健康情報: 12月 2014

2014年12月15日月曜日

小陥胸湯(しょうかんきょうとう) の 効能・効果 と 副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
小陥胸湯(しょうかんきょうとう)
本方は心下部に痞塞の感があって、これに圧迫を加えれば硬くて痛み、或は胸中悶え苦しみ、或は呼吸促迫し或は咳嗽時に胸痛を訴え、喀痰が出難く、脈浮滑の者に用いる。
方中の黄続は消炎の力が強く、炎症・充血による精神不安を治する。半夏は去痰鎮咳の効があり、括楼実は解熱・鎮咳・鎮痛の作用がある。
以上の目標に従って、本方は諸熱性病・肺炎・気管支炎・胃酸過多症・癇癖・肋間神経痛等に応用される。



臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
67 小陥胸湯(しょうかんきょうとう)-気管支炎・肋膜炎・膿胸・胃酸過多症・・・・・・二八二

p.282
64 小陥胸湯(しょうかんきょうとう)〔傷寒論〕
黄連 一・五  瓜呂仁 三・〇  半夏 六・〇

 水五〇〇ccをもって、まず瓜呂仁を煮て三五〇ccとし、二味を入れて二五〇ccをとり、三回に分けて温服する。一般には同時に煎じている。論の指示のようにした方がよい。

応用〕 熱の邪と水飲とが、心胸部に痞え塞がった病態で、心下部に痞塞(つかえふさがる)の感があり、圧迫を加えると硬く張っていて痛み、あるいは胸の中が悶え苦しく、あるいは呼吸が促迫し、咳嗽時に胸痛を訴え、痰が切れにくく、脈が浮滑のものに用いる。急性病の場合と慢性病の場合とがあって、前者は諸熱性病・気管支炎・肺炎・肋膜炎・膿胸・喘息、後者の場合は胃酸過多症・胃痛・腹石症・癇癖(神経症)・肋間神経痛・肩こり・亀背・はと胸等に応用され、また啞・嚥下困難・眼疾などに転用されることもある。よく小柴胡湯や大柴胡湯と合方される。

目標〕 熱と水飲とが、心胸部に痞塞しているもので、心下部硬く圧痛があり、胸中の悶え、呼吸促迫・咳嗽時胸痛・脈浮滑等を目標とする。

方解〕 黄連は苦寒消炎の剤で、血熱をさまし、心下や胸中の痞えを開き、炎症、充血による精神不安を治す。半夏は辛温で気を開き水を逐い、去痰鎮咳の効がある。瓜呂仁は甘寒で、熱をさまし、凝結した痰と水を逐い、胸脇の痛みを去る。すなわち解熱・鎮咳・鎮痛・去痰の能がある。大陥胸湯は、大黄六・〇、芒硝四・〇、甘逐一・〇の三味で、心下部石のごとく硬く、手を近づけることもできぬ痛みがあり、胸痛・喘咳・心中懊憹があって、脈沈緊・狭心症・心筋梗塞・心臓神経症・脚気衝心・肺水腫などに用いる。

主治
 傷寒論(太陽病下篇)に、「小結胸、病正に心下ニ在リ、之ヲ按ズレバ即チ痛ム、脈浮滑ナル者ハ小陥胸湯之ヲ主ル」とある。
 勿誤方函口訣には、「此ノ方ハ飲邪心下ニ結シテ 痛ム者ヲ治ス。括蔞実(瓜呂仁)ハ痛ヲ主トス。金匱胸痺ノ諸方以テ徴スベシ。故ニ名医類案(明の江瓘著)ニハ此ノ方にて孫王薄述ノ胸痺ヲ治シ、張氏医通(清の張路玉著)ニハ熱痰膈上ニアル者ヲ治ス。其ノ他胸満シテ塞リ、気ムヅカシク、或ハ嘈囃或ハ腹鳴下痢シ、或ハ食物始マズ、或ハ胸痛ヲ治ス」とある。

鑑別
○大陥胸湯 67 (心下硬痛手不可近、脈沈緊、心下より少し腹に及ぶ)
○生姜瀉心湯 119 (心下痞硬・本方は心窩部の鳩尾穴のところに凝腫急痛する)


治例
 (一) 啞
 お寺の後とりで十三歳の男児があった。生来の啞で、住職がせめてお題目だけでも唱えられるようにして欲しいといって来た。診ると胸肋部が妨張し、物があってこれを支えているようである。よって小陥胸湯と滾痰丸(こんたんがん)(甘逐二・〇 大黄八・〇 黄芩・青礞(せいもう)各五・〇)を与え、一ヵ月余の後、七宝丸(軽粉・牛膝各一〇・〇、土茯苓五・〇 丁子・鶏舌香二・五、大黄四・〇)を作って与えること数日、これを繰り返すこと二年ばかりに及んで、何でも物を言うようになった。
(吉益東洞翁、建珠録)

 (二) 食道癌(嚥下困難)
 六十余歳の男子。時々飲食が胸膈に窒って下らず、その病状は膈噎(食道癌)のようであった。咳嗽痰飲があるので小陥胸湯と南呂丸(滾痰丸に同じ)を兼用して癒った。
(吉益南涯翁、成蹟録)

 (三) 心下痞えと不安
 六二歳の老婦人。肥満壮実の体質で、全身に瘙痒性湿疹を生じ、便秘・上衝・肩こりなどがあったが、防風通聖散を服用して快便があり、快方に向かっていた。たまたま風邪をひいたが、依然として防風通聖散を服用していたところ、全身倦怠甚だしく、気分がイライラし、不安となり、落ちつかず、仕事をすることがいかにも大儀で、胸元に一杯に痞えてムカムカし、身も心も消えてなくなりそうだと訴えてきた。
 脈は中等度の浮脈で、心下は痞満の状態があり、心下部を按ずると苦しいと叫ぶ。舌は白苔、口中苦く、粘るという。これはすなわち「病陽に発し、医反って之を下し、熱入って結胸を作す」にあたるものと考え、小陥胸湯を与えたところ、二日間で諸症が好転した。
(著者治験、漢方と漢薬 二巻九号)

 (四)感冒
 七歳の男児。風邪にて熱あり、咳出で数日を経て愈えず。その初め麻黄湯を与えて熱去らず、調胃承気湯をもって下して解せず、渇して水を飲まんとするにより白虎加人参湯を与えて愈えず、小柴胡湯を与えてなお効なし。三八度五分、時々咳し腹痛を訴う。按ずれば胃のあたり痛み、食を欲せず、心煩あって、ウンウンと呻りて夜も睡ることを得ず。脈浮滑なり。ほとほと持て余しけるが、そのうんうん呻りて睡り難き状は、正しく黄連の心煩ならんと思い、脈の浮滑と心下の痛みとを結び合わせて小陥胸湯を処方し、意外の効を得たり。
(荒木性次氏、古方薬嚢)


臨床応用 傷寒論解説』  大塚敬節著 創元社刊
p.306
第七十五章

小結胸者、正在心下、按之則痛、脈浮滑者、小陷胸湯主之。

 〔校勘〕 宋本、成本は「小結胸病」に作る。今、玉函、康平本による。玉函は「脈」の上に「其」の字があり、「滑」の下に「者」の字がない。康平本は、この章を前章に接して一章としているが、今、宋本等によって別章とする。

 〔
 小結胸は、正(さま)しく心下(しんか)に在(あ)り、之(これ)を按(あん)ずれば則(すなわ)ち痛(いた)む。脈浮滑(ふかつ)の者は、小陥胸湯之(これ)を主(つかさど)る。
   〔註〕
   (241)滑-濇(しょく)の反対で、指先で玉をころがすように、なめらかに速くうつ脈。

 〔
 この章は前の大陥胸湯の証にくらべて、その病が浅くして、緩慢なものを挙げて、小陥胸湯の証を明らかにしている。
 結胸(けつきよう)は、これを按(あん)ぜずして自(おの)ずから痛み、痞鞕(ひこう)は按じても痛まない。小結胸は、これらの二者の中間に位し、これを按(あん)ずる時は痛み、按(あん)じない時は痛まない。またその結胸の部位も、心下にのみ限局して、脇下または下腹にまで波及しない。そして脈は沈緊(ちんきん)ではなくて、浮滑(ふかつ)である。沈緊のものより、その病症が浅くして、その証が緩であることを、脈によって示している。これは小陥胸湯の主治である。方


 小陷胸湯
黃連一兩 半夏半升洗   括蔞實大者一枚
 右三味、以水六升、先煮括蔞實、取三升、去滓、内諸藥、煮取二升、去滓、分溫三服。

 〔校勘
 玉函は黃連「二兩」に作り、「洗」「大者」の字がない。宋本は「蔞」を「樓」に作り、「括」を「栝」に作る。玉函は宋本と同じく「栝樓」に作る。今、成本、康平本による。康平本以外の諸本は「煮括蔞實」の「實」の字がない。

 〔
 小陷胸湯(しょうかんきょうとう)の方
 黄連(一両) 半夏(半升、洗う)  括蔞實(かろじつ)(大なる者一枚)
 右三味、水六升を以って、先(ま)ず 括蔞實を煮て三升を取り、滓を去り、諸藥を内(い)れ、煮て二升を取り、滓(かす)を去り、分かち溫め三服す。

 〔臨床の目
 (95)
 小陥胸湯と小柴胡湯とを合方(がつぽう)にして、柴陥湯(さいかんとう)として、胸膜炎などの胸脇部の炎症によく用い、また単方で、胃痛、むねやけ等にも用いる。

 
『勿誤薬室方函口訣解説(58)』 日本東洋医学会理事 矢野敏夫
順気剤 春澤湯 椒梅湯 椒梅瀉心湯 小陥胸湯 小建中湯
 p.44
小陥胸湯
 次は小陥胸湯(ショウカンキョウトウ)であります。『傷寒論』太陽病下篇に記載されております。「小結胸、病正に心下に在り、之を按ずれば即ち痛み、脈浮滑なる者は小陥胸湯之を主る」とあります。薬方の内容と分量は、黄連(オウレン)が1.5g、半夏(ハンゲ)が6g、括蔞仁(カロウニン)が3g、以上三種類で構成された簡単な薬方です。
 説明文を説みます。「此方は飲邪心下に結して痛む者を治す。括蔞実(カロウジツ)は痛を主とす。『金匱』胸痺の諸方以て徴(あか)すべし。故に『名類類按』には、此方にて孫王薄之を述べて胸痺を治し、『張氏医通』には熱痰膈上に在る者を治す。羽間宗元は此方に芒硝(ボウショウ)、甘遂(カンズイ)、葶藶(テイレキ)、山梔子(サンシシ)、大黄(ダイオウ)を加えて中陥胸湯(チュウカンキョウトウ)と名づけ、驚風を治すれども、方意は反て大陥胸湯(ダイカンキョウトウ)に近し」とあります。
 解説しますと、この方は水毒が心下部にこり固まって痛むものを治す。括蔞実、すなわち瓜呂仁(カロウニン)は痛みを主として使用する。『金匱要略』に記載されている胸痺の薬方で、瓜呂仁の入った薬方といいますと、瓜呂薤白半夏湯(カロウガイハクハクシュトウ)、瓜呂薤白半夏湯(カロウガイハクハンゲトウ)、瓜呂薤白桂枝湯(カロウガイハクケイシトウ)などがありますが、それをよく参照してみますと、このことは明らかである。故に明代の江瓘が中国の先史時代よろ明代までの名医の医案、すなわち治験録を集めまして、さらに評論しました『名医類按』という書物の中で、孫王薄という医師がこの薬方を使用して胸痺を治しておりますし、清代の張路玉の著わしました方剤学の書物であります『張氏医通』の中で、熱性の痰が胸の中はたまっている病状を治したことを載せております。その他、胸がいっぱいになって塞ったようで、気がむずかしく、或いはげっぷ、腹が鳴ったり、下痢をしたり、あるいは食欲がなく、あるいは胸部の痛みを治しております。
 宗伯の著書であります『皇国名医伝』にも記載がありませんので、どんな人か不明ですが、羽間宗元という人が、この小陥胸湯に芒硝、甘遂、葶藶、山梔子、大黄を加えて、中陥胸湯、すなわち大陥胸湯と小陥胸湯との中間に好置する薬方と名づけまして、小児の強いひきつけを治しておりますが、甘遂とか葶藶のような作用の非常に激しい薬物を使っておりますので、使い方はむしろ大陥胸湯に近いと考えます。
 この小陥胸湯は、小柴胡湯(ショウサイコトウ)と合わせまして柴陥湯(サイカントウ)として、もっともよく繁用されます。肺炎やさらに心筋梗塞まで使用が可能と考えられます。要するに胸に炎症があって、胸が非常に苦しいという状態で、胸脇苦満がある時によく使われるわけであります。


『臨床傷寒論』 細野史郎・講話 現代出版プランニング刊
p.213
    第八十二条
小結胸者、正在心下、按之則痛、脈浮滑者、小陥胸湯主之。

 〔訳〕 小結胸(しょうけっきょう)は、正(まさ)に心下(しんか)に在(あ)り、之(これ)を按(あん)ずれば則(すなわ)ち痛(いた)む、脈浮滑(ふかつ)の者、小陥胸湯之を主る。

 〔講話〕大結胸に対して、小結胸ですね。病変が心下にあって、押さえると痛みますから、病気の変化がみぞおちにある。それで、脈が浮で滑であるものには小陥胸湯を持っていく。小陥胸湯が効くという腹証は、押さえてみて敏感であるとか、或いは、たいがいは痛いのです。飛び上がるほど痛いこともある。みぞおちに何ともいえないような膨満感があって、上がら押してみると、それほど硬いものがあるわけではないのに、頼すと痛いという。これが小陥胸湯の腹証です。我々が診て、小陥胸湯を持っていかなければいけないなと思うときには、まず寝させてみてみぞおちを診て、これは違いないなということを決めるわけです。
 それから脈がですね、大陥胸湯のときのように、沈、緊ではありません。浮、滑と書いてあります。浮というのは浮いているわけですね。滑というのは玉を転がすようなというのですから、緊ではない。むしろ、浮で軟らかいというようなことさえある。脈状を偉そうにいうのは、私はあまり好かないのですがね、違うことがよくありますからね。脈が浮、滑であるから小陥胸湯だという決め方はいけない。ただ、大陥胸湯や、みぞおちを押さえて痛むときに使う他の処方と区別するための目安にすればよいと思います。
 それでは小陥胸湯というのは、一体どんな時に持っていくのかということなのです。
 私は、実は今日、途中で一度帰ったのです。体がつらくて、しかもだるくて、どうにもいやな気持ちがして仕方がない。気がすすまないしね。これはやはり小陥胸湯じゃないかと思ったのですが、私の家に小陥胸湯がなく、小柴胡湯に小陥胸湯を合方したものがありましたので、それを普通量の半分位を飲んだのです。そして、みぞおちをポンポンと突っつくように押さえてみたのです。そうすると初め痛かったのが、いつやら何ともないようになってきて、気持ちのせいか、体も割合楽になりました。そういうような効き方が確かにあるものなのですね。こういうことはしばしば経験することではないけれど、他にも非常に面白い経験があるのです。
 次にお話する。「下之(の)早」については、矢数道明先生が、昔、『漢方と漢薬』(第2巻9号・昭和十年九月)に、「下之早、小陥胸湯に就いて」と題して、書いておられます。「下之早」というのは、前にもいいましたように、あまりにも下すのが早すぎたから、こんな症状が起こったのだということです。ところが、太陽病は発汗させて治さなければいけない。それから少陽病になったら、汗しても下してもいけない。それなのに下剤をかけた。そういうことが、お医者さんの誤りだけではなく、病人が誤ることもありますね。例えば、矢数先生の書いておられるのでは、動脈硬化があって、血圧がいつも高い、よく肥った脂肪の多い人で、常々、防風通聖散を飲ませていたわけです。これには芒硝とか大黄とかがたくさん入っていて、大体、一日に二、三回便通があるようにして治していくのです。高血圧の人には、便秘が多いですからね。それで、二、三回の快便があるように飲ませていくと、その人は痩せてくるばかりじゃなしに、血圧も下がって落ち着いてくる。このようなわけで、常にこの防風通聖散の飲んでいて、風邪を引いたのです。風邪を引いたら太陽病になるのは決まっています。大陽、少陽、陽明といくんですからね。ところが風邪を引いているのに、いつもの防風通聖散を飲んでいると、「下之早」ということになる。そうすると何になるかというと、結胸病になるわけです。それもたいていの場合は、大結胸にはならず、小結胸位ですむのです。ところがその症状たるや非常に不思議で、割り切れない症状が起こってきた。
 体がだるくてかなわない。何もするのも嫌で、人がものをいっているのに、それを理解できているのかはっきりとせず、腹が立ってくる。横になりたくても、手や足を動かすのもおっくうなのに、逆にじっとしていられないという、こんな症状がある。これは一体、何病か、夏負けではないかという人もいれば、体が弱っているのだろうという人もある。それは肝臓が悪いのだろうとか、いろいろいってくれるが、結局それが何病かわからないのです。要するに、これは「下之早」で起こった病気です。それで、小陥胸湯を一服やるだけで、ものすごく好転し、二服やれば治ってきました。それほどよく効きます。漢方というものは、速効がないもののようになっているけれど、よく効くものです。証に当たったら効くとか、そういうショウもないことをいわないでも効くのです。
 矢数道明先生の同門の染谷という人が、森道伯先生を慕って漢方に入門した頃に、盲腸炎には大黄牡丹皮湯が非常に効くということを教えてもらって、何とか一つ覚えでね、たまたま盲腸炎の人があったので、早速やってみたのです。それがものすごくよく効いてびっくりしたそうです。現代医学しかやってない人は、そんな下剤などやって、というところですがね。このように、あまりよく効いたので有頂天になっていたところが、二、三日したらこの患者が変な症状を起こしてきたというのです。それで飛んでいって診ると、患者は床のなかで七転八倒していて、今にも死ぬかと思うような状態なのでびっくりしてしまった。どうしたらいいのか、入門当時で助ける方法もわからないので、先生のところへ飛んでいって、その症状を逐一話したら、先生は呵々大笑して、「それはなんでもない。これを持っていって飲ませてみろ」といって渡されたのが、小陥胸湯だったというのです。それでケロッと治ってしまった。証に当たったから効いたのか、証がないような証なのですからね。本当にいったら。そういうような症状のものが小陥胸湯です。
 結胸病というようなものは現代医学にはないが、肺炎なら結胸病ということになります。また水の溜る肋膜炎も結胸病の一つです。それを我々はどうやって治すかというと、一番に持っていくのが先にもいった柴陥湯です。これは小柴胡湯に小陥胸湯を合方したものです。これで水が取れ、膿胸もなくなります。私は古方をやっている間は、それしか知らなかったのですがね。新妻に行きまして、浅田家では肺炎や肋膜炎を胸痺といって、柴陥湯を持っていった。またその他、瓜呂湯を持っていくことを知りました。
 胸痺というと、東京型の人は心筋梗塞や狭心症のことをいうのです。ところが昔の人は心筋梗塞など知りませんから、胸が痛めば胸痺といったのです。ですから新妻荘五郎先生もそのように理解していたようです。
 潜名方の瓜呂湯の主治には、「胸痺を治す」と書いてあるのですが、それで水がとれ、胸の痛みもとれてくるものです。要するに、新妻で胸痺は肋膜炎と教えてもらっていたので、これを持っていきますが、肋膜炎などに良く効きます。柴陥湯は水が溜って、膿がある膿胸などの時によいようです。
 ここでもう一つ、矢数先生の治験例を読んでみまそょう。
 六十二歳のおばあさんで、全身に湿疹ができて、痒くて痒くてしかたがないというのです。その患者は、便秘症で、のぼせやすく、肩の凝りが強く、赤ら顔で、肥満していて、強壮な人だったので、防風通聖散、それに赤ら顔というから瘀血があるとみて、通導散を合方して飲ませていたのです。これは大黄、芒硝の入った駆瘀血剤で、日々快便があるようになり、一週間後には皮膚の発疹や瘙痒もかなり快方に向い、非常に調子良かったのです。ところがあるとき、この老女が風邪を引いた。その折、家の新築で忙しく休めず、風邪でぐあいの悪いのをおして仕事を続けていたらしいのです。そして体のぐあいが悪いからといって一層服薬に励んでいたら、益々ぐあいが悪くなってきて、食欲はなくなり、全身の脱力感も出てきて、一刻も耐えられないので矢数先生の所へ出てきたそうです。患者の訴えは、身体が苦しくて苦しくてどうにもならない自分の身体を持て余すような感じで何する元気もない。横になっていたいがそうかといって横になると落ち着かない。今までは少しもじっとしているのが嫌いだったのが、この頃は、指一本を動かすのも嫌になった。食欲が少しもなくて、何を食べても味がせず、胸先がいっぱいに痞えているようで、何ともいえないイヤーや気持ちがして、イライラ、ムカムカしてくるというのです。
 矢数先生は診て、これは忙しく働き過ぎたせいで体が弱ってしまったのだと思い、補中益気湯を飲ませ、三日目に様子を尋ねてみたら、少しも変わらず悪いままだという。その老女が「田舎からわがわざ上京してきたのに詮無いことだった」と患痴をこぼしているのを聞いて、ああ気の毒なことをしたと恥入り、適方は如何と思いを巡らしていて、ハタと気がついたのは「下之早」のことで、すぐに小陥胸湯を作って二貼を飲ませたところ、ものすごく良く効いて、不快な症状は殆んどなくなり、食欲もめきめき出てきた。そして、苦い薬だったけれど本当に楽になりましたといって喜んでくれたということです。
 これなんな、小陥胸湯が非常によく効いていますね。それでは、その症状を挙げてみると、
 (一) みぞおちが痞えて脹れてムカムカする。
 (二) 食欲が全く激減して物の味がしなくなる。
 (三)  全身がだるくて疲労感が強くて困る。
 (四) 気むずかしく怒りやすくなって困る。
 (五) 風邪を引いて頭が痛かったりということがあるのを意に介せず、下剤を飲んだことがある。
 また、脈は浮いていて数、或いは滑、または反って遅のこともある。浮き気味で割合に弱く感じる覚えておいたらよいでしょうね。
 それから、舌苔は白く、口内が粘くて、みぞおちを押さえると痛かったり、或は非常に過敏であるということ。このような症状があって、「下之早」の場合は効きます。
 しかし、これらの症状があったら全て小陥胸湯かというと、そうではないのです。それだから漢方というのは難しいのでしょう。証はわかるけれども、その証があったら全て効くのではない。だけど、こんな奇妙な症状があって、他の処方をやってもどうにもならないときは、小陥胸湯をやってみなければならない。そうしなければわからないですからね。そのときこの処方が合えば、鍵穴に鍵がはまるように、カチッと効くということですね。これ位、印象深くいっといたら小陥胸湯のことを忘れないでしょうね。いくら忘れる人でも。
 これは特にいっておきたいのだが、小陥胸湯というのは、実に苦い薬です。『皇漢医学』に書いてある通りの分量を使うと本当に苦いです。
 前の表1の比較して書きましたが、『皇漢医学』の分量と我々の使う分量とを比較してみますと、黄連が二・四gだと、親指一本大()以上あります。私のところでは、小指の先くらいの量()です。それで結構よく効きます。そういうことを覚えておいてください。


『傷寒論演習』 講師 藤平 健 編者 中村 謙介 緑書房刊
p.308
 一四五 小結胸。病正在心下。按之則痛。脈浮滑者。小陥胸湯主之。
       小結胸は、病正に心下に在り、之を按ずれば則ち痛み、脈浮滑なる者は、小陥胸湯之を主る。

藤平 小結胸は少なからずぶつかります。かつても湿性肋膜炎でよくみられたものです。胸を痛がり、他覚的に心下に圧痛があり、咳をして熱がある等といった症状ですね。大抵の場合、胸脇苦満もありますので、証に一致した柴胡剤を合方して用いますと早く治ります。
  肋間神経痛をはじめとしまして、その他の胸痛にもよく効きます。ただ大陥胸湯の場合のように高熱があり、胸が張り裂けんばかりに痛み、七転八倒し、転げま わって死んでしまうということはありません。また心下も大陥胸湯の場合ほどの痛さでも硬さでもありません。軽度の抵抗と圧痛です。そこで小結胸というので すね。
 しかし胸廓内で水毒と熱邪がからみ合って悪さをする点は大結胸と同じです。
 そこで本証の場合は病は正に心下にあり、これを押すと痛み、脈は浮滑であるというのです。浮滑の脈は大陥胸湯の沈緊と比較しますと、浅くもあり軽症でもあるわけです。この場合には小陥胸湯が主るということです。

 小結胸 此の章は、直ちに前章を承けて、其の結胸の一異証に対し、更に結胸に似て未だ熱実に至らず。其の証も亦大に軽易なる者を挙げ、以て小陥胸湯の主治を論ずるなり。此の章、結胸に似て、而も其の病勢総て緩易軽小なる者を論ず。故に小結胸を冒頭と為す。
 小結胸とは、結胸の緩易軽小なる者との義なり。
 病正在心下 正(まさ)にとは、正(ただ)しくとの意。此れ心下正中の部を指さす。病、正に心下に在れば、上は胸脇に至らず、下は少腹に及ばざること自づから明か也。
 按之則痛 之れとは、心下を指す。此れ手にて心下を按ずれば、則ち痛むも、若し按ぜざれば痛まずとの意有り。

藤平 自発痛が胸にはあるけれども、心下は必ずしも痛まないということですね。

  脈浮滑者 然るに、之を按じて痛む者は、或は熱実に非ざるやとの疑起らん。故に茲に脈浮滑を挙げて、其の熱実に非ざるを明かにす。蓋し脈浮は発揚の候、滑 は心胸に結ぼれて動揺するの勢なり。此の浮滑は、第一四二章の沈にして緊に相反する者にして、病尚ほ浅く、且簡易なるの候也。蓋し之を沈にして緊に比ぶれ ば、浮は沈よりも浅く、滑は緊よりも緩かなり。又結胸は、按ぜずして自づから痛み、痞は、按ずと雖も痛まず。而して此の証は、之を按ずれば則ち痛む。然ら ば、此の小結胸は、恰も両者の間に在りて、之を結胸熱実の証に比ぶれば、大に緩易なる者と謂ふべき也。之を小陥胸湯の主治と為す。故に
 小陥胸湯主之 と言ふなり。此の章に拠れば、小陥胸湯は、邪毒心胸に在りて痞塞するも、未だ熱実せざる者を治するの能有りと謂ふ可き也。
  小陥胸湯を大陥胸湯に比較すれば、黄連の邪熱を下すは大黄より軽く、 半夏の水飲を破るは甘遂より緩かにして栝呂実の潤利の力は芒硝よりは温和なり。而して其の胸中の結邪を除くを目的とするに至つては、則ち一なり。
  小陥体湯方 黄連一両 半夏半升 栝呂実大者一個
   右三味。以水六升。先煮栝呂実。取三升。去滓。内諸薬。煮取二升。去滓。分温三服。

藤平 栝呂実はキカラスウリの実そのままを干したものです。中にある種子は栝呂仁といいます。根も使いますが、それは栝呂根です。栝呂根は実や仁とは使い方が違っていまして、口乾や体力の低下に対して用います。柴胡桂枝乾姜湯に含まれています。
  日本ではほとんど栝呂実を用いるこどがありませんで、仁ですね。中国では栝呂実のままで使っています。私も栝呂実は使っていません。生薬を扱っている某社 に尋ねたところ、栝呂実もいくらかはあるようですので使ってみようと思っています。私はずうっと栝呂仁でした。それでもよく効きます。
 黄連・半夏・栝呂実は大陥胸湯の大黄・芒硝・甘遂と比較しますとそれぞれマイルドですので、小陥胸湯に使われるのでしょう。何かご質問はありませんか。

会員A 私は、大結胸にしても小結胸にしても心下心下となっているのが不思議で仕方がないのです。奥田先生は本条のご説明で「小陥胸湯は邪毒心胸に在りて痞塞するも」といわれています。
 そうしますと邪毒は心胸部にあるのであって、心下にあるのではないということになります。私もそれが正しいと思うのですが、どうして本条では「病正在心下」となっているのでしょうか?

藤平 ウーンなるほど。ここは邪毒は心胸部にあるのですが、その有無を心下の所見で判断するということです。理屈の上では心胸に邪毒があるとわかっていても、それを確認するにはどこかで異常所見を探り出さなければなりません。吉益東洞さんも「中にどんな変があるか知らないが、外で証を発見できなければ無意味だ」とさかんに言ったのです。それと同じようなことを張仲景さんも考えていたのではないでしょうか。
 心胸に邪毒があると考えても、肋骨に囲まれた上からどう触ってみても診断がつかないが、心下をみれば硬満して痛むとはっきりした所見があるのですね。心下で病の存在を確認するということで、こう書いているのでしょう。

『類聚方広義解説(67)』  財団法人 日本漢方医学研究所理事 藤平 健
 本日は小陥胸湯(しょうかんきょうとう)です。「小結胸の者を治す」と『方極』の文章にあります。
 「黄連(オウレン)一両(六分)、半夏(ハンゲ)半升(一銭八分)、括蔞実(カロウジツ)大なるもの一個(八分)」が内容です。
  黄連は胸廓の下部における炎症を治する働きがあるものと考えられております。横膈膜を境として黄連はその上、黄芩(オウゴン)はその下で、心下の炎症(邪熱)を治するというのが黄芩の働きであるといわれております。半夏はカラスビシャクの地下の球根で、嘔吐、嘔き気を治すと同時に水毒を駆逐する働きもあります。括蔞実はキカラスウリの実です。キカラスウリは関西以西の藪などにあるものです。普通のカラスウリは赤いですが括蔞は実が黄色です。その種子が括蔞実で、胸の痛みを治する働きがあります。この根は括蔞根といって虚証ののどの乾きなどを治す働きがあります。
 「右三味、水六升を以てまず括蔞を煮て、三升を取り、滓を去り、諸薬を内れ、煮て二升を取り滓を去り分温三服す。(水一合八勺を以てまず括蔞実を煮て、九勺を取り、二味を内れ、煮て六勺を取る)。小誇胸は病、正に心下に在り、之を按ずれば則ち痛み、脈浮滑なる者は小陥胸湯之を主る」とあります。
 大結胸というのは前にも申しましたが、大陥胸湯あるいは大陥胸丸などがいく熱実結胸で、高熱を伴って、非常に強い胸の痛み、心下のはなはだしい抵抗と、はなはだしい圧痛が起きてくるものです。小結胸はそれに対してその程度がずっと軽い状態です。痛みも軽いし、心下の抵抗、圧痛も軽いものです。
 「小結胸は病、正に心下に在り」の病は、頭註にもありますように問題がありますが、とにかく心下に異常があります。そしてこれを押しますと痛みを感じ、脈が浮で滑であるものは小陥胸湯がよろしいということです。多少浮いている気味で、なめらかで、しかも力のある脈です。
 本文の第一番目は「小結胸は病、正に心下に在り。之を按ずれば則ち痛み、脈浮滑の者は小陥胸湯之を主る」というものです。
 大結胸の時は、前にも出てきたように胸廓全部が痛んで、激しい時は小腹にまで抵抗圧痛があり、ます。小結胸はそれより程度が軽いものです。そこで小結胸は、病が正に心下にあるというのです。上の方は胸廓の上の方に及んでいないで、下の方は小腹にも及んでいないで、 まさに心下だけに変化があるということで「正に」は大事な言葉です。そこに抵抗があって、これを按ずれば痛み、脈は浮滑であります。
 大結胸の時は、前に読みましたように、「傷寒六七日、結胸熱実し、脈沈にして緊、心下痛み之を按ずれば石のごとく鞕き云々」とありました。病が伏して症状が詞しくなると、脈が沈んで、しかも緊張が強い脈になります。これは病が強く激しい状態であることを意味しております。浮滑というのは、浮き気味で滑らかというので、それに比べると反対です。非常に軽い状態であるということはこれでも考えることができます。そういう場合に小陥胸湯がよいというわけです。ですから、小陥胸湯というのは、みぞおちを押すと軽い抵抗があって、圧えると軽い痛みがあり、時には胸の中に痛みがあり、あるいは胃部に不快感があったり、みぞおちがつかえる感じがしたりなどという場合に使う薬方です。したががってこれは湿性肋膜炎あるいは乾性肋膜炎といった場合によく使います。こういう場合には体脇苦満(きょうきょうくまん)がよく出ますから、小柴胡湯(ショウサイコトウ)、柴胡桂枝湯(サイコケイシトウ)、柴胡桂枝乾姜湯(サイコケイシカンキョウトウ)、大柴胡湯(ダイサイコトウ)などの証によって、それらと小陥胸湯を一緒にして使います。
 後世方では柴陥湯(サイカントウ)といって小柴胡湯と小陥胸湯を一緒にした薬方ができておりますが、必ずしも小柴胡湯との合方だけでなく、その症状に応じて大柴胡湯とか柴胡桂枝湯と合方して使うこともしばしばあるわけです。そんなわけで小陥胸湯は慢性医炎などで胃が痛んだり、食物がみぞおちにつかえたような感じがして気持が悪い、という場合に使ってもよく効くことがあります。肋間神経痛などにも効く場合があります。
 次の本文は小陥胸湯に全然関係のない文章が入ってきているもので読むだけにして、訳す必要はないということにいたします。「病、陽に在れば、まさに汗を以て之を解すべきに、反って冷水を以て之を潠(ふ)き、もしくは之に灌(そそ)げば、その熱おびやかされて去るを得ず。いよいよさらにますます煩し、肉上粟起(ぞっき)し、意、水を飲まんと欲して反って渇せざる者は、文蛤散(ブンコウサン)を服す。まし差(い)えざる者は五苓散(ゴレイサン)を与う。寒実結胸し、熱証無き者は三物小陥胸湯(サンモツショウカンキョウトウ)を与う。白散もまた服すべし」。
 次に頭註を読みます。「小結胸の病、玉函、千金翼にはみな小結胸の者に作る。是なり」とあり『千金翼』や『玉函経』には小結胸の次の「病」という字を者という字にしているが、その方がよいと尾台先生はいっていますが、これはやはり小結胸は病が正に心下にあるといった方が正しいですから、者とするのは誤りと思います。
 頭註の次は「寒実結胸、熱症無き者は白散の正症なり。按ずるに寒実結胸以下は上文の意義と相属さず。疑うらくは錯簡ならん。かつ白散、小陥胸湯は、その主治もともと同じからず」とあり、白散は桔梗白散(キキョウハクサン)のことです。陰証で虚証のジフテリアなどの時に使う薬です。それと小陥胸湯とは治すべき病状が全然違うという意味です。
 つづいて「あに濫(みだ)りに投ずべけんや」で、どうしてそれをやたらに投薬できるであろうかといい、さらにつづいて「もし錯簡に非らざれば、それ後人の補綴に出づることや疑いなし。五苓散標参看すべし」とあります。もし誤りでないとすれば、後人の攙入であり、五苓散のところの頭註に書いてあるから見てくれということです。


『類聚方広義解説(71)』
日本漢方医学研究所附属日中友好会館クリニック所長 杵渕 彰
大浪胸丸・小陥胸湯
 p.41
■小陥胸湯
 それでは次の小陥胸湯に移ります。

     小陷胸湯 治小結胸者。

 「小陥胸湯。小結胸のものを治す」。
 小結胸というのは、『傷寒論』に「小結胸はまさに心下にあり。これを按ずればすなわち痛む。脈浮滑のもの」とあります。大陥胸湯を用いるような結胸というのは近づくだけでも痛むものですから、これよりは弱い症状を考えているといえるでしょう。
 次に処方構成が出ています。

     黃連一兩六分半夏半升一錢八分括蔞實大者一個八分
     右三味。以水六升。先煮括蔞。取三升。去滓。内
     諸藥。煮取二升。去滓。分溫三服。以水一合八勺。先煮括蔞實。取九勺。内二味。煮取六勺。

  「黄連(オウレン)一両(六分)、半夏(ハンゲ)半升(一銭八分)、括蔞実(カロジツ)大なるもの一個(八分)。
 右三味、水六升をもって、まず括蔞を煮て、三升を取り、滓を去り、諸薬を内れ、煮て二升を取り、滓を去り、分かち温め三服す(水一合八勺をもって、まず括蔞実を煮て、九勺を取り、二味を内れ、煮て六勺を取る)」。
 この黄連、半夏、括蔞実の構成について木村博昭先生は、「邪が小さくても熱結であるので、苦寒の黄連を使う。黄連は大黄に対応してともに解熱の作用、半夏は甘遂に対応して陰を破る作用、括蔞実は芒硝に対応して潤裏の作用で、それぞれ緩やかな作用を考えて構成されている」と述べております。

     『小結胸』病。正在心下。按之則痛。脈浮滑者。小陷胸湯主之。○『病
     在陽。應以汗解之』反以冷水潠之。若灌之。其
     熱被刧。不得去。彌更益煩。肉上粟起。意慾飮水。
     反不渴者。服文蛤散。若不差者。與五苓散。『寒實結
     胸。』無熱證者。與三物小陷胸湯。白散亦可服。
                
 「小結胸の病、まさに心下に在り。これを按ずればすなわち痛み、脈浮滑のもの。病陽に在れば、まさに汗をもってこれを解すべし。かえって冷水をもってこれに潠し、もしくはこれに灌ぎ、その熱劫を被り、去るを得ず、いよいよさらに益々煩し、肉上粟起し、意は水を飲まんと欲し、かえって渇せざるもの、文蛤散(ブンゴウサン)を服す。もし差(い)えざるものには、五苓散(ゴレイサン)を与う。寒実結胸にして熱証なきものは、三物小陥胸湯(サンモツショウカンキョウトウ)を与う。白散(ハクサン)もまた服すべし」。
 ここは病邪が陽にあって、本来ならば発汗によって治療すべきなのに、水をかけたりする治療を行ってしまい、熱が長引き、ひどくなって鳥肌が立つようになる。気持ちは水を飲みたいが、飲もうとすると小量で一杯になってしまう。この場合には文蛤散を投与する。もし治らない場合は五苓散を投与する、という意味です。
 「かえって渇せざるもの」というのは、五苓散の条文にある「水を飲むを得んと欲するものは、少々これを飲まして、胃気を和せしむればすなわち愈ゆ」という文に対応したものと考えられます。そして寒実結胸で熱の症状がないものは三物小陥胸湯を投与し、白散もまた投与すべきであるというものです。この三物小陥胸湯という処方はここにしかなく、三物というのは次の白散にかかるはずだというのが通説です。
 『傷寒論』の異本である『金匱玉函経(きんきぎょくかんけい)』では、「もし寒実結胸にして熱証なきものは、三物小白散(サンモツショウハクサン)を与う」とあります。小陥胸湯は熱証に用いますので、ここで小陥胸湯が出てくるのはおかしく、この文は小陥胸湯とは関係がなく、錯簡であろうとされています。
 この三物白散(サンモツハクサン)ハテキスト157頁にある桔梗白散(キキョウハクサン)のことと考えられています。桔梗(キキョウ)、貝母(バイモ)、巴豆(ハズ)の三味からなるもので、巴豆は大黄などの寒性の瀉下剤と異なり、熱性の瀉下剤です。このため寒実結胸に用いられることになるわけです。この巴豆も現在では使いません。

■小陥胸湯の頭註
 それでは頭註に入ります。
 「玉函、黄連を二両に作る。今これに従う」。
 先ほどの『金匱金函経』では、黄連の分量は二両となっており、二両のほうを採用するという意味です。
 「小児の胸骨の突起するもの、亀胸と称するものを治す。紫円(シエン)、あるいは南呂丸(ナンロガン)を兼用す」。
 「亀胸」とは鳩胸のことです。これが変化するとは考えにくいのですが、ここでは紫円、つまり『千金要方』に出ている巴豆、赤石脂(シャクセキシ)、代赭石(タイシャセキ)、杏仁からなる丸薬と、それから南呂丸、つまりこれは滾痰丸(コンタンガン)のことですが、甘遂、大黄、黄芩(オウゴン)、青礞石(セイモウセキ)からなる丸薬を兼用するというものです。
 「小結胸病、玉函、千金翼には、皆小結胸するものに作る。是」。
 小結胸病とあるところは、『金匱玉函経』や『千金翼方』では小結胸するものとなっている。この方が正しい、という意味です。
 「寒実結胸、熱症なきものは、白散の正症なり。按ずるに、寒実結胸以下は、上の文と意義相属せず。疑うらくは錯間なり。かつ白散小陥胸湯(ハクサンショウカンキョウトウ)は、その主治もとより同じからず。あに濫(みだ)りに投ずべけんや。もし錯簡にあらざれば、その後人の補綴に出づるや疑いなし。五苓散の標を、参看すべし」。
 ここは先ほど触れたところで、寒実結胸、熱症なきものは白散の正症であり、小陥胸湯と白散は主治が違うものであるから、これは錯簡か後人が後で入れたものに違いないというものです。

■小陥胸湯の使用目標
 この小陥胸湯は、大陥胸湯や大陥胸丸に比べて治験例も使い方の記載も多く見られます。
 有持桂里(ありもちけいり)の『校正方輿輗(こうせいほうよげい)』では、「まさに心下にありとは、心の真下にあるなり。これを大陥胸湯の証に比ぶれば、上は心に至らず、下は少腹に及ばず、これを按ずればすなわち痛む。大陥胸湯の近づくべからずとは大違いなり。脈浮滑これを大陥胸湯の沈緊と比ぶれば、その邪深からざるなり。この証にしてもし胸脇連なり痛むものな、小柴胡湯(ショウサイコトウ)あるいは大柴胡湯(ダイサイコトウ)、証に対して合し用う。さらに妙」と述べています。最後の小柴胡湯、大柴胡湯との合方は、現在の気管支炎などで咳に伴う胸痛や、季肋部に用いる方法でもあります。
 百々漢陰(どどかんいん)の『梧竹楼方函口訣(ごちくろうほうかんくけつ)』では、「喘息に用いて効あることあり。時に症を按じて用うべし」と、現在柴陥湯を用いるのに近いことを述べています。
 『古方便覧(こほうびんらん)』では、「胸満して塞がり、気むずかしく、あるいは胸やけ、あるいは腹鳴下痢し、あるいは食進まず、あるいは胸痛を治す」とあり、かなり広範囲に用いることのできる処方であるように書かれています。
 目黒道琢(めぐろどうたく)の『餐英館療治雑話(さんえいかんちりょうざつわ)』には、「丹渓纂要(たんけいさんよう)に曰く、熱嗽胸満するものに宜し」とあり、「この方、肺熱の咳嗽の候は脈必ず数、疼渋って切れかね、あるいは微あり、あるいは口舌乾燥、あるいは口中辣く、以上云々の症あらば効あらざるということなし。仲景」、小結胸治すために設けたる方にて、黄連主なれば、畢竟因は熱にて、症は心胸痞するが目当なり。また嗽せずとも頭熱にて心下痞室するの類、皆通じすべし」と、使用目標を述べています。
 また浅田宗伯(あさだそうはく)は『勿誤薬室方函口訣(ふつごやくしつほうかんくけつ)』で、「この方は飲邪心下に結して痛むものを治す。括蔞実は痛を主とす。金匱胸痺の諸方をもって徴すべし。故に名医類按にはこの方にて孫王薄述の胸痺を治し、張氏医通には熱痰膈上にあるものを治す。その他胸満して塞がり、気むずかしく、あるいは嘈囃し、あるいは腹鳴下痢し、あるいは食物進まず、あるいは胸痛を治す。羽間宗元はこの方に芒硝、甘遂、葶藶(テイレキ)、山梔子(サンシシ)、大黄を加えて中陥胸湯(チュウカンキョウトウ)と名付け、驚風を治すけれども、方意はかえって大陥胸湯に近し」と述べています。この『勿誤薬室方函口訣』の解説は、かなり他の意見もまとめているように思われます。

■小陥胸湯の治験例
 治験例では、 柴陥湯の例は多いのですが、小陥胸湯のみの報告は、最近のものでは比較的少ないように思われます。比較的最近の小陥胸湯のみの報告例では、荒木性次先生のものがあります。
 「一男児七歳。風邪にて熱あり、咳出で数日を経て癒えず。その初め病表にありとして麻黄湯(マオウトウ)を与え、汗を発りたりしが、続いて汗少しずつ出で、熱去らず、大便せず、よって熱裏に入りたりとして調胃承気湯(チョウイジョウキトウ)を与え、下して解せず。下して後大いに渇してしきりに水を飲まんとするにより、白虎加人参湯(ビャッコカニンジントウ)を与えたるも癒えず。あるいは病少陽に入りたるにあらずやとさらに小柴胡湯を与え、なお効なし。
 目下大熱なきも三七度四、五分あり。時々咳し、腹痛を訴う。按ずれば腹はかえって痛まずして、その痛み胃のあたりにあり。食を欲せず、心煩あり。ウンウンと唸りて夜も眠ることを得ず。小便の色濃く大便はなし。渇なお少しあり。脈は浮滑なり。
 かくてほとほと持て余しけるが、脈の浮滑ならびに心下の痛みとを結び合して小陥胸湯を処し、その二分の一量を一剤として与え、意外の効を得るものあり」という苦労した症例を提示されています。

■大陥胸湯・大陥胸丸・小陥胸湯の鑑別
  大陥胸湯、大陥胸丸、小陥胸湯の鑑別について、山田業広の弁をみておきたいと思います。今まてみてきたことの繰り返しになりますが、要点をまとめていると思われま。『経方弁(けいほうべん)』の中にある記載ですが、「大、小陥胸、十棗(ジッソウ)、白散の症を弁ず」として述べています。
 「大陥胸湯は邪胸膈に陥りて、畜飲これに結するを治す。その症を大黄と芒硝をともに用いるは、重ねて胸邪を溏で治するにあり。大陥胸丸はこれを諸湯に比すれば、すなわち邪高きこと一等にして、症すなわち軽きが故に峻薬涵養の法に従う。小陥胸湯は邪軽きこと数等にして、痰飲凝結するが故に渇痰理気の薬を用う」というものです。

■柴陥湯の使用目標
 最後に柴陥湯に触れておきましょう。この処方は先にお話ししたように漢方製剤化されていますので、頻用されているものです。
 浅田宗伯の『勿誤薬室方函口訣』に、「誤下の後、邪気虚に乗じて心下に聚(あつ)まり、それ邪の心下に聚まるにつれて、胸中の熱邪がいよいよ心下の水を併結するものを治す。この症一等重きが大陥胸湯なれども、この方にてたいてい防げるなり。また馬脾風の初起に竹筎(チクジョ)を加え用う。その他痰咳の胸痛に運用すべし」とあります。
 私どもは胸痛と胸脇苦満とを柴陥湯の目標にしていますが、これによると心下部の所見をもう少し重視すべきものと考えられます。


『康平傷寒論解説(25)』 日本東洋医学会理事 藤井 美樹
大陥胸湯 大柴胡湯 小陥胸湯 文蛤散 五苓散 白散(桔梗白散)

■大陥胸湯
 今回はテキスト121頁5行目からです。「傷寒六七日、結胸熱実、脈沈にして緊、心下痛み、これを按じて石鞕の者は、大陥胸湯これを主る」とあります。
 前章は太陽病の誤下によって結胸になったものをあげ、この章は傷寒六、七日にして、誤下によらず、病邪が直ちに裏に入って結胸となったものをあげているものです。熱実は、あとで出てくる寒実結胸に対していったもので、前章の誤下によるものよりも、その証の甚しいことを示しております。「脈沈にて緊」というのは、沈脈で緊の性質を帯びているものをいいます。その脈は小柴胡湯(ショウサイコトウ)に似ています。しかし結胸では心下が痛んで、これを按ずると石のように硬いのであります。これは大陥胸湯の主治であります。

■大柴胡湯・大陥胸湯
 次は「傷寒十余日、熱結んで裏にあり、また往来寒熱する者は大柴胡湯(ダイサイコトウ)を与う。ただ結胸して大熱なく、ただ頭徴しく汗出ずる者は大陥胸湯(ダイカンキョウトウ)これを主る」とあり、傍註として「大熱なき者は、これ水結んで胸脇に在ると為すなり」とあります。
 この章は、傷寒にかかって十余日を経て、大柴胡湯の証になるものと、大陥胸湯証になるものとをあげて、これの弁別を論じているものです。傷寒にかかって十余日を経たころには、熱が裏に入って陽明病になり、往来寒熱の状はないはずであります。往来寒熱は少陽病の熱型です。ところがかえって往来寒熱の状があるので復(また)という字が入っているわけです。復の字は古字では覆と同じに用いられ、覆は反の意にも用いられたので、ここの復の字は反っての意味であります。
 このように熱が裏に結んでも、往来寒熱のあるものは病邪が全く裏に入ったものではなくて、少陽の部位に病邪があるものですから、白虎湯(ビャッコトウ)を与えずに、大柴胡湯を用いるのであると書いてあるわけです。ここに「与う」とあって、「主る」といわないのは、これを与えて後の証を待つという意味です。ですから熱結んで胸脇にあるものは大陥胸湯を用いるのであります。水結が胸脇にある場合は、身体の他の部分には汗がなく、ただ頭に少し汗が出るものであります。これは大陥胸湯の主治であります。この頭に汗が出るのは、水毒が上にのぼってきたために起こるものであって、大陥胸湯は、実際に臨床的にはあまり用いられておりません。私も使ったことはありません。しかし一方の大柴胡湯は非常に応用範囲の広い薬方であります。

■大陥胸湯・小陥胸湯
 次は、「太陽病、重ねて汗を発し、またこれを下し、大便せざること五六日、舌上燥して渇し、日晡所小しく潮熱あり、(心胸大煩を発し)、心下より少腹に至って鞕満して痛み、近づくべからざる者は、大陥胸湯(ダイカンキョウトウ)これを主る」とあります。
 ここで2行目から3行目にかけての「心胸大煩を発す」といい字は坊本にはなく、宋本には潮熱の下にこの語があると頭註に書いてありますが、これは省いてもよいと思います。
 この章は、結胸の証が甚だしくて大承気湯(ダイジョウキトウ)証に似ているものをあげて、大陥胸湯との鑑別を述べております。太陽病を再度にわったて発汗し、またこれを下したために体液は滋潤を失い、大便せざること五、六日に及んで、すでに汗下を経る間に四、五日を経て、今また大便せざること五、六に及びますから、初発からいえば前章と同じように十余日となります。日数から考える陽明病になる時期です。しかも舌上が乾燥して渇き、日暮れ時に潮熱を発するのは陽明病の大承気湯の証に似ています。しかし、この潮熱は少しであって、大承気湯の潮熱のようではない、また心下より下腹まで硬くなって、膨満して痛むのは、心下が主であって、その影響するところが下腹にまで及ぶのでありますから、大承気湯の腹証が臍部を中心として膨満するものとは異なります。このような腹証で、腹が痛んで手を近づけることもできないようなものは大陥胸湯の主治であります。ここに結胸といわないのは、鞕満が腹部全体に及んでいるからであって、結胸の状が甚だしいことを表現しているわけです。
 次は「小結胸は正しく心下にあり、これを按ずれば則ち痛む。脈浮滑の者は、小陥胸湯(ショウカンキョウトウ)これを主る」とあります。
 脈滑は、濇の反対で、指先で玉をころがすように、なめらかに速く打つ脈であります。この文章は、前の大陥胸湯の証に比べてその病が浅くて、緩慢なものをあげて、小陥胸湯の証を明らかにしているわけです。結胸はこれを按ぜずして自ずから痛み、痞硬は按じても痛まない。小結胸はこれらの二者の中間に位し、按ずる時は痛み、按じない時は痛まないもので、またその結胸の部位も、心下にのみ限局して、脇下または下腹にまで波及しません。そして脈は沈緊ではなくて、浮滑であります。沈緊のものよりその病証が浅くして、その証が緩であることを脈で示しています。これは小陥胸湯の主治であります。
 小結胸湯の方は、「黄連(オウレン)一両。半夏(ハンゲ)半升、洗う。括蔞実(カロジツ)大なる者、一我。右三味、水六升を以てまず括蔞実を煮て、三升を取り、滓を去り、諸薬を内れ、煮て二升を取り、滓を去り、分かち温めて三服す」とあります。
 小陥胸湯は単方では胃痛、むねやけ等に用いますが、本朝経験方といって、日本の医者の発明ですが、小柴胡湯と合わせて柴陥湯(サイカントウ)として、胸膜炎など熱のある場合に用いますと、熱も下がり痛みもとれます。私は典型的な帯状庖疹で、胸に水疱ができた時は五苓散(ゴレイサン)を使いますが、あと痛みが少し続いている場合に柴陥湯を使います。非常によく効きます。
 次は「太陽病二三日、臥すこと能わず、ただ起きんと欲し、心下必ず結し、脈微弱の者は、これも寒飲有るなり。反ってこれを下し、若し利止めば必ず結胸となる。未だ止まざる者を、四五日またこれを下せば、これ協熱利となるなり。太陽病これを下し、その脉促、結胸せざる者、これを解せんと欲すとなすなり」とあります。
 協熱利とは、裏に熱があり、裏に寒があり、表熱と裏の寒とが競合して下痢をするものであります。これは桂枝加人参湯(ケイシカニンジントウ)が行くところであります。
 次は「脈浮の者は必ず結胸し、脈緊の者は必ず咽痛し、脈弦の者は必ず両脇拘急し、脈細数の者は頭痛未だ止まず、脈沈緊の者は必ず嘔せんと欲し、脈沈滑の者は協熱利し、脈浮滑の者は必ず下血す」とあります。
 「太陽病二三日臥すこと能わず」からここまでは、先輩の著書を見ましても、意味のわからないところがありまし仲、臨床的に取りあげともわからない面がありますから先へ進みます。