除いた他の例のすべてに、これが見られる。
 桂枝人参湯証には下痢を伴うのが原則であるが、ここに取り上げた症例に関する限りでは、それは見られない。
 脈は発作時に診たものは少ないのであるが、一般に虚脈の傾向を呈している。
 舌は、乾湿その他がまちまちで、一定していない。腹力は中等度のもの四例を数えるが、他は軟か、やや軟で、虚状を帯びるものがきわめて多い。
 心下痞は全例にこれを認める。
 治療日数は、早いものでは二週間あるいは三週間でよくなっているものもあるが、長いのは一年近くかかっている。
 治療成績は、第1・2・3・6・7・12・13・16・17・18・21・23の各症例では、現在のところ再発を見ておらず、うち数例などは会う機会ごとに感謝される状況であるが、第10・14・20の三症例にはすでに再発を見ている。まだ実験の期間が短いので、詳細な遠隔成績が出せないのが遺憾であるが、この件に関しては後日折を見て報告したいと思う。

〔3〕治療方剤の内容
 本症に用いた治療方剤である桂枝人参湯の処方内容は、奥田謙蔵氏著『漢方古方要方解説』所載の二回量を一日分として与えた。すなわち、桂枝6.4g、人参4.8g 甘草6.8g 白朮4.8g 乾姜4.8gである。なお人参はすべて竹節人参を用いた。ただし、これを用いたのは第1症例から第14症例までであって、あとの症例には、K製薬会社の人参湯の粉末エキス1.8gに桂枝末0.3gを加えたものを分二(一日量)として与えた。
 『傷寒論』に示されてある人参湯および桂枝人参湯の分量は、人参湯は「人参・甘草・白朮・乾姜各三両」で、桂枝人参湯は「人参・白朮・乾姜各三両、甘草・桂枝各四両」である。すなわち人参湯の甘草の量を一両増し、さらにこれに桂枝四両を加えたものが桂枝人参湯である。したがって人参湯エキスに桂枝末0.3gを加えたものは、厳密にいうと、桂枝人参湯とは組成的にやや異なったものとなる。
 甘草の増量は一応措いておいて、桂枝人参湯中の人参湯の量と桂枝の量とを比較すると三対一になる。したがって人参湯エキス1.8gに対して桂枝末0.6gを配合すべきはずであるが、これでは桂枝末の量が多過ぎると考えて、その半量にしたのである。原典の桂枝人参湯の煎法のところに、「右五味、水九升ヲ以テ、先ヅ四味ヲ煮テ、五升ヲ取リ、桂ヲイレ、更ニ煮テ三升ヲ取ル」と指示せられてあるが、これは、おそらく、桂枝の揮発性分をあまり逃がし過ぎないための経験上からの知恵であろう。とはいえ、人参湯エキスに桂枝末を加える場合、前述の比率そのままの0.6gを加えることは、常識的にも多きに過ぎる。
 私はかつて、苓桂朮甘湯をエキス化するに際して、桂枝の揮発成分を、装置を使って回収し、その全量を粉末エキスに加えるようにしてみたところ、これを白湯に溶解して服用する際、口中に長くとどめ難いほどの辛味を感じたばかりでなく、それを服用したあとも、胃の調子が変になったという経験がある。
 そこで、0.6gの半量あたりの桂枝末を添加することがよいのではないかと考えて、前述の如く、人参湯エキス1.8gに桂枝末0.3gを加え、これを一日分量として用いてみたところ、味わいも、効力も、ほぼ桂枝人参湯の煎液に等しい状態を得ることができた。それにしても、このエキス剤は、原方に比べて甘草の量が若干少ないわけであるが、使用してみると、原方と同様にきわめてよく応ずる。第10症例は、桂枝人参湯を四十九週間使用して、具合はよいのであるが、なかなか根治の域には達せず、なお月一回ぐらいの割で頭痛が現われるのであるが、それも本方を使用することにより直ちに氷解するので、当人は大いに感謝しているわけなのである。ところが経済的な理由から自由診療を受けることが困難になったので、保険診療操作のきくエキス剤に切り替え、現在も引続きこれを服用しているが社当人の言によれば、煎剤同様にエキス剤も実によく効くという。すなわち、この例から見ても、原方による煎剤と、私の用いたエキス剤とは、ほぼ同様の効果があるものと考えられる。このエキス剤では、明らかに原方に比べて甘草の量が不足なのであるが、効果の点ではほとんど差がないという事実は、種々と考うべき問題を含んでいると思う。

〔4〕総括ならびに考按
 常習頭痛の真の原因は西洋医学的にもいまだ不明とされているが、その発現機序としては、脳内血管の拡張によって起こると考えられる血管性要因、頭や頸の持続性収縮によって惹き起こされると思われる筋肉性要因、精神的な葛藤にもとづくと推定せられる心因性要因等のほか、内分泌障害、アレルギー、ビタミンその他の食餌性欠乏、自律神経の不安定状態、諸種の中毒、肝または胃腸の障害、眼障害、頭部外傷等の種々の要因が挙げられている。
 そしてその治療としては、頭痛の発作時の治療と、その予防との二面のそれが行なわれている。
 発作時の治療としては、アミノピリン、フェナセチン、カフェイン、酒石酸エルゴタミン、バルビツール酸誘導体、コントール、フェノチアジン誘導体等が、単独かまたは併用して用いられ、間歇時の予防法としては、精神的緊張の排除、胃腸等の整調、心因性要因の排除等につとめるとともに、ビタミン療法、食餌療法、内分泌療法、抗ヒスタミン剤、鎮静剤、トランキライザー等の応用が行なわれている。しかしこれらのいずれもが、発作を抑制し得るものではないとされている。
 要するに、西洋医学的には、発作の一時おさえ以外には、根治的な治療法は未だ適確なものはないわけなのである。
 常習頭痛に対する漢方の頻用薬方としては、古方では呉茱萸湯、桂枝加桂湯があり、後世方では半夏白朮天麻湯、香芎湯がある。これらの薬方や、その他によっても解決のつかない場合にしばしば遭遇するものであるが、そのような場合に、一度は本方を応用してみるのも、決して無駄ではないと思う。
 本方の応用目標は、『傷寒論』には「太陽病、外証未ダ除カズ。而シテ、シバシバ之ヲ下シ、逐ニ協熱シテ利シ、利下止マズ。心下痞硬シ、表裏解セザル者」とあり、『方極』の条には「人参湯証ニシテ、上衝急迫劇シキ者」となっている。応用目標のうちの主目標は協熱利すなわち表証がそのまま残って、しかも裏が虚して下痢したものであって、すなわち体質のやや虚弱なものの、発熱を伴う下痢に応用せられる場合が最も多い。
 私は、私自身常習頭痛の経験者であるが、かつては呉茱萸湯がよく応じたのに、ここ数年それが応じなくなり、ふとした機会に、頭痛、嘔吐、下痢、脈浮という状態の頭痛発作から、桂枝人参湯証に思いが及び、それを服用したところ、頓坐的に発作が治まった。これを数日服用することによって、以後この発作が出現しなくなったのである。
 この経験から、頭痛、上衝という病理概念の重要な一症状であるから、これがあ改aて、さらに下痢があれば、本方証として一応妥当と認められるのであるが、あるいは下痢がなくても「上衝急迫」の一証で、「常頭」に応用できるのではないかと推量し、これを応用してみたところ、既述のような成績を得たわけである。
 このような、下痢もない頭痛に本方を用いて、なおかつ有効であるというのは、いささか奇異に感ぜられないこともない。しかし考えてみれば、他の薬方においても、本来の応用目標からかなり外れたものに対しても頓用せられているものがある。たとえば、肋膜炎に対する小青竜湯加石膏、翼状片に対する越婢加朮附湯、肩こりに対する葛根湯、小児の鼻づまりに対する麻黄湯等の如きはそれであろう。
 さて以上の経験から、桂枝人参湯が常習頭痛に用いられるための目標を整理してみると次のようになる。
 (a) 虚証であること。
 (b) 脈は軟、沈、細、等。
 (c) 舌は乾湿まちまちであるが、一般には湿潤した微白苔である場合が多い。
 (d) 腹力は中等度以下で、上腹部の正中線に軽度の抵抗と圧痛とがあるが、これは剣状突起直下にある場合と、中脘の付近にある場合との二種類の場合があるようである。
 (e) 上腹部の振水音は、ある場合と、ない場合と、まちまちである。
 (f) 下訳は、発熱のある場合と、ない場合があるが、常習頭痛は下痢のない場合の方が多い。

〔5〕結論 
 私は常習頭痛に或る機会から桂枝人参湯を用いて、かなり効果をみた。本方はもちろん常習頭痛の特効薬ではないが、長年本症に苦しむ人に、上述の応用目標にしたがって用いるときは、予期以上の効果を挙げ、予期以上のよろこびをもたらすことができる場合がある。
(「日本東洋医学会誌」15巻2号、昭和39年11月)


※ 桂枝人参湯中の人参湯の量と桂枝の量とを比較すると三対一になる。したがって人参湯エキス1.8gに対して桂枝末0.6gを配合すべきはずであるが、これでは桂枝末の量が多過ぎると考えて
(コメント)
一般に煎じる場合と粉末にして用いる場合とは、使用量が異なる。
目安としては、散として用いる場合は、湯として用いる場合の四分の一程度。
例えば、散としても湯液としても良く用いられる安中散について、
『漢方診療医典』 では、桂枝4 延胡索3 牡蛎3 茴香1.5 縮砂1.5g 甘草1 良姜0.5 の合計14gを煎じて1日量とするが、
末とする場合は上記を末として、毎回1.0~2.0gを1日2~3回服用するとするとなっているので、
1日量は、2~6gとなる。
湯液の14gと比較すると、散剤は、一割四分~四割三分程度となる。
以上より、桂枝末の量は更に減らしても良いもの考えられる。

また、K社の人参湯エキス1.8gと書かれているが、これには賦形剤等が配合されている可能性がある。(量が少ないので、賦形剤は含まれていない可能性も高い。)

更に言えば、エキス量と粉末の量との比率を論じる点にも問題があると思われる。
エキス剤に含まれるもとの生薬との比較にした方がよいと思われる。

例えば、小太郎漢方製薬株式会社の「コタロー人参湯エキス細粒」は、

本剤6.0g中  日局 ニンジン3.0g、日局 カンゾウ.3.0g  日局 ビャクジュツ3.0g  日局 カンキョウ.3.0g
上記の混合生薬より抽出した人参湯の水製乾燥エキス3.2gを含有する。
添加物としてステアリン酸マグネシウム、トウモロコシデンプ ン、乳糖、プルラン、メタケイ酸アルミン酸マグネシウムを含有する。

となっているので、このもとの人参、甘草、白朮、乾姜との比率から桂枝の量を検討すべきであると思われる。


※揮発性分? → 揮発成分 or 揮発性成分 と思われる。


p.357
頭痛の治験例
〔第6例〕常習頭痛
 33歳の主婦。初診・昭和38年12月27日。
 患者は痩せ気味の、顔色の蒼白な中背の婦人。25歳の頃から一日として頭痛に悩まされない日はない。頭痛は起床したから就寝するまでつづき、それが激しいときには嘔吐を伴う。デパートに出かけたり、PTAの会合に出たりしたあとは、それが一層はげしくなる。約三年前からは、三日に一度くらいの割で、いわゆる胃痙攣の症状が起きて、その痛みにひどく苦しむ。
 いろいろと諸治療を受けたが、何としてもよくならないので、もう半ばあきらめていたところ、主人の会社の同僚の奥さんが同じような症状であったのが、ここの漢方の治療で治ったので、ものは試しと来てみたのだという。

〔自覚症状〕 みずおちがもたれ、痛み、胸やけがして、背中が張る。項背の凝ることも多い。口中の乾燥感が常にあって、食欲を感じたことがない。腰以下がしばしば冷えたり痛んだりする。少しの仕事にもすぐ疲れてしまう。睡眠は大体よい。大便は秘結して三日に一行。小便は近くて一日に十数回、夜はない。月経は順調である。

〔他覚症状〕 中背、痩せ気味で、顔もからだも皮膚の色が蒼白い。脈は沈の気味で軟。舌は湿潤していて苔がない。腹は全般に軟弱無力で、中脘あたりに軽い抵抗と圧痛とがある。臍の左斜上および下各々二横指の付近にも軽い抵抗と圧痛とがある。
 以上の自他覚症状から、本症は定型的な陰虚証であることが明らかである。便秘はあるが、おそらくこれは虚秘であろう。ここで私は自信をもって桂枝人族湯を投じた。効験はまことにあらたかで、一週間後には頭痛は半減し、二週間後にはほとんど感じなくなり、食欲も大いに亢進し、一ヵ月後には頭痛はもちろんのこと、胃痛の発作も全く消退して、仕事に対する意欲が湧いてきた。今日も隣家の奥さんとバスに乗ってきたところ、その奥さんから、あなたはいつもバスに酔うのに今日は平気ね、といわれ、最近バスに酔わなくなっていることに初めて気付いたという。ここまでくれば、どうやら卒業も近いようである。
 さて、さきに「私は自信をもって桂枝人参湯を投じた」と書いたが、これには少々わけがあるのである。だいたい桂枝人参湯で常習頭痛が治ったなどという例は、私の知る限りでは、古今を問わず、あまり報告されていない。常習頭痛といえば、古方ではまず呉茱萸湯、ついで五苓散、桂枝加桂湯などに思いが及ぶし、後世方では第一番に半夏白朮天麻湯、ついで川芎茶調散などを思い起こすというのが一般的な順序ではなかろうか。ところが最近の私は、常習頭痛といえば、まず真先に桂枝人参湯を考える、というふうになってしまっているのである。ことほど左様に桂枝人参湯の常習頭痛に対する応用頻度は高率なのであって、であるからこそ「自信をもって」投薬したのである。
 ではなぜ、いわゆる協熱利――すなわち表熱がそのまま残ってしかも裏が虚して下痢するという症状――が桂枝人参湯証の主要構成分子であるにもかかわらず、熱もなく、また下痢もない虚証の常習頭痛に本方を用うるに至ったか、という経緯につ感ては、本年度の日本東洋医学会の総会で詳細を述べる予定なので、ここでは省略させていただくこととする(本書346~354頁収録「桂枝人参湯に版る常習頭痛の治験」参照)。
 とにかく、デパートを巡って来たあととか、PTAの会合に出席した直後とか、二~三日間甚だしい過労が続いた後とかに、きまって来襲するのを常とする激しい頭痛で、脈や腹が虚しており、心窩または中脘のあたりに中等度以下の抵抗と圧痛とがある患者には、ぜひ一度本方を試みていただきたいのである。それこそ「旧痾洗うか如し」という形容の通りに、長年の頭痛が、拭うが如くに消え去って、感謝感激されるいくつかの例に必ずやぶつかるはずである。
 ここで私は、『傷寒論』や「金匱要略』に出ている薬方だけでも、研究次第で、いまの流行語でいえば開発の仕方一つで、まだまだいくらでも多くの応用面が見出され得るのではなかろうか、と考えざるを得ない気持になってきたのである。尾台榕堂翁が『方技雑誌』の巻頭で『余五十年来、仲景方バカリ使ヒ来リシ故ニ、古方ハ家常茶飯ノ如クニナリテ、如何ヤウノ病人ニテモ、仲景方ニテ窘塞ススコトナク、又闕乏スルコトナシ。……余鈍次為才ト雖モ、少ヨリ雑学セズ、一意専心ニ仲景ノ法方ニ従事セシ故、古方使用ノ自由ヲ得ルニ似タリ。此一事ハ海内広シト雖モ、敢テ他人ニ譲ラズ」と豪語したのも、決してひとりよがりの広言ではないと思う。
(「漢方の臨床」11巻3号、昭和39年3月)

※窘塞:行き詰まる
※闕乏:欠乏、不足する


p.361
〔第8例〕
 42歳の婦人。初診・昭和57年3月11日。
 数年前から偏頭痛が始まり、最近は、月に数回、ひどいときには週二回ほど頭痛発作が起こる。現代医学的な治療も受けているが、鎮痛剤を投与されるだけで、根治はしない。このごろは市販の鎮痛薬で痛みを止めているが、だんだん胃の調子も悪くなってきたので、漢方でなんとか治してもらえないか、との訴えである。

〔自覚症状〕 手足が冷えがちで、強いていえば多少のぼせる傾向がある。頭痛の発作が終わるころ、ときどき吐くことがある。下痢はない。

〔他積症状〕 やや背が高く、多少ほっそりとした体格で、顔色は普通である。脈は弦でわずかに弱。舌には乾湿中等度の白苔が中等度にある。腹力は中等度よりやや軟。心窩部に軽い抵抗と圧痛がある。
 桂枝人参湯証と認め、エキス剤6gを分二として投与した。
 二週間後に再院。発作の回数は少なくなったがまだあるという。同じ処方を続投する。その後、経過は順調であったが、9月に来院したとき、多少便秘の傾向があるというので、桂枝人参湯に大黄エキス0.6gを加えて投与した。
 その年の春まで、頭痛発作の回数は少なくなったが、まだときどき出る状態がつづいていた。
 翌年2月21日に来院。まだときたま軽い頭痛が起きるが、吐くことはなくなった。通じも快調であるという。同じ処方を投与。
 その後しばらく来院しなかったのであるが、6月4日に来院した折の話では、もう完全に頭痛が起きなくなり、体調も非常によいという。そこで治癒と認め、同じ処方を三週間分投じて廃薬とした。
 (未発表のカルテより、昭和59年1月)

p.367
甲斐駒冬山行と頭痛と
 妙な題であり、妙な取り合せである。私自身そう思うのであるから、読者諸賢におかれては、なおさらその感が強いに違いない。実は、この正月南アルプス甲斐駒岳に登り、その最中に激しい常習頭痛の発作に襲われた。最初はカゼと思い込み、後に常習頭痛とわかったのであったが、このような際、いかなる薬方を用うべきやの解答が得られずに山を降りたのであった。ところが、十日後に再び同様の発作に見舞われて、今度はどうやらその答えが得られたので、その自己治験を書いてみようと思ったのである。それで当時の日記をひっくりかえしてみると、あの素晴らしかった冬山行の思い出が髣髴(ほうふつ)として眼前によみがえってきた。治験もお伝えしたいが、この冬山行の模様も紹介したい、という欲が出て、二兎を追うの愚は重々知りながら、かくは奇妙な取り合せの題を付ける仕儀とは相成ったのである。以下は当時の日記からの抜萃である。
 38年元旦 快晴。
 お屠蘇をいただき、おせち料理を食べて、直ちに甲斐駒登行に出発。六貫(22.5kg)のリュックがズシリと肩に重い。手違いで、木更津組と千葉駅で合流できず、ようやく新宿で落ち合う。リーダーは木更津山岳会会長の春田氏。齢はとって62歳。短身痩躯ながら壮者をしのぐ元気と敏捷さの持主。総勢十八名の内訳は高校生、BG、銀行マン、公務員と、職種の雑家なる如く、年齢も種々。もっとも定型的な社会人パーティーと申すべきか。
 汽車はすごい混雑で、文字通り足の踏み場もない始末。10時30分発、2時30分韮崎着。バスからトラックに乗りついで、駒ヶ嶽神社前の尾白荘に着いたのは午後4時半。食後、いろりで歓談するが、異常に眠い。眠気ざましに屋外に出ると、踏む土はカンカンに凍てついていて、中天の月は銀のように白い。
 1月2日 くもり、時々小風雪。
 7時半出発。尾白川を吊橋で渡って、間もなく急登となる。11時粥餠岩着。小風雪の中で焚火をつくり、一時間の大休止をとって昼食。途中、旧臘28日、頂上付近で落下骨折し、ようやくここまでおろされて来た会社員の救援隊一行を、はるか下方、尾白川の右岸に望遠。桑原々々、このようなことになってはと、各自自重を誓う。風雪の中を刃渡りを過ぎ、刀利夫の梯(はしご)場も無事に通過して、4時半、五合目小屋に着く。
 早くも陽の落ちた中を、薪切り、雪とかしと、一同大多忙。夏の南ア聖岳登行では、頂上でテンプラを、というのが念願で、見事その願いが果たされたのであったが、その当時から次の甲斐駒冬山行ではサシミを、と聞いていたのであった。ところが、これまた見事に願いがかなえられて、一同素晴らしいマグロのトロの味覚に舌鼓を打ったのであった。BG大岩さんの作ってくれたそばがあまりにもうまく、いささか過食したせいか、食後急に下腹が張ってきて、夜中に苦しくなる。少し下痢した。
 1月3日 曇。
 ビニールカバーで覆ったシュラーフザックは、からだから出る蒸気で蒸れて、表面がビショビショ。覆わねば寒いし、覆えばかくの如し。ふたつながら良いということは、いつの場合にもなかなかむずかしいものだ。
 雪をとかして水をつくり、針葉樹の小枝や葉っぱの入ったにぎやかな雑煮を、けむい、いぶり小屋の中でパクつく。雪山讃歌ではないが、けむい小屋でも黄金の御殿とは、よくぞ言ったものだ。いかにけむくても、むさくるしくても、小山屋での味はまた格別。
 朝、起きぬけから頭痛とさむけがする。こんな所でカゼをひいたらかなわない。脈浮やや緊の状態なので、麻黄湯エキス1gをのむ。
 8時出発。天気はあまりよくない。間もなく小風雪。11時、不動岩着。垂直の岩壁に鎖がかかり、足場が切ってある。15メートルほどののぼりで、大したことはないのであるが、それでも万一足を踏みはずせば、それこそ千仭の谷底に落下するのであるから、一応の緊張を必要とする。ガイドさんを含めて十九名の隊員がここを通過し終ったのが12時。その間、悪寒と頭痛に悩まされて、麻黄湯エキスのむこと二回。
 2時半、七丈小屋に着く。五合目小屋よりはるかに上等。それに、五合目小屋では他に二パーティーの合客があったが、ここはわがパーティーで独占だ。小倉重成先生が、例によって犠牲的精神を発革し、せっせと掃きかつ床を拭く。ものぐさの小生も、つられてそれを手伝う。
 30日来、多少カゼ気味で、軽い頭痛と悪寒とが出たり引っこんだりしていたが、今朝からそれが激しくなって来た。はじめは、脈浮緊だったので、麻黄湯エキスを服し、登行中もそれを服しつづけたが、どうもハッとしない。小屋についてからも、ますます悪寒が甚だしく、脈は浮数弱と変って、頭痛も甚だしいので、桂枝湯を連服。これでも全く応ぜず、悪寒と頭痛はつのるばかり。持参シタチョッキその他を全部着込み、ヤッケとオーバーズボンをつけてもなお寒い。食欲も落ちて、そばをかるく一杯食べただけ。心下がなんとなくつかえて、ややむかつく。急に立ち上がると、心臓部が妙に嫌な気持になって、倒れるのではないかという感じがして、乾かしておいたシュラーフを小倉さんにとってもらうありさま。会員の合唱に加わる気力も全くなく、早目にシュラーフにもぐる。しかしからだ中が違和感で寝苦しく、どうしても寝つかれない。心窩部が次第に張ってきて、次いでむかついてくる。一同がシュラーフにもぐり込み、すやすやと寝息を立てはじめて間もなく、どうにもたまらなくなって這い出し、手さぐりでオーバーシューズをつけ、小屋の外に飛び出して、胃中のものを残らず吐き出す。万物みな森閑とした闇に沈んでいるなかに、降る雪の音だけがサラサラと耳を打つ。明当の登頂を思い、心は暗い。
 ここに至って明らかとなった。これはカゼではなく、例の水毒の激動による、常習頭痛の発作であったのだ。一体、これをどうやってカゼと区別すべきか。また薬方は何を処すべきか。とにかく吐いたら楽になった。ようやく寝入る。夢の中で、これこそ半夏白朮天麻湯の証なのだ、とさかんに合点する。夢のお告げというのに当たるのかもしれないが、めざめて考えてみると、どうも半白天麻の証ではなさそうだ。
 1月4日 晴。
 起きてみると、頭痛がまだわずかに残り、起ち上がると少しふらつくが、悪寒は全くなくなっている。朝の雑煮の餅を二つ頬張ると、はや全く普通の状態となった。
 外に飛び出してみると、鳳凰三山が重なるようにして、紅にかがやく御来迎の中に浮かび上がっている。あいだをへだてる谿谷からは、雪煙がさかんに舞い上がっては降りている。しめた、今日は晴れるぞ。
 9時半、全員勇躍して軽装で出発。ワカンでラッセルしてくれる先頭の苦労に感謝しつつ、写真を撮りながら最後尾を登る。群青の空、それをくぎる銀白のスカイライン。朝日にきらめく純白の霧氷。ただ夢中になってシャッターを矢つぎ早やに切る。遠くに目をやると、鳳凰三山、秩父の連嶺、金峰が、あるいは近く、あるいは遠く、頂に雪の衣をつけて連なりそびえている。金峰の頂には、かすかながらも五丈岩も見える。それにつづく八ヶ岳の悠然とかまえて勇姿は、残念ながら八合目あたりから上が雲にかくれて見えぬ。つづいて霧が峰、南アの峰峰。ただもう感激に快哉を叫ぶのみ。
 12時、八合目の石の大鳥居に着く。眺望はますます拡がる一方だ。駒のバットセルは目の前にそびえ立ち、その左、鋭い切れ込みをへだてて摩利支天が屹立している。その左には栗沢山、つづいてアサヨ峰、さらにその左には南アの主峰北岳が雪煙の中に見えつかくれつしている。
 天候われに味方して、陽光は燦然としてこの白銀の殿堂にふりそそぎ、空はあくまで青く、白雲去来して、天国とはまさにかくやと思うばかり。そっちに走り、こっちに返って、シャッターを切りまくっているうちに、早くも小一時間が過ぎてしまった。
 1日、八合目から引き返す。小屋をかたづけ、軽食をすませたのち、2有40分出発。4時15分、五合目小屋着。ここに沈没するか、それとも強行して山麓の尾白荘まで長駆するかを、リーダーに問われ、全員強行に賛成。よってここを素通りして、一路山麓をめざして下る。まだ明るいうちに、不動岩の嶮や、刃渡りを過ぎることができたのは幸いだった。刃渡りを渡り終えて右手を見ると、富士が夕陽に片側を茜に染めながら、いままさに夕闇の中に没し去ろうとしているところだった。と見ると、今まで白々として中央にあった昼の月が、にわかに輝きを増しはじめた。ときどき風が強く吹きぬけるが、依然として雪が降らぬのは有難いかぎり。月あかりをたよりに、雪の夜道をひた下りに下る。
 9時近く、尾白荘に着く。まさに十二時間に近い時間を、登降を連続したことになる。疲れもなく、頭痛も悪寒もなくて、快適そのもの。
 薬方は、やはり見証で、 昨日の桂枝湯でよかったのだろうか。でなければ、一回の吐出で、今日こんなに元気でおられるはずはないのではなかろうか。
 山を下る道に、はたしてこの際何を用うべきであったかを、小倉氏と語り合う。結局結論が出なくて、宿題ということにする。
 10時すぎ夕食を終え、11時就寝。
 1月14日 晴。
 朝から、下痢と心窩部の膨満感とに苦しめられる。昨夕外食した折のエビフライが悪かったか。桂枝加芍薬湯エキスを服し、ややよし。
 夕刻、コロナ会の新年会に出席している最中に、急に悪寒がおそってきた。脈浮やや緊。頭痛なく自汗なく、関節痛なく、項背強なし。カゼだな、と思いつつ、麻黄湯エキス1gを間をおいて都合二回のむ。幾分よし。10時帰宅。少し頭痛が出て来た。また麻黄湯エキスをのみ就寝。
 1月15日 晴、強風。
 夜中、頭痛と心窩部の膨満感に苦しめられて、しばしばめざめる。夜明けに下痢。少しむかつくので、吐出しようとしたが、あまり出ない。
 今朝もなお依然として、頭痛、悪寒、心窩部観満感が強い。脈は浮やや弱。心窩はやや抵抗があって、圧に対し非常に不愉快である。
 これはやはり、カゼではなかったのだ。まただまされた。この状態は、3日の山小屋での経験と全く同じだ。
 頭痛、悪寒、脈浮弱の表証に、心下痞硬、下痢の裏証があって、これはまさに協熱利ではないのか。表裏双解の剤、桂枝人参湯を用いるべき正証ではなかろうか。さっそく同湯を作り服するや、ほぼ一時間後には、頭痛も悪寒もほとんど感じなくなり、午後に至って完全に正常となった。
 正月の甲斐駒登行中、小倉さんと話し合って、このような時には一体何を処すべきなのだろうと、宿題にしたのであったが、今日この解答が得られて、まことにうれしい。さっそく小倉さんに電話で報告をする。
 考えてみると、元旦の夜、尾白荘のいろりばたで異常に眠たかったのが、すでに発作の始まりではなかったか。そして2日目の夜、五合目の小屋で、夜中に下痢したのは、すでに完全に桂枝人参湯証が開幕をしたのであって、翌3日の激しい頭痛や悪寒や心窩部の膨満感は、舞台で、桂枝人参湯証がはなばなしく演ぜられている真最中だったわけなのである。
 思えば昨年10月20日から21日にかけて、小田原、箱根で日本東洋医学会の関東地方会が催された折にも、同様な発作に苦しめられたのであった。ところが、この時も下痢があったのにもかかわらず、桂枝人参湯の証とは気が付かず、もっぱら桂枝湯呉茱萸湯のエキスを服して解決せず、とうとう自然消退にまかせたのであった。数年前、「漢方の臨床」誌上に、常習頭痛の呉茱萸湯による自己治験を発表したことがあったが、あれは下痢がなかったから呉茱萸湯でよかったので、下痢が加われば、当然薬方が変わるべきものであった。それを強いて下痢の方は注意せずに、呉茱萸湯の方ばかりに色目を使おうとしたのは、われながら浅はかの限りであった。
(「漢方の臨床」10巻4号、昭和38年4月)



※吐出しようとしたが? → 吐き出そうとしたが?

p.211
泄瀉奮戦記
 ひどい下痢だった。旅先のことで、どうなることかと一時はかなり心配をしたのだったが、これまた法方大明神のおかげで、どうやら切り抜けることができた。自家経験は自家の経験でも、今回は珍しく私自身のではなく、わがカミさんのそれなのである。例によって日記を繰ってみよう。
            *
 2月24日(火)。パリのオルリー・ウェスト空港から飛び立ったフランス国内航空のプロペラ機は、途中、ランスの約半数の乗客十五名ほどをおろし、再び離陸して、夜10時半、ブルターニュ地方の西方に位置するカンペール市の空港に着いた。夜こことで、よくはわからぬが、かなり小さな空港らしい。四坪くらいの待合室と、それに続く事務室があるだけの、まことに簡素な空港の建物である。たった一台だけで客待ちしていたタクシーに乗り、暗い田舎道を十数分走って、林の中にポツンと建っているホテル・ル・グリフォンに着く。これまたスレートの瓦葺き二階建ての、かなりこじんまりしたホテルだ。それでも、フロントに置いてある案内のパンフレットを見ると、部屋数は四十余室はあるらしい。さいわい、フロントのマダムの感じもよく、部屋も大変きれいで、これなら、これからの五日間を、快適に過ごすことができそうだと、ホッと一安心する。
 ところが、一安心するのは早すぎた。その頃から、いつも元気なはずの、家内のからだの具合がおかしくなってきたからである。パリ市内のタクシーで酔い。また飛行機でも酔ったという。そして、いつもにもなく疲れが甚だしいと訴える。
 2月25日(水)。午前中いっぱいを、朝食もとらずに、気分が悪いとベッドに増になっていた家内が、いくらかは具合がよくなったようだから、町へ出てみたいという。タクシーで7~8分走って町の中央のカテドラル広場に出る。二、三買物をしているうちにまた気分が悪くなってきた。急ぎホテルへ戻る。みずおちあたりが何となく気持が悪いという。食欲は全くない。小半夏加茯苓湯のエキスを投与。よくならない。好転しないばかりか、気分はますます悪くなってきた。
 夕刻、水様便を下す。軽度に頭痛が起きてきた。少しだが寒けもするという。脈は浮やや数で、わずかに緊。自分でも熱っぽく感じるという。腹力は中等度よりわずかに軟。心窩部に軽度の抵抗と圧痛がある。腹痛、呼吸困難などは全くないが、腹鳴があり、多少汗ばむ傾向がある。項背のこりはない。
 さて、薬方は何にすべきか。それよりも、この原因はいったい何だろう。昨日午後フォーションで食べたエクレアのせいだろうか。しかし、あんなにはやる店のクリームがいたんでいたなどとは到底考えられないことだ。とすると、ああそうだ、オルリー空港内のレストランで摂った昼食に違いない。ハ喜バーグの肉が、まるで生だった。ステーキの生なら、どうということはないが、挽き肉にし、手でこねたはずのハンバーグの生焼きなら、あたる可能性は多分にある。
 これで原因らしきものは判ったが、薬方は何にしよう。一番考えられるのは、『傷寒論』第一七九章の「太陽ト少陽トノ合病、自下利スル者ハ、黄芩湯ヲ与フ。若シ嘔スルモノハ、黄芩加半夏生姜湯之ヲ主ル。」の黄芩加半夏生姜湯だが、旅先きのことでは、どうしようもない。
 ええ、ままよ。数年前、ローマの旅舎の魚に中毒して苦しんでいた妻に、窮余の策として、葛根黄連黄芩湯の方意を含めて、葛根湯エキスと三黄瀉心湯エキスを合わせて与えてみたところ、これが実にうまく奏効したことがあったではないか。夢よもう一度、と与えてはみたが、よくならない。前のときには、項背のこりや、息苦しさがあったが、今度はそれらもなく、したがって葛根黄連黄芩湯の証ではないのだから効くはずもないわけだ。柳の下に再びどじょう、というわけにはまいらなかったのである。
 そうこうするうちに下痢と腹鳴はますます激しくなってきた。腹痛がないのが、せめてものなぐさめだが、こう頻々と下痢したのでは、からだが参ってしまわないか。半夏瀉心湯エキス、ついで生姜瀉心湯エキスと与えてみるが、全く反応がない。熱があるのだから、効くはずがないわけだ。ならば、桂枝人参湯はどうだろう。嘔があったり、脈が浮やや緊だったりするのが気にくわぬが、などと考えながら使ってみたが、やはり駄目。
 隣りのベッドに寝ていても、家内の腹鳴がよく聞こえる。ウトウトする間もなく、あわてて飛び起きて、トイレにとんで行く。ほとんど失禁に近いらしい。
 さてどうしたものか。このまま、このようにひどい下痢が続いたら、どうなってしまうのだろう。すでに零時を過ぎている。何としても、明朝までにはケリをつけたい。横になりながら考える。あんなにひどく下痢をしながら、腹痛もなく、あまりひどく苦しむ様子がない。これは、ヒョットすると真武湯なのではなかろうか。困するといえども苦しむところなし、という真武湯の一つの状態に該当しているのではなかろうか。与えてみる。しばしばし腹鳴がやんで、具合がよいな、と思ったのも束の間、またグルグルゴロゴロと激しい腹鳴がはじまって、家内は跳ね起きた。
 時計を見ると、午前3時。ベッドにもどった家内を、も一度精診してみる。脈は浮やや数、やや弱。夕刻時のやや緊は、やや弱に変ってきている。大分虚してきているのだ。腹力もやや軟となってきているが、それに反して、心下の痞硬はかえって増してきている。寒けはなおある。どう考えてみても、これは桂枝人参湯の協熱利としか考えられない。「さあ、これで下痢もうちどめだ」、などとつぶやきながら服用させる。実は、すでに何度この打ち止めをつぶやいたことか。
 だが、今度はたしかに打ち止めであった。これを服用して間もなく、激しい腹鳴が止み、寝息が聞こえはじめたのだ。万歳! 今度こそほんものだ。
 2月26日(木)。朝7時。下痢もやんで、やや元気になって、家内めざめる。念のため、もう一度、桂枝人参湯エキスをのむ。
 9時には、すっかりいつも調子を回眼し、このあたり一面に点在する有史以前の巨石文化の探訪にと出かけることができるようになった。朝のオレンジジュースの、あのすばらしいおいしさは、未だかつて味わったことがないほどでした、とは、タクシーの中での彼女の述懐であった。うまさを感じるようになれば、もう病気は退散した証拠である。
 以上が、家内と私との、泄瀉奮戦の始末記なのだが、いやはやひどい目にあつた。家内も私も、ほぼ徹夜の奮戦であった。しかし、これも、天の与えたもう試練の一つなのであろう。よい勉強になった。同じ桂枝人参湯エキス(中将湯)を用いて、夕刻の服用は効かなかったのに、あとになっての、午前3時のそれは、まことに顕著な効果をあらわした。そのわけは、いったい何だったのだろう。
 すでに賢明な諸賢がお気付きのように、初めのときは、まだ少陽病位で、既述のように黄芩加半夏生姜湯の証であったから、効かなかったのである。それが水瀉傾けるが如きという形容通りの、頻々たる下痢のために、急速に虚してきて、太陰位に陥り、しかもまだなお表熱も残っていたために、表熱をさしはさんだ裏寒の下痢、すなわち協熱利となり、午前3時の段階では、まぎれもない桂枝人参湯の証になってきていたからなのである。
 それにしても、桂枝人参湯の心下痞硬は、かなりのものであることを、如実に知ることができたのだった。夕方の診察のときにはそれほどではなかったのひ、午前3時のそれのときは、抵抗圧痛ともにかなりの状態であった。それにつけても思うのは、吉益東洞が、人参の主治を心下痞硬と決めたのは、すばらしい卓見であった。これは、単なる思考的産物ではなく、充分過ぎるほどの臨床の裏づけがあったからこそ導き出し得た結論なのであろう。
            *
 これと似たことで思い出すことがある。そのことについては、ずっと前の「漢方の臨床」誌に書いたことがあるから、あるいは思い出される方もあるかもしれない。
 私の友人の女性薬剤師さんが婦人科疾患で手術を受けた。手術は順調にいったらしいのだが、術後、嘔吐が激しくなり、全く食事を受けつけなくなった。内科の医師と協同して、いろいろと手をつくしたが、五~六日たっても嘔吐が止まらない。そこで見舞いに行って診察してみると、脈も腹力も弱り切っているが、心窩部だけが、非常に抵抗強く、かつ圧痛も強い。診る前の見当では、小半夏加茯苓湯あたりで片がつくのではないかなどとタカをくくっていたのだ改aたが、診てみるに及んで、そのように簡単なものではないことを思い知らされた。脈も腹力も極端に虚している。だのに、このように心窩がコチコチになっているとは、いったいどうしたことか。薬方は何を擬したらよいのか。結論の出ないまま家に帰り、『類聚方広義』を初めから終りまで、丹念に読み直してみる。何辺ひっくりかえしてみても、乾姜人参半夏丸のところでひっかかる。本方の条文は「嘔吐止まざるもの」だけの簡単なものだが、東洞翁は「按ずるに、まさに心下痞硬の証あるべし」と、『類聚方』で意見を付け加えている。このような虚状の強い太陰の薬方の腹候に、まさか心下痞硬などという実証を思わせるような腹候が出るはずはな感のではないか。ややもすれば薬味偏重の傾向のある東洞翁の、いわば思考的産物なのではなかろうか。言い換えれば、臨床の裏付けを欠く単なる推論に過ぎないのではなかろうか。常に、このところを、そんなふうに考えていたのであった。恩師の奥月先生にも、そのような意見を申し述べたところ、私もそう思いますと肯定されたので、ますますその思いを深くしていたのであ識。
 ところが、現実にこのような患者さんに直面してみると、この薬方以外に擬すべき薬方がない。しかも東洞翁が補足した心下痞硬の腹候を、本方証の重要な一要員に加えた上である。そこで本方料を煎じて、翌朝病室に持参し、服用せしめた。これがまさに劇的に奏効して、一服して、さしもの頑固な嘔吐が止まり、夕刻からは流動食が入るようになった。引き続き本方を約一ヵ月服用して、すっかり元気になって退院できたのである。
             * 
 この例といい、今回の家内での経験といい、人参剤における心下痞硬の存在は、ほぼ確実なものと考えてよいであろう。このようにいうと、人参剤を使う場合に、必ずしも心下痞硬がなくても効いている例がある、といわれる方もあろう。私の数多くの経験例をふりかえってみても、それはある。しかしそれらの例を、よく考えてみると、乗るか反るかの急を要する人参剤の症果では、ほぼ間違いなく強痿心下痞硬症状が存在しているのである。或る薬方の証が、その証どおりの症状を呈するのは、病人の症状が急性か、または重症かである場合が多い。このようなことから考えても、人参剤に心下痞硬があることはほぼ確実といってよいでおろう。したがってまた、人参の主治が心下痞硬であると定義した東洞翁の結論も、ほぼ正しい、と考えてよいであろう。
             *
 このようなことを、いささかくどくどしく述べたことには、去はわけがある。それは、長沢元夫理大教授が、最近号の「薬史学会」誌と、「和漢薬」誌に、東洞の『薬徴』を斥する主旨の論文を掲載された。理路整然とした、素晴らしい論旨で、大きな感銘を受けたし、また啓発されるところが少なくなかった。けれども、氏の論文は、いささか理詰めすぎて、実地の裏付けがある点を見逃しておられるところがあるのではないか、と成じたのである。そこで、読後、早速はがきを差し上げて、いずれ折を見て所感の一端を述べさせていただくことを、お約束したのであった。それが、雑事に追われて実行できず、心苦しく感じていたところ、今回はからずも前述のような経験を加えることができたので、この機会をとらえて、気付いた点を述べさせていただくことにしたのである。
 本来ならば、同氏の論文を傍に置いて記述を進めるべきであるが、機中のことで意にまかせない。また考えようによっては、論文が傍にあると、言及する範囲がつい多くなりすぎて、かえって論旨の明確を欠くようなことにならぬとも限らない。氏の論文を読んで、大きな感銘を受けながらも、ただ一つ感じたことは、東洞翁の『薬徴』は、一つの思想と、一つの数理的手法だけにもとづいてつくられた単なる思考的産物ではなく、東洞翁の長い臨床経験が土台となっているに違いない。その一端は、私どもの臨床経験からも証明し得られる。長沢教授は、その点を多少ないがしろにしておられるのではなかろうか。意見を述べたい、と感じたのは、この一点だけなのである。したがって、これだけ述べれば、私の言いたいと思っていたことは、ほぼ言いつくしたことになる。
             * 
 カンペールからの急行列車の中で書き、そしてパリで一泊してまたアンカレッジへの途中で書き綴って、北極の上空にさしかかったいま、この小稿を終えた。折しも、氷原の果てから太陽がのぼりはじめて、所どころに割れ目を見せる氷海がバラ色一色に染まった。雪山でも見かける壮麗な朝映え現象である。
(「漢方の臨床」23巻3号、昭和51年3月)



『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


桂枝人参湯(けいしにんじんとう) <出典>傷寒論(漢時代)

方剤構成
 桂枝 人参 白朮 乾姜 甘草

方剤構成の意味
 人参・白朮・乾姜・甘草は人参湯で,この方剤は人参湯に桂枝を加えたものと考えればよい。
 桂枝は桂枝湯の桂枝で,頭痛や肩こりを発散させ,解消させるとともに,神経性心悸亢進をしずめる作用があるから,人参湯を用いたいような人で,頭痛・肩こり・神経性心悸亢進を訴えるような場合に適した方剤と言うことができる。人参湯を用いたいような人とは,顔色の悪い,腹力のない,胃アチニータイプと考えればよい。

適応
 胃アトニー者の常習性頭痛や肩こり,神経性心悸亢進に用いる。


和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
桂枝人参湯(けいしにんじんとう) [傷寒論]

【方意】人参湯証の脾胃の虚証脾胃の水毒および寒証虚証による心下痞硬・食欲不振・下痢・寒がり・疲労倦怠感等と、表の寒証表の虚証による悪寒・発熱等と、気の上衝による頭痛・のぼせ等のあるもの。
《太陰病.虚証》

【自他覚症状の病態分類】

脾胃の虚証
脾胃の水毒
寒証・虚証 表の寒証・表の虚証 気の上衝
主証
◎心下痞硬



◎寒がり


◎悪寒 ◎発熱



◎頭痛
客証 ○食欲不振
○水様性下痢
 軟便 泥状便
○稀薄な睡液 喜睡 悪心 嘔吐
 上腹部振水音

 人参湯証 
○手足冷
○頻尿 多尿
 身体痛
 心腹痛
 運動知覚麻痺感
 疲労倦怠
 
 人参湯
○自汗
 鼻汁
 咳嗽 
○のぼせ
○頭汗
 肩の凝り
 心悸亢進 


【脈候】 浮弱・浮遅・浮緩・浮弱数・浮数。このように人参湯証の場合と違い一般に浮の傾向がある。

【舌候】 湿潤して微白苔、または著変なし。

【腹候】 腹力やや軟。心下痞硬がある。しばひざ心下悸や臍上悸・臍下悸、時に上腹部の振水音がみられる。

【病位・虚実】 本方意は人参湯証の脾胃の虚証・脾胃の水毒を主としたものであるために太陰病に相当する。脈力も腹力も低下し、自汗し疲労倦怠して水様性下痢をするため表裏共に虚している。

【構成生薬】 桂枝4.0 甘草4.0 人参3.0 白朮3.0 乾姜3.0

【方解】 本方は人参湯中の甘草を増量し桂枝を加えた五味で構成されている。人参湯同様に人参・乾姜・白朮は脾胃の機能低下と水毒に対応し、心下痞硬・食欲不振を主る。特に乾姜・白朮は寒証の水毒より派生する寒がり・頻尿・多尿・手足冷を治す。桂枝は気の上衝による頭痛・心悸亢進を鎮静し、表の寒証・表の虚証の悪寒・発熱・自汗・疼痛を去る働きがある。また、急迫を主治する甘草が増量されているため、人参湯証よりも嘔吐・下痢が顕著に出現する傾向がある。

【方意の幅および応用】
 A 脾胃の虚証脾胃の水毒:心下痞硬・食欲不振・水様性下痢・喜睡等を目標にする場合。
   急性胃腸炎、慢性下痢、急性膵臓炎
 B 寒証:寒がり・手足冷等を目標にする場合。
   レイノー症候群
 C 表の寒証表の虚証:悪寒・発熱・鼻汁等を目標にする場合
   胃腸型感冒、アレルギー性鼻炎、気管支喘息
 D 気の上衝:頭痛等を目標にする場合
   福性頭痛、肩凝り

【参考】 *協熱利し、利下止まず、心下痞硬し、表裏解せざる者、桂枝人参湯之を主る。『傷寒論』
*病人、利下止まず、心下痞硬し、心腹時に痛み、頭汗出で、心下悸し、平臥すること能わず、小便少なく、或は手足冷ゆる者を治す。
『医聖方格』
*此の方は協熱利を治す。下利を治するは、理中丸に拠るに似たれども、心下痞ありて表症を帯ぶる故、『金匱』の人参湯に桂枝を加う。方名苟もせず。痢疾最初に一種此の方を用ゆる場合あり。其の症、腹痛便血もなく、悪寒烈しく脈緊なる者、此の方を与うるときはツト弛む者なり。発汗の宜しき所と混ずべからず。丹水子は此の方に枳実・茯苓を加えて逆挽湯と名づく。是は『医門法律』に拠って、舟を逆流に挽きもどす意にて、此の方と同じく下利を止むる手段なり。
人参湯証で発熱を伴う場合は本方を用いる。
*食欲不振はさして顕著ではないことが少なくない。

【症例】 カゼと膵臓炎と下痢
 41歳、女教員。カゼを引いて某院を受診し、1週間余り西洋薬を飲んだが、一向に解熱しないばかりか、上腹部に激痛、1日3~4回の下痢がはじまり、40℃の発熱となった。
左側胸部から肩甲間部に凝りを覚え、時に海老のように屈曲して激しい腹痛をこらえる。下着を4~5回替える程発汗がしきりで、煩渇・尿不利がある。
 膵臓炎を疑い、薬方は五苓散料とした。服薬すると間もなく腹痛と渇が減じだし、体温は最高38℃位になった。服薬3日間で腹痛と渇は全く消失し、食欲が少し出てきた。
 ところが、この頃から下痢の回数が4~5回に増え、自汗は再び増し、午後は38℃台の発熱をみるようになった。
 憔悴しておらず、脈は細弱やや数、腹力は軟弱で、胃部に抵抗圧痛がある。下痢便でも匂いと色がついている。挾熱ふの桂枝人参湯を投じた。晩から服薬果始め、翌朝までには下痢の量を減じ37.5℃にまで下り、3日目には便が固まり、自汗がわずかとなった。
きも良く、今はある会社の役員になっている。
小倉重成 『漢方の臨床』14・4・27


臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
p.144 急性腸炎・大腸炎・偏頭痛・常習性頭痛
35 桂枝人参湯(けいしにんじんとう) 〔傷寒論〕
 桂枝四・〇 人参・白朮・甘草 各三・〇 乾姜二・〇

 原本には水六〇〇ccをもって、桂枝以外の諸薬を煮て四〇〇ccとし、これに桂枝を入れて再び煮て三〇〇ccとし、滓を去って、日中二回、夜一回に分服することになっている。一般には同時に煎じている。

応用〕  表に熱があり、裏に寒があるものである。誤って下し、中焦(胃部)が虚し、心下痞硬し、内部の陰寒が、外熱におかされて下痢するというものに用いる。
 本方は主として感冒や流行性感冒で、発熱・脈浮弱・頭痛・悪寒などの表証があり、平素冷え症で軟便、裏(腸)に寒のあるもの、また急性腸炎・大腸炎に用いることが多く、偏頭痛・常習性頭痛・小児急癇等に用いた報告がある。

目標〕 頭痛・発熱・汗が出、悪風等の表熱の症状があって、心下痞硬・下痢があるもの、あるいは心腹疼痛・心下悸・四肢倦怠・足冷え・小便自利等を目標とする。
 脈は浮弱で数、舌はあまり変化がない。腹証は心下痞硬とあるが痞のこともあり、必発とはいいがたい。人参湯の裏寒の証に表証を兼ねているというのがねらいである。
 冷え症で下痢しやすく、虚証の人に用いられる。

方解〕  人参湯の甘草を増やし、桂枝を加えたものである。桂枝をもって表証を治し、人参湯をもって裏を治すというものである。
 桂枝は表を解し、白朮・乾姜は内の寒と水を去って下痢を止め、人参は心下痞硬を解し、胃の気を補い、甘草は急を緩める。

主治
 傷寒論(太陽病下篇)に、「太陽病、外証未ダ除カズ、而ルニ数シバシバ)之ヲ下シ、逐ニ協熱(キョウネツ)(表熱を挾み合わせるの意)シテ利シ、利下止マズ、心下痞硬シ、表裏解セザル者、桂枝人参湯之ヲ主ル」とあり、
 勿誤方函口訣には、「此方ハ協熱利ヲ治ス。下利ヲ治スルハ理中丸ニ拠ルニ似タレドモ、心下痞アリテ表症ヲ帯ブル故、金匱ノ人参湯ニ桂枝ヲ加フ。方名苟モセズ、痢疾最初ニ一種此方ヲ用ユル場合アリ。其症腹痛便血モナク、悪寒烈シク脈緊ナル者、此方ヲ与フルトキハスツト弛ム者ナリ。発汗ノ所宜ト混ズベカラズ。
 丹水子ハ此方ニ枳実・茯苓を加エテ逆挽湯(ギャクバントウ)ト名ヅク。是ハ医門法律ニ拠テ、舟ヲ逆流ニ挽(ヒキ)モドス意ニテ、此方ト同ジク下利ヲ止ル手段ナリ」とある。また、
 古方薬嚢には、「熱があり、悪寒して、汗出で下痢する者、下痢は一~二回のものもあり、回数多き者経あり、必ず胸中若しくは胃中塞りたるが如き、重苦しき感じあり。頭痛も大抵あ責、小便は近き者、反って遠き者もあり、定まらねど参考に入るべし。脈は必ず弱く、つまるところ、熱とさむけと下痢と胸のあたりのつまる感じ等を主として考え与うれば、大いなる誤り無かるべし」とある。


鑑別
人参湯 111 (下痢・裏寒証、表熱少なし)
葛根湯 20 (下痢・実証、脈浮緊)
○葛根黄連黄芩湯 19 (下痢・表裏実熱症、脈促)
四逆湯 56 (下痢・脈沈遅)
真武湯 75 (下痢・眩暈、動揺症状)
五苓散 41 (下痢・渇、小便不利、嘔吐)
半夏瀉心湯 119 (下痢・実熱、心下痞硬)

参考
 藤平健氏、桂枝人参湯による常習性頭痛の治療(日本東洋医学会誌、一五巻二号)






治例
 (一) 下痢発熱
 三歳の男児。かぜをひきやすく、かぜをひくと喘息様のせきが出るくせがある。一五日ほど前から、一日二~三行の水瀉性の下痢があり、ときどき熱が出るという。食欲はない。桂枝人参湯を与える。三日分で下痢がやみ、食欲が出た。
 桂枝人参湯は、人参湯に桂枝を加えたもので、表に熱があり、裏に寒があって、下痢する場合に用いる方剤である。桂枝で表熱を解し、人参湯で裏寒を治するのである。
(大塚敬節氏、漢方診療三十年)
 (二) 慢性下痢症
 五〇歳の婦人。一〇年ほど前に腹膜炎を病み、一年ほどにて癒えた。今年春ごろよりブラブラと病み始め、また腹膜炎といわれた。熱が少しあり、頭痛ときにあり、食欲はあるが、食すればただちに吐き、心下不快であ識。腹は少しふくらみ、時を限ってゴロゴロと鳴り、多少痛みもあり、手足冷え、一体に寒がりにて大便一日に数行、水のごとしという。脈はやや数にて力無く、手足の冷えと腹中雷鳴を主として当帰四逆湯を与えたところ快方に向かい、元気づいたが、下痢は相変わらずやまない。小便の出ぐあい悪くなるときは下痢必ず多しという。よって桂枝人参湯を与え、服す識こと三~四日、一夜にわかに大吐利を発し、暁方までやまず、手足厥冷して正に死せんとして一座を者を驚かした。翌朝には吐利さっぱりと止まり、諸症ことごとく消失し、翌日よりは大便一日一回、桂枝人参湯を服すること一週間にて元の身体に復した。
(荒木性次氏、古方薬嚢)
 (三) 常習性頭痛
  三五歳の男子。四年前から相当はげしい常習性頭痛に悩まされていた。胃症状もあり、舌には薄い白苔がある。脈は軟弱で、腹は軟かいが膨満している。少しく心下部が痞えているが、振水音は認められない。便秘がちで、頭痛のときは嘔吐を起こす。この患者に桂枝人参湯を与えたところ、四年来の常習性頭痛が軽快し、全一七週間の服薬で、嘔吐や便秘も同時に治癒した。
 桂枝人参湯を常習性頭痛に用いる目標は、「人参湯証にして、上衝急迫劇しき者」という方極の指示に従ったもので、(1)虚証であること、(2)脈は軟・沈・細等、(3)舌は乾湿区々であるが、一般に湿潤し、微白苔のことが多い、(4)腹力は中等度以下で、上腹部正中線に軽度の抵抗と圧痛がある、(5)上腹部の振水音は不定、(6)下痢・発熱は、ある場合とない場合があるが、常習性頭痛の場合、下痢のないことが多い。
(藤平健氏、日東洋医会誌、一五巻二号)




『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

桂枝人参湯(けいしにんじんとう)
 ツ、カ、シ
傷寒論(しょうかんろん)

どんな人につかうか
 胃腸の弱い人におこる頭痛、動悸(どうき)、息切れなどに用いる処方で、身体の表面に悪寒(おかん)、頭痛、発熱、関節痛などの熱症状(表証)があるのに胃腸が冷(ひ)えて機能が衰え、吐いたり下したりする(裏証)ような時に効きます。

目標となる症状
 ①下痢。②頭痛、発熱、悪寒(おかん)、関節痛(表熱証、中医学では表寒)。③胃部に痞(つか)え感がある。④下痢は水様便で、粘液や血液はまじらない。⑤手足がだるい。⑥自然発汗がある。⑦腹痛はないがお腹が冷(ひ)えている。

 みぞおちに痞(つか)え感がありたたくとピチャピチャ音(振水音)がし、腹壁は軟弱。

 弱く遅い脈。

 湿無苔。

どんな病気に効くか(適応症) 
 胃腸の弱い人の、頭痛動悸慢性胃腸炎胃アトニー。慢性頭痛、偏頭痛(へんずつう)、急性胃腸炎、感冒性下痢、感冒、流行性感冒、急性腸炎、大腸炎、神経性心悸亢進症(しんきこうしんしょう)、心臓病。

この薬の処方
 桂皮(けいひ)4.0g。人参(にんじん)、甘草(かんぞう)、白朮(びゃくじゅつ)(又は蒼朮(そうじゅつ))各3.0g。乾姜2.0g。

この薬の使い方
前記処方を一日分として煎(せん)じてのむ。
ツムラ桂枝人参湯湯(けいしにんじんとう)エキス顆粒、成人一日7.5gを2~3回に分け、食前又は食間に服用する。
カネボウ(一日6.0g)前記に準ずる。

使い方のポイント
 平素、人参湯(にんじんとう)(175頁)を用いるような虚弱な人が感冒にかかつて頭痛発熱し、下痢する様な場合に用いるものですが、慢性頭痛にも用います。

処方の解説
 人参湯(にんじんとう)に桂枝(けいし)を加えた処方で、人参湯(にんじんとう)は胃腸の冷え、虚弱を改善します。桂枝は発汗、解熱、鎮痛、抗菌作用があって、風邪(かぜ)症状を治してくれます。桂枝(けいし)は又末梢血管(まっしょうけっかん)を拡張し、胃腸の分泌を如し、消化吸収の働きを良くし、人参湯(にんじんとう)の働きを増強します。



副作用
1)重大な副作用と初期症
1) 偽アルドステロン症: 低カリウム血症、血圧上昇、ナトリウム・体液の貯留、浮腫、体重増加等の偽アルドステロン症があらわれることがあるので、観察(血清カリウム値の測定等) を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
2) ミオパチー: 低カリウム血症の結果としてミオパチーがあらわれることがあるので、観察を十分に行い、脱力感、四肢痙攣・麻痺等の異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
[理由]
厚生省薬務局長より通知された昭和53年2月13日付薬発第158号「グリチルリチン酸等を含 有する医薬品の取り扱いについて」に基づく。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、血清カリウム値のほか血中アルドステロン・レニ ン活性等の検査を行い、偽アルドステロン症と判定された場合は、症状の種類や程度によ り適切な治療を行うこと。低カリウム血症に対しては、カリウム剤の補給等により電解質バランスの適正化を行う。

2) その他の副作
過敏症:発疹、発赤、瘙痒、蕁麻疹等
このような症状があらわれた場合には投与を中止すること。
[理由]
本剤には桂皮(ケイヒ)、人参(ニンジン)が含まれているため、発疹、発赤、瘙痒、蕁麻疹等の過敏症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行うこと。

2014年6月16日月曜日

啓脾湯(けいひとう) の 効能・効果 と 副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
啓脾湯
本方は四君子湯を基礎として脾を補い、健 胃・利尿を図って更に消化の剤を配したもので、虚證で貧血性、脈腹共に軟弱となり、食欲不振、水瀉性下尿が荏苒として止まず、時に腹痛・嘔吐の気味のある ものによい。大人でも脾胃虚弱の慢性胃腸カタルや腸結核などにも用いてよいことがある。
方中の人参・白朮・茯苓・甘草は四君子湯で専ら脾胃を補う。即ち胃を健にし食欲を進め、山査子・陳皮は食を消化し、蓮肉は脾を強めて瀉を止め、沢瀉は胃腸内の湿を消導して渇を止める。
以上の目標に従って本方は、小児消化不良症・慢性胃腸カタル・水瀉性下痢・腸結核・病後の食欲不振等に用いて胃腸を強壮にする。


明解漢方処方 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.137
⑲啓脾湯(けいひとう)(万病回春)
 人参 白朮 茯苓 蓮肉 山薬各三・〇 山査子 陳皮 沢瀉各二・〇 甘草 生姜 大棗各一・〇(二四・〇) 以上煎剤、または蜜丸とする。
 後世方なら四君子湯、古方なら人参湯を用いるような、胃寒によって起る嘔吐を伴った下痢の症状が慢性化して脉も腹状も軟弱で食慾不振が劇しく、その上神経的にも所謂”癇性”を起している場合に用いられる。または大病後の胃腸機能の亢進剤に用いる。主として小児に適応者が多く、もし本方無効のときは甘草瀉心湯、真武湯などを考える。大塚、矢数両氏には本方で腸結核を治した治験がある。小児の慢性下痢。腸結核。


『臨床三十年 漢方治療百話 第一集』  矢数道明著 医道の日本社刊
p.476
いわゆる「かんむし」について
〔啓脾湯〕
 人参三・〇 白朮 茯苓各四・〇 蓮肉 山薬三・〇 山査子 陳皮 沢瀉各二・〇 甘草一・〇
  この方は小児の消化不良で、泄瀉性下痢を繰り返えし、栄養衰え、筋肉弛緩し、貧血甚しく、食思衰え、嘔気などを伴い、腹張り、しかも軟弱で、羸痩はなはだしいものに用いられる。


臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
p.147 慢性腸炎・消化不良・腸結核
36 啓脾湯(けいひとう) 〔万病回春〕
 人参三・〇 白朮・茯苓 四・〇 蓮肉・山薬 各三・〇 山査・陳皮・沢瀉 各二・〇 甘草・乾生姜・大棗 各一・〇

 原本には啓脾丸とあって、右細末とし、煉蜜にて丸となし、毎服一~二グラム、重湯にて服す。あるいは末として重湯にて服するのも可である。しかし一般には煎じて服用している。
 脾(古書の脾は消化器系の臓器を代表している)を啓(ひら)く(鞭撻する、力をつける意)という意味である。

応用〕  虚証で、いわゆる脾胃虚弱の水様性下痢、小児の消化不良によく用いられる。
 本方は主として小児の消化不良症、大人でも慢性胃腸炎や腸結核に応用され、また病後の胃腸の強壮剤として使われる。

目標〕 虚証で貧血性、脈腹ともに軟弱無力となり、食欲不振、水瀉性下痢が長く続いて、ときどき腹痛や嘔吐の気味のあるものである。
 他の処方の効かぬ水瀉性下痢に試用する。


方解〕  人参・白朮・茯苓・甘草は四君子湯で、もっぱら脾胃を補う。すなわち胃の機能を旺んにして食欲を進め、山査、陳皮は食を消化し、蓮肉は脾を強め、瀉を止め、沢瀉は胃腸内の湿を消導して渇を止める。

主治
 万病回春(小児泄瀉門)に、「食を消し、瀉を止め、吐をとめ、疳を消し、黄を消し、脹を消し、腹痛を定め、脾を益し、胃を健にす」とある。
鑑別
参苓白朮散 76 (水様性下痢・気滞の傾向がある、腹鳴)
 ○人参湯 111 (水様性下痢・唾が出る、尿利増加)
 ○桂枝人参湯 35 (下痢・心下痞え、熱症状があり、脈浮)
 ○真武湯 75 (下痢・虚寒の証で、嘔吐、腹痛などがある)
 ○胃風湯 4 (下痢・直腸部に邪が多い)

 これらの鑑別はなかなかつけがたいことがあり、実際に使ってみて、その効果を知るほかないことが多い。

治例
 (一) 慢性下痢(腸結核の疑い)
 四二歳の映画女優。平素から胃腸弱く、下痢するくせがある。今度は約半年前から下痢が始まり、止まらない。腸結核と疑われて、ストマイ・パスを用いたが、それでも止まらなかった。
 患者は痩せて脈が弱く、舌苔なく、腹部は軟弱で振水音をきく。肩こりやすく、手足が冷える。
 真武湯を七日分のんだが変わりなく、啓脾湯に転方したとこ犯、二週間で下痢一回となり、一ヵ月あまりで下痢がやんだ。
 真武湯で止まらない下痢が啓脾湯で止まり、啓脾湯で止まらない下痢が真武湯で止まることがある。
(大塚敬節氏、漢方診療三十年)
 (二) 消化不良症
 二歳の女児。離乳期に消化不良となり、水様の下痢日に一〇数行もあって、食物が入るとすぐに下痢してしまう。水様で緑色である。食欲全くなく、一〇数日間続いたので、すっかり痩せて衰弱極度に達した。脈も腹も軟弱で無力、腹中は真綿を按ずるようで何物もないようである。初めのころは胃苓湯で効なく、のち啓脾湯によって下痢は次第に減少し全治した。
(著者治験)
 (三) 腸結核
 一七歳の男子。戦前から肺結核で私のところで漢方の薬をのんでいた。私が五年間戦地に楽改ar帰国してみると、患者は大変海岸近くの焼け残ったアパートで静養していた。老父母の間の一人息子であった。戦後はすっかり衰えて、ときどき喀血を繰り返し、腸結核を併発して、暁方四時ごろになるとゴロゴロ腹が鳴って、水様の下痢が起こり、日に三~四回もあるという。これではとても助かる見込みはなく、死期も近いと思われた。ところが啓脾湯を与えたところ、大便が固まってきて、だんだん太ってきた。胸部所見は空洞がいくつもあってひどかった。そのうち抗生物質ができるようになり、これを併用させたところ、大変よくなって、すっかり一人前となり、あの骸骨のような患者は、めでたく結婚生活に入ることができた。母親が大変よろこんでわざわざあいさつにきた。
 これは腸結核のとき啓脾湯で生命をつなぎとめ、その後抗生物質の力によって普通の人と同じ生活ができるようになったわけである。
(著者治験)
※白朮 茯苓 四・〇 → 白朮 茯苓各四・〇



『漢方後世要方解説』 矢数道明著 医道の日本社刊

p.34補養の剤
方名及び主治 一五 啓脾湯(ケイヒトウ) 万病回春 泄瀉門

○ 食を消し、瀉を止め、吐を止め、疳を消し、黄を消し、腹痛を定め、脾を益し、胃を健にす。
処方及び薬能人参 白朮 茯苓 蓮肉 山薬各三 山査子 陳皮 沢瀉各二 甘草 生姜 大棗各一
 右小児一日量

 人参、白朮、茯苓、甘草=四君子湯で脾を補う。
 山査子、陳皮=食を消化す。
 白芷=陽明経風熱を治す。
 蓮肉=健脾、瀉を止む。
 沢瀉=渇を止め湿を除く。

解説及び応用○ 此方は四君子湯を基礎として消食の剤を加えたもので、小児疳瀉と呼ぶ所謂小児の消化不良症に最も屢々用いられるものである。
他に大人にても脾胃虚弱即ち慢性胃腸炎にて諸薬応ぜぬ水瀉性下痢に広く応用される。
余は腸結核の初期に用いて卓効を収めたことがある。脈腹共に虚状にして微熱あるもよい。


応用
 ① 小児の消化不良症、② 慢性胃腸炎、③ 腸結核、④ 病後の胃腸強壮剤。








和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
啓脾湯(けいひとう) [万病回春]

【方意】 脾胃の虚証による軟便・泡沫状下痢・食欲不振等と、虚証血虚による貧血傾向・顔色不良等のあるもの。
《太陰病.虚証》

【自他覚症状の病態分類】

脾胃の虚証 虚証・血虚

主証
◎軟便
◎泡沫状下痢
◎食欲不振


◎貧血傾向
◎顔色不良






客証  胃腸虚弱

 口中甘味
 嘔吐
 軽度の腹痛
 軽度の裏急後重
 上腹部振水音
 疲労倦怠
 るいそう
 衰弱


  


【脈候】 軟弱。

【舌候】 無苔。

【腹候】 発病して日の浅い場合には腹力中等度からやや軟程度。慢性のものは軟弱無力まで。

【病位・虚実】 本方は四君子湯の加味方で脾胃の虚証が中心的な病態であり、太陰病に相当する。自他覚症状からも、また脈候および腹候からも虚証である。

【構成生薬】 人参4.0 蓮肉4.0 山薬4.0 白朮4.0 山楂子2.0 陳皮2.0 沢瀉2.0 甘草2.0 時に大棗2.0・生姜1.0を加える。

【方解】 人参・茯苓・白朮・甘草・大棗・生姜は四君子湯で脾胃の虚証に対応し、沢瀉の利水作用も協力して下痢傾向・食欲不振・胃腸虚弱・貧血傾向・顔色不良・疲労倦怠等を治功。蓮肉・山薬・山楂子は虚証お版び脾胃の虚証に対応し、滋養・強壮・消化・健胃・整腸・収斂作用により止瀉する。陳皮の健胃・消化・整腸作用もこれに協力する。大棗・生姜は以上の構成生薬の作用を穏やかにし応用を広げる。

【方意の幅および応用】
 A 脾胃の虚証虚証血証:軟便・泡沫状下痢・食欲不振・貧血傾向・顔色不良等を目標にする。
 小児の消化不良、慢性胃腸炎、腸結核症、病後・術後の胃腸虚弱

【参考】 *食を消し、瀉を止め、吐を止め、癇を消し、黄を消し、腹痛を定め、脾を益し、胃を健にす。
『万病回春』
*此の方は四君子湯を基礎として消食の剤を加えたもので、小児癇瀉と呼ぶ、所謂小児の消化不良症に最も屡々用いられるものである。他に大人にても脾胃虚弱、即ち慢性胃腸炎にて、諸薬応ぜぬ水瀉性下痢に広く応用される。余は腸結核の初期に用いて卓効を収めたことがある。脈腹共に虚状にして、微熱あるものもよい。
【症例】 肺結核に合併した骨盤カリエスと腎結核
 昭和23年の10月上旬、もう4年も前から床についているという青年。左側の肋膜炎の後に肺結核となり、更に骨盤の結核となり、最近また腎臓が結核に冒された。主治医は患側の腎臓を摘出するように指示した。手術をせずに治るものなら治したいという希望である。
 病人は背丈の高い痩せた血色の良くない青年で、言葉少なく静かに床についている。体温はたまに37.2~3℃。きわめてまれに38℃近くなったことがある。食欲はあ移りすすまない。ときどき下痢する。便秘はしない。まれに嘔吐を伴う下痢があり、頭痛がする。排尿後にかすかに尿道に異常感覚がある。
 脈をみると弦細で1分間62至。舌に苔はなく湿っている。腹部は臍部で動悸を触れ、心下部で振水音をきく。腎臓は左右とも触診上異常を認めない。左肺は全般的に濁音を呈し、呼吸音を聴取できない。レ線像ではほとんど全面的に浸潤が拡がっているらしい。腰部に大豆大の瘻孔があり、そこから排膿している。尿は混濁し多数の膿球や赤血球がみえる。培養によって5週間目に1視野に10数個のコロニーがみえたという。私は手術はかえって危険であることを述べた。
 カリエスや腎膀胱結核には地黄の配剤された薬方、例えば十全大補湯八味丸四物湯合猪苓湯のようなものをよく用いる。ところがこの青年には地黄剤を用いることを遠慮した。胃腸障害を起こすようでも困ると考えたからである。
 六君子湯を3日分与えて、様子をさぐることにした。ところが1回分だけ飲んだが、咳が出て、痰がしきりに出た。私は服用を中止させ清心蓮子飲を与えた。これで咳も痰も出なくなった。しかし1ヵ月に1~2回の下痢と、ときどき気分の悪い頭痛が起こる。この頭痛は胃腸の調子の悪いときに起こり、嘔吐を伴うこともある。食もあまりすすまない。
 そこで3ヵ月ほどたって、今度は啓脾湯に黄柏2.0を加えて与えた。以後胃腸の調子が良くなり、下痢もあまりせず食もすすむようになった。体重も少しずつ増加した。しかし尿には別に変化はみられず、ときどき血点状のものが混じることがある。瘻孔からの排膿も同じことである。そこで露蜂房を1日6.0宛兼用することにした。2ヵ月ほどたつと、尿の混献が少しずつ減じるように思われた。5週間後の培養ではまだ1視野に2~3個のコロニーがみえた。
 そこでストレプトマイシンの注射とパスを用いることにした。ところが、パスを飲むと食欲が全くなくなり、悪心が起こったので止めた。マイシンも15本で止めた。その頃から、なかなか良くならなかった瘻孔からの排膿が減じた。
 患者は少しずつ室内を歩行し始めた。昭和28年の5月から尿の結核菌は全く陰性になり、それが1年続いた。瘻孔もふさがり、胸部も石灰沈着を治したまま固まった。そこで露蜂房は止め、啓脾湯加黄柏だけの内服を続け、昭和29年には10日分の薬を1ヵ月くらいかかって飲むようになり、昭和30年からはいっさいの治療を中止している。
 患者はすっかり元気になり、肉づきも良く、今はある会社の役員になっている。
大塚敬節 『漢方診療三十年』348

『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


啓脾湯(けいひとう) <出典>万病回春(明時代)

方剤構成
 人参 白朮 茯苓 甘草 生姜 大棗 陳皮 沢瀉 山査 蓮肉 山薬

方剤構成の意味
 人参から大棗までは四君子湯で,これに陳皮以下が加わったと見るべきである。あるいは,六君子湯の半夏の代りに沢瀉以下が加わったと見ることもできる。
 陳皮には袪痰作用(消化器の湿を除く作用と見てもよい),沢瀉には燥湿作用があり,山査・蓮肉・山薬に協いずれも止瀉作用があるので,四君子湯よりいっそう止瀉効果が強いと思われる。
 陳皮・山査の消化作用,蓮肉・山薬の滋養・強壮作用も評価すべきである。

適応
 ①消化不良症(ことに小児の)
 ②慢性胃腸炎,ことに慢性の水瀉性下痢。
 ただし,寒虚証者であることを条件とする。



『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

啓脾湯(けいひとう)
 東、ツ
万病回春(まんびょうかいしゅん)

どんな人につかうか
 比較的体力の低下した人の下痢に用い、顔色が悪く、食欲不振で、水様あるいは泥状(でいじょう)の下痢便で、腹しぶりはせず、腹痛や嘔吐(おうと)を伴うこともあります。

目標となる症状
 ①水様性の下痢(泥状便のこともある)。②腹痛、嘔吐(おうと)。③食欲不振。④体力衰弱。⑤顔色が悪い、やせ。⑥神経質。⑦貧血。 

 軟弱無力で腹壁の緊張は弱い。胃内停水。

 軟弱で力がない。

 白苔(はくたい)があり、舌質(ぜつしつ)は淡白。

どんな病気に効くか(適応症) 
 やせて顔色が悪く、食欲がなく、下痢の傾向のあるものの、胃腸虚弱慢性胃腸炎消化不良下痢

この薬の処方
 蒼朮(そうじゅつ)(又は白朮(びゃくじゅつ))、茯苓(ぶくりょう)、 各4.0g。山薬(さんやく)、人参(にんじん)、蓮肉各3.0g。沢瀉(たくしゃ)、陳皮(ちんぴ)(蜜柑の皮の干したもの)、山査子(さんざし)各2.0g。甘草(かんぞう)1.0g。

この薬の使い方
前記処方を一日分として煎じてのむ。
ツムラ啓脾湯(けいひとう)エキス顆粒、成人一日7.5gを2~3回に分け、食前又は食間に服用。東洋(一日7.5g)も同じ。


使い方のポイント
四君子湯(110頁)に山薬(さんやく)、山査子(さんざし)、陳皮(ちんぴ)、蓮肉(れんにく)、沢瀉(たくしゃ)を加えたもの。
大病後の食欲不振に、胃腸の強化に使え、他の色々の薬で効かない水様性の下痢に試みてみると良い。
啓脾湯(けいひとう)というのは脾(ひ)(消化器)を啓(ひら)く(力をつける)という意味。

処方の解説
 人参(にんじん)朮(じゅつ)茯苓(ぶくりょう)甘草(かんぞう)四君子湯(110頁)で、胃腸の機能を盛んにして食欲をすすめる(補気健脾(ほきけんぴ))作用があり、山査子(さんざし)陳皮(ちんぴ)は食べたものを消化し、蓮肉(れんにく)は胃腸の力をつけ、強壮、利尿効果もあって下痢をとめ、沢瀉(たくしゃ)は下痢をとめ、口の渇きを治す働きがあります。


副作用
1)重大な副作用と初期症
1) 偽アルドステロン症: 低カリウム血症、血圧上昇、ナトリウム・体液の貯留、浮腫、体重増加等の偽アルドステロン症があらわれることがあるので、観察(血清カリウム値の測定等) を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
2) ミオパチー: 低カリウム血症の結果としてミオパチーがあらわれることがあるので、観察を十分に行い、脱力感、四肢痙攣・麻痺等の異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
[理由]
厚生省薬務局長より通知された昭和53年2月13日付薬発第158号「グリチルリチン酸等を含 有する医薬品の取り扱いについて」に基づく。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、血清カリウム値のほか血中アルドステロン・レニ ン活性等の検査を行い、偽アルドステロン症と判定された場合は、症状の種類や程度によ り適切な治療を行うこと。低カリウム血症に対しては、カリウム剤の補給等により電解質バランスの適正化を行う。

2) その他の副作
過敏症:発疹、蕁麻疹等
このような症状があらわれた場合には投与を中止すること。
[理由]
本剤には人参(ニンジン)が含まれているため、発疹、蕁麻疹等の過敏症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行うこと。

2014年6月14日土曜日

四苓湯(しれいとう) の 効能・効果 と 副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
分消湯(ぶんしょうとう)の項
白朮・茯苓・猪苓・沢瀉は四苓湯で利水を図り、




漢方薬の実際知識 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
四苓湯(しれいとう)〔五苓散(ごれいさん)から桂枝を除いたものであり、瘀水が体内にあるが、気 の上衝がないため、頭痛、めまい、嘔吐などが弱いものである〕



『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


四苓湯(しれいとう) <出典>温疫論(清時代)

方剤構成
 沢瀉 茯苓 猪苓 白朮

方剤構成の意味
 五苓散から桂枝を除いただけの方剤である。
 五苓散中の桂枝は,表虚すなわち頭痛やめまいを治す作用を期待して入れられているものと考えられるから,五苓散の証で表証がないものは四苓湯でよいということになる。

適応
 ①腎炎・ネフローゼ,②嘔吐(悪阻(つわり)などで,水を飲むとすぐ吐く場合)。



『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

四苓湯(しれいとう)

温疫論(うんえきろん)

どんな人につかうか
 五苓散(ごれいさん)(87頁)から桂枝(けいし)をぬいたもので、口渇(こうかつ)があって水を飲むけれどもうまくおさまらず,尿の出も悪く,嘔気(おうき),嘔吐(おうと)、腹痛、むくみなどを伴う場合に用い、暑気あたり、急性胃炎、むくみなどに応用します。

目標となる症状
 ①口渇(こうかつ)。②嘔気(おうき)、嘔吐(おうと)。③浮腫。④腹痛。⑤下痢(水様性)。

   五苓散(ごれいさん)に準ずる。

どんな病気に効くか(適応症) 
 のどが渇いて水を飲んでも尿量が少なく、吐き気、嘔吐、腹痛、むくみなどのいずれかを伴う次の諸症。暑気あたり急性胃腸炎むくみつわり。

この薬の処方
 沢瀉(たくしゃ)、茯苓(ぶくりょう)、朮(じゅつ)、猪苓(ちょれい)各4.0g。

この薬の使い方
前記処方の一日分として煎じてのむ。
前記四種の生薬の粉末を等分にまぜ、散剤として1回1.0~4.5gを服用します。

オースギ四苓湯細粒(しれいとうさいりゅう)、成人一日3.0gを2~3回に分け、食前又は食間に服用する。


使い方のポイント
五苓散ごれいさん)の症状で、のぼせ、頭痛、発熱などの表証のない場合に用います。

浅田宗伯の勿誤薬室方凾(くごやくしつほうかん)には、四苓散(しれいさん)(四苓湯(しれいとう))が「能(よ)く雀目(じゃくもく)(夜盲症)を治す」とあります。

処方の解説
 五苓散(87頁)の項参照(頭痛、発熱、のぼせはない)。

※勿誤薬室方凾(くごやくしつほうかん)? → 勿誤薬室方凾(ふつごやくしつほうかん)

『勿誤薬室方函口訣(51)』 日本東洋医学会理事 内炭 精一
 -四物湯(局方)・四物竜胆湯・四苓散・紫根牡蠣湯・紫蘇子湯-

 四苓散(しれいさん)
 次は四苓散(しれいさん)です。本方は呉有性の著書である『温疫論』所載の薬方であります。最初に本文の訂正をします。本文の上から十一字目の下に「飲」が脱落しています。さらに一行置いて、次の薬方は「即五苓散ゴレイサン)方中去桂枝」とありますが、これは『寿世保元』の四苓散(シレイサン)(茯苓(ブクリョウ)、沢瀉(タクシャ)、猪苓(チョレイ)、白朮(ビャクジュツ)であって、『温疫論』の四苓散は茯苓、沢瀉、猪苓、陳皮(チンピ)の四味であります。 主治の文の「治煩渇」以下「名停飲」までは「温疫論」に出ている主治の文の引用で、しかも、のちに続く文を省略してあります。「説約云」以下、薬方、浅田先生の『口訣』をも含めて全文は『寿世保元』の四苓散として記述したものと考えられます。
 そこで『温疫論』 の四苓散の主治を原典の通りに解説します。温疫という流行性の激しい熱病で、熱の邪が胃腸に伝わって、口渇が激しくて水分が飲みたければ、ほどほどに与えるのがよろしい。もし口渇が強くて飲むことが多過ぎると、水が心下部に停滞します。これを停飲といいます。四苓散を用いると大変効果があります。もし口渇が至って強く、冷たい水を飲みたく思えば夏冬に関係なく、これまたほどほどに与えたらよろしい。流行性熱病の熱の甚だしいものが冷たい水を飲む時は大変治療の助けとなるので、熱を冷ますためにもよいのであります。しかし飲もうと思う半分で止めなさい。一時に多く飲むのは悪いのです。暫くして再び口渇があれば、また飲ませなさい。梨の汁、蓮根の汁、サトウキビの汁、西瓜の類をあらかじめ貯蔵して、不意の求めに応ずるのがよい。もし冷えたものを嫌うものには温い湯を用いる。口渇の止まった時は胃腸が正常に回復したのであります。
 次に五苓散から桂枝を去った四苓散、すなわち『寿世保元』の四苓散(茯苓、沢瀉、猪苓、白朮)について解説します。香川修庵の著書『医事説約』によると、四苓散に唐蒼朮(トウソウジュツ)を加えて、夜盲症に大変効果があると述べているが、浅田先生は「この方(寿光保元の四苓散)はよく夜盲症を治すことができる。また胃腸に水分が多くて、膀胱に熱があり、すなわち小便の出が悪く、下痢するものには、本方に車前子を加えて与えると効果がある」といっております。
  夜盲症の治療については浅田先生はその治験録である『橘窓書影』で「四苓散から猪苓(チョレイ)を去って、大量の唐蒼朮を加得て用いるという香川修庵の伝や、逍遙散ショウヨウサン)に大量の夏枯草(カゴソウ)を加えて用いるという老医葦田氏の伝などがあるが、鶏肝丸の速効があるには及ばない。鶏肝丸はニワトリの肝臓一味を細末にしてヤマイモの細末と等分に合して米糊(べいこ)で固めて丸薬にしたものである。自分はこの薬方を遠江(静岡県)の川カトの眼科医和田玄晁に習った」といっております。
 同じく『橘窓書影』で浅田先生は「婦人で下痢の止まらないものを治療するのに四苓散加車前子(シレイサンカシャゼンシ)を用いて、往々特異な効果をあげている。あるいは時によって車前子一味を兼ね用いることもある」といっております。『橘窓書影』に出ている治験では、婦人産後の下痢で浮腫を伴ったものに奇効を得ています。


『勿誤薬室方函口訣』浅田宗伯
四苓散
  此の方は能く雀目を治す。また腸胃の間、水気ありて脬熱下利する者に車前子を加へて効あり。




オースギ四苓湯細粒(調剤用)
【組 成・性 状】
(1)本剤は1日量3.0g中、下記の生薬末を含有する。
  日局 タクシャ末   0.75g
  日局 ソウジュツ末  0.75g
  日局 ブクリョウ末   0.75g
  日局 チョレイ末     0.75g

 (2)本剤は暗褐色~灰褐色の細粒で、特異なにおいがあり、味 はやや苦い。

【効能又は効果】
のどが渇いて水を飲んでも尿量が少なく、はき気、嘔吐、 腹痛、むくみなどのいずれかを伴う次の諸症 : 暑気あたり、 急性胃腸炎、むくみ

【用法及び用量】
成人1回1.0g、15歳未満7歳以上1回成人の2/3量、
7歳 未満4歳以上1回成人の1/2量、
4歳未満2歳以上1回成人の 1/3量、
2歳未満1回成人の1/4量、
いずれも1日3回食前また は食間に水または白湯にて経口投与する。 

【使用上の注意】
(1)重要な基本的注意
    1)本剤の使用にあたっては、患者の証(体質・症状)を考 慮して投与すること。なお、経過を十分に観察し、症状 ・ 所見の改善が認められない場合には、継続投与を避ける こと。
    2)他の漢方製剤等を併用する場合は、含有生薬の重複に注 意すること。

(2)高齢者への投与
    一般に高齢者では生理機能が低下しているので減量する など注意すること。

(3)妊婦、産婦、授乳婦等への投与
    妊娠中の投与に関する安全性は確立していないので、妊婦 又は妊娠している可能性のある婦人には、治療上の有益性 が危険性を上回ると判断される場合にのみ投与すること。

(4)小児等への投与
    小児等に対する安全性は確立していない。[使用経験が 少ない]






副作用
漢方薬にも少しは副作用があります。人によっては、服用時にむかついたり、食欲がなくなるかもしれません。しだいに慣れることが多いのですが、つらいときは医師と相談してください。    
・胃の不快感、食欲不振、軽い吐き気

2014年6月10日火曜日

胃苓湯(いれいとう) の 効能・効果 と 副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
平胃散五苓散の合方を胃苓湯と名づけ、水瀉性下痢または浮腫に用いる。

胃苓湯(いれいとう)
蒼朮 厚朴 陳皮 猪苓 沢瀉 白朮 茯苓各二・五 桂枝二・ 大棗 乾姜各一・五 甘草一・ 
平胃散五苓湯の合方で、急性腸カタルによく用いられる。下痢・口渇・微熱界を目標とする。またネフローゼに用いて効がある。



漢方薬の実際知識 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊


五苓散の加味方
(1) 胃苓湯(いれいとう)  (古今医鑑)
五苓散平胃散の合方〕
本方は、五苓散證に平胃散證(前出、裏証Ⅰの項参照)をかねたもので、平素から水毒体質の人が胃腸をこわしたために、激しい腹痛を伴う水様性下痢や浮腫を起こすものに用いられる。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、胃苓湯證を呈するものが多い。
一 大腸炎、胃腸カタル、食あたりその他の胃腸系疾患。
一 ネフローゼ、腎炎その他の泌尿器系疾患。
一 そのほか、神経痛、暑気あたりなど。


明解漢方処方 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.133

胃苓湯(万病回春)
 蒼朮 厚朴 陳皮 猪苓 沢瀉 白朮 茯苓各二・五 桂枝二・〇 大棗 乾姜各一・五 甘草一・○(二三・五)
 平胃酸と五苓散を合せて煎剤にした処方で、平胃散を主に考えたときは、食べ過ぎ、食当りで,下痢して口渇や浮腫のある場合に用い、五苓散を主に考えたときは、慢性ヌフローゼで食慾不振になった場合に用いるものでいかにも万病回春の処方らしい投網式である。



和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
胃苓湯(いれいとう) [万病回春]

【方意】 平胃散証の脾胃の気滞脾胃の水毒による心下痞・悪心・嘔吐・腹痛・腹満と、五苓散証の水証による口渇・尿不利・下痢等のあるもの。

【自他覚症状の病態分類】

脾胃の気滞
脾胃の水毒
水証

主証 ◎心下痞
◎悪心
◎嘔吐
◎腹痛

◎口渇
◎尿不利
◎下痢





客証 ○腹満

○上腹部振水音
  微熱

 





【脈候】 緩・やや浮。

【舌候】 乾湿中間で白苔がある。

【腹候】 腹力中等度。多くは腹満して心下痞硬がある。しばしば上腹部振水音を伴う。

【病位・虚実】 平胃散証も五苓散証も共に少陽病の虚実中間に位する。

【構成生薬 蒼朮3.0 厚朴3.0 陳皮3.0 猪苓3.0 沢瀉3.0 白朮3.0 芍薬3.0 茯苓3.0 
         桂枝2.0 大棗2.0 生姜1.0 甘草1.0

【方解】 平胃散の構成生薬は蒼朮・厚朴・陳皮・生姜・甘草であり、これにより脾胃の気滞・脾胃の水毒を治す。五苓散は沢瀉・猪苓・茯苓・白朮・桂枝であり水証を主る。本方はこの二方に芍薬が加味されたもので、腹痛・腹満に対して一段と有効になっている。

【方意の幅および応用】
A 脾胃の気胞脾胃の水毒:心下痞・悪心・嘔吐・腹痛・口渇・尿不利・下痢を目標にする。
  夏負け、急慢性胃腸炎、熱射病、過敏性腸症候群、胃腸神経症

【参考】 *脾胃和せず、腹痛泄瀉(単なる下痢症)し、水穀化せず、陰陽不分なるを治す。
『万病回春』
*此の方は平胃散五苓散の合方なれば、傷食に水飲を滞ぶる者に用いて宜し。其他水穀化せずして下痢、或いは脾胃和せずして水気を発する者に用ゆべし。『回春』に所謂陰陽分たずとは、太陰の位して陰陽の間に在る症を言うなり。
『勿誤薬室方函口訣』
*細菌性の下痢ではなく、食あたりの下痢に用いる薬方で、特に尿不利・顔面浮腫を伴う場合に適応がある。(細迫陽三)。

【症例 高血圧と下痢
 57歳の婦人。1年前から血圧が高くなり、一時は210/130にもなった。
 体格栄養ともに普通で、一見いかにも健康そうにみえる。患者の主訴は、上昇したり下降したり常ない血圧の動揺で、フラフラとめまいがし、肩や首すじが凝って、腰がだるく、全身倦怠感があって、よく眠れない。それと毎日2-3回の下痢便が続き、ガスが多く出て困るという。降圧剤を飲んでも血圧はどうも下がらない。
 腹は全体としては軟弱で、臍の周りに抵抗と圧痛がある。初診時の血圧は170/120であった。腹証によれば、虚証で攻撃の剤は与えられないし、柴胡剤の胸脇苦満もない。しかし陰証ではないので、『万病回春』の泄瀉門にある胃苓湯を与えた。胃苓湯は平胃散五苓散の合方である。胃苓湯の指示は、「脾胃和せず、腹痛泄瀉、水穀化せず、陰陽分たざるを治す」というものである。
 胃苓湯を2週間分服用すると、下痢が止まり、不百議と思われるほどすべての訴え、全身症状が良くなり、血圧が140/80に安定した。
矢数道明『漢方治療百話』第五集87

数年来の血尿
 39歳の婦人。主訴は5年前から尿が赤くなり,毎日のように血尿が出ていた。検査を受けたが、腎臓が両方とも傷がついていて、片方なら手術をするが、両方とも同じようであるから、手術をするわけにはいかないといわれたという。栄養は良い方で血尿が続いているにもかかわらず、顔色もそれほど悪くはない。脈も正常で血測は136/84、舌は白苔、大便1回、小便は少なく赤く濁っている。背が痛むことがあり、月経は不順で子供は3人ある。
 初診のとき長男がみたのだが、この患者に胃苓湯の生姜を去って与えた。すると1週間服用すると数年来の血尿が普通の色となった。検尿したが蛋白はなく、血尿でもない。3ヵ月飲んだところ、ほとんど正常尿となり、服薬後1回も赤くならないで元気である。私が初めにみたなら猪苓湯合四物湯などを与えたかもしれない。
矢数道明『漢方治療百話』第四集175


臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
p.541
129 平胃散(へいいさん)〔和剤局方〕
p.542
〔加減方〕
 胃苓湯。本方に五苓湯を合方したもので、急性胃腸炎による下痢に用いる。

p641
3 胃苓湯(いれいとう) 〔古今医鑑・泄瀉門〕
    蒼朮・白朮・茯苓・猪苓・沢瀉・陳皮・厚朴・芍薬各三・〇 桂枝二・五 大棗・
    乾生姜・甘草各一・〇

 「中暑、傷湿、停飲、夾食(きょうしょく)(食を夾(さしはさ)む、食の停滞)脾胃和せず、腹痛洩瀉(えいしゃ)(水様下痢)渇(かつ)を作(な)し、小便利せず、水穀化せず、陰陽分たざるを治す。」
 急性胃腸炎で、小便不利し、腹痛下痢するもの、急性腎炎・ネフローゼ・夏期の食あたり・夏の神経痛などに用いられる。



『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


胃苓湯(いれいとう) <出典>万病回春(明時代)

方剤構成
 生姜 大棗 甘草 厚朴 蒼朮 陳皮 沢瀉 茯苓 猪苓 白朮 桂枝

方剤構成の意味
 平胃散五苓散の合方で,重複するものがないので,二つの方剤がそのまま加えられた形になっている。
 平胃散が既に強い胃内停水除去剤であるのに,さらに湿を除く代表的方剤ともいうべき五苓散が加わっているのであるから,胃内停水や腸内の水分の停滞を除く作用が強い方剤と見ることができよう。

適応
 急・慢性胃炎,消化不良,食あたりなどで下痢する場合に用いる。
 胃内停水・腸鳴・尿量減少・口渇を目標に広く用いることができるが,著しい寒虚証者には適さない。


 <
 芍薬・縮砂・黄連を加えることもある。




『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

胃苓湯(いれいとう)
健 ツ、建
万病回春(まんびょうかいしゅん)

どんな人につかうか
 食べすぎ、食あたりなどで下痢(水様性)をしたり吐いたりし、口が渇いて尿量が減っているような場合に用います。又浮腫(ふしゅ)(むくみ)のある疾患で、食欲不振になった時にもよいようです。(体力中等度の人)。
 (平胃散(へいいさん))+(五苓散(ごれいさん))の組み合わせ処方です。 

目標となる症状
症 ①水様性下痢。②口渇(こうかつ)。③嘔吐(おうと)。④腹痛。⑤みぞおちの不快感。⑥腹部膨満感(ぼうまんかん)。⑦食後の腹鳴(ふくめい)・腹痛。⑧食欲不振。⑨尿量減少。⑩浮腫(むくみ)。


腹 腹にある程度の緊張があり、みぞおちをたたくとピチャピチャ音がする(胃内停水(いないていすい))。

脈 ひどく弱くはない。

舌 不定

どんな病気に効くか(適応症) 
 水瀉(すいしゃ)性の下痢、嘔吐(おうと)があり、口渇(こうかつ)、尿量減少を伴うものの、食あたり暑気あたり冷え腹急性胃腸炎腹痛急性腎炎 
ネフローゼ、夏の食あたり、夏の神経痛。

この薬の処方
 蒼朮(そうじゅつ)、厚朴(こうぼく)、陳皮(ちんぴ)、猪苓(ちょれい)、沢瀉(たくしゃ)、白朮(びゃくじゅつ)、芍薬(しゃくやく)、茯苓(ぶくりょう)各2.5g。桂枝(けいし)2.0g。大棗(たいそう)、乾姜、甘草各1.0g。(平胃散五苓散を合わせたもの)。

この薬の使い方
①前記処方を一日分としてを煎(せん)じてのむ。
②ツムラ胃苓湯(いれいとう)エキス顆粒(かりゅう)、成人一日7.5gを2~3回に分け、食前又は食間にのむ。(ツムラは芍薬ぬき)
③カネボウ(一日8.1g)前記に準じて服用する。


使い方のポイント
平胃散へいいさん)(193頁)と五苓散ごれいさん)(87頁)を合わせた処方で、水ぶとりなど水はけの悪い体質で、体力中程度の人が水様性の下痢をしたり、吐いたり、口が渇いて、腹がはったり、尿の出が悪く、胃に水がたまったような時に用います。



『重要処方解説(98)』
胃苓湯(サイレイトウ)・茯苓飲合半夏厚朴湯(ブクリョウインゴウハンゲコウボクトウ) 北里研究所付属東洋医学総合研究所医長 花輪壽彦


胃苓湯(イレイトウ),茯苓飲合半夏厚朴湯(ブクリョウインゴウハンゲコウボクトウ)の2方は,どちらかといえば実証タイプの消化器疾患に使われる処方です。

胃苓湯・出典
 胃苓湯は平胃散(ヘイイサン)と五苓散(ゴレイサン)の合方で,一般には出典は『万病回春(まんびょうかいしゅん)』とされております。しかし矢数道明先生の『漢方処方解説』には『古今医鑑(ここんいかん)』とありますし,他の本には『丹渓心法(たんけいしんぽう)』とするものがあります。結論からいいますと、平胃散五苓散の合方としての胃苓湯は,明代の方廣(ほうこう)の編著『丹渓心法付餘』が出典であるとするのがよいと思います。『古今医鑑』も『万病回春』もともに龔廷賢(きょうていけん)の著書で,両書ともに平胃散五苓散に加芍薬(カシャクヤク)として芍薬(シャクヤク)が入っております。その理由についてはのちほど申し上げます。
 江戸時代のわが国では,龔廷賢の著書が大変よく読まれまして,後世派の人々は,胃苓湯という芍薬の入った処方を用いたようです。その意味では構成生薬の差を知った上で,胃苓湯の出典を龔廷賢の書としてもよいのですが,その場合『万病回春』は1587年に,『古今医鑑』は1576年に著わされましたので,成立年代からいうと出典は『古今医鑑』とするのがよいと思います。ちなみにツムラ115番の胃苓湯は平胃散五苓散で,芍薬は入っておりませんので,パンフレットなどにある出典の『万病回春』は誤りで,『丹渓心法付餘』に直して下さい。
 また浅田宗伯(あさだそうはく)の『勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)』も『万病回春』になっておりますが,これも誤りです。ただ厳密にいうと出典はなかなかむずかしく,五苓散が『傷寒論』で,平胃散が『和剤局方(わざいきょくほう)』ですから,その2つを合わせた合方は,それ以降ならばいつでもあり得るとはいえます。ここでは一応,出典は『丹渓心法付餘』といたします。
 『丹渓心法付餘』巻七,泄瀉門の附諸方には,「暑に感じ,食を夾み,泄瀉し,煩渇するものを治す」と,簡単に胃苓湯の主治する目標があります。

■構成生脈:薬能薬理
 胃苓湯の構成生薬は当然,平胃散の構成生薬である蒼朮(ソウジュツ),厚朴(コウボク),陳皮(チンピ),大棗(タイソウ),甘草(カンゾウ),生姜(ショウキョウ)と,五苓散の猪苓(チョレイ),茯苓(ブクリョウ),沢瀉(タクシャ),白朮(ビャクジュツ),桂枝(ケイシ)の11味になります。『古今医鑑』巻三,泄瀉門には,以上の11生薬に芍薬が入ります。そしてその条文は「中暑,傷湿,停飲,夾食(食が停滞すること),脾胃和せず,腹痛洩瀉(水様性下痢),渇をなし,小便利せず,水穀化せず,陰陽分たざるを治す」とあります。「陰陽分たざるを治す」ということについては二通りの解釈がありますが,それについてはのちほど申しあげます。
 構成生薬の簡単な解説をいたします。一番重要と思われるものは,白朮と蒼朮と両方入っておりますので,この両者の違いについて簡単に述べてみます。『神農本草経(しんのうほんぞうけい)』の上品に朮と記載され,『傷寒論』『金匱要略』では朮は区別されておりませんが,江戸時代には蒼朮を用いることが多かったようです。今日では臨床的にも,また現代薬理学的にも,白朮と蒼朮は使い分けた方がよいというのが一般的であります。『本草綱目(ほんぞうこうもく)』に,水毒を去り,脾胃を健やかにする点は白朮も蒼朮も同じであるが,蒼朮は発汗作用があり,白朮は止汗作用があると区別しております。
 現代中医学では白朮と蒼朮の違いを簡単に,白朮は補脾,蒼朮は運脾(脾をめぐらす)ということで両者の差を述べております。白朮はやや甘く,虚を補う作用があり,蒼朮はやや苦く,実邪を去る作用が強いというわけです。ですから私どもが実際に臨床に使う場合には,健脾,整腸,止瀉というか,胃腸を丈夫にするという意味では白朮の方が働きが強く,解熱,鎮痛,湿を乾かす,発散作用というものは蒼朮の方がよくて,胃腸を丈夫にするという意味では白朮の方がよいというのが臨床的な使い方です。ただし白朮と蒼朮は,本方のごとく一緒に用いることも少なくありません。
 現代薬理学の立場からも,白朮と蒼朮については多くの知見が報告されるようになりました。2,3述べてみますと,例えば両者とも利尿作用がありますが,利尿効果につ感ての知見は一定しません。どちらも利尿作用があるという報告と,あまり利尿効果はみられなかったという報告と,水を過剰に負荷した時にはみられるという報告などで,一定しません。中枢作用については,蒼朮にはあるが,白朮にはないと報告があります。すなわち蒼朮中のβ-eudesmol,hinesolなどには鎮静作用,抗痙攣作用などの中枢抑制作用があるという報告があります。
 抗炎症作用についての報告もありますが,一般に私どもは,例えば葛根湯加朮附湯(かっこんとうかじゅつぶとう)の朮は蒼朮をよく用いますので,抗炎症作用は蒼朮の方が強いのではないかという臨床的な印象を持っておりましたが,現代薬理の報告では,むしろ抗炎症作用は白朮に強く,蒼朮にはほとんど認められないという報告が多いようです。例えばadjuvantによる関節炎の抑制効果などついては、蒼朮はむしろ増悪させるという報告もあります。
 消化器作用についてもいろいろな報告がありまして,朮の種類によって,例えば白朮類,フルダテ蒼朮,西北蒼朮などの違いによって,ストレス潰瘍における効果などをみても大変違うようです。白朮類はストレス潰瘍に有効であるが,ヒスタミン潰瘍には無効であるとか,フルダテ蒼朮はH,H-receptor拮抗作用があって,ヒスタミン潰瘍に有効であるとか,西北蒼朮はセロトニン潰瘍に有効である等々いろいろな報告があります。
 また肝害護作用なども認められるようになりまして,白朮のatractyloneは四塩化炭素肝障害を抑制するとか,蒼朮にも肝障害抑制作用があるなど,いろいろな報告があります。これらの知見は今後の臨床応用に際して,いろいろ有用な知見となる可能性が高いと思感ます。
 白朮,蒼朮以外には厚朴が大事な生薬ですから簡単に申し上げます。厚朴は『神農本草経』の中品にあり,古来より鎮痛,鎮静作用があるとして,消化器疾患や神経疾患によく用いられました。中国産の厚朴と和厚朴(ワコウボク)は基源植物が異なります。日本産はモクレン科ホオノキの樹皮を用います。私どもが臨床的に用いる時は胸腹部の膨満,疼痛,あるいは鎮咳,不安,また精神的緊張による骨格筋の異常緊張状態の緩和などに用います。パーキンソン病などにもよく用います。
 薬理学的にはクラーレ様作用,ジフェニール化合物のmagnololおよびhonokiolに中枢抑制作用があるとか,種々の細菌に対する殺菌作用があるとか,いろいろな知見が報告されております。特に最近は厚朴の抗アレルギー作用が注目されており移す。
 構成生薬中の五苓散は,全体として利水作用を持つとされております。 利尿と利水の相違はよく問題になるところですが,簡単に申しますと,利尿は腎に働いて一方向的に尿量をふやすのに対して,利水は水分の偏在を正すというようによくいわれます。現在の薬理学的実験では,利尿作用それ自体はそれほど強くはないとする意見が多いのですが,たとえば猪苓,茯苓は水を家量に負荷する時には非常に多くの利尿効果を認めるとする報告が多いようです。利水と利尿の違いの1つとして大事なことは,例えば五苓散は現代医学の利尿剤の持つ経腎的な尿排泄作用以外にも,数多くの薬理学的作用点を持っているということだと思います。その1つとして例えば,水分の吸収作用,抗炎症作用,免疫調節作用などの腸管に対する作用が,利水ということの科学的根拠として,いろいろ知見が出てくるのではないかと考えます。
 一般には利尿作用はいわゆるループ利尿剤などに比べて落ちるといわれておりますが,必ずしもそうではなく,例えば肝硬変,ネフローゼ,心不全など重症な病態に対して,現代医学的に利尿剤がうまく効かないようなところに,五苓散などが非常によく効くことを臨床的に経験しておりますので,利尿効果という効果についても,必ずしも現代医学の利尿剤に劣るとは一概にいえないと思います。
 五苓散を構成する生薬の薬理の中で,最近注目されていることを一言申し添えますと,たとえば猪苓(サルノコシカケ科チョレイマイタケの菌核)は,その中の多糖類,水溶性グルカンに抗腫瘍活性のあることが注目されております。また茯苓(サルノコシカケ科マツホドの地中にできた菌体成分)の多糖にも,種々の免疫学的活性があり,根癌作用の報告などもあります。しかし茯苓についての研究報告は意外に少ないようです。沢瀉(サジオモダカの根茎)は利尿作用以外に,抗脂肪肝作用,コレステロール低下作用,循環器作用などいろいろな報告があります。

■古典における用い方
 それらの入った胃苓湯について説明してみたいと思います。古典による用い方は,18世紀から19世紀の初めにかけて活躍した浅井貞庵(あさいじょうあん)の書いた『方彙口訣(ほういくけつ)』が参考になるかと思い移す。この中で「胃苓湯は分利剤である」と述べております。その意味は胃苓湯は脾胃に水湿が滞って,小便に出るべき水分が大便の方に行ってしまうため下痢をするので,水分は陽道である尿路に,カスは陰道である大便の側に分ける処方である,平胃散で脾胃の湿を乾かし,余分な水は五苓散で小便へという方意であると述べております。
 浅井貞庵の『方彙口訣』にある胃苓湯は,出典を『万病回春』としておりまして,したがって構成生薬の中に芍薬が入っております。芍薬の意義につ感て,「芍薬は津液の関閉(しまり)をつける」と述べております。この意義は大事なことでして,単に利尿として,どんどん水を出すのではなく,一方で津液を保持するという作用を持ちながら余分な水をさばくということです。真武湯(シンブトウ)にも芍薬が入っております。真武湯を利尿剤と考えるならば,芍薬は入らない方が利尿作用は強いといえますが,そのあたりが漢方処方の面白いところで,芍薬を入れて体液の保持をしながら,余分な水をさばくというところが面白いと思います。
 先ほど『古今医鑑』の出典のところで「陰陽分かだるを治す」といったのは,1つにはこういう意味であるということです。「陰陽不分」について、浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』の中では「『回春』に所謂陰陽不分とは,太陰に位して陰陽の間に在る証をいうなり」といっております。つまり陽証と陰証の中間にある証であるといった別の解釈をしております。これも1つの見解だと思います。なお蛇足ながら,浅田宗伯は「平胃散は後世派は称美すれども顕功はなし」と評しております。

■現代における用い方
 現代における胃苓湯の中では用い方は,矢数道明先生の『漢方処方解説』に簡潔に述べてあります。すなわち,急性胃腸炎で小便不利し,腹痛,下痢するもの,急性腎炎,ネフローゼ,夏期の食あたり,夏の神経痛などに用いるとあります。
 平胃散四君子湯(シクンシトウ),人参湯(ニンジントウ)のように胃腸の働きが衰えて湿邪が停滞するのではなく,食べすぎ,飲みすぎなどによって胃内に実邪としての食毒,水毒が停滞して,それが盛り上がっているような形になっているものを平らにするということが,平胃の方意であります。一般の,そのような胃腸疾患に用いる以外に,矢数先生はこの処方を鼻アレルギーに用いたことがありました。それを見ておりまして,私も鼻アレルギーに胃苓湯を使ってよい結果果得た症例があります。


■症例提示
 36歳の女性で,本来胃腸が丈夫ではなく,5年前に横浜に引越してから,季節の変わり目にクシャミ,鼻水が出て困った。漢方薬局へ行ったところが小青竜湯(ショウセイリュウトウ)を出されたが、それを飲んで胃腸をこわしてしまった,何とかしてほしいと来院しました。腹力はやや虚で,胃内停水が多少みられ,臍傍の動悸があり,臍傍の圧痛はありませんでした。舌は湿っており,白苔があります。というわけで麻黄(マオウ)はあまり使わない方がよいと考え,胃苓湯で心下の水をさばこうとしました。そうしたところ胃腸症状も鼻アレルギーも改善したという症例です。このように鼻アレルギーという病名にとらわれずに,水毒の偏在を正しながら水をさばくという用い方が,本来の漢方薬の使い方で,非常に面白いと思います。




※葛根湯加朮附湯(かっこんとうかじゅつぶとう)? 
→葛根加朮附湯(かっこんかじゅつぶとう)

※adjuvantによる関節炎の抑制効果などついては、
→adjuvantによる関節炎の抑制効果などについては、

※フルダテ蒼朮? → 古立蒼朮(コダチソウジュツ)

※平胃の方胃? → 平胃散の方意?



『勿誤薬室方函口訣(5)』
北里研究所附属東洋医学総合研究所部長 大塚 恭男
-葦茎湯・已椒黄丸料・痿証方・・胃風湯・胃苓湯・郁李仁湯(聖恵)・郁李仁湯(本朝経験)-

胃苓湯
 次は胃苓湯(イレイトウ)です。これは『万病回春』に載った処方です。「脾胃和せず、腹痛泄瀉、水穀化せず、陰陽分かたれざるものを治す」とあります。厚朴(コウボク)、橘皮(キッピ)、甘草(カンゾウ)、蒼朮(ソウジュツ)、猪苓(チョレイ)、沢瀉(タクシャ)、茯苓(ブクリョウ)、桂枝(ケイシ)の八味より成ります。
 「この方は平胃散ヘイイサン)、五苓散ゴレイサン)の合方であるから、平胃散の目標する食あたりと、五苓散の目標とする水毒が加わったものに用いてよい。その他食物が消化しないで水のように下ってしまうもの、あるいは消化機能一般の不調で下痢を起こす場合に用いなさい。『万病回春』にいっている陰陽分かたれずとは、この目標は太陰が病位で、陰陽の間にある症である」ということであります。胃苓湯は、ここに巧みに記されてありますように、平胃散五苓散の証が合わさったような感じのものによく使われます。

『Kampo Square 38号』 2006.12.25発行
緊急特集:ノロウイルス感染症と漢方 
大野クリニック院長(埼玉県比企郡)       大野 修嗣 先生に聞く

悪心・嘔吐・下痢で
・熱なし、弱脈でない、心下痞硬がある場合→半夏瀉心湯
・熱なし、弱脈でも良い、腹部の冷え→人参湯
・熱あり、弱脈でない、胃内停水→五苓散
・熱あり、弱脈でない(弦脈が良い)、胸脇苦満→柴苓湯
・熱少、弱脈でない、上腹部膨満感→胃苓湯



『Kampo Square 47号』 2007. 5.10発行

連載 --- 私の漢方診療日誌(35)---  

なにやら厚生労働省は、医療費削減に向けて2012年度までにメタボリック症候群の該当者を10%以上減少するという数値目標を設けたそうである。昔から「腹八分に医者いらず」という諺がある。健康診断を推奨するよりも、ちょっとだけ少食を心がけるように呼びかける方が効果的ではないかと思ったりする。  しかし食べ過ぎないのに胃腸をこわす人は、これこそ明らかな病気であり、漢方薬は素晴らしい効果をもたらしてくれる。今回は、これからの暑い季節にはなくてはならない胃苓湯のお話しである。

食傷と下痢を2処方の合方で解決
食べ過ぎ、飲み過ぎには胃苓湯

ももち東洋クリニック院長 木村豪雄

 A氏は55歳の男性でツアーコンダクターとして活躍している。6ヶ月前から毎朝といってよいほど食後2時間経つと下痢をするということで来院された。下痢の性状は水様性で臭いは少ないが、左下腹がシクシクと痛むことがある。「卵が合わないのかな?」とも云われる。既往歴に胆石症があるが、これまでに疝痛発作のような激しい痛みは経験したことはない。

 身長167cm、体重70kg。体格は中等度で栄養状態は良好である。血液検査では肝胆系酵素に異常はなかったが、高脂血症(総コレステロール224mg/dl、中性脂肪366mg/dl)と高尿酸血症(尿酸8.9 mg/dl)がみられた。漢方医学的所見では、脈は弦脈(浮沈間)で、舌には乾いた白黄苔がついている。腹診では腹壁の緊張は良好である。心下部がパンと堅く張っており、軽く揺さぶるとチャポチャポと音がする(振水音)。

 ツムラ胃苓湯(イレイトウ)(J-115)7.5g/日を処方する。

◇8日後再診  下痢は毎日しなくなった。腹痛もない。
◇1ヶ月後  尿の回数が増えた。腹痛はなく、ときに油物を食べると腹が緩む。
◇2ヶ月後  下痢はまったくない。「漢方っていいものですね。妻も診てください」と云われる。血液検査を再検すると、総コレステロール207mg/dl、中性脂肪216mg/dl、尿酸7.8 mg/dlと改善傾向にあった。

 さて、紹介されたA氏の奥さんは48歳。4~5年前から月経痛がひどくなり、経血量も多くなったのが悩みであった。婦人科では子宮腺筋症と診断された。

 こちらは手足の冷えと浮腫を目標に、ツムラ当帰芍薬散(トウキシャクヤクサン)(TJ-23)7.5g/日で月経痛は楽になった。今では二人で仲良く漢方薬を飲んでいる。一度、間違って妻の漢方薬を飲んだ夫が、「うちの奥さんはあんな不味い薬をよく平気で飲めますね」とこぼしたことがあった。なるほど薬の味も大切である。

考案
 胃苓湯は平胃散(ヘイイサン)と五苓散(ゴレイサン)の合方である。平胃散は“食傷”の基本方剤と云われている。食傷とは飲食物によって身体が傷つけられたという意味で、平たくいえば食べ過ぎ、飲み過ぎ、冷たいものや刺激物などによって消化器が侵されるものを指す。(山本厳:東医雑録2)
 この患者さんの場合、食後に調子を崩すということから広い意味の食傷と考えて平胃散をイメージした。さらに下痢を伴うことから五苓散を合わせた胃苓湯を選択した。
 胃苓湯は平素体質的に水はけの悪い体質(水毒)の人が腹をこわしたため、水分の吸収が悪くなって食物が不消化のまま水様便として下るもので、口渇、胃内振水音、腹がはり、尿量減少の症状があるものに用いる。腹痛はあまり激しくなく、また痛まないこともある。(一般用漢方処方の手引き:薬業時報社)

 下痢に対する漢方治療も病態の陰陽を基本として考える。陰証とは冷えが主体の病態である。陰証の下痢の特徴は臭いが少ない水様性下痢が多く、腹痛や裏急後重(しぶり腹)を伴わない。代表方剤には真武湯(シンブトウ)や人参湯(ニンジントウ)がある。一方、熱が主体となる陽証の下痢は、腹痛があり下痢の臭いも強いことが多い。さらに排便するときに肛門に灼熱感があり、排便後もスッキリ感がない。黄芩湯(オウゴントウ)が代表である。


『漢方後世要方解説』 矢数道明著 医道の日本社刊

p.126
10 胃苓湯(イリヨウトウ) (古今医鑑 泄瀉門)

 〔処方〕  蒼朮 厚朴 陳皮 猪苓 沢瀉 白朮 茯苓 芍薬各二・五 桂枝二・〇 大棗 生姜 各一・五 甘草一・〇 (多く茯苓、沢瀉を増量して用う)
 本方は、平胃散五苓散との合方にさらに芍薬を加えたものである。

 〔主治〕 胃苓湯の主治として古今医鑑に、「中暑、傷湿、停飲、脾胃和セズ、腹痛洩(セツ)瀉渇ヲ作シ、小便利セズ、水穀化セズ、陰陽分タザルヲ治ス」とある。
 また医療手引草には、「飲食停積、浮腫、泄瀉、脈証倶ニ実ナル者ヲ治ス」とあり、
 また牛山方考には、「飲食過多ニシテ、腹脹リ口渇泄瀉、小便赤渋ノ症ニ奇効アリ」と述べている。
 これらの諸説は本方の主治をよく約言していると思われる。

 〔運用〕 勿誤方函口訣に、「此ノ方ハ平胃散五苓散ノ合方ナレバ、傷食ニ水飲ヲ帯ブル者ニ用ヒテ宜シ。其他水穀化セズシテ下利、或ヒハ脾胃和セズシテ水気ヲ発スル者ニ用ユベシ。回春ニ所謂陰陽分タズトハ、太陰ニ位シテ陰陽ノ間ニ在ル症ヲ云フなり」とある。
 また校正方輿輗、泄瀉門には、「時節ニ拘ハル所アラザレドモ、胃苓湯ノ症ハ夏秋ノ際ニ多キモノナリ」とあり、
 また、医療衆方規矩には、
 「脾胃調ラズ、暑湿飲ムモノナヅミ腹痛ンデ瀉(クダ)り、飲ムモノ食フモノ化(コナ)サズ、陰陽ヲ分タズ、水ノカハリテ中ルヲ治ス。一切ノ泄瀉ヲ治スルノ総司ナリ。夏月ニ初メハザツト下シテ、後ニ渋リコヽロヨカラズト云フモノ此ノ湯ヲ用ユベシ。又夏月痛風ヲ患フ、按ズルニ暑湿ニヨツテ身骨節イタム故ナリ、此湯ヲ用ヒテ瘉ユ。或人語ツテ云ク、此方ハ四五月ヨリ八九月ニ至テモパラ用ユ、何トナレハ暑湿ヲ治スルノ故ナリ」と述べている。
 また、医方小乗、泄瀉門には、「飲食過多ニシテ腹脹口渇シ、小便渋ツテ裏急後重、赤白下利スルニ、胃苓湯ニ黄連、芍薬ヲ加エテ用ユベシ、裏急甚シキモノニハ木香、檳榔ヲ加ヘ用フベシ。
 夏ノ痢病ノ始メニハ胃苓湯ニテ暑湿ヲ去ルベシ。腹熱アルニハ解毒湯ヲ合シテ、渋ルコト甚シキニハ枳実大黄湯ヲ加フベシ」とあり、
 また、牛山方考には、
 「元禄四年五六月ノ間、長雨ニテ士民尽ク暑湿ノ気ニ感ジテ頭痛裂クガ如シ、余為メニ一方ヲ製ス。胃苓湯に柴胡、黄芩を加ヘテ本トシ、熱甚シク大便秘セバ黄連、石膏を加フ。大便泄するには白扁豆、升麻ヲ加フ、腹痛ニハ木香、砂仁ヲ加フ、咽渇ニハ葛根ヲ加フ、頭痛ニハ羗活、川芎ヲ加フ、眼中黄ムニハ茵蔯ヲ加エテ之ヲ用フルニ手ニ応ジテ效あり。津城三千戸及便ビ国中ノ人、其霊方ノ応験ヲ聞キ伝ヘテ薬ヲ乞フ者門ニ満ツ、毎日此方ヲ修合シテ人ニ与フルコト百ヲ以テ数フ。奇々妙々」とある。
 また、当荘庵家方口解には、
 「四時トモニ大便瀉スル主方ナリ。無熱ニハ木香ヲ加フ、食モ少シ滞リ大便瀉スルニ吉(ヨ)シ。平胃散ニテ脾胃ヲスカシ、食ヲ圧エテ分利スル故ニ水道ノセキキレ水流ルヽ意也。水腫脈進而力アルニ加車前子、木通、燈心ヨキコトアリ。脈進マズ弱キハ脾腎ノ元陽虚冷ナリ、用フベカラズ。胸フクレ不食スルニ加檳榔子ヨキコトアリ。是ハ脾胃モ少シ塞リ大小腸和セズ、故ニ胸フクレ不食シ湿ニモアタルユヘナリ。夏秋ノ間此ノ如キコトアリ」とある。
 また和漢纂言要方には、
 「亀渓先生ノ曰ク、総ジテ痢ニ初メヨリ驟(アワテ)テ芍薬湯(芍薬二・〇 当帰一・〇 黄芩一・〇 大黄〇・七 ケイシ〇・七 木香〇・七 檳榔〇・七 甘草〇・五)ヲ用ユレバ、却ツテ腸胃ヲ害シ難治ノ症トナルコト多シ、殊更小児ナドノ痢病ニハ此方ニ木香、黄連ナドノ加味ニテ療スベシ。丹渓先生ノ曰ク小児ノ血痢ハ食積ナリト豈妄リニ河間ノ芍薬湯ヲ用ユルコトヲセンヤ」と述べている。

 〔薬能〕 名医方考には、「湿盛ニシテ泄瀉スル者コレヲ主ル。蒼朮 厚朴 陳皮 甘草は平胃散ノ味ニシテ湿ヲ乾カス所以ナリ。白朮 茯苓 猪苓 沢瀉 桂枝ハ五苓散ノ味ニシテ湿ヲ利スル所以ナリ」とある。
 また、和漢纂言要方には、「通仙先生ノ曰ク、古方胃苓湯ニ芍薬ナシ後哲此ノ味ヲ加フルモノハ此薬味酸クシテ能ク肝ノ陰気ヲ収歛シ、中焦脾胃ヲ補ヒ、瀉ヲ治スル故ナリ」とある。

 〔応用
 (一) 急性胃腸炎-殊に大腸炎で腎臓機能障碍を伴い、小便利せず腹痛泄瀉を発し、俗に云う夏期の食あたりというものに多くこの症がある。時に軽度の血便粘液便等を混じ、少し裏急後重を訴えるものには、黄連、木香、檳榔を加えて用いる。脈証は多くは沈で力があり、腹証も相当抵抗があるものである。舌は多くは白苔である。
 (二) 浮腫-食傷から来る急性腎炎や、下利し易いもの。
 (三) 夏期の神経痛 リウマチの類。




副作用
1) 重大な副作用と初期症状
1) 偽アルドステロン症 :低カリウム血症、血圧上昇、ナトリウム・体液の貯留、浮腫、体重増加等の偽アルドステロン症があらわれることがあるので、観察(血清カリウム値の測定等)を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行う。

2) ミオパシー :低カリウム血症の結果としてミオパシーがあらわれることがあるので観察を十分に行い、脱力感、四肢痙攣・麻痺等の異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行う。

[理由]〔1)2)共〕
厚生省薬務局長よ り通知された昭和53年2月13日付薬発第158号 「グリチルリチン酸等を含有す る医薬品の取り扱いについて」 及び医薬安全局安全対策課長よ り通知された平成9年12月12日 付医薬安第51号 「医薬品の使用上の注意事項の変更について」 に基づく。


[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、血清カリウム値のほか血中アルドステロン・レニン活性等の検査を行い、偽アルドステロン症と判定された場合は、症状の 種類や程度によ り適切な治療を行う。 低カリウム血症に対しては、カリウム剤の補給等により電解質バランスの適正化を行う。



4) 劇症肝炎、肝機能障害、黄疸: 劇症肝炎、AST(GOT)、ALT(GPT)、Al‑P、γ‑GTP 等の著しい上昇を伴う肝機能障害、黄疸があらわれることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、適切な処置を行う

 [理由]
本剤によると思われる劇症肝炎、AST(GOT)、ALT(GPT)、Al‑P、γ‑GTP等の著し い上昇を伴う肝機能障害、黄疸が報告されている(企業報告)ため。
(平成24年1月10日付薬食安発0110第1号「使用上の注意」の改訂について に基づ く改訂)


[処置方法]
 原則的には投与中止により改善するが、病態に応じて適切な処置を行う。

2) その他の副作用
過敏症:発疹、発赤、瘙痒等

このような症状があらわれた場合には投与を中止すること。

[理由]
本剤にはケイヒ(桂皮)が含まれているため、発疹、 発赤、瘙痒等の過敏症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]
原則的には投与中止にて改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行うこと。

【医療用漢方製剤 】
商品名 製造販売元
発売元又は販売元
一日 製剤量
(g)
添加物 剤形 効能又は 効果 用法及び用量 蒼朮(ソウジュツ) 白朮(ビャクジュツ) 厚朴(コウボク) 陳皮(チンピ) 猪苓(チョレイ) 沢瀉(タクシャ) 茯苓(ブクリョウ) 桂皮(ケイヒ) 大棗(タイソウ) 生姜(ショウキョウ) 甘草(カンゾウ)
1 ツムラ胃苓湯エキス顆粒(医療用) ツムラ 7.5 日局ステアリン酸マグ ネシウム、日局乳糖水 和物 顆粒 水瀉性の下痢、嘔吐があり、口渇、尿量減少を伴う次の諸症:
食あたり、暑気あたり、冷え腹、急性胃腸炎、腹痛
食前又は食間
2~3回
2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.5 2.0 1.5 1.5 1.0