健康情報: 桂枝人参湯(けいしにんじんとう) の 効能・効果 と 副作用

2014年6月17日火曜日

桂枝人参湯(けいしにんじんとう) の 効能・効果 と 副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
人参湯(にんじんとう)
人参 甘草 朮 乾姜各三・ 

別名を理中湯と云い、胃腸の機能を整調するの作用がある。
一 般に本方證の患者は、胃腸虚弱にして、血色があく、顔に生気がなく、舌は湿潤して苔なく、尿は稀薄にして、尿量多く、手足は冷え易い。また往々希薄な唾液 が口に溜まり、大便は軟便もしくは下痢の傾向である。また屡々嘔吐・目眩・頭重・胃痛等を訴える。脈は遅弱或は弦細のものが多い。腹診するに、腹部は一体 に膨満して軟弱で、胃内停水を證明する者と、腹壁が菲薄で堅く、腹直筋を板の如くに触れるものとがある。
本方は人参・白朮・乾姜・甘草の四 味からなり、四味共同して胃の機能を亢め、胃内停水を去り、血行を良くする効がある。従って急性慢性の胃腸カタル、胃アトニー症・胃拡張・悪阻等に用い、 時に畏縮腎で、顔面蒼白・浮腫・小便稀薄で尿量が多く、大便下痢の傾向のものに用い、また小児の自家中毒の予防及び治療に用いて屡々著効を得る。時として 貧血の傾向ある弛緩性出血に、前記の目標を参考にして用いる。
本方に桂枝を加えて、甘草の量を増して、桂枝人参湯と名付け、人参湯の證の如くにして表證があって発熱するものに用いる。
また人参湯に附子を加えて、附子理中湯と名付け、人参湯證にして、手足冷・悪寒・脈微弱のものに用いる。



漢方薬の実際知識 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
8 裏証(りしょう)Ⅱ
虚弱体質者で、裏に寒があり、新陳代謝機能の衰退して起こる各種の疾患に用いられるもので、附子(ぶし)、乾姜(かんきょう)、人参によって、陰証体質者を温補し、活力を与えるものである。

各薬方の説明
1 人参湯(にんじんとう)  (傷寒論、金匱要略)
〔人参(にんじん)、朮(じゅつ)、甘草(かんぞう)、乾姜(かんきょう)各三〕
本 方は、理中湯(りちゅうとう)とも呼ばれ、太陰病で胃部の虚寒と胃内停水のあるものを治す。貧血性で疲れやすく、冷え症、頭痛、めまい、嘔 吐、喀血、心下痞、胃痛、腹痛、身体疼痛、浮腫、下痢(水様便または水様性泥状便)、食欲不振(または食べるとながく胃にもたれる)、尿は希薄で量が多い などを目標とする。本方の服用によって、浮腫が現われてくることがあるが、つづけて服用すれば消失する。五苓散(ごれいさん)を服用すれば、はやく治る。 本方を慢性病に使用するときは丸薬を用いる。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、人参湯證を呈するものが多い。
一 胃酸過多症、胃アトニー症、胃下垂症、胃カタル、胃拡張症、胃潰瘍、大腸炎その他の胃腸系疾患。
一 萎縮腎その他の泌尿器系疾患。
一 心臓弁膜症、狭心症その他の循環器系疾患。
一 肋間神経痛その他の神経系疾患。
一 肺結核、気管支喘息、感冒その他の呼吸器系疾患。
一 吐血、喀血、腸出血、痔出血、子宮出血などの各種出血。
一 そのほか、悪阻、肋膜炎、糖尿病など。

2 桂枝人参湯(けいしにんじんとう)  (傷寒論)
人参湯に桂枝四を加えたもの〕
人参湯證で、表証があり、裏が虚し(特に胃部)表熱裏寒を呈するもの、特に動悸、気の上衝、急迫の状などが激しいものに用いられる。発熱、発汗、頭痛、心下痞、心下痛、心下悸、四肢倦怠、足の冷え、水様性下痢などを目標とする。
〔応用〕
人参湯のところで示したような疾患に、桂枝人参湯證を呈するものが多い。
その他
一 偏頭痛、常習性頭痛など



明解漢方処方 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.64
桂枝人参湯(けいしにんじんとう) (傷寒論)

処方内容 桂枝四・〇 甘草 朮 人参各三・〇 乾姜二・〇(一五・〇)

必須目標 ①下痢(稀には兎便のような便秘)  ②表証(発熱、悪寒、頭痛)がある、頭痛を訴えることが一番多い  ③脉は弱い ④胃部痞えている。

確認目標 ①手足倦怠感  ②下痢は水瀉便で粘液や血を混じえていない ③自然発汗する ④腹痛なし。

初級メモ ①本方は所謂協熱利といわれる表位に熱症状があり裏に寒症状のある下痢を目標にする。表熱には桂枝甘草湯、裏寒には人参湯の行くところで、この両者の合方である。

②平常人参湯を用いるような虚弱体質の人が感冒に罹り表熱症状を伴って下痢するときに用いる。もし丈夫な人で裏寒がないなら葛根湯五苓散を考える。

中級メモ ①たとえ下痢しなくても裏寒の証(小便自利、冷えると胃が痛むなど)のある人の表証(頭痛)に用いてもよい。
 ②南涯「表裏に病めるなり。心下に血凝って気行かず、表裏に熱あって水を逐う者を治す。その証に曰く、心下痞硬これ血凝って気行かず(人参主之)なり。曰く数(しばし)ば之を下すはその逆を示す。曰く協熱利、表裏解せずは表裏に熱あるなり。利下まずといって下痢といわざるは、この利、気行かずして水下降する者に非ずして熱のために逐わるる利ゆえなり。曰く協熱して利するには黄芩を用いず桂枝を加える所以な責」。この南涯の説は裏寒を否定していて、いささか不審の点がある。

適応証 陰証体質の急性腸カタル。感冒。

文献 「桂枝人参湯による常習頭痛の治療」藤平健(日東医15、2、27)
    「桂枝人参湯に関する諸家の説」奥田謙蔵(漢方と漢薬7、9、79)

『漢方臨床ノート 治験篇』 藤平健著 創元社刊
p.346
桂枝人参湯による常習頭痛の治験

〔1〕緒言
 常習頭痛(以下常頭と略)は、疾患そのものとしてはさほど重要性をもつものではないが、患者自身にとってはかなり苦痛の大きい疾患である。しかも本症は、根治がきわめて困難であるために、発病の当初においてはこれを根治しようと努力するものの、やがてあきらめて、ただ対症療法としての一時しのぎにのみ走るようになるのが常である。その結果は胃腸をもそこねて、頭痛と胃腸障害の二重の苦痛に悩まされ続けているものも決して少なくはない。私は或る機会から、私自身の「常頭」に桂枝人参湯を応用して著効を得た。以来本方を相当多数の「常頭」に用いてみて、本方が「常頭」に頻用さられる可能性の多い、しかも根治的効果のある薬方であることを知ったので、ここにこれを報告し、大方の御追試と御批判とを得たいと思う。

〔2〕治療症例
 症例は二十四例(女性二十例、男性四例)である。
 発病は三ヵ月前、あるいは二年前というような比較的新しい例もあるが、大部分は十年ほど前からの古い、いわゆる持病となっているものが多く、中には四十年前からというような古つわものもある。
 頭痛の程度は、おおむねの目やすで、発作時のそれが、つらく不愉快であるが、仕事は続けされる程度のものを(+)とし、仕事が手につかなぬ程度のものを(++)とし、とても激しくて横臥を余儀なくさせられる程度のものを(+++)とした。(+)は七例、(++)は十四例、(+++)は三例である。
 胃症状は「常頭」の発作の際よく出現する胃部のもたれ感、膨満感、不快感等を総称したのであるが、五症例を除いた他の例のすべてに、これが見られる。
 桂枝人参湯証には下痢を伴うのが原則であるが、ここに取り上げた症例に関する限りでは、それは見られない。
 脈は発作時に診たものは少ないのであるが、一般に虚脈の傾向を呈している。
 舌は、乾湿その他がまちまちで、一定していない。腹力は中等度のもの四例を数えるが、他は軟か、やや軟で、虚状を帯びるものがきわめて多い。
 心下痞は全例にこれを認める。
 治療日数は、早いものでは二週間あるいは三週間でよくなっているものもあるが、長いのは一年近くかかっている。
 治療成績は、第1・2・3・6・7・12・13・16・17・18・21・23の各症例では、現在のところ再発を見ておらず、うち数例などは会う機会ごとに感謝される状況であるが、第10・14・20の三症例にはすでに再発を見ている。まだ実験の期間が短いので、詳細な遠隔成績が出せないのが遺憾であるが、この件に関しては後日折を見て報告したいと思う。

〔3〕治療方剤の内容
 本症に用いた治療方剤である桂枝人参湯の処方内容は、奥田謙蔵氏著『漢方古方要方解説』所載の二回量を一日分として与えた。すなわち、桂枝6.4g、人参4.8g 甘草6.8g 白朮4.8g 乾姜4.8gである。なお人参はすべて竹節人参を用いた。ただし、これを用いたのは第1症例から第14症例までであって、あとの症例には、K製薬会社の人参湯の粉末エキス1.8gに桂枝末0.3gを加えたものを分二(一日量)として与えた。
 『傷寒論』に示されてある人参湯および桂枝人参湯の分量は、人参湯は「人参・甘草・白朮・乾姜各三両」で、桂枝人参湯は「人参・白朮・乾姜各三両、甘草・桂枝各四両」である。すなわち人参湯の甘草の量を一両増し、さらにこれに桂枝四両を加えたものが桂枝人参湯である。したがって人参湯エキスに桂枝末0.3gを加えたものは、厳密にいうと、桂枝人参湯とは組成的にやや異なったものとなる。
 甘草の増量は一応措いておいて、桂枝人参湯中の人参湯の量と桂枝の量とを比較すると三対一になる。したがって人参湯エキス1.8gに対して桂枝末0.6gを配合すべきはずであるが、これでは桂枝末の量が多過ぎると考えて、その半量にしたのである。原典の桂枝人参湯の煎法のところに、「右五味、水九升ヲ以テ、先ヅ四味ヲ煮テ、五升ヲ取リ、桂ヲイレ、更ニ煮テ三升ヲ取ル」と指示せられてあるが、これは、おそらく、桂枝の揮発性分をあまり逃がし過ぎないための経験上からの知恵であろう。とはいえ、人参湯エキスに桂枝末を加える場合、前述の比率そのままの0.6gを加えることは、常識的にも多きに過ぎる。
 私はかつて、苓桂朮甘湯をエキス化するに際して、桂枝の揮発成分を、装置を使って回収し、その全量を粉末エキスに加えるようにしてみたところ、これを白湯に溶解して服用する際、口中に長くとどめ難いほどの辛味を感じたばかりでなく、それを服用したあとも、胃の調子が変になったという経験がある。
 そこで、0.6gの半量あたりの桂枝末を添加することがよいのではないかと考えて、前述の如く、人参湯エキス1.8gに桂枝末0.3gを加え、これを一日分量として用いてみたところ、味わいも、効力も、ほぼ桂枝人参湯の煎液に等しい状態を得ることができた。それにしても、このエキス剤は、原方に比べて甘草の量が若干少ないわけであるが、使用してみると、原方と同様にきわめてよく応ずる。第10症例は、桂枝人参湯を四十九週間使用して、具合はよいのであるが、なかなか根治の域には達せず、なお月一回ぐらいの割で頭痛が現われるのであるが、それも本方を使用することにより直ちに氷解するので、当人は大いに感謝しているわけなのである。ところが経済的な理由から自由診療を受けることが困難になったので、保険診療操作のきくエキス剤に切り替え、現在も引続きこれを服用しているが社当人の言によれば、煎剤同様にエキス剤も実によく効くという。すなわち、この例から見ても、原方による煎剤と、私の用いたエキス剤とは、ほぼ同様の効果があるものと考えられる。このエキス剤では、明らかに原方に比べて甘草の量が不足なのであるが、効果の点ではほとんど差がないという事実は、種々と考うべき問題を含んでいると思う。

〔4〕総括ならびに考按
 常習頭痛の真の原因は西洋医学的にもいまだ不明とされているが、その発現機序としては、脳内血管の拡張によって起こると考えられる血管性要因、頭や頸の持続性収縮によって惹き起こされると思われる筋肉性要因、精神的な葛藤にもとづくと推定せられる心因性要因等のほか、内分泌障害、アレルギー、ビタミンその他の食餌性欠乏、自律神経の不安定状態、諸種の中毒、肝または胃腸の障害、眼障害、頭部外傷等の種々の要因が挙げられている。
 そしてその治療としては、頭痛の発作時の治療と、その予防との二面のそれが行なわれている。
 発作時の治療としては、アミノピリン、フェナセチン、カフェイン、酒石酸エルゴタミン、バルビツール酸誘導体、コントール、フェノチアジン誘導体等が、単独かまたは併用して用いられ、間歇時の予防法としては、精神的緊張の排除、胃腸等の整調、心因性要因の排除等につとめるとともに、ビタミン療法、食餌療法、内分泌療法、抗ヒスタミン剤、鎮静剤、トランキライザー等の応用が行なわれている。しかしこれらのいずれもが、発作を抑制し得るものではないとされている。
 要するに、西洋医学的には、発作の一時おさえ以外には、根治的な治療法は未だ適確なものはないわけなのである。
 常習頭痛に対する漢方の頻用薬方としては、古方では呉茱萸湯、桂枝加桂湯があり、後世方では半夏白朮天麻湯、香芎湯がある。これらの薬方や、その他によっても解決のつかない場合にしばしば遭遇するものであるが、そのような場合に、一度は本方を応用してみるのも、決して無駄ではないと思う。
 本方の応用目標は、『傷寒論』には「太陽病、外証未ダ除カズ。而シテ、シバシバ之ヲ下シ、逐ニ協熱シテ利シ、利下止マズ。心下痞硬シ、表裏解セザル者」とあり、『方極』の条には「人参湯証ニシテ、上衝急迫劇シキ者」となっている。応用目標のうちの主目標は協熱利すなわち表証がそのまま残って、しかも裏が虚して下痢したものであって、すなわち体質のやや虚弱なものの、発熱を伴う下痢に応用せられる場合が最も多い。
 私は、私自身常習頭痛の経験者であるが、かつては呉茱萸湯がよく応じたのに、ここ数年それが応じなくなり、ふとした機会に、頭痛、嘔吐、下痢、脈浮という状態の頭痛発作から、桂枝人参湯証に思いが及び、それを服用したところ、頓坐的に発作が治まった。これを数日服用することによって、以後この発作が出現しなくなったのである。
 この経験から、頭痛、上衝という病理概念の重要な一症状であるから、これがあ改aて、さらに下痢があれば、本方証として一応妥当と認められるのであるが、あるいは下痢がなくても「上衝急迫」の一証で、「常頭」に応用できるのではないかと推量し、これを応用してみたところ、既述のような成績を得たわけである。
 このような、下痢もない頭痛に本方を用いて、なおかつ有効であるというのは、いささか奇異に感ぜられないこともない。しかし考えてみれば、他の薬方においても、本来の応用目標からかなり外れたものに対しても頓用せられているものがある。たとえば、肋膜炎に対する小青竜湯加石膏、翼状片に対する越婢加朮附湯、肩こりに対する葛根湯、小児の鼻づまりに対する麻黄湯等の如きはそれであろう。
 さて以上の経験から、桂枝人参湯が常習頭痛に用いられるための目標を整理してみると次のようになる。
 (a) 虚証であること。
 (b) 脈は軟、沈、細、等。
 (c) 舌は乾湿まちまちであるが、一般には湿潤した微白苔である場合が多い。
 (d) 腹力は中等度以下で、上腹部の正中線に軽度の抵抗と圧痛とがあるが、これは剣状突起直下にある場合と、中脘の付近にある場合との二種類の場合があるようである。
 (e) 上腹部の振水音は、ある場合と、ない場合と、まちまちである。
 (f) 下訳は、発熱のある場合と、ない場合があるが、常習頭痛は下痢のない場合の方が多い。

〔5〕結論 
 私は常習頭痛に或る機会から桂枝人参湯を用いて、かなり効果をみた。本方はもちろん常習頭痛の特効薬ではないが、長年本症に苦しむ人に、上述の応用目標にしたがって用いるときは、予期以上の効果を挙げ、予期以上のよろこびをもたらすことができる場合がある。
(「日本東洋医学会誌」15巻2号、昭和39年11月)


※ 桂枝人参湯中の人参湯の量と桂枝の量とを比較すると三対一になる。したがって人参湯エキス1.8gに対して桂枝末0.6gを配合すべきはずであるが、これでは桂枝末の量が多過ぎると考えて
(コメント)
一般に煎じる場合と粉末にして用いる場合とは、使用量が異なる。
目安としては、散として用いる場合は、湯として用いる場合の四分の一程度。
例えば、散としても湯液としても良く用いられる安中散について、
『漢方診療医典』 では、桂枝4 延胡索3 牡蛎3 茴香1.5 縮砂1.5g 甘草1 良姜0.5 の合計14gを煎じて1日量とするが、
末とする場合は上記を末として、毎回1.0~2.0gを1日2~3回服用するとするとなっているので、
1日量は、2~6gとなる。
湯液の14gと比較すると、散剤は、一割四分~四割三分程度となる。
以上より、桂枝末の量は更に減らしても良いもの考えられる。

また、K社の人参湯エキス1.8gと書かれているが、これには賦形剤等が配合されている可能性がある。(量が少ないので、賦形剤は含まれていない可能性も高い。)

更に言えば、エキス量と粉末の量との比率を論じる点にも問題があると思われる。
エキス剤に含まれるもとの生薬との比較にした方がよいと思われる。

例えば、小太郎漢方製薬株式会社の「コタロー人参湯エキス細粒」は、

本剤6.0g中  日局 ニンジン3.0g、日局 カンゾウ.3.0g  日局 ビャクジュツ3.0g  日局 カンキョウ.3.0g
上記の混合生薬より抽出した人参湯の水製乾燥エキス3.2gを含有する。
添加物としてステアリン酸マグネシウム、トウモロコシデンプ ン、乳糖、プルラン、メタケイ酸アルミン酸マグネシウムを含有する。

となっているので、このもとの人参、甘草、白朮、乾姜との比率から桂枝の量を検討すべきであると思われる。


※揮発性分? → 揮発成分 or 揮発性成分 と思われる。


p.357
頭痛の治験例
〔第6例〕常習頭痛
 33歳の主婦。初診・昭和38年12月27日。
 患者は痩せ気味の、顔色の蒼白な中背の婦人。25歳の頃から一日として頭痛に悩まされない日はない。頭痛は起床したから就寝するまでつづき、それが激しいときには嘔吐を伴う。デパートに出かけたり、PTAの会合に出たりしたあとは、それが一層はげしくなる。約三年前からは、三日に一度くらいの割で、いわゆる胃痙攣の症状が起きて、その痛みにひどく苦しむ。
 いろいろと諸治療を受けたが、何としてもよくならないので、もう半ばあきらめていたところ、主人の会社の同僚の奥さんが同じような症状であったのが、ここの漢方の治療で治ったので、ものは試しと来てみたのだという。

〔自覚症状〕 みずおちがもたれ、痛み、胸やけがして、背中が張る。項背の凝ることも多い。口中の乾燥感が常にあって、食欲を感じたことがない。腰以下がしばしば冷えたり痛んだりする。少しの仕事にもすぐ疲れてしまう。睡眠は大体よい。大便は秘結して三日に一行。小便は近くて一日に十数回、夜はない。月経は順調である。

〔他覚症状〕 中背、痩せ気味で、顔もからだも皮膚の色が蒼白い。脈は沈の気味で軟。舌は湿潤していて苔がない。腹は全般に軟弱無力で、中脘あたりに軽い抵抗と圧痛とがある。臍の左斜上および下各々二横指の付近にも軽い抵抗と圧痛とがある。
 以上の自他覚症状から、本症は定型的な陰虚証であることが明らかである。便秘はあるが、おそらくこれは虚秘であろう。ここで私は自信をもって桂枝人族湯を投じた。効験はまことにあらたかで、一週間後には頭痛は半減し、二週間後にはほとんど感じなくなり、食欲も大いに亢進し、一ヵ月後には頭痛はもちろんのこと、胃痛の発作も全く消退して、仕事に対する意欲が湧いてきた。今日も隣家の奥さんとバスに乗ってきたところ、その奥さんから、あなたはいつもバスに酔うのに今日は平気ね、といわれ、最近バスに酔わなくなっていることに初めて気付いたという。ここまでくれば、どうやら卒業も近いようである。
 さて、さきに「私は自信をもって桂枝人参湯を投じた」と書いたが、これには少々わけがあるのである。だいたい桂枝人参湯で常習頭痛が治ったなどという例は、私の知る限りでは、古今を問わず、あまり報告されていない。常習頭痛といえば、古方ではまず呉茱萸湯、ついで五苓散、桂枝加桂湯などに思いが及ぶし、後世方では第一番に半夏白朮天麻湯、ついで川芎茶調散などを思い起こすというのが一般的な順序ではなかろうか。ところが最近の私は、常習頭痛といえば、まず真先に桂枝人参湯を考える、というふうになってしまっているのである。ことほど左様に桂枝人参湯の常習頭痛に対する応用頻度は高率なのであって、であるからこそ「自信をもって」投薬したのである。
 ではなぜ、いわゆる協熱利――すなわち表熱がそのまま残ってしかも裏が虚して下痢するという症状――が桂枝人参湯証の主要構成分子であるにもかかわらず、熱もなく、また下痢もない虚証の常習頭痛に本方を用うるに至ったか、という経緯につ感ては、本年度の日本東洋医学会の総会で詳細を述べる予定なので、ここでは省略させていただくこととする(本書346~354頁収録「桂枝人参湯に版る常習頭痛の治験」参照)。
 とにかく、デパートを巡って来たあととか、PTAの会合に出席した直後とか、二~三日間甚だしい過労が続いた後とかに、きまって来襲するのを常とする激しい頭痛で、脈や腹が虚しており、心窩または中脘のあたりに中等度以下の抵抗と圧痛とがある患者には、ぜひ一度本方を試みていただきたいのである。それこそ「旧痾洗うか如し」という形容の通りに、長年の頭痛が、拭うが如くに消え去って、感謝感激されるいくつかの例に必ずやぶつかるはずである。
 ここで私は、『傷寒論』や「金匱要略』に出ている薬方だけでも、研究次第で、いまの流行語でいえば開発の仕方一つで、まだまだいくらでも多くの応用面が見出され得るのではなかろうか、と考えざるを得ない気持になってきたのである。尾台榕堂翁が『方技雑誌』の巻頭で『余五十年来、仲景方バカリ使ヒ来リシ故ニ、古方ハ家常茶飯ノ如クニナリテ、如何ヤウノ病人ニテモ、仲景方ニテ窘塞ススコトナク、又闕乏スルコトナシ。……余鈍次為才ト雖モ、少ヨリ雑学セズ、一意専心ニ仲景ノ法方ニ従事セシ故、古方使用ノ自由ヲ得ルニ似タリ。此一事ハ海内広シト雖モ、敢テ他人ニ譲ラズ」と豪語したのも、決してひとりよがりの広言ではないと思う。
(「漢方の臨床」11巻3号、昭和39年3月)

※窘塞:行き詰まる
※闕乏:欠乏、不足する


p.361
〔第8例〕
 42歳の婦人。初診・昭和57年3月11日。
 数年前から偏頭痛が始まり、最近は、月に数回、ひどいときには週二回ほど頭痛発作が起こる。現代医学的な治療も受けているが、鎮痛剤を投与されるだけで、根治はしない。このごろは市販の鎮痛薬で痛みを止めているが、だんだん胃の調子も悪くなってきたので、漢方でなんとか治してもらえないか、との訴えである。

〔自覚症状〕 手足が冷えがちで、強いていえば多少のぼせる傾向がある。頭痛の発作が終わるころ、ときどき吐くことがある。下痢はない。

〔他積症状〕 やや背が高く、多少ほっそりとした体格で、顔色は普通である。脈は弦でわずかに弱。舌には乾湿中等度の白苔が中等度にある。腹力は中等度よりやや軟。心窩部に軽い抵抗と圧痛がある。
 桂枝人参湯証と認め、エキス剤6gを分二として投与した。
 二週間後に再院。発作の回数は少なくなったがまだあるという。同じ処方を続投する。その後、経過は順調であったが、9月に来院したとき、多少便秘の傾向があるというので、桂枝人参湯に大黄エキス0.6gを加えて投与した。
 その年の春まで、頭痛発作の回数は少なくなったが、まだときどき出る状態がつづいていた。
 翌年2月21日に来院。まだときたま軽い頭痛が起きるが、吐くことはなくなった。通じも快調であるという。同じ処方を投与。
 その後しばらく来院しなかったのであるが、6月4日に来院した折の話では、もう完全に頭痛が起きなくなり、体調も非常によいという。そこで治癒と認め、同じ処方を三週間分投じて廃薬とした。
 (未発表のカルテより、昭和59年1月)

p.367
甲斐駒冬山行と頭痛と
 妙な題であり、妙な取り合せである。私自身そう思うのであるから、読者諸賢におかれては、なおさらその感が強いに違いない。実は、この正月南アルプス甲斐駒岳に登り、その最中に激しい常習頭痛の発作に襲われた。最初はカゼと思い込み、後に常習頭痛とわかったのであったが、このような際、いかなる薬方を用うべきやの解答が得られずに山を降りたのであった。ところが、十日後に再び同様の発作に見舞われて、今度はどうやらその答えが得られたので、その自己治験を書いてみようと思ったのである。それで当時の日記をひっくりかえしてみると、あの素晴らしかった冬山行の思い出が髣髴(ほうふつ)として眼前によみがえってきた。治験もお伝えしたいが、この冬山行の模様も紹介したい、という欲が出て、二兎を追うの愚は重々知りながら、かくは奇妙な取り合せの題を付ける仕儀とは相成ったのである。以下は当時の日記からの抜萃である。
 38年元旦 快晴。
 お屠蘇をいただき、おせち料理を食べて、直ちに甲斐駒登行に出発。六貫(22.5kg)のリュックがズシリと肩に重い。手違いで、木更津組と千葉駅で合流できず、ようやく新宿で落ち合う。リーダーは木更津山岳会会長の春田氏。齢はとって62歳。短身痩躯ながら壮者をしのぐ元気と敏捷さの持主。総勢十八名の内訳は高校生、BG、銀行マン、公務員と、職種の雑家なる如く、年齢も種々。もっとも定型的な社会人パーティーと申すべきか。
 汽車はすごい混雑で、文字通り足の踏み場もない始末。10時30分発、2時30分韮崎着。バスからトラックに乗りついで、駒ヶ嶽神社前の尾白荘に着いたのは午後4時半。食後、いろりで歓談するが、異常に眠い。眠気ざましに屋外に出ると、踏む土はカンカンに凍てついていて、中天の月は銀のように白い。
 1月2日 くもり、時々小風雪。
 7時半出発。尾白川を吊橋で渡って、間もなく急登となる。11時粥餠岩着。小風雪の中で焚火をつくり、一時間の大休止をとって昼食。途中、旧臘28日、頂上付近で落下骨折し、ようやくここまでおろされて来た会社員の救援隊一行を、はるか下方、尾白川の右岸に望遠。桑原々々、このようなことになってはと、各自自重を誓う。風雪の中を刃渡りを過ぎ、刀利夫の梯(はしご)場も無事に通過して、4時半、五合目小屋に着く。
 早くも陽の落ちた中を、薪切り、雪とかしと、一同大多忙。夏の南ア聖岳登行では、頂上でテンプラを、というのが念願で、見事その願いが果たされたのであったが、その当時から次の甲斐駒冬山行ではサシミを、と聞いていたのであった。ところが、これまた見事に願いがかなえられて、一同素晴らしいマグロのトロの味覚に舌鼓を打ったのであった。BG大岩さんの作ってくれたそばがあまりにもうまく、いささか過食したせいか、食後急に下腹が張ってきて、夜中に苦しくなる。少し下痢した。
 1月3日 曇。
 ビニールカバーで覆ったシュラーフザックは、からだから出る蒸気で蒸れて、表面がビショビショ。覆わねば寒いし、覆えばかくの如し。ふたつながら良いということは、いつの場合にもなかなかむずかしいものだ。
 雪をとかして水をつくり、針葉樹の小枝や葉っぱの入ったにぎやかな雑煮を、けむい、いぶり小屋の中でパクつく。雪山讃歌ではないが、けむい小屋でも黄金の御殿とは、よくぞ言ったものだ。いかにけむくても、むさくるしくても、小山屋での味はまた格別。
 朝、起きぬけから頭痛とさむけがする。こんな所でカゼをひいたらかなわない。脈浮やや緊の状態なので、麻黄湯エキス1gをのむ。
 8時出発。天気はあまりよくない。間もなく小風雪。11時、不動岩着。垂直の岩壁に鎖がかかり、足場が切ってある。15メートルほどののぼりで、大したことはないのであるが、それでも万一足を踏みはずせば、それこそ千仭の谷底に落下するのであるから、一応の緊張を必要とする。ガイドさんを含めて十九名の隊員がここを通過し終ったのが12時。その間、悪寒と頭痛に悩まされて、麻黄湯エキスのむこと二回。
 2時半、七丈小屋に着く。五合目小屋よりはるかに上等。それに、五合目小屋では他に二パーティーの合客があったが、ここはわがパーティーで独占だ。小倉重成先生が、例によって犠牲的精神を発革し、せっせと掃きかつ床を拭く。ものぐさの小生も、つられてそれを手伝う。
 30日来、多少カゼ気味で、軽い頭痛と悪寒とが出たり引っこんだりしていたが、今朝からそれが激しくなって来た。はじめは、脈浮緊だったので、麻黄湯エキスを服し、登行中もそれを服しつづけたが、どうもハッとしない。小屋についてからも、ますます悪寒が甚だしく、脈は浮数弱と変って、頭痛も甚だしいので、桂枝湯を連服。これでも全く応ぜず、悪寒と頭痛はつのるばかり。持参シタチョッキその他を全部着込み、ヤッケとオーバーズボンをつけてもなお寒い。食欲も落ちて、そばをかるく一杯食べただけ。心下がなんとなくつかえて、ややむかつく。急に立ち上がると、心臓部が妙に嫌な気持になって、倒れるのではないかという感じがして、乾かしておいたシュラーフを小倉さんにとってもらうありさま。会員の合唱に加わる気力も全くなく、早目にシュラーフにもぐる。しかしからだ中が違和感で寝苦しく、どうしても寝つかれない。心窩部が次第に張ってきて、次いでむかついてくる。一同がシュラーフにもぐり込み、すやすやと寝息を立てはじめて間もなく、どうにもたまらなくなって這い出し、手さぐりでオーバーシューズをつけ、小屋の外に飛び出して、胃中のものを残らず吐き出す。万物みな森閑とした闇に沈んでいるなかに、降る雪の音だけがサラサラと耳を打つ。明当の登頂を思い、心は暗い。
 ここに至って明らかとなった。これはカゼではなく、例の水毒の激動による、常習頭痛の発作であったのだ。一体、これをどうやってカゼと区別すべきか。また薬方は何を処すべきか。とにかく吐いたら楽になった。ようやく寝入る。夢の中で、これこそ半夏白朮天麻湯の証なのだ、とさかんに合点する。夢のお告げというのに当たるのかもしれないが、めざめて考えてみると、どうも半白天麻の証ではなさそうだ。
 1月4日 晴。
 起きてみると、頭痛がまだわずかに残り、起ち上がると少しふらつくが、悪寒は全くなくなっている。朝の雑煮の餅を二つ頬張ると、はや全く普通の状態となった。
 外に飛び出してみると、鳳凰三山が重なるようにして、紅にかがやく御来迎の中に浮かび上がっている。あいだをへだてる谿谷からは、雪煙がさかんに舞い上がっては降りている。しめた、今日は晴れるぞ。
 9時半、全員勇躍して軽装で出発。ワカンでラッセルしてくれる先頭の苦労に感謝しつつ、写真を撮りながら最後尾を登る。群青の空、それをくぎる銀白のスカイライン。朝日にきらめく純白の霧氷。ただ夢中になってシャッターを矢つぎ早やに切る。遠くに目をやると、鳳凰三山、秩父の連嶺、金峰が、あるいは近く、あるいは遠く、頂に雪の衣をつけて連なりそびえている。金峰の頂には、かすかながらも五丈岩も見える。それにつづく八ヶ岳の悠然とかまえて勇姿は、残念ながら八合目あたりから上が雲にかくれて見えぬ。つづいて霧が峰、南アの峰峰。ただもう感激に快哉を叫ぶのみ。
 12時、八合目の石の大鳥居に着く。眺望はますます拡がる一方だ。駒のバットセルは目の前にそびえ立ち、その左、鋭い切れ込みをへだてて摩利支天が屹立している。その左には栗沢山、つづいてアサヨ峰、さらにその左には南アの主峰北岳が雪煙の中に見えつかくれつしている。
 天候われに味方して、陽光は燦然としてこの白銀の殿堂にふりそそぎ、空はあくまで青く、白雲去来して、天国とはまさにかくやと思うばかり。そっちに走り、こっちに返って、シャッターを切りまくっているうちに、早くも小一時間が過ぎてしまった。
 1日、八合目から引き返す。小屋をかたづけ、軽食をすませたのち、2有40分出発。4時15分、五合目小屋着。ここに沈没するか、それとも強行して山麓の尾白荘まで長駆するかを、リーダーに問われ、全員強行に賛成。よってここを素通りして、一路山麓をめざして下る。まだ明るいうちに、不動岩の嶮や、刃渡りを過ぎることができたのは幸いだった。刃渡りを渡り終えて右手を見ると、富士が夕陽に片側を茜に染めながら、いままさに夕闇の中に没し去ろうとしているところだった。と見ると、今まで白々として中央にあった昼の月が、にわかに輝きを増しはじめた。ときどき風が強く吹きぬけるが、依然として雪が降らぬのは有難いかぎり。月あかりをたよりに、雪の夜道をひた下りに下る。
 9時近く、尾白荘に着く。まさに十二時間に近い時間を、登降を連続したことになる。疲れもなく、頭痛も悪寒もなくて、快適そのもの。
 薬方は、やはり見証で、 昨日の桂枝湯でよかったのだろうか。でなければ、一回の吐出で、今日こんなに元気でおられるはずはないのではなかろうか。
 山を下る道に、はたしてこの際何を用うべきであったかを、小倉氏と語り合う。結局結論が出なくて、宿題ということにする。
 10時すぎ夕食を終え、11時就寝。
 1月14日 晴。
 朝から、下痢と心窩部の膨満感とに苦しめられる。昨夕外食した折のエビフライが悪かったか。桂枝加芍薬湯エキスを服し、ややよし。
 夕刻、コロナ会の新年会に出席している最中に、急に悪寒がおそってきた。脈浮やや緊。頭痛なく自汗なく、関節痛なく、項背強なし。カゼだな、と思いつつ、麻黄湯エキス1gを間をおいて都合二回のむ。幾分よし。10時帰宅。少し頭痛が出て来た。また麻黄湯エキスをのみ就寝。
 1月15日 晴、強風。
 夜中、頭痛と心窩部の膨満感に苦しめられて、しばしばめざめる。夜明けに下痢。少しむかつくので、吐出しようとしたが、あまり出ない。
 今朝もなお依然として、頭痛、悪寒、心窩部観満感が強い。脈は浮やや弱。心窩はやや抵抗があって、圧に対し非常に不愉快である。
 これはやはり、カゼではなかったのだ。まただまされた。この状態は、3日の山小屋での経験と全く同じだ。
 頭痛、悪寒、脈浮弱の表証に、心下痞硬、下痢の裏証があって、これはまさに協熱利ではないのか。表裏双解の剤、桂枝人参湯を用いるべき正証ではなかろうか。さっそく同湯を作り服するや、ほぼ一時間後には、頭痛も悪寒もほとんど感じなくなり、午後に至って完全に正常となった。
 正月の甲斐駒登行中、小倉さんと話し合って、このような時には一体何を処すべきなのだろうと、宿題にしたのであったが、今日この解答が得られて、まことにうれしい。さっそく小倉さんに電話で報告をする。
 考えてみると、元旦の夜、尾白荘のいろりばたで異常に眠たかったのが、すでに発作の始まりではなかったか。そして2日目の夜、五合目の小屋で、夜中に下痢したのは、すでに完全に桂枝人参湯証が開幕をしたのであって、翌3日の激しい頭痛や悪寒や心窩部の膨満感は、舞台で、桂枝人参湯証がはなばなしく演ぜられている真最中だったわけなのである。
 思えば昨年10月20日から21日にかけて、小田原、箱根で日本東洋医学会の関東地方会が催された折にも、同様な発作に苦しめられたのであった。ところが、この時も下痢があったのにもかかわらず、桂枝人参湯の証とは気が付かず、もっぱら桂枝湯呉茱萸湯のエキスを服して解決せず、とうとう自然消退にまかせたのであった。数年前、「漢方の臨床」誌上に、常習頭痛の呉茱萸湯による自己治験を発表したことがあったが、あれは下痢がなかったから呉茱萸湯でよかったので、下痢が加われば、当然薬方が変わるべきものであった。それを強いて下痢の方は注意せずに、呉茱萸湯の方ばかりに色目を使おうとしたのは、われながら浅はかの限りであった。
(「漢方の臨床」10巻4号、昭和38年4月)



※吐出しようとしたが? → 吐き出そうとしたが?

p.211
泄瀉奮戦記
 ひどい下痢だった。旅先のことで、どうなることかと一時はかなり心配をしたのだったが、これまた法方大明神のおかげで、どうやら切り抜けることができた。自家経験は自家の経験でも、今回は珍しく私自身のではなく、わがカミさんのそれなのである。例によって日記を繰ってみよう。
            *
 2月24日(火)。パリのオルリー・ウェスト空港から飛び立ったフランス国内航空のプロペラ機は、途中、ランスの約半数の乗客十五名ほどをおろし、再び離陸して、夜10時半、ブルターニュ地方の西方に位置するカンペール市の空港に着いた。夜こことで、よくはわからぬが、かなり小さな空港らしい。四坪くらいの待合室と、それに続く事務室があるだけの、まことに簡素な空港の建物である。たった一台だけで客待ちしていたタクシーに乗り、暗い田舎道を十数分走って、林の中にポツンと建っているホテル・ル・グリフォンに着く。これまたスレートの瓦葺き二階建ての、かなりこじんまりしたホテルだ。それでも、フロントに置いてある案内のパンフレットを見ると、部屋数は四十余室はあるらしい。さいわい、フロントのマダムの感じもよく、部屋も大変きれいで、これなら、これからの五日間を、快適に過ごすことができそうだと、ホッと一安心する。
 ところが、一安心するのは早すぎた。その頃から、いつも元気なはずの、家内のからだの具合がおかしくなってきたからである。パリ市内のタクシーで酔い。また飛行機でも酔ったという。そして、いつもにもなく疲れが甚だしいと訴える。
 2月25日(水)。午前中いっぱいを、朝食もとらずに、気分が悪いとベッドに増になっていた家内が、いくらかは具合がよくなったようだから、町へ出てみたいという。タクシーで7~8分走って町の中央のカテドラル広場に出る。二、三買物をしているうちにまた気分が悪くなってきた。急ぎホテルへ戻る。みずおちあたりが何となく気持が悪いという。食欲は全くない。小半夏加茯苓湯のエキスを投与。よくならない。好転しないばかりか、気分はますます悪くなってきた。
 夕刻、水様便を下す。軽度に頭痛が起きてきた。少しだが寒けもするという。脈は浮やや数で、わずかに緊。自分でも熱っぽく感じるという。腹力は中等度よりわずかに軟。心窩部に軽度の抵抗と圧痛がある。腹痛、呼吸困難などは全くないが、腹鳴があり、多少汗ばむ傾向がある。項背のこりはない。
 さて、薬方は何にすべきか。それよりも、この原因はいったい何だろう。昨日午後フォーションで食べたエクレアのせいだろうか。しかし、あんなにはやる店のクリームがいたんでいたなどとは到底考えられないことだ。とすると、ああそうだ、オルリー空港内のレストランで摂った昼食に違いない。ハ喜バーグの肉が、まるで生だった。ステーキの生なら、どうということはないが、挽き肉にし、手でこねたはずのハンバーグの生焼きなら、あたる可能性は多分にある。
 これで原因らしきものは判ったが、薬方は何にしよう。一番考えられるのは、『傷寒論』第一七九章の「太陽ト少陽トノ合病、自下利スル者ハ、黄芩湯ヲ与フ。若シ嘔スルモノハ、黄芩加半夏生姜湯之ヲ主ル。」の黄芩加半夏生姜湯だが、旅先きのことでは、どうしようもない。
 ええ、ままよ。数年前、ローマの旅舎の魚に中毒して苦しんでいた妻に、窮余の策として、葛根黄連黄芩湯の方意を含めて、葛根湯エキスと三黄瀉心湯エキスを合わせて与えてみたところ、これが実にうまく奏効したことがあったではないか。夢よもう一度、と与えてはみたが、よくならない。前のときには、項背のこりや、息苦しさがあったが、今度はそれらもなく、したがって葛根黄連黄芩湯の証ではないのだから効くはずもないわけだ。柳の下に再びどじょう、というわけにはまいらなかったのである。
 そうこうするうちに下痢と腹鳴はますます激しくなってきた。腹痛がないのが、せめてものなぐさめだが、こう頻々と下痢したのでは、からだが参ってしまわないか。半夏瀉心湯エキス、ついで生姜瀉心湯エキスと与えてみるが、全く反応がない。熱があるのだから、効くはずがないわけだ。ならば、桂枝人参湯はどうだろう。嘔があったり、脈が浮やや緊だったりするのが気にくわぬが、などと考えながら使ってみたが、やはり駄目。
 隣りのベッドに寝ていても、家内の腹鳴がよく聞こえる。ウトウトする間もなく、あわてて飛び起きて、トイレにとんで行く。ほとんど失禁に近いらしい。
 さてどうしたものか。このまま、このようにひどい下痢が続いたら、どうなってしまうのだろう。すでに零時を過ぎている。何としても、明朝までにはケリをつけたい。横になりながら考える。あんなにひどく下痢をしながら、腹痛もなく、あまりひどく苦しむ様子がない。これは、ヒョットすると真武湯なのではなかろうか。困するといえども苦しむところなし、という真武湯の一つの状態に該当しているのではなかろうか。与えてみる。しばしばし腹鳴がやんで、具合がよいな、と思ったのも束の間、またグルグルゴロゴロと激しい腹鳴がはじまって、家内は跳ね起きた。
 時計を見ると、午前3時。ベッドにもどった家内を、も一度精診してみる。脈は浮やや数、やや弱。夕刻時のやや緊は、やや弱に変ってきている。大分虚してきているのだ。腹力もやや軟となってきているが、それに反して、心下の痞硬はかえって増してきている。寒けはなおある。どう考えてみても、これは桂枝人参湯の協熱利としか考えられない。「さあ、これで下痢もうちどめだ」、などとつぶやきながら服用させる。実は、すでに何度この打ち止めをつぶやいたことか。
 だが、今度はたしかに打ち止めであった。これを服用して間もなく、激しい腹鳴が止み、寝息が聞こえはじめたのだ。万歳! 今度こそほんものだ。
 2月26日(木)。朝7時。下痢もやんで、やや元気になって、家内めざめる。念のため、もう一度、桂枝人参湯エキスをのむ。
 9時には、すっかりいつも調子を回眼し、このあたり一面に点在する有史以前の巨石文化の探訪にと出かけることができるようになった。朝のオレンジジュースの、あのすばらしいおいしさは、未だかつて味わったことがないほどでした、とは、タクシーの中での彼女の述懐であった。うまさを感じるようになれば、もう病気は退散した証拠である。
 以上が、家内と私との、泄瀉奮戦の始末記なのだが、いやはやひどい目にあつた。家内も私も、ほぼ徹夜の奮戦であった。しかし、これも、天の与えたもう試練の一つなのであろう。よい勉強になった。同じ桂枝人参湯エキス(中将湯)を用いて、夕刻の服用は効かなかったのに、あとになっての、午前3時のそれは、まことに顕著な効果をあらわした。そのわけは、いったい何だったのだろう。
 すでに賢明な諸賢がお気付きのように、初めのときは、まだ少陽病位で、既述のように黄芩加半夏生姜湯の証であったから、効かなかったのである。それが水瀉傾けるが如きという形容通りの、頻々たる下痢のために、急速に虚してきて、太陰位に陥り、しかもまだなお表熱も残っていたために、表熱をさしはさんだ裏寒の下痢、すなわち協熱利となり、午前3時の段階では、まぎれもない桂枝人参湯の証になってきていたからなのである。
 それにしても、桂枝人参湯の心下痞硬は、かなりのものであることを、如実に知ることができたのだった。夕方の診察のときにはそれほどではなかったのひ、午前3時のそれのときは、抵抗圧痛ともにかなりの状態であった。それにつけても思うのは、吉益東洞が、人参の主治を心下痞硬と決めたのは、すばらしい卓見であった。これは、単なる思考的産物ではなく、充分過ぎるほどの臨床の裏づけがあったからこそ導き出し得た結論なのであろう。
            *
 これと似たことで思い出すことがある。そのことについては、ずっと前の「漢方の臨床」誌に書いたことがあるから、あるいは思い出される方もあるかもしれない。
 私の友人の女性薬剤師さんが婦人科疾患で手術を受けた。手術は順調にいったらしいのだが、術後、嘔吐が激しくなり、全く食事を受けつけなくなった。内科の医師と協同して、いろいろと手をつくしたが、五~六日たっても嘔吐が止まらない。そこで見舞いに行って診察してみると、脈も腹力も弱り切っているが、心窩部だけが、非常に抵抗強く、かつ圧痛も強い。診る前の見当では、小半夏加茯苓湯あたりで片がつくのではないかなどとタカをくくっていたのだ改aたが、診てみるに及んで、そのように簡単なものではないことを思い知らされた。脈も腹力も極端に虚している。だのに、このように心窩がコチコチになっているとは、いったいどうしたことか。薬方は何を擬したらよいのか。結論の出ないまま家に帰り、『類聚方広義』を初めから終りまで、丹念に読み直してみる。何辺ひっくりかえしてみても、乾姜人参半夏丸のところでひっかかる。本方の条文は「嘔吐止まざるもの」だけの簡単なものだが、東洞翁は「按ずるに、まさに心下痞硬の証あるべし」と、『類聚方』で意見を付け加えている。このような虚状の強い太陰の薬方の腹候に、まさか心下痞硬などという実証を思わせるような腹候が出るはずはな感のではないか。ややもすれば薬味偏重の傾向のある東洞翁の、いわば思考的産物なのではなかろうか。言い換えれば、臨床の裏付けを欠く単なる推論に過ぎないのではなかろうか。常に、このところを、そんなふうに考えていたのであった。恩師の奥月先生にも、そのような意見を申し述べたところ、私もそう思いますと肯定されたので、ますますその思いを深くしていたのであ識。
 ところが、現実にこのような患者さんに直面してみると、この薬方以外に擬すべき薬方がない。しかも東洞翁が補足した心下痞硬の腹候を、本方証の重要な一要員に加えた上である。そこで本方料を煎じて、翌朝病室に持参し、服用せしめた。これがまさに劇的に奏効して、一服して、さしもの頑固な嘔吐が止まり、夕刻からは流動食が入るようになった。引き続き本方を約一ヵ月服用して、すっかり元気になって退院できたのである。
             * 
 この例といい、今回の家内での経験といい、人参剤における心下痞硬の存在は、ほぼ確実なものと考えてよいであろう。このようにいうと、人参剤を使う場合に、必ずしも心下痞硬がなくても効いている例がある、といわれる方もあろう。私の数多くの経験例をふりかえってみても、それはある。しかしそれらの例を、よく考えてみると、乗るか反るかの急を要する人参剤の症果では、ほぼ間違いなく強痿心下痞硬症状が存在しているのである。或る薬方の証が、その証どおりの症状を呈するのは、病人の症状が急性か、または重症かである場合が多い。このようなことから考えても、人参剤に心下痞硬があることはほぼ確実といってよいでおろう。したがってまた、人参の主治が心下痞硬であると定義した東洞翁の結論も、ほぼ正しい、と考えてよいであろう。
             *
 このようなことを、いささかくどくどしく述べたことには、去はわけがある。それは、長沢元夫理大教授が、最近号の「薬史学会」誌と、「和漢薬」誌に、東洞の『薬徴』を斥する主旨の論文を掲載された。理路整然とした、素晴らしい論旨で、大きな感銘を受けたし、また啓発されるところが少なくなかった。けれども、氏の論文は、いささか理詰めすぎて、実地の裏付けがある点を見逃しておられるところがあるのではないか、と成じたのである。そこで、読後、早速はがきを差し上げて、いずれ折を見て所感の一端を述べさせていただくことを、お約束したのであった。それが、雑事に追われて実行できず、心苦しく感じていたところ、今回はからずも前述のような経験を加えることができたので、この機会をとらえて、気付いた点を述べさせていただくことにしたのである。
 本来ならば、同氏の論文を傍に置いて記述を進めるべきであるが、機中のことで意にまかせない。また考えようによっては、論文が傍にあると、言及する範囲がつい多くなりすぎて、かえって論旨の明確を欠くようなことにならぬとも限らない。氏の論文を読んで、大きな感銘を受けながらも、ただ一つ感じたことは、東洞翁の『薬徴』は、一つの思想と、一つの数理的手法だけにもとづいてつくられた単なる思考的産物ではなく、東洞翁の長い臨床経験が土台となっているに違いない。その一端は、私どもの臨床経験からも証明し得られる。長沢教授は、その点を多少ないがしろにしておられるのではなかろうか。意見を述べたい、と感じたのは、この一点だけなのである。したがって、これだけ述べれば、私の言いたいと思っていたことは、ほぼ言いつくしたことになる。
             * 
 カンペールからの急行列車の中で書き、そしてパリで一泊してまたアンカレッジへの途中で書き綴って、北極の上空にさしかかったいま、この小稿を終えた。折しも、氷原の果てから太陽がのぼりはじめて、所どころに割れ目を見せる氷海がバラ色一色に染まった。雪山でも見かける壮麗な朝映え現象である。
(「漢方の臨床」23巻3号、昭和51年3月)



『健保適用エキス剤による 漢方診療ハンドブック 第3版』
桑木 崇秀 創元社刊


桂枝人参湯(けいしにんじんとう) <出典>傷寒論(漢時代)

方剤構成
 桂枝 人参 白朮 乾姜 甘草

方剤構成の意味
 人参・白朮・乾姜・甘草は人参湯で,この方剤は人参湯に桂枝を加えたものと考えればよい。
 桂枝は桂枝湯の桂枝で,頭痛や肩こりを発散させ,解消させるとともに,神経性心悸亢進をしずめる作用があるから,人参湯を用いたいような人で,頭痛・肩こり・神経性心悸亢進を訴えるような場合に適した方剤と言うことができる。人参湯を用いたいような人とは,顔色の悪い,腹力のない,胃アチニータイプと考えればよい。

適応
 胃アトニー者の常習性頭痛や肩こり,神経性心悸亢進に用いる。


和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
桂枝人参湯(けいしにんじんとう) [傷寒論]

【方意】人参湯証の脾胃の虚証脾胃の水毒および寒証虚証による心下痞硬・食欲不振・下痢・寒がり・疲労倦怠感等と、表の寒証表の虚証による悪寒・発熱等と、気の上衝による頭痛・のぼせ等のあるもの。
《太陰病.虚証》

【自他覚症状の病態分類】

脾胃の虚証
脾胃の水毒
寒証・虚証 表の寒証・表の虚証 気の上衝
主証
◎心下痞硬



◎寒がり


◎悪寒 ◎発熱



◎頭痛
客証 ○食欲不振
○水様性下痢
 軟便 泥状便
○稀薄な睡液 喜睡 悪心 嘔吐
 上腹部振水音

 人参湯証 
○手足冷
○頻尿 多尿
 身体痛
 心腹痛
 運動知覚麻痺感
 疲労倦怠
 
 人参湯
○自汗
 鼻汁
 咳嗽 
○のぼせ
○頭汗
 肩の凝り
 心悸亢進 


【脈候】 浮弱・浮遅・浮緩・浮弱数・浮数。このように人参湯証の場合と違い一般に浮の傾向がある。

【舌候】 湿潤して微白苔、または著変なし。

【腹候】 腹力やや軟。心下痞硬がある。しばひざ心下悸や臍上悸・臍下悸、時に上腹部の振水音がみられる。

【病位・虚実】 本方意は人参湯証の脾胃の虚証・脾胃の水毒を主としたものであるために太陰病に相当する。脈力も腹力も低下し、自汗し疲労倦怠して水様性下痢をするため表裏共に虚している。

【構成生薬】 桂枝4.0 甘草4.0 人参3.0 白朮3.0 乾姜3.0

【方解】 本方は人参湯中の甘草を増量し桂枝を加えた五味で構成されている。人参湯同様に人参・乾姜・白朮は脾胃の機能低下と水毒に対応し、心下痞硬・食欲不振を主る。特に乾姜・白朮は寒証の水毒より派生する寒がり・頻尿・多尿・手足冷を治す。桂枝は気の上衝による頭痛・心悸亢進を鎮静し、表の寒証・表の虚証の悪寒・発熱・自汗・疼痛を去る働きがある。また、急迫を主治する甘草が増量されているため、人参湯証よりも嘔吐・下痢が顕著に出現する傾向がある。

【方意の幅および応用】
 A 脾胃の虚証脾胃の水毒:心下痞硬・食欲不振・水様性下痢・喜睡等を目標にする場合。
   急性胃腸炎、慢性下痢、急性膵臓炎
 B 寒証:寒がり・手足冷等を目標にする場合。
   レイノー症候群
 C 表の寒証表の虚証:悪寒・発熱・鼻汁等を目標にする場合
   胃腸型感冒、アレルギー性鼻炎、気管支喘息
 D 気の上衝:頭痛等を目標にする場合
   福性頭痛、肩凝り

【参考】 *協熱利し、利下止まず、心下痞硬し、表裏解せざる者、桂枝人参湯之を主る。『傷寒論』
*病人、利下止まず、心下痞硬し、心腹時に痛み、頭汗出で、心下悸し、平臥すること能わず、小便少なく、或は手足冷ゆる者を治す。
『医聖方格』
*此の方は協熱利を治す。下利を治するは、理中丸に拠るに似たれども、心下痞ありて表症を帯ぶる故、『金匱』の人参湯に桂枝を加う。方名苟もせず。痢疾最初に一種此の方を用ゆる場合あり。其の症、腹痛便血もなく、悪寒烈しく脈緊なる者、此の方を与うるときはツト弛む者なり。発汗の宜しき所と混ずべからず。丹水子は此の方に枳実・茯苓を加えて逆挽湯と名づく。是は『医門法律』に拠って、舟を逆流に挽きもどす意にて、此の方と同じく下利を止むる手段なり。
人参湯証で発熱を伴う場合は本方を用いる。
*食欲不振はさして顕著ではないことが少なくない。

【症例】 カゼと膵臓炎と下痢
 41歳、女教員。カゼを引いて某院を受診し、1週間余り西洋薬を飲んだが、一向に解熱しないばかりか、上腹部に激痛、1日3~4回の下痢がはじまり、40℃の発熱となった。
左側胸部から肩甲間部に凝りを覚え、時に海老のように屈曲して激しい腹痛をこらえる。下着を4~5回替える程発汗がしきりで、煩渇・尿不利がある。
 膵臓炎を疑い、薬方は五苓散料とした。服薬すると間もなく腹痛と渇が減じだし、体温は最高38℃位になった。服薬3日間で腹痛と渇は全く消失し、食欲が少し出てきた。
 ところが、この頃から下痢の回数が4~5回に増え、自汗は再び増し、午後は38℃台の発熱をみるようになった。
 憔悴しておらず、脈は細弱やや数、腹力は軟弱で、胃部に抵抗圧痛がある。下痢便でも匂いと色がついている。挾熱ふの桂枝人参湯を投じた。晩から服薬果始め、翌朝までには下痢の量を減じ37.5℃にまで下り、3日目には便が固まり、自汗がわずかとなった。
きも良く、今はある会社の役員になっている。
小倉重成 『漢方の臨床』14・4・27


臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
p.144 急性腸炎・大腸炎・偏頭痛・常習性頭痛
35 桂枝人参湯(けいしにんじんとう) 〔傷寒論〕
 桂枝四・〇 人参・白朮・甘草 各三・〇 乾姜二・〇

 原本には水六〇〇ccをもって、桂枝以外の諸薬を煮て四〇〇ccとし、これに桂枝を入れて再び煮て三〇〇ccとし、滓を去って、日中二回、夜一回に分服することになっている。一般には同時に煎じている。

応用〕  表に熱があり、裏に寒があるものである。誤って下し、中焦(胃部)が虚し、心下痞硬し、内部の陰寒が、外熱におかされて下痢するというものに用いる。
 本方は主として感冒や流行性感冒で、発熱・脈浮弱・頭痛・悪寒などの表証があり、平素冷え症で軟便、裏(腸)に寒のあるもの、また急性腸炎・大腸炎に用いることが多く、偏頭痛・常習性頭痛・小児急癇等に用いた報告がある。

目標〕 頭痛・発熱・汗が出、悪風等の表熱の症状があって、心下痞硬・下痢があるもの、あるいは心腹疼痛・心下悸・四肢倦怠・足冷え・小便自利等を目標とする。
 脈は浮弱で数、舌はあまり変化がない。腹証は心下痞硬とあるが痞のこともあり、必発とはいいがたい。人参湯の裏寒の証に表証を兼ねているというのがねらいである。
 冷え症で下痢しやすく、虚証の人に用いられる。

方解〕  人参湯の甘草を増やし、桂枝を加えたものである。桂枝をもって表証を治し、人参湯をもって裏を治すというものである。
 桂枝は表を解し、白朮・乾姜は内の寒と水を去って下痢を止め、人参は心下痞硬を解し、胃の気を補い、甘草は急を緩める。

主治
 傷寒論(太陽病下篇)に、「太陽病、外証未ダ除カズ、而ルニ数シバシバ)之ヲ下シ、逐ニ協熱(キョウネツ)(表熱を挾み合わせるの意)シテ利シ、利下止マズ、心下痞硬シ、表裏解セザル者、桂枝人参湯之ヲ主ル」とあり、
 勿誤方函口訣には、「此方ハ協熱利ヲ治ス。下利ヲ治スルハ理中丸ニ拠ルニ似タレドモ、心下痞アリテ表症ヲ帯ブル故、金匱ノ人参湯ニ桂枝ヲ加フ。方名苟モセズ、痢疾最初ニ一種此方ヲ用ユル場合アリ。其症腹痛便血モナク、悪寒烈シク脈緊ナル者、此方ヲ与フルトキハスツト弛ム者ナリ。発汗ノ所宜ト混ズベカラズ。
 丹水子ハ此方ニ枳実・茯苓を加エテ逆挽湯(ギャクバントウ)ト名ヅク。是ハ医門法律ニ拠テ、舟ヲ逆流ニ挽(ヒキ)モドス意ニテ、此方ト同ジク下利ヲ止ル手段ナリ」とある。また、
 古方薬嚢には、「熱があり、悪寒して、汗出で下痢する者、下痢は一~二回のものもあり、回数多き者経あり、必ず胸中若しくは胃中塞りたるが如き、重苦しき感じあり。頭痛も大抵あ責、小便は近き者、反って遠き者もあり、定まらねど参考に入るべし。脈は必ず弱く、つまるところ、熱とさむけと下痢と胸のあたりのつまる感じ等を主として考え与うれば、大いなる誤り無かるべし」とある。


鑑別
人参湯 111 (下痢・裏寒証、表熱少なし)
葛根湯 20 (下痢・実証、脈浮緊)
○葛根黄連黄芩湯 19 (下痢・表裏実熱症、脈促)
四逆湯 56 (下痢・脈沈遅)
真武湯 75 (下痢・眩暈、動揺症状)
五苓散 41 (下痢・渇、小便不利、嘔吐)
半夏瀉心湯 119 (下痢・実熱、心下痞硬)

参考
 藤平健氏、桂枝人参湯による常習性頭痛の治療(日本東洋医学会誌、一五巻二号)






治例
 (一) 下痢発熱
 三歳の男児。かぜをひきやすく、かぜをひくと喘息様のせきが出るくせがある。一五日ほど前から、一日二~三行の水瀉性の下痢があり、ときどき熱が出るという。食欲はない。桂枝人参湯を与える。三日分で下痢がやみ、食欲が出た。
 桂枝人参湯は、人参湯に桂枝を加えたもので、表に熱があり、裏に寒があって、下痢する場合に用いる方剤である。桂枝で表熱を解し、人参湯で裏寒を治するのである。
(大塚敬節氏、漢方診療三十年)
 (二) 慢性下痢症
 五〇歳の婦人。一〇年ほど前に腹膜炎を病み、一年ほどにて癒えた。今年春ごろよりブラブラと病み始め、また腹膜炎といわれた。熱が少しあり、頭痛ときにあり、食欲はあるが、食すればただちに吐き、心下不快であ識。腹は少しふくらみ、時を限ってゴロゴロと鳴り、多少痛みもあり、手足冷え、一体に寒がりにて大便一日に数行、水のごとしという。脈はやや数にて力無く、手足の冷えと腹中雷鳴を主として当帰四逆湯を与えたところ快方に向かい、元気づいたが、下痢は相変わらずやまない。小便の出ぐあい悪くなるときは下痢必ず多しという。よって桂枝人参湯を与え、服す識こと三~四日、一夜にわかに大吐利を発し、暁方までやまず、手足厥冷して正に死せんとして一座を者を驚かした。翌朝には吐利さっぱりと止まり、諸症ことごとく消失し、翌日よりは大便一日一回、桂枝人参湯を服すること一週間にて元の身体に復した。
(荒木性次氏、古方薬嚢)
 (三) 常習性頭痛
  三五歳の男子。四年前から相当はげしい常習性頭痛に悩まされていた。胃症状もあり、舌には薄い白苔がある。脈は軟弱で、腹は軟かいが膨満している。少しく心下部が痞えているが、振水音は認められない。便秘がちで、頭痛のときは嘔吐を起こす。この患者に桂枝人参湯を与えたところ、四年来の常習性頭痛が軽快し、全一七週間の服薬で、嘔吐や便秘も同時に治癒した。
 桂枝人参湯を常習性頭痛に用いる目標は、「人参湯証にして、上衝急迫劇しき者」という方極の指示に従ったもので、(1)虚証であること、(2)脈は軟・沈・細等、(3)舌は乾湿区々であるが、一般に湿潤し、微白苔のことが多い、(4)腹力は中等度以下で、上腹部正中線に軽度の抵抗と圧痛がある、(5)上腹部の振水音は不定、(6)下痢・発熱は、ある場合とない場合があるが、常習性頭痛の場合、下痢のないことが多い。
(藤平健氏、日東洋医会誌、一五巻二号)




『健康保険が使える 漢方薬 処方と使い方』
木下繁太朗 新星出版社刊

桂枝人参湯(けいしにんじんとう)
 ツ、カ、シ
傷寒論(しょうかんろん)

どんな人につかうか
 胃腸の弱い人におこる頭痛、動悸(どうき)、息切れなどに用いる処方で、身体の表面に悪寒(おかん)、頭痛、発熱、関節痛などの熱症状(表証)があるのに胃腸が冷(ひ)えて機能が衰え、吐いたり下したりする(裏証)ような時に効きます。

目標となる症状
 ①下痢。②頭痛、発熱、悪寒(おかん)、関節痛(表熱証、中医学では表寒)。③胃部に痞(つか)え感がある。④下痢は水様便で、粘液や血液はまじらない。⑤手足がだるい。⑥自然発汗がある。⑦腹痛はないがお腹が冷(ひ)えている。

 みぞおちに痞(つか)え感がありたたくとピチャピチャ音(振水音)がし、腹壁は軟弱。

 弱く遅い脈。

 湿無苔。

どんな病気に効くか(適応症) 
 胃腸の弱い人の、頭痛動悸慢性胃腸炎胃アトニー。慢性頭痛、偏頭痛(へんずつう)、急性胃腸炎、感冒性下痢、感冒、流行性感冒、急性腸炎、大腸炎、神経性心悸亢進症(しんきこうしんしょう)、心臓病。

この薬の処方
 桂皮(けいひ)4.0g。人参(にんじん)、甘草(かんぞう)、白朮(びゃくじゅつ)(又は蒼朮(そうじゅつ))各3.0g。乾姜2.0g。

この薬の使い方
前記処方を一日分として煎(せん)じてのむ。
ツムラ桂枝人参湯湯(けいしにんじんとう)エキス顆粒、成人一日7.5gを2~3回に分け、食前又は食間に服用する。
カネボウ(一日6.0g)前記に準ずる。

使い方のポイント
 平素、人参湯(にんじんとう)(175頁)を用いるような虚弱な人が感冒にかかつて頭痛発熱し、下痢する様な場合に用いるものですが、慢性頭痛にも用います。

処方の解説
 人参湯(にんじんとう)に桂枝(けいし)を加えた処方で、人参湯(にんじんとう)は胃腸の冷え、虚弱を改善します。桂枝は発汗、解熱、鎮痛、抗菌作用があって、風邪(かぜ)症状を治してくれます。桂枝(けいし)は又末梢血管(まっしょうけっかん)を拡張し、胃腸の分泌を如し、消化吸収の働きを良くし、人参湯(にんじんとう)の働きを増強します。



副作用
1)重大な副作用と初期症
1) 偽アルドステロン症: 低カリウム血症、血圧上昇、ナトリウム・体液の貯留、浮腫、体重増加等の偽アルドステロン症があらわれることがあるので、観察(血清カリウム値の測定等) を十分に行い、異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
2) ミオパチー: 低カリウム血症の結果としてミオパチーがあらわれることがあるので、観察を十分に行い、脱力感、四肢痙攣・麻痺等の異常が認められた場合には投与を中止し、カリウム剤の投与等の適切な処置を行うこと。
[理由]
厚生省薬務局長より通知された昭和53年2月13日付薬発第158号「グリチルリチン酸等を含 有する医薬品の取り扱いについて」に基づく。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、血清カリウム値のほか血中アルドステロン・レニ ン活性等の検査を行い、偽アルドステロン症と判定された場合は、症状の種類や程度によ り適切な治療を行うこと。低カリウム血症に対しては、カリウム剤の補給等により電解質バランスの適正化を行う。

2) その他の副作
過敏症:発疹、発赤、瘙痒、蕁麻疹等
このような症状があらわれた場合には投与を中止すること。
[理由]
本剤には桂皮(ケイヒ)、人参(ニンジン)が含まれているため、発疹、発赤、瘙痒、蕁麻疹等の過敏症状があらわれるおそれがあるため。

[処置方法]
原則的には投与中止により改善するが、必要に応じて抗ヒスタミン剤・ステロイド剤投与等の適切な処置を行うこと。