健康情報: 4月 2015

2015年4月22日水曜日

大青竜湯(だいせいりゅうとう) の 効能・効果 と 副作用

漢方診療の實際 大塚敬節 矢数道明 清水藤太郎共著 南山堂刊
大青竜湯(だいせいりゅうとう)
麻黄六・ 杏仁五・ 桂枝 生姜 大棗各三・ 甘草二・ 石膏一○・

本方は表実證にして裏に熱のある場合で、激しく発汗させることを適当とする病症に用いられる。その目標は悪寒・発熱・脈浮緊・諸筋骨痛・煩躁である。これを麻黄湯の目標に比較すると、病勢が一層激しく、煩躁状態を呈するに至った場合である。かかる病状は流行性感冒の初期に見ることであるが、また肺炎その他の急性熱性疾患にも現われることがある。
本方の組成は麻黄湯に、石膏と生姜・大棗を加えたものと考えられる。麻黄湯は即に発汗によって病毒を解する効があるが、これに石膏を加味することによって、その効用が一段と増強されるものである。これは古方に於ける薬物配伍の妙用であって、書物上のみならず、臨床上に於てもまた実證される所である。生姜と大棗は特別な意味はなく、桂枝湯小柴胡湯に於けると同様である。
本方は熱性疾患に応用されるのみならず、眼の急性炎症で自覚症の激しい場合に、病勢を頓挫させる。そのほか脳膜炎・急性関節炎・丹毒等にも用いられ、また急性の激しい浮腫に本方の適する者がある。いずれも症状が激しく、自覚的にも病痛の甚しいものを目標とする。
禁忌症は脈微弱の者、発汗し易い体質者。

漢方薬の実際知識 東丈夫・村上光太郎著 東洋経済新報社 刊
5 麻黄剤(まおうざい)
麻黄を主剤としたもので、水の変調をただすものである。したがって、麻黄剤は、瘀水(おすい)による症状(前出、気血水の項参照)を呈する人に使われる。なお麻黄剤は、食欲不振などの胃腸障害を訴えるものには用いないほうがよい。
麻 黄剤の中で、麻黄湯、葛根湯は、水の変調が表に限定される。これらに白朮(びゃくじゅつ)を加えたものは、表の瘀水がやや慢性化して、表よ り裏位におよぼうとする状態である。麻杏甘石湯(まきょうかんせきとう)・麻杏薏甘湯(まきょうよくかんとう)は、瘀水がさらに裏位におよび、筋肉に作用 する。大青竜湯(だいせいりゅうとう)・小青竜湯(しょうせいりゅうとう)・越婢湯(えっぴとう)は、瘀水が裏位の関節にまでおよんでいる。
5 大青竜湯(だいせいりゅうとう)  (傷寒論、金匱要略)
〔麻黄(まおう)六、杏仁(きょうにん)五、桂枝(けいし)、生姜(しょうきょう)、大棗(たいそう)各三、甘草(かんぞう)二、石膏(せっこう)一○〕
本 方は、麻黄湯の麻黄を増量し、石膏、生姜、大棗を加えたもので、桂枝麻黄各半湯の芍薬を去り、石膏を加えたものとして、また、越婢湯に桂枝 去芍薬湯(桂枝湯から芍薬を去ったもの)を加えたものとして考えることができる。したがって、麻黄、桂枝、石膏の三者が組み合わされたため(前出、薬方を 構成する理由の項参照)発汗作用が増強される。本方は、表実証で裏にも熱があり、瘀水が関節や筋骨に存在するため、関節や筋骨が痛み、手足の煩操(はんそ う、手足がほてってだるく、じっとしておれない)を訴えるものである。実証であるから症状は激しいもので、強く発汗させて瘀水を取り除き、裏熱をさまして 治す。本方は、悪感、発熱、脈浮緊、頭痛、喘鳴、上衝、口渇、尿利減少、諸筋骨痛、煩操を目標とする。ときには浮腫、腹水を目標とすることがある。
〔応用〕
つぎに示すような疾患に、大青竜湯證を呈するものが多い。
一 流行性感冒、気管支炎、肺炎その他の呼吸器系疾患。
一 じん麻疹、皮膚掻痒症その他の皮膚疾患。
一 結膜炎、緑内障その他の眼科疾患。
一 急性腎炎、ネフローゼその他の泌尿器系疾患。
一 そのほか、脳膜炎、耳下腺炎、関節炎、よう、疔など。


臨床応用 漢方處方解説 矢数道明著 創元社刊
p410 急性肺炎・風眼・緑内障・脳膜炎・浮腫
94.大青竜湯(だいせいりゅうとう) 〔傷寒・金匱〕 麻黄 六・〇 杏仁 五・〇 桂枝・大棗 各三・〇 甘草 二・〇 乾生姜 一・〇 石膏 一〇・〇~一五・〇

 傷寒論に記載されている煎じ方とのみ方は、「右水六〇〇ccをもって麻黄だけを先に煮て五〇〇ccとし、上沫を去って他の薬を入れ、再び煮て二五〇ccとし、滓を去り三回に分けて温服する。わずかに汗の出るのがよい。汗が多く出るものは温粉(汗知らずの類)をうちかけるがよい。一服して汗が出たら、あとは服(の)まなくともよい。もし中止せずに服んで汗が多く出すぎると、陽気が虚して、悪風がしたり、煩躁を起こしたり、不眠をきたしたりする」と詳しく記述され、本方の服用には慎重な注意を与えている。一般には一緒に煎じている。
応用〕 表が実し、裏に熱のあるときに、激しく発汗させるものである。流感・急性肺炎・麻疹その他の熱性疾患に用いられることが多い。結膜炎、また角膜潰瘍・風眼・緑内障等、眼の急性炎症で自覚症の激しいとき、病勢を頓挫させるのによい。
 脳膜炎・急性関節炎・丹毒・ネフローゼや急性腎炎の激しい浮腫・腹水に本方の適応がある。また蕁麻疹や皮膚瘙痒症などの皮膚病で、充血がひどく瘙痒の激しいものに用いることがある。

目標〕 本方の運用の目標は、熱性病の際には、悪寒・発熱・脈浮緊で諸筋骨が痛み、汗なく、渇して煩躁する等で、病状がすべて激しく、表が実して、裏に熱と水のあるのが目標である。これらは実証の患者に発現する煩躁の状態である。これを発汗によって、肌肉の間に鬱塞している邪熱を発散するものである。
 雑病に用いる場合は、発熱・悪寒等がなくともよい。浮腫・腹水は金匱の痰飲病にある溢飲の証として用いる。また眼病で、疼痛甚だしく、流涙やまず、眼充血著しく、頭痛の猛烈なものに用いることがある。しかし実際には小青竜湯を用いることが多い。
 いずれも症状が激しく、自覚症も苦痛の甚だしいのが目標となる。脈微弱のものや、発汗しやすい体質の者には禁忌である。
方解〕 本方は麻黄湯方中に、麻黄・杏仁を増し、石膏と生姜と大棗を加えたものである。
 方中の麻黄は、麻黄湯より量が多く、表が緊張して、裏の水の多いのを強く発散させるものである。石膏と組んで裏の水と外の熱とを解消し、煩躁を静めるものである。
 桂枝と杏仁は麻黄を助けて表の熱を発散し、裏の水を去るのである。甘草・大棗・生姜は補佐薬で、それらの主薬の作用を助けるのである。
主治
 傷寒論(太陽病中篇)に、「太陽の中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛シ、汗出デズシテ煩躁スル者、大青竜湯之ヲ主ル。若シ脈微弱、汗出デ悪風スル者ハ、服スベカラズ。之ヲ服スレバ、則チ厥逆、筋惕肉瞤(キンテキニクジュン)(搐搦のこと、筋痙攣)ス、此レ逆ト為スナリ」とあり、
 金匱要略(痰飲病門)に、「病溢飲(水気が四肢に流れてあふれて浮腫状となり痛む病症)ノ者ハ、当ニ其汗ヲ発スベシ、大青竜湯之ヲ主ル、小青竜湯亦之ヲ主ル」とある。
 勿誤薬室方函口訣には、「此方発汗峻発ノ剤ハ勿論ニシテ、其他溢飲(水毒が手足に流れあふれるの意)或ハ肺張(よく肺気腫にあてられるが、むしろ肺炎に近いもの)、其脈緊大、表症盛ナル者ニ用テ効アリ。又天行赤眼(流行性結膜炎、トラコーマ)、或ハ風眼(淋毒性結膜角膜炎)ノ初期、此方ニ車前子ヲ加エテ大発汗スルトキハ奇効アリ。蓋シ、風眼ハ目ノ疫熱ナリ、故ニ峻発ニ非レバ効ナシ。方位ハ麻黄湯ノ一等重キヲ此方トスルナリ」とあり、
 大年口訣には、「若き者など夜に入って、全身痒く、吹き出もの出来、脈浮ならば必ず大青竜湯にて治す。昼は治し夜発する症なり、脈浮緊ならずとも必ず浮なり」とあり、
 古方薬嚢には、「麻黄湯の証にて一段と発熱や悪寒の劇しく、病人苦しんで落着かざる者、此は汗の出が麻黄湯より余計出悪きために、病人が騒ぎ落つかざるなり、全身にむくみを生じ、汗出でず、全身重くだるくして身の置き場もない様な者」とある。


鑑別
小青竜湯 70 (溢飲・裏に寒があり、心下停水、上気)
○麻黄湯 136 (表熱・煩躁なく、発汗の力少なし)
○越婢湯 8 (浮腫・自汗があり、大熱はない)

治例〕 (一) 眼球痛と頭痛
 一男子が眼にひどい炎症を起こして腫れあがり、その疼痛は激甚で、気が狂ったかと思われるほど苦しみ叫び、死ぬるのではないかと危ぶまれた。その脈は浮数で、頭痛、発熱がある。先ず[口畜]鼻方(瓜蒂末あるいは半夏、皂莢末などを鼻孔に吹き込み、鼻粘膜を刺激し、くしゃみを多発させ、鼻汁を出させる方法)を施したところ疼痛はやんだ。続いて大青竜湯を与えたところ、夜半になって、疼痛が再び起こった。 [口畜]鼻方を施し、大青竜湯を用いたところ、曉に至って全く頭痛を忘れた。
(上田椿年翁、眼科一家一言、漢方治療の実際より)

(二) 産後浮腫
 一婦人産後浮腫を発し、腹満を来して、大小便不利、飲食進まず、その夫は医師であったが治療しても効がなかった。一年ばかりで病は愈進み、呼吸困難があり、喘息様となった。桃花加芒硝湯を与えたが効がない。そこで往診を頼まれて、診ると、脈は浮滑で、其の先を按ずると水の音がゴロゴロときこえる。
 南の窓を開くと北の窓は自ら通ずるの道理である大青竜湯を与えて、温くして被覆していた。其夜大いに発熱し汗が流れ、三~四日にして小便通利すること数回、五~六日で腹満はきれいに治った。引続き大青竜湯を百日続けて全治した。
(中神琴溪翁、生々堂治験)

(三) 流行性感冒
 一婦人、風を引き発熱して数日解せず、二~三日の洋薬を服して効がなかった。熱は四〇度近く、頭痛割られるようで、咽乾き、水を呑みたがり、悶え苦しん体夜も眠られず、時々劇しき悪寒来り、正に死せんとするが如く、苦しみ騒ぎし者に、汗出でざると煩躁とを主と見て、大青竜湯を与えたところ、大いに汗出でて、諸の苦悩脱然として消失したるものあり。
(荒木性次氏、古方薬嚢)


明解漢方処方 西岡 一夫著 ナニワ社刊
p.97
大青竜湯(だいせいりゅうとう) (傷寒論,金匱)

処方内容 麻黄六・〇 杏仁五・〇 桂枝 大棗各三・○ 甘草 生姜各二・〇 石膏一〇・〇(三一・〇)

必須目標 ①絶対無汗(麻黄湯等を与えても発汗せず) ② 煩操(出るはずの汗が出ない為悶え苦しむ)

確認目標 ①脈は浮緊  ②頭痛 ③高い発熱 ④口渇 ⑤四肢浮腫  ⑥体がだるい  ⑦尿量減少  ⑧喘鳴  ⑨身痛  ⑩悪寒

初級メモ ①本方は越婢湯と桂枝去芍薬湯の合方で、麻黄湯より一段深く重く麻黄湯を用いても発汗せずに、反って煩躁を生じる場合に用いるものである。
 ②麻黄、桂枝、石膏を組合せると表位深部に作用する大発汗剤になる。
 ③もし誤って 陽虚証体質 (桂枝湯証など) に用いると、汗が多く出すぎて忽ち陰証に陥るから本方の使用は慎重にすべきである。
 ④実際患者を前にすると、なかなか思い切って本方を与える決心がつかない。そんなとき五苓散一・〇 アスピリン〇・五(一・五)を代用品として頓服させるのも一つの便法だと思う。

中級メモ ①本方を天行赤眼(流行性結膜炎)、風眼(淋毒性結膜炎)に使用するときは車前子八・〇を加味するとよい。
 ②条文の誤薬して“厥逆、筋惕肉瞤”する者には、東洞以来、真武湯の証なりというのが定説になっているが独り南涯は“血気逆して(甘草主之)外行し、裏に水滞する者”なりとして茯苓四逆湯を推している。湯本求真氏も追試の結果、南涯説に賛成しておられる。
 ③南涯「表病なり。表水外を閉し、気急して発する能わず、熱伏の状ある者を治す。その症に曰く、身疼、不汗出、身重これ水外を閉すなり。曰く発熱悪寒、疼痛、乍有軽時、これ血気の急なり。曰く煩躁、これ熱伏の状なり。この方桂枝湯と麻黄湯を合方して芍薬を去り、石膏を加えるなり。芍薬を去るは水気の外閉なり。石膏を加えるは煩躁、身重乍有軽時の熱伏ある故なり」。

適応証 流感。急性肺炎。急性腎炎。急性関節炎。急性眼病。


和漢薬方意辞典 中村謙介著 緑書房
大青竜湯(だいせいりゅうとう) [金匱要略]

【方意】 表の寒証表の実証による頭痛・悪寒・発熱・無汗等と、熱証による煩躁・口渇等のあるもの。時に熱証による精神神経症状、水毒を伴う。
《太陽病.実証》

【自他覚症状の病態分類】

表の寒証・表の実証

熱証 熱証による
精神神経症状
水毒
主証 ◎頭痛
◎悪寒 ◎発熱
◎無汗


◎煩躁
◎口渇




客証  戦慄



 発赤、充血
 瘙痒感


 ひきつけ
 不安
 驚狂
 [表の水毒]
○身疼痛 関節痛 流涙 四肢沈重
 [全身の水毒]
 身重 浮腫
 尿不利 腹水
 [肺の水毒]
 鼻汁 咳嗽 喘咳
 呼吸困難


【脈候】 沈緊数・浮緊。

【舌候】 紅舌。乾燥して無苔、時に微白苔。

【腹候】 著変なし。慢性疾患では腹力がある。

【病位・虚実】 表証があり太陽病である。汗の全くない強実証である。

【構成生薬】 石膏12.0 麻黄6.0 桂枝2.0 大棗2.0 甘草2.0 杏仁2.0 生姜1.0
 
【方解】 本方は麻黄湯に石膏・生姜・大棗の加味されたものである。麻黄・桂枝の組合せは表の寒証・表の実証を発汗して治療する。これに石膏が加わると、表の実証に対する作用が一段と強くなる。石膏は熱証を除く働きが強く、このために本方意は麻黄湯証に熱証の加わったものと理解することができる。また麻黄・石膏・大棗・生姜・甘草は越婢湯であるため、本方意の構成病態の一つである水毒はこれに類し、時に身疼痛・浮腫・尿不利等を目標に効果を挙げるこどがある。

【方意の幅および応用】
 A 表の寒証表の実証:頭痛・悪寒・発熱・無汗等を目標にする場合。
   感冒、扁桃炎、気管支炎、肺炎、麻疹、各種の急性疾患の初期、高血圧症、緑内障
 B 熱証:煩躁・口渇・発赤・瘙痒感等を目標にする場合。
   高血圧、慢性頭痛 C1表の水毒:身疼痛・関節痛等を目標にする場合
   膠原病、関節リウマチ
   気管支喘息、気管支炎、腎炎、ネフローゼ症候群  2全身の水毒:浮腫・尿不利等を目標にする場合。
   急性腎炎、ネフローゼ症候群

【参考】 *陽病、脈浮緊にして、発熱、悪寒し、身疼痛し、汗出でず、渇して煩躁する者は大青竜湯之を主る。
『医聖方格』 *此の方、発汗峻発の剤は勿論にして、其の他、溢飲(全身の浮腫を来たす疾患)、或は肺脹(上気喘して躁する者、気管支喘息・百日咳など呼吸困難を来たす気道・肺疾患)、其の脈緊大、表症盛んなる者に用いて効あり。又天行赤眼(はやり目)、又風眼(淋毒性、又は流行性化膿性結膜炎)の初起、此の方に車前子を加えて大発汗するときは奇効あり。蓋し、風眼は目の疫熱なり。故に峻発に非ざれば効なし。方位は麻黄湯の一等重きを此の方とするなり。
*浮腫・尿不利の水毒に対して、脈浮緊なら大青竜湯、脈沈なら越婢加朮湯、沈緊なら木防已湯。本方証を示しながら40℃に近い高熱なら石膏を20.0に増量する。
*実証は気力・脈力・腹力の充実した状態である。局所的には硬く腫脹し、内圧の上昇のために疼痛を伴う傾向がある。緑内障に本方を応用するのはこのためである。
*「老人で夜に痒くなるものには真武湯、勤者で夜に痒くなるものは大青竜湯」(村井琴山)。

【症例】 漢方研究室 問題 麻疹
 13歳女児。治りかけた弟の麻疹に引き続き、4日前から頭痛、発熱39℃を来す。衂血があり、今朝一回下痢し、食欲がなく、渇して、汗なく、咳嗽頻発し、呼吸困難がある。小児科では麻疹で肺炎の危険性があるといわれた。痩身で、血色は良く、脈は浮数で力があり、腹力は中等度で、右季肋下部と左臍傍に抵抗圧痛があり、右腹直筋の異常緊張がある。
〔出題者解答〕 脈浮緊、頭痛、項強、悪寒、無汗では表実である。呼吸困難は気管支喘息でも合併しない限り葛根湯証にはみられる事が少ないので、麻黄湯と大青竜湯との2方が先となる。渇があるので、煩躁はなくても、大青竜湯であろう。大青竜湯1日分で、翌日はほとんど苦訴を忘れる事ができた。
小倉重成 『漢方の臨床』12・12・56
高血圧の皮膚瘙痒症
 57歳の男性。この2、3年来血圧が高くなり全身に痒みがある。栄養は普通。顔色、皮膚色は茶褐色。血圧は170/140。検尿したが糖も蛋白もない。私は皮膚の色と痒みと高血圧と、心下部の抵抗、胸脇苦満を目標にして温清飲加連翹を与え、次に大柴胡湯合温清飲にした。すると血圧は200/120となり、全身の痒みがひどくなった。この患者は痒みだけで外見には痂皮も分泌も発疹も全くない。そこで加味逍遥散合四物湯にしてみたがこれも効かない。苦参汁の湿布もしたが無効。よく訊ねてみると痒みは温まると激しくなり、入浴後とか夜床に入り温まるとひどくなるという。そこで夏悪化するのと同じだとこじつけて消風散にしたがこれも効かない。
 『漢方診療医典』の皮膚瘙痒症の項に「強壮の人で外見の所見があまりなく、単に瘙みだけを訴え、昼は軽く夜間ひどいのは大青竜湯が良い」とあった。この人は血圧が高く、大青竜湯の証と認める条件は極めて少ないが、とにかく強壮で外見は大したことがなく、夜間痒いということで試しに与えてみた。するとこれを5日分飲んだら痒みが大分良くなり、更に2週間飲むととても良くなり、次の2週間ですっかり良くなった。しかし血圧は170/120を持続している。
矢数道明 『漢方の臨床』


漢方処方応用の実際』 山田光胤著 南山堂刊
p.250
164.大青竜湯(だいせいりゅうとう)(傷寒・金匱)
 麻黄 6.0 杏仁 5.0 桂枝,生姜,大棗 各 3.0, 石膏 10.0

目標〕  1) 熱が出て,頭痛,悪寒がし,脈浮緊で,からだが痛み,汗が出ないで煩躁するもの.
 2) 傷寒(熱病の劇症)で,脈浮緊で,からだが重く,急に軽快するが痛まないもの.
 3) 熱が出ても,熱がなくても,喘鳴,咳嗽,口渇(のどがかわく),上衝,浮腫,からだの痛み などが目標になる.

説明〕  1) 煩躁の煩は,自覚的にからだが苦しいことで,躁は身をもがいて苦しがる様子をいい,他覚症状である.
 2) 上衝は,上へつきあげる症で,のぼせもその1つである.上衝をしずめる桂枝が本方にあるので,吉益東洞は類聚方でこの症状をあげている.
 3) 本方は,麻黄湯の麻黄の量を増加して,更に石膏と大棗,生姜を加えたものである.すなわち 麻黄湯証の表証が一層強くなり,邪熱が更に内部へ及んだのが本方の証で,この内熱をさますのが石膏の役目である.したがって 石膏には口渇,煩躁をしずめる効果がある。
参考〕 大青竜湯は,症状の激しい急性症に用いるので,この頃は本方を用いる機会が少ない.しかし 昔はこの処方が広く用いられたようで,古人の口訣もたくさん残っている.
 1) 浮腫に用いる場合は,証治摘要につぎのように記されている.「咳喘やまず,小便次第に短少(尿利減少),遂に腫満をなす者は当に大小青竜湯,麻杏甘石,厚朴麻黄湯 等を与うべし云々」.
 2) 麻疹に用いるには,餐英館療治雑話に,「大青竜湯,此の方麻疹発斑又は風疹の類,熱気つよく出でんと欲すれども欝して出でず,煩する者,濁する者に用ゆべし」とあり,麻疹要論に,「麻疹の初熱に風寒に襲われて発表しがたくなったため、肩背強ばり,悪寒し,頭痛,発熱つよく,咳嗽微喘し,一身(全身)疼痛し,麻疹が出られず,瘟疫,傷寒(熱病)とみまちがえる症がある。このとき,眼が赤く充血し,脈弦数,咽がいらつけば麻疹としるべし.この症には,小続命湯,大青竜湯を用い,温覆して汗を取るべし」とある.
 3) 鰓腫(さいしゅ)(あぎとのはれ・耳下腺炎)で発熱,沸瘡疼痛(局所が腫れて痛む),悪寒,壮熱(高い熱)には大青竜湯(加大黄)湯(規矩分類).
 4) 蕁麻疹のような皮膚病に用いるには,村井大年口訣につぎのような記載がある.「若い人で,夜になると全身に発疹が出て痒くなり,脈浮ならば必ず大青竜湯で治る.昼はよく,夜でる症で,脈は緊でなくてもよいが,必ず浮である.むし歯の痛みなどにもよい」.
 5) 毒虫に刺されたとき,痛みが耐えがたいほど強く,顛倒妄走する者に本方がよい.
 6) 乳腺炎で発熱,悪寒,汗がでず,疼痛激しく,煩渇する者はすでに化膿しつつある.一般的に諸種化膿症で,口渇するものは醸膿の徴候で,速やかに外科で鍼をして排膿するがよい(以上 古家方則)
  
応用〕  感冒,流感,肺炎,気管支炎,その他の熱性疾患,癰,疔,癤,乳腺炎,その他 化膿性炎症,耳下腺炎,麻疹,風疹,蕁麻疹,急性腎炎その他の浮腫など. 

鑑別〕  麻黄湯,越婢湯の項 参照. 
 
症例〕  温知医談第20号に,山田業広がつぎのような治験をのせている.「往年,一官吏が感冒にかかり,翌日から身体疼痛がひどく,寸時も平臥できず,いそいで余を迎えた.
 診ると,その疼痛の甚だしさはたとえ様もなく,譫語はしないが挨拶もできず,半分夢中で転々反側するばかりだった.大熱で脈も洪大にて,大青竜湯の正証である.
 そこで本方7貼(7回分)を与えて,きっと汗が沢山出るだろうといって帰ってきた.翌日診にゆくと,かく然として癒え,病邪は十中八,九去って殆んど平常のようになっていた.病人は,おおせの通り汗を出そうとして,夜具を沢山かけてねましたが,汗は少しも出ず,その苦しさは口でいえない程で,薬を5,6貼のんだ後,大いに下痢をして 3,4回便所へ行った後,痛みは拭い去るようになくなったという」.著者曰う,「漢方の発汗すべき処方を用いて汗が出ず,尿利が増えて解熱することがしばしばある.山田業広の治験もその類いであろう」.


『漢方医学 Ⅰ 総論・薬方解説篇』 財団法人 日本漢方医学研究所
p.78
大青竜湯(だいせいりゅうとう)
 麻黄,杏仁,桂枝,生姜,大棗,甘草,石膏の7種類の生薬から構成されている。
 出典は,『傷寒論』と『金匱要略』である。
 傷寒論(太陽病中篇)に,
 「太陽ノ中風,脈浮緊,発熱悪寒,身疼痛,汗出デズシテ煩躁スル者ハ,大青竜湯之ヲ主ル,若シ脈微弱,汗出デ悪風スル者ハ,之ヲ服スベカラズ。之ヲ服スレバ則チ厥逆,筋惕肉瞤ス」(太陽中風 脈浮緊 発熱悪寒 身疼痛 不汗出而煩躁者 大青竜湯主之 若脈微弱 汗出悪風者 不可服之 服之則厥逆 筋惕肉瞤)
 金匱要略(痰飲病篇)に,
 「病溢飲ノ者ハ,当ニ其ノ汗ヲ発スベシ,大青竜湯之ヲ主ル。小青竜湯亦之ヲ主ル」(病溢飲者 当発其汗 大青竜湯主之 小青竜湯亦主之)
 (註)
 不汗出--発汗させたが出ない意。汗にし出でずとも読む。
 厥逆--四肢の厥冷の甚しいこと。
 筋惕肉瞤(きんてき にくじゅん)--筋肉惕瞤のこと。筋肉が痙攣することをいう。
 溢飲(いついん)--水気が四肢に流れあふれて浮腫状となり痛む病症。
 また『古方薬囊』には,「大青竜湯は,麻黄湯の証にて一段と発熱や悪寒の劇しく,病人苦しんで落着かざる者,此は汗の出が麻黄湯より余計出悪きために,病人が騒ぎ落つかざるなり,全身にむくみを生じ,汗出でず,全身重くだるくして身の置き場もない様な者」とある。
 大青竜湯は,麻黄湯の麻黄,杏仁の量を増し,石膏と生姜と大棗を加えたものである。本方中の麻黄は,表が緊張して,裏の水の多いのを強く発散させる。石膏と組んで裏の水と外の熱とを解消させ,煩躁を静めるものとされている。また桂枝と杏仁は麻黄を助け,表の熱を発散し,森の水を去る。甘草,生姜,大棗は補佐薬である。
 本方証の目標は,熱性病では悪寒,発熱,脈浮緊で筋骨が痛み,汗なく,渇して煩躁するなどであって,症状が激しく現われ,表が実して,裏に熱と水があるものである。
 雑病に用いるときは,浮腫,腹水のあるものに用いることがあり,また眼病で疼痛が劇しく,流涙が強く,眼充血や頭痛のはげしいものに用いることがある。
 応用としては,流感や急性肺炎の初期に,発熱,脈浮緊,煩躁を目標にする。急性腎炎,ネフローゼの浮腫を溢飲とみて用いる。急性炎症性眼疾患。それから蕁麻疹に用いる。
 大年口訣に「若き者など夜に入ると全身痒く吹出もの出来,脈浮ならば必ず大青竜湯にて治す。昼は治し夜発する症なり,脈浮緊ならずとも必ず浮なり」とある。これは痒いのを煩躁にとったものである。

 症例
 40歳の婦人。引越で身心の過労から,感冒にかかり,発熱して数日を経過す。風邪薬をのんでいるが効果がなく,熱は40℃近く,頭痛がひどく,のどがかわき,水をのみたがり, 悶え苦しみ,時々はげしい悪寒がくる。脈は浮緊数で,汗がない。煩躁を考えて,大青竜湯を与えた。服用後,発汗が大量にあって下熱し,煩躁がとれて諸症状が次第に軽快し,間もなく全快した。

 類証鑑別
 小青竜湯--溢飲を治すのが共通であるが,此方は裏に寒があるために裏水があり,気上衝あるいは表熱によって胸或は表に溢れてくる状態であるから症状も喘咳の傾向がつよい。
 麻黄湯--表熱症状は共通であるが,此方には煩躁がない。本方には裏水が気上衝に伴って来る臥の如き動揺症状はない。
 越婢湯--浮腫は共通であるが,此方には自汗があり,大熱がない。

『新版 漢方医学』 財団法人 日本漢方医学研究所
p.78
④大青龍湯
 大青龍湯は、麻黄湯に石膏と大棗・生姜を加えた処方であり、麻黄湯証で煩躁(はんそう)する者に用いる。発汗作用が強力で、誤用すると発汗が止まらずにショック状態に陥ることもある。大青龍湯を用いる張会は非常に少ない


『金匱要略講話』 大塚敬節主講 財団法人 日本漢方医学研究所編 創元社刊
p.238
病溢飮者。當發其汗。大靑龍湯主之。小靑龍湯亦主之。

 大靑龍湯方
   麻黃六兩去節 桂枝二兩去皮 甘草二兩炙 杏仁四十箇去皮尖 生薑三兩 大棗十二枚 石膏如雉子大。碎

  右七味。以水九升。先煮麻黃。減二升。去上沫。内諸藥。煮取三升。去滓。溫服一升。
  取微似汗。汗多者。溫粉撲之。原本。撲作粉。從傷寒論改撲。

 小靑龍湯方
  麻黃三兩去節 芍藥三兩 五味子半升 乾薑三兩 甘草三兩炙 細辛三兩 桂枝三兩去皮 半夏半升湯洗

 右八味。以水一斗。先煮麻黃。減二升。去上沫。内諸藥。煮取三升。去滓。溫服一升。

〔訓〕
溢飲(いついん)を病(や)む者は当(まさ)に其の汗(あせ)を発(はっ)すべし。大青竜湯(だいせいりゅうとう)之(これ)を主(つかさど)る。小青竜湯(しょうせいりゅうとう)亦(また)之(これ)を主(つかさど)る。
 大青竜湯の方
  麻黄(六両、節を去る)、桂枝(二両、皮を去る)、甘草(二両、炙(あぶ)る)、杏仁(四十箇、皮尖を去る)、生薑(三両)、大棗(十二枚)、石膏(雉子大の如し、砕(くだ)く)

 右の七味、水九升を以って、先(ま)ず麻黄(まおう)を煮て、二升を減じ、上沫(まつ)を去り、諸薬(しょやく)を内(い)れ、煮て三升を取り、滓(かす)を去り、一升を温服し、微似汗(びじかん)を取る。汗多き者は温粉にて之を撲(う)つ。(原本は撲を粉に作る。傷寒論によって撲に改む。)

 小青竜湯方
  麻黄(三両、節(ふし)を去る)、芍薬(三両)、五味子(半升)、乾薑(三両)、甘草(三両、炙(あぶ)る)、細辛(三両)、桂枝(三両、皮を去る)、半夏(半升、湯にて洗う)

 右八味、水一斗を以って、先(ま)ず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫(まつ)を去り、諸薬(しょやく)を内(い)れ、煮て三升を取り、滓(かす)を去り、一升を温服す。

〔解〕  

 大塚 「溢飲」ですから、浮腫ですね。浮腫のある患者に大青竜湯で発汗させると浮腫がとれる。小青竜湯も、そういう場合に使うというのです。ところがね、浮腫のある患者に、大青竜湯や小青竜湯を使って汗の出たためしがないね。結局、小便に出ますね。大青竜湯というのは一番はげしい発汗剤だから、これを飲んだ後は温粉(あせもしらずのような粉)をかけるということになっています。誰方か、大青竜湯を使った方はありませんか。
 寺師 私の調べたところでは、『傷寒論』に「大青竜湯発之」というのがありますが、普通、大青竜湯は発汗剤と云われていますが、浅田宗伯の『傷寒論識』を見ますと、「発は猶(なお)与うるが如し」と云っています。また内藤希哲の『傷寒雑病論類編』では「大青竜湯与之」ではなくて「小青竜湯与之」になっています。
 大塚 『傷寒論』では「宜(よろ)し」と「与(あた)う」と「主(つかさど)る」があるが、「発(ほっ)す」というのは他(ほか)にないものね。
 寺師 「そうですね」
 山田 私は大青竜湯を風邪のときに使ったことがありますけれで、汗はそれほど出ませんでした。
 大塚 そうですよ。そんなに恐ろしい薬ではないと思います。佐藤省吾君が腹膜に水が溜ったのに大青竜湯を使っていますが、日数が経ちすぎたものには使えません。ところが、発病後すぐの患者は我々のところには来ませんので、使う機会がないですね。
 前に皮膚病があって、皮膚病が治ってから腎炎になった患者がありまして、麻黄連軺赤小豆湯をやりました。これは皮膚病が内攻して腎臓炎になったのに使う薬方だとされていますので、やりましたのですが、そうしましたら、ひどく悪くなりまして、小便が全然出なくなりまして、苦しい苦しいと云って泣くんです。困ってしまいまして、それ以来、むくみのあるときの麻黄剤は恐(こわ)いと思うようになりまして、あまり使わなくなりました。

 

『臨床応用 傷寒論解説』 大塚敬節著 創元社刊
 p.204
第二十三章

太陽中風、脈浮緊、發熱惡寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大靑龍湯主之。若脈微弱、昔出惡風者、不可服之。服之則厥逆、筋惕肉瞤。

校勘
 成本は「不可服之」の「之」の字がない。宋本、成本、玉函ともに「瞤」の下に「此為逆也」の四字がある。康平本はこの四字を傍註に作る。今、原文より削る。康平本は「煩躁」を「煩燥」に作る。今、宋本、成本等による。玉函は」「身」の下に「體」の字があり、「煩躁」の下に「頭痛」」の二字があり、「煩躁」の下と「悪風」の下に「者」がなく、「不可服之」の「之」がなく、「厥逆」の「逆」の字もない。


太陽の中風(ちゅうふう)、脈浮緊(ふきん)、身疼痛(みとうつう)、汗(あせ)出(い)でずして煩躁(はんそう)する者は、大青龍湯(だいせいりゅうとう)之(これ)を主(つかさど)る。若(も)し脈微弱(びじゃく)、汗出(い)で悪風(おふう)の者は、之(これ)を服すべからず。之(これ)を服すれば則(すなわ)ち厥逆(けつぎゃく)し、筋惕肉瞤(きんてきにくじゅん)す。


(159) 不汗出--これと「汗不出」とは別である。汗不出は汗が出ないの意。不汗出は、汗にし出でずとも読み、発汗せしめたが出ないの意である。そこで、ここでは麻黄湯で発汗を図(はか)ったが、汗が出ないという意。
(160) 厥逆-- 四肢の厥冷の甚しいのをいう。
(161)筋惕肉瞤(きんてきにくじゅん)--筋肉惕瞤の意。惕は、おそれておののく状。瞤は目瞤の意で、まばたきをする状。そこで筋惕肉瞤は筋肉がびくびくと痙攣する状をいったものである。


 この章では、太陽の中風の劇証にして、傷寒に類するものの証治をあげ、次章では、傷寒の変証にして、中風に類するものを挙げて、互いに証に随(したが)って、臨機応変の治を施すべきを教えたものである。
 さて、太陽の中風は、第二章と第四章で述べたように、「脈浮緩にして発熱悪風汗出(い)ず」を正証とし、桂枝湯の主治するところであるが、ここでは緩脈が緊に変じ、悪風は悪寒となり、身疼痛して、傷寒に類する状態となった。以上の症状から判断すると、この場合は麻黄湯の証のように思える。そこで麻黄湯を与えたところ、汗が出ずに、煩躁するようになった。
 この章の眼目は、汗が出ずに煩躁するところにある。
 麻黄湯は、元来、表の熱実証に用いて、病邪を発汗によって、発散する働きがあるが、この章の場合は、表の熱実証がはげしくて、裏熱を伴っているので、裏熱を清解すると同時に、表邪を発散しなければならない。そこで裏熱を清解する効のある石膏の配剤された大青龍湯が必要となるのである。
 煩は熱煩で、熱のために悶えるの意で、躁は手足をしきりにさわがしく動かして、苦しむ状である。煩と躁とが別々に現われることもある。煩して躁せざるものは治(じ)し、躁して煩せざるものは死すという言葉もあって、躁は煩よりも悪症である。煩して躁せずというのは、病が重くて、煩を自覚しないのである。この章では、煩躁となっていて、悶え苦しむのである。
 この煩躁の有無は、麻黄湯との鑑別点となっている。
 この場合に、もし脈が微弱で、汗が出て、悪風して煩躁する者は、少陰病で、陽の気が衰亡し仲いる徴候であるから、大青龍湯で発汗せしめてはならない。
 もしも誤まって、これらの証に、大青龍湯を服用せしめると、手足の厥冷を現わし、筋肉がびくびくと痙攣(けいれん)して、重篤な症状を現わすようになる。
 〔臨床の眼〕
 (47) 大青龍湯は、普通の感冒に用いることはまれで、體力の充実した人の流感や肺炎の初期に応用の機会がある。
 (48) 脳出血、脳軟化症などの後遺症に用いる薬方に、続命湯がある。この続命湯は、大青龍湯は、大青竜湯に、当帰、人族、川芎を加えて、生姜を乾姜に代えたものである。
 (49) 大青龍湯は、結膜炎で、炎症のはげしいものに、内服せしめることがある。


  大靑龍湯方
麻黃六両去節 桂枝二両去皮 甘草二両炙 杏仁四十枚去皮尖 生姜三両切 大棗十枚擘 石膏雉子大 碎 綿嚢

 右七味、以水九升、先煮麻黃減二升、去上沫、内諸藥煮取三升、去滓、溫服一升。取微似汗。一服汗者、停後服。

 〔校勘〕 成本は「四十枚」を四十箇に作り、玉函とともに「十枚」を「十二枚」に作る。今、宋本と康平本とによる。玉函は「碎」の下に「綿嚢」の二字がある。今玉函による。宋本、成本ともに「微似汗」の下に「汗出多者、溫粉撲之」の八字があり、玉函は「微似汗」を「覆令汗出」に作り、「汗出多者」を「多者」に作り、「後服」の下に「若眼服、汗多亡陽、遂虛、惡風煩躁、不得眠」の十下字があり、宋本、成本は「眠」の下に「也」があり、宋本には「遂」の下に「一作逆」の細註がある。康平本は「若」より「也」に至る十七字を嵌註に作る。今、原文より削る。「雉子大」を宋本、成本は「如雉子大」に作る。玉函では「甘草」と「石膏」以外の修治が省略さられている。

 〔
 大青龍湯方
  麻黄(六両、節を去る) 桂枝(二両、皮を去る) 甘草(二両、炙(あぶ)る) 杏仁(四十枚、皮尖を去る) 生姜(三両、切る) 大棗(十枚、擘く) 石膏(鶏子大、碎く、綿に嚢(つつ)む)
  右七味、水九升を以って、先ず麻黄を煮(に)て二升を減じ、上沫(じょうまつ)を去り、諸薬(しょやく)を内(い)れ、煮(に)て三升を取り、滓(かす)を去り、一升を温服し、微似汗(びじかん)を取る。一服して汗(あせ)する者は、後服(こうふく)を停(とど)む。

 〔
 (162) 鶏子大--鶏卵大。

第二十四章

傷寒、脈浮緩、身不疼、但重、乍有輕、大靑龍湯主之。

 〔校勘〕 宋本、成本、玉函ともに「主之」を「發之」に作り、玉函は「大靑龍湯」の上に「可與」の二字がある。今、康平本による。宋本、成本、玉函は「時」の下に「無少陰證者」の五字があり、康平本は、これを傍註とする。今、原文から削る。玉函は「身」の上に「其」の字がある。

 〔
 傷寒、脈浮緩(ふかん)、身(み)疼(いた)まず、但(ただ)重く、乍(たちま)ち輕く時あり、大靑龍湯(だいせいりゅうとう)之(これ)を主(つかさど)る。

 〔
 前章は、太陽の中風にして、その脈証が傷寒に似たものを挙げ、この章は、傷寒にして、その脈証が中風に似たものを挙げている。この両者は、その現わす症状は異なるけれども、同じく大青龍湯の主治である。
 傷寒では、脈が浮緊で、身疼痛を訴えるべきであるが、ここでは脈は浮緩となって身痛まず、すこぶる太陽の中風に似る。しかし太陽病の中風には、身重しという症状はない。身重は、少陽病にも、陽明病にも見られる症状であるが、この身重が、少陽、陽明のそれでないことを「たちまち軽き時あり」の句によって示している。身重が時々ちらっと軽くなることによって、この身重が表証の身重であることを見せている。
 またこの身重は、少陰病の玄武湯証の四肢沈重にも似ている。そこで、少陰の証なきものという傍註を入れて、注意を喚気している。もし脈沈微もしくは微細にして身重なものは、少陰病であることを知らねばならない。
 さて、この章は、傷寒と冒頭しているから、発熱、悪寒あるいは悪風、汗なしの症状を、その中に含むものとして解釈すべきである。もし脈浮緩にして、汗出で悪風するものは、大青龍湯の主治ではない。

『臨床傷寒論』 細野史郎・講話 現代出版プランニング刊

第二十四条

太陽中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大青竜湯主之。若脈微弱、
汗出悪風者、不可服之。服之則厥逆、筋惕肉瞤。

〕太陽の中風(ちゅうふう)、脈浮緊(ふきん)、発熱悪寒(ほつねつおかん)し、身(み)疼痛(とうつう)し、汗(あせ)出(い)でずして、煩躁(はんそう)する者、大青竜湯(だいせいりゅうとう)、之を主る。もし脈微弱(びじゃく)にして、汗(あせ)出(い)で悪風(おふう)する者は、之を服(ふく)すべからず。之を服すれば則(すなわ)ち厥逆(けつぎゃく)して、筋惕肉瞤(きんてきにくじゅん)す。

講話〕ここの中風というのについて昔からいろいろ説があった。『傷寒論条弁』には中風を病の字に書きかえてある。和田東郭も中風にとらわれるとどうも解りにくい、「太陽中風」を「太陽病」とする方がよくわかる、というように書いてあるんです。
 せれでは、この場合の症状ですね。まず脈は浮緊です。これは、浮ですから浮いているが、それを抑さえて診ると、中に力があって充実して緊張が十分によい。これを浮緊の脈というのです。
 それから、発熱、悪寒もあるし、体が痛むし汗が出ないし、そして煩躁する、これは麻黄湯の証ですね。しかし麻黄湯の証にしたら、よけいにあるものが一つある。それは何かというと、煩躁です。煩躁といったらどんなものかというと、つらがってどんどんと体を動かす、それも煩躁です。或は、「ああ、しんどい、ああ、しんどい」というのも、これも煩躁です。煩躁というものは、病人は「私、煩躁してます」とは言いませんから、間違うことがあります。私が診た疫痢の患者で、うわごとで「あそこの下駄箱にあの好きな下駄があった」と平気で言うのです。それを始めて聞いた時は、ああ、なかなか元気だなと思っていたが、それは中毒症状でした。ですから、暫くして、時期が過ぎましたら、いつまでたっても起きない。私は疫痢で死なれてみて、ああ、あれが中毒症状だったのだとわかった。煩躁もそうなのです、喘息の発作の時、ゼイゼイ言っていますが、本人はつらいとも言わないでじっとしているときがある。これは煩躁ではありません。煩躁でないものには、煩躁を止める石膏は入れる必要はないのです。ここでは、麻黄湯の証に煩躁が加わっているので、石膏が入っている、石膏が入っているのは煩躁があると決めてよろしい。それほど、石膏というものには煩躁がつきもののようです。煩躁というものは、そういう見方をすることが大切なのです。
 大青竜湯は何に持っていくかというと、本には肺炎に持っていくとよく書いてあります。肺炎といったら、昔、沢山あったものです。新聞の黒枠のところに、よく肺炎で先日死亡を書いてありました、それほど、肺炎が多かったのです。今は、いろいろの抗生物質がでてきてからは、そのようなもので死ぬ人はいませんが、昔は、医者は肺炎の患者が月二、三人あったら、悠々と食えたものです。医者は命がけで肺炎の人を救わなければいけないのだけど、治すのに十日はかかったものです。ですから三人あったら食える訳です。そういう病気にこの大青竜湯をもってゆけと書いてあったのです。けれど、大青竜湯を始めから終わりまで、肺炎に持っていったら、大変なことが起こります。大青竜湯が肺炎によいというのは初期のことです。肺炎で、ガタガタ熱が出てきて、太陽病の証で、煩躁がある時に持っていったら、頓挫的に効くかも知れませんが、私はこれまで、そんな例がないのです。一度試してみようと思って、随分、目をかけていたのですけれども。
 大青竜湯は麻黄湯に石膏が加わっているだけと考えていただいてもよろしい。次に「若脈微弱で、汗が出て悪風する者、之は服すべからず、之を服すれば、厥逆、筋惕肉瞤」ときちんと書いてあります。もし、脈微弱の人に大青竜湯を飲ませたら、厥逆して、手足から冷えてくる。そして、筋肉がヒクヒクと動いてだめになるのだと。中毒症状ですね。前に麻黄湯をやった時と同じことです。ではこのような症状に患者がなった時いったい何をやりますか。『傷寒論条弁』に、真武湯を持っていくと書いてあるのです。ところが、吉益南涯は真武湯の証ではなしに、茯苓四逆湯の証であると書いてある。それで、湯本未真先生もそういう場合にちょうど遭遇したことがあったので、茯苓四逆湯を作って飲ませ、よく効いて助かった。そうだから、これはやはり茯苓四逆湯が本当ではなかろうかというようなことを書き添えて感る。私は急性黄色性萎縮症の末期のものに、とり急いで茯苓四逆湯をやったのです、効きませんね。ちょうど、西洋医がもう命がなくなりかけると、リンゲルやるのと同じですね。この時期にリンゲルやるけれども効くものではないです。

第二十五条

傷寒、脈浮緩、身不疼、但重、乍有軽時、大青竜湯主之。

〕傷寒、脈浮緩(ふかん)、身(み)疼(いた)まず、ただ重し、乍(たちまち)にして軽き時あり、大青竜湯(だいせいりゅうとう)之を主る。

講話〕傷舌という病気で、脈を診ると浮で緩、緩は緩やかなということで緊ではないのです。そして、体は痛まない。麻黄湯の証は体が痛みますね、ですから大青竜湯の証も体が痛むはずなのに。これは脈浮緊ではなしに、脈浮緩で、即ち、触れて診ると緩やかな脈をしている。体が弱っている人の脈を診ると、やはり、緩やかに触れる。それから、症状としては何があるかというと、重い、体が重いのですね。ですけれど、ある次の瞬間には、すーっと体が軽くなるようなことがある。重いばかりが続いているのは大したことはないが、重い症状の中に、軽くなることがある、そういう時に、大青竜湯を持っていくとよいと書いてありますが、ちょっと考えてみると、おかしいように思うのです。大青竜湯というのは石膏を加えて煩躁をなくすもの、しかも、麻黄湯のように強い症状のものに持っていくのにもかかわらず、なぜ、こんな脈浮緩で、しかも体が痛まないで、ただ、体が重いだけで、時々すーっと軽くなるような人に持っていくのだろうと私は考えるのですけどね。どうもこういう場合に持っていけないのです。一度使つてみたいとは思います。ですから心の中に留めておいて試して欲しいと思います。これについて昔の人はいろいろと言いますけれど、いろいろ言ったことがいくらあっても、私はそれを信用できないのです。私、身重ということはあると思うのです。身重は体が重いということですね。実は、昨日までものすごく体が重かった。どうにも重くて体を動さすのに苦労して、ワッと力を入れなければ体が動かせませんでした。これは身重ではないかと思うのです。これは、どうしたことかというと、私は中風でブクブク太りでしょう。水がいっぱいで、水に浸っるような体です。それなのに、ある時、大津の家から帰りがけに歩かなければいけないから、歩いていたら、にわかに、空がまるっきり元冠の役みたいにかき曇ってシャーとものすごい雨が降ってきた。少し歩いている間にもずぶ濡れなってしまいました。近くの倉庫の屋根の下へ隠れたのはよかったのですけれど、私の自動車は一〇〇m程向こうで、その間には多くの自動車があってとても近づいてこられない。ようやく近づいて私を救いに来てくれた時には、もう下着まで濡れてしまったから、自動車の中に入って脱いで、シャツだけで濡れたまま帰ったのです。それが悪かったのですね。体の水分が多いのに、体を水につけたようなものですからね。私は、やはり体に湿気があって、多湿だとあのようになるものかと思った。それから、心臓はやられるし、痛みやら、いろいろなことが起こって、どうにも動けなくなった。それで、しかたがないからそれから三日間寝ていました。身重というのは、そういうものです。とても体が重いのです。
 身重について書いてあるのは他にもあります。防已黄耆湯にも身重と書いてあります。おそらくこの身重、何かの意味があるのでしょうね。それだから大青竜湯を使った。ところが、大青竜湯には、石膏が入っているでしょう。皆さんご存知のように、石膏というものは相当に胃を壊しますし、悪いこともあるのですが、甘草もありますし、案外恐がることはないのかもしれません。身重という症状に附子剤がいくことがある。附子湯、真武湯なんかも身重がある。この大青竜湯と附子剤との差、或は防已黄耆湯などの差をしっかり見分けなければならないと思う。舌の様子とか、その他のもので、わかるのではないかと思います。ただし、私はこの経験はありませんから偉そうには申し上げかねます。身重という症状はとても大切です。
 それから、大青竜湯の薬の組成を考えてみると、桂枝湯が入っているのですけれど、芍薬が抜いてあるのです。即ち、桂枝去芍薬湯に石膏と麻黄が入っているのです。石膏と麻黄と杏仁があれば、麻杏甘石湯ですが、杏仁も抜けていますので、麻黄湯とは少し違うところです。それで、桂枝去芍薬湯証の腹証は直腹筋の攣急がない。芍薬甘草湯になると直腹筋の攣急があるけれど、芍薬が入っていないから直腹筋の攣急はない。そうすると、腹を押さえてみると弱い、軟らかい感じがする。大青竜湯はそういうものだと。急性熱性病で、一番最初にこのような症状が現われてきたら、躊躇なくそれを与えてよろしい。まあ、そういうことですね。それから、まだありますよ。附子剤を見分けるのには、脈の虚実よりほかにないのですよ。
 昔の人は、よく水でどうだとか血でどうだとか言っていますけれど、そんなに都合のよいことがあるのだろうかと思います。ところが私、近ごろ味あわされたことがあります。それはね、この頃、腎臓の悪い人に透析やりますね。透析は何をするかというと、腎臓がだめになっているのだから、水の排泄ができない。そうすると、一日か二日すれば、五〇〇cc~二〇〇〇ccの水が溜るわけです。そうするとその水を透析で二〇〇〇ccも抜くわけです。ですから、体の中で急激な水の変動がおこり、患者によっていろんな症状が現れてきます。頭痛を起こす人、物がぐるんぐるんと回って見えてくる人、そうかと思うと、いやに咽がイライラしてくる人、咳が出る人、痰が粘りついてしかたない人、胃が痛くなってくる人、ムカムカして吐き気がし、嘔吐する人、腹が痛くなる人、おなかがぐるぐる言いだして下痢する人、そういうのがあるのです。水を抜いた影響はその人その人によって型が違うわけですね。要するに、水の偏在ということは、昔の人が言っていたが嘘ではない、あるのですね。どうも、そういうように考えるようになりました。私はこれは実際に経験したから感じたことですが、吉益南涯が気血水とか言っている話は本当のことです。水の影響とか、あるものですよ。湿度の影響について面白い話があります。湿気は風の吹きぐあいで、しょっちゅう変わります。私のところの大津の別荘などでも閉めると湿度が八〇%ぐらいあります。それが、開け放つと四〇%ぐらいに下がります。閉めきった部屋にいると、湿気が多いためでしょうか足がギューと引っ張られて万いのです。外へ出ると楽になります。そういうように、大気中に含まれている湿気の状態でも変わってくる。それほど、人間の体は鋭敏であるということを考えて『傷寒論』をみていかなければいけない。気血水というのは嘘ではないのです。それについてもよく考えなければならないということです。

『康平傷寒論読解』 山田光胤著 たにぐち書店刊
p.103
(38)三七条、第二十三章、十五字
太陽の中風、脉浮緊、発熱、悪寒、身疼(不汗出)汗にし出でずして煩躁する者は大青竜湯之を主る。若し脉微弱にして、汗出で、悪風する者は之を服すべからず。之を服さば、則ち厥逆し、筋惕肉瞤(きんてきにくじゅん)す。(傍・此れを逆となす。)
大青竜湯方
麻黄六両節を去る、桂枝二両皮を去る、甘草二両炙る、杏仁四十枚皮尖を去る、生姜三両切む、大棗十枚擘く、石膏鷄子大碎(くだ)く綿に裹む。
右七味、水九升を以て、先に麻黄を煮て二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内(い)れ、三升を取り滓を去り、一升を温服し、微似汗を取る。(嵌・汗出ること多き者は温粉之を撲(う)つ。)一服にて汗する者は後服を停(とど)む。(嵌・若し復(ま)た服して汗多ければ亡陽して遂に虚し、悪風煩躁し眠ることを得ざるなり。)

【解】
太陽の中風で、本来は脉浮緩で汗出でて桂枝湯証になるべきものが、劇症の為、脉浮緊で、発熱悪風に似た発熱悪寒があり且、身疼痛しあだかも傷寒を思わせるので、麻黄湯を用いたが、汗が出でずして煩躁するようになった。表の熱実証ならば、麻黄湯で発汗すれば病邪は発散するはずであるのに、此の場合は表の熱実が劇しいため、熱の一部が裏にも及んでしまい、裏熱を伴う状態になっていたものである。
こういう場合は、裏熱を清解すると同時に表邪を発散しなければならない。そこで裏熱を清解する効のある石膏が配剤されている麻黄剤の大青竜湯の主治となるのである。
 (注・煩は此の場合は熱煩であって、熱の為に悶えるものをいう。躁は手足をさわがしく動かしもだえる状で、この煩躁のあることが大青竜湯と麻黄湯との鑑別点である。)
 若しこの場合脉が微弱で、汗が出て、悪風する上に煩躁するのは、少陰亡陽の徴候であるから、大青竜湯で発汗させてはならない。之は附子剤の証であって、若し誤って大青竜湯を服用させたならば、手足厥冷となり、筋肉が惕瞤するようになる。(注・惕(てき)はおそれる。瞤(じゅん)は目のふちがぴくぴく動く、肉がひきつれることの筋惕肉瞤は筋肉がおそれるようにぴくぴく動くことで、筋肉の脱水症状を意味する。(傍・これを逆治とするのである。)
尚、汗出でずして煩躁するものは、汗が出て煩躁が止んだならばその煩躁は表証であったものである。若し汗出でて後も煩躁する者は、再度発汗してはならない。

(39)三九条、第二十四章、十五字
傷寒脉浮緩、身疼まず、但だ重く、乍(たちま)ち軽き時有り (傍・少陰の症無き者は) 大青竜湯之を主る。

【解】
前三七条は、太陽の中風なのに脉浮緊で身疼痛があり、傷寒に似た中風の劇症であった。本条は、傷寒なのに脉浮緩で身は疼まない太陽中風に似た傷寒の変症である。即ち、傷寒であるから普通は脉浮緊で身疼痛するはずなのに、ここでは脉が浮緩で太陽中風に似て身も痛まず、ただ身が重い。これは少陽か陽明の証の様に思えるが、乍ち軽く、 (少しの時間軽く) なるので、これは表証の身重だと分る (この身重は、少陰病、真武湯証の四肢沈重とも似ているが、脉微細、但臥んとすというような少陰の症はないと傍註で少陰との鑑別の要を説いてもいる)。そうではあるが、こういう場合は発熱、悪寒、無汗の傷寒の症状が当然であるわけで、これは大青竜湯の主治である。
 (注・「主之」は「発之」に作る本もある。)


『傷寒論演習』 講師 藤平健 編者 中村謙介 緑書房刊
p.130
三八 太陽中風。脈浮緊。発熱。悪寒。身疼痛。不汗出而煩躁者。大青竜湯主之。若脈微弱。汗出。悪風者。不可服。服之。則厥逆。筋惕。肉瞤。此為逆也。
太陽の中風、脈浮緊に、発熱、悪寒し、身疼痛し、汗出でずして煩躁する者は、大青竜湯之を主る。若し脈微弱に、汗出で、悪風する者は服す可からず。之を服すれば、則ち厥逆し、筋惕、肉瞤す。此れを逆と為す也。

藤平 太陽の中風であつて、「脈浮緊。発熱。悪風。身疼痛。不汗出」までは麻黄湯と同じです。これに「煩躁」が加わりますと大青竜湯証となりますので、この「煩躁」は大事な症状です。その他に咳嗽は両者に共通し、大青竜湯のほうが激しいこともあります。それから渇は大青竜湯にみられます。結局麻黄湯証に煩躁と渇とが加わったものが大青竜湯証です。脈は麻黄湯の浮緊より一層強くなります。
 横道にそれますが、煩躁は陰証にもみられます。茯苓四逆湯の煩躁がそれですが、これは四逆湯との区別の上で大切な症状です。
 もし太陽の中風で「脈微弱。汗出。悪風者」となりますとこれは桂枝湯証ですから、これに大青竜湯を与えてはなりません。
 もしうっかり大青竜湯を与えたら、手足が厥逆して冷え、四肢躯幹の筋肉がピクビクと異常な間代性の痙攣を起こしてしまう。これは逆治であるというのです。
 この「若脈微弱」以下は当然すぎることですので、『傷寒論』になぜこんなことが書かれているのかおかしいと思うのですが……。
 奥田先生の解説はどうなっていますか。

太陽中風 此の章は、第一二章の「太陽中風。陽浮而陰弱云々」を承けて、其の漸く悪化せる者を挙げ、而して第二七章の桂枝二越婢一湯証、第三五章の麻黄湯証に対して大青竜湯の正証を論じ、傍ら其の禁忌に及ぶなり。此の病は、麻黄湯の一等甚だしき者と考ふるを得べきなり。

藤平 ここで第二七条を承けているとするのは、条文が似ているという意味ではなく構成生薬からでしょう。

脈浮緊 中風の浮緩、悪化して浮緊となる。
発熱、悪寒、身疼痛 茲に至るまでは、全く麻黄湯を与ふ可き証なり。
不汗出而煩躁者 故に麻黄湯を与ふるに、汗出でず。或は初より絶えて汗出でず。其の汗出でざるに因っつて煩躁を現す。而しての字、注目を要す。之を大青竜湯の主治と為す。故に

藤平 この「不汗出」のために「煩躁]を現わすという説明はどうでしょうか。麻黄湯でも汗が出ないのですが煩躁はありません。

大青竜湯主之 と言ふなり。此の章に拠れば、本方は麻黄湯証にして更に煩躁を加へ、表欝甚だしくして熱性強く、発汗し難き者を峻発するの能有りと言ふ可きなり。

藤平 この「峻発」というのもおかしいですね。太陽病の薬方はすべて温熱産生援助剤ですが、いつも申しますように微似汗を得るように用いなければなりません。汗を「峻発」するというのはあるいはおかしいかもしれません。

 又孝ふるに、蓋し此の方は、麻黄湯、越婢湯を合方せる者と見做すべく、而して発汗清熱の峻剤なりと謂うべきなり。

藤平 この補もあまりよくないように思いますが、どうでしょうかナ。

若脈微弱 之以下は、本方の禁忌を論ず。是精気漸く衰ふるの証なり。
汗出悪風者 以上、桂枝湯証に似て、桂枝湯証に非ず。
不可服 桂枝湯すら尚且不可。况んや本方をや。
服之則厥逆 厥逆とは四肢厥冷の甚しき義なり。
筋惕 肉瞤 筋惕は筋脈動掣の意。肉瞤は、皮肉瞤動の意。此れ皆亡陽、亡津液の為なり。
此為逆也 逆とは逆証の謂なり。大青竜湯は発汗の峻剤なり。故に特に此の戒戒を逐論したるなり。
 大青竜湯の変に二道あり。一は厥逆筋惕肉瞤す。是重し。其の人本来服す可からずして誤つて之を服す。故に逆と為す也と言ふ。若し薬方を擬すれば恐らくは真武湯、更に煩躁あれば、茯苓四逆湯ならん。
 一は悪風し、煩躁して眠ることを得ず。是軽し。其の人本来当に服すべくして唯過服せるを以てなり。故に逆とは言はず。若し薬方を擬すれば、恐らくは乾姜附子湯ならむ。
 此の章、大青竜湯の本分を明かにしたるなり。
大青竜湯方 麻黄六両 桂枝二両 甘草二両 杏仁四十個 生姜三両 大棗十二枚 石膏如鶏子大。
 右七味。以水九升。先煮麻黄。減二升。去上沫。内諸薬。煮取三升。去滓。温服一升。取微似汗。一服汗者。停後服。

藤平 この「取微似汗」は非常に大切なところです。「一服汗者。停後服」ですから、残してもったいないからなどと飲んでしまうと、脱汗を起こしてしまいます。
 大青竜湯証は実証ですから、ガッチリした体格の人だけが起こすかというと、決してそうではありません。
 私自身も大青竜湯を経験したことがあります。これはかなり苦しいですね。フトンの中で輾転反側して身の置き所がない。熱は40℃以上あるのひ皮膚はサラッとして汗は全く見られない。咳はかなりひどく、頭痛し、悪寒は激しい。のどはカラカラに渇く。
 これを大青竜湯証としなかったら、何をもって大青竜湯証とするのかというわけで、服用したら、うまい具合に短時間で治りました。
 その後で小倉さんに会った時に、小倉さんが「今年は大青竜湯証のカゼが多いですね」と言うのです。私もその時、平素は小青竜湯や桂枝湯証を現わす患者さんなのに、二、三人大青竜湯証を経験したのでした。
 ですから大青竜湯は必ずしも身体の強弱のみに関係するのではなく、その時流行のカゼのウイルスにもよると思います。この両者の関係によりいろいろな病態を呈するわけですが、その病態すべてに『傷寒論』は対応しているのですからたいしたものです。経験医学をそこまで集大成させる頭脳があるのですねェ。
会員D これだけの症状がありますと、第三条と照してみても傷寒だと言いたいのですが、どうして「太陽中風」となっているのでしょうか。
藤平 傷寒でも中風でも薬方は共通しますから、あまりその区別にとらわれる必要はありません。悪風といいながら悪寒を含めているように、傷寒らしくても中風にも共通するために、ここでは「太陽中風といっているのかもしれません。
会員A 奥田先生は太陽の中風が悪化して大青竜湯証になったと説明しています。いかにも中風が傷寒に変化したと読めるのですが。
藤平 個々の症状にとらわれて傷寒、中風と区別するのではなく、これだけの症状があっても大局的にみて良性と判断すれば中風ですし、この次の第三九条のように一見症状は軽くても、大局的にみて悪性と判断すれば傷寒です。
会員A 「若脈微弱」以下には、前半の「身疼痛」「煩躁」があるとしたらどうでしょうか。
藤平 いやここにはそれらの症状はないでしょう。奥田先生は「桂枝湯証に似て、桂枝湯証に非ず」と言われますが、桂枝湯でしょう。
 先ほども触れましたように、ここは『傷寒論』としてはしつこいという気がしなくはないですね。文体としては『傷寒論』の正文ですし、内容はその通りですので、このまま残しておいてよいでしょう。

三九 傷寒。脈浮緩。身不疼。但重。乍有軽時。無少陰証者。大青竜湯発之。
    傷寒、脈浮緩に、身疼まず、但だ重く、乍(たちま)ち軽き時有り、少陰の証無き者は、大青竜湯にて之を発す。

藤平 傷寒であつて脈が浮緩。緩の脈は病気が治癒におもむく時の脈とされていますが、ここでは緊を秘めた緩の脈ということでしょう。身が疼むはずが疼まず、単に重いだけである。しかも卒然として軽くなる時がある。身が重いというと陰証の場合があるのだが、少陰の証はみられない。この場合には大青竜湯でこれを発汗するのだというのです。

傷寒 此の章は、第二九章の「傷寒。脈浮。自汗出云々」を承け、且前章の「太陽中風」に対し、傷寒の一異証を挙げ、之も亦大青竜湯証なるを論じ、以て其の活用を示すなり。
脈浮緩 傷寒は悪性にして陰陽何れへも転変し易き病なり。此の証、脈浮緊なるべくして、今浮緩を現わす。脈浮緩を現せば、当に発熱し、汗出づべし。而して汗出でず。汗出でざれは、当に身疼痛すべし。然るに身疼痛せず。故に
身不疼 と言ふ。此の三字は、蓋し以上の意を言外に含めるなり。
但重 身、疼まずして、但沈重を覚ゆ。是其の病勢漸く蟄伏の状を現せる者なり。此の証、一見良性なる中風に似て、中風に非ず。実に悪性なる傷寒の傷寒たる所以なり。
乍有軽時 此の乍(たちま)ちは、暫くの意なり。以上の如く、病勢総て伏状を現し、前証の如き熱勢劇発の状無しと雖も、固より純然たる埋伏の証に非ず。故に尚沈重の暫く軽き時有りて、動揺を現すなり。
無少陰証者 然るに此の伏状を以て起れる証は、又大いに陰証に類似する所有り。故に今此の一句を挿みて、其の陰証に非ざるを明かにす。此の悪性にして、邪熱の蟄伏せる者は、峻烈なる発汗法を以てせざれば癒えず。之を大青竜湯の治と為す。故に
大青竜湯発之 と言ふ。之を発すとは、之を発汗すとの謂なり。
 前章は大青竜湯の正証を挙げて、中風の変を論じ、此の章は本方の変証を挙げて、傷寒の変を明かにす。此の章、大青竜湯の活用を論じたるなり。
○以上の二章は一節なり。前章に於ては、大青竜湯の本分を明らかにし、此の章に於ては、其の活用を示せるなり。

藤平 というのですが、非常にむずかしいですね。臨床に於いてこんなことがわかるのだろうかと思います。脈も症状も伏していながら悪性の病気があるというのです。
 ではどこでわかるかというと、結局脈ですね。脈が芤であったり、血圧を測定すると上が50か60mmHg仲;下が0となっていれば、茯苓四逆湯なり通脈四逆湯なりを与えて活路を開かなければなりません。本条などこれに近いものでしょう。しかしまだ陰証ではなく陽証ですから、そこまで行っていないで鑑別を要する状態です。「無少陰証者」とあるのは少陰に似ているからこう書かれているのでして、まだ脈もしっかりしているのに陰証の薬方を与えると、ますます悪化して死に至る可能性もあります。ここでは「脈浮緩」とありますが、よくよくみればこれは浮緊であるはずです。条文からは身が重いというだけですから、これだけでは大青竜湯証とはとても思い至りません。煩躁や渇もあるだろうと思います。
会員A 「無少陰証者」とありますが、少陰証の代表的な症状は何でしょうか。
藤平 そうですね。身体が寒いとか、脈が浮いていても弱いとか、芤であるとかいうことでしょう。芤脈は浮緩、浮弱等と非常に誤りやすいのです。

『漢方原典 傷寒論の基本と研究』 大川清著 明文書房刊
p.124
三八 太陽中風、脈浮緊、發熱、惡寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大靑龍湯主之。若脈微弱、汗出、惡風者、不可服。服之、則厥逆、筋惕、肉瞤、此爲逆也。


 太陽の中風、脈浮緊、発熱、悪寒し、身疼痛し、汗出(い)でずして煩躁する者は、大青竜湯之を主(つかさど)る。若し脈微弱に、汗出で、悪風する者は服すべからず。之を服せば、則ち厥逆し、筋惕(きんてき)、肉瞤(にくじゅん)す。此を逆と為す也。



 太陽中風(は本来脈浮緩、発熱、悪風であるが、その劇症にて)、脈は浮緊、発熱し、悪寒し、身は疼痛し(麻黄湯証に似るが)、(麻黄湯を与えても)汗に出ることなく煩躁する者は大青竜湯が之を主る。若し脈が微弱で、汗が出て、悪風する者(すなわち表虚証の者)は、服してはいけない。(表虚証の者が)之を服せばたちまち四肢が末端から冷え、筋肉がぴくぴくと痙攣する。これは逆治である。
解説 この条文は大青竜湯の正証を示す。


語意 [不汗出而煩躁] 汗が出ず、皮膚は乾いて、同時に煩躁する。
    [不汗出] 汗に出づることなく、(麻黄湯で)発汗しても、(病邪が)汗に出ること無くの意であり、さらに劇症であることを示す。[汗不出]は単に汗が出ないの意
    [煩] 病のときに心身の不快のために安静にしていられないのが煩である。
    [躁] 体を動かしてさわぐ。
    [煩躁] 手足を動かし、体位をかえて苦しむ。


大靑龍湯方 麻黃六兩 去節 桂枝二兩 去皮 甘草二兩 炙 杏仁四十個 去皮尖 生薑三兩 切 大棗二十枚切擘 石膏如鷄大 碎 右七味、以水九升、先煮麻黃、減二升、去上沫、内諸藥、煮取三升、去滓、溫服一升。
取微似汗、汗出多者、溫粉粉之。一服汗者、停後服。汗多兦陽、遂虛、惡風、煩躁、不得眠也。



語意 大青竜湯方は麻黄湯と越婢湯の合方の組成であり、麻黄湯と甘草を倍量とし、杏仁を減らし、石膏を加えたものである。麻黄湯よりもさらにつよく表証を発散する作用がある。



三九 傷寒、脈浮緩、身不疼、但重、乍有輕時、無少陰證者、大靑龍湯發之。

 傷寒、脈浮緩に、身疼まず、但だ重く、乍(たちま)ち軽きときあり、少陰の証なき者、大青竜湯之を発す。


  傷寒にて(本来は発熱、悪寒、脈浮緊であるべきであるが、いま)脈は浮緊であり、(傷寒にはまた[身疼]があるが)身は疼まず、ただ重く(少陰証の沈着に似るが)しばらく(乍)軽い時がある者は、大青竜湯が之を発(散)する。

語意 [傷寒、脈浮緩、身不疼] 傷寒であれば、悪寒発熱し体疼み、脈は浮緊であるべきであるのに、脈は浮緩で身疼まず、前章の[太陽中風、脈浮緊、身疼痛]に比べて、一見軽症であるかのようであるが、熱は伏して外証に現れず、さらに悪性の傷寒である。
    [但重、乍有輕時] (体は疼まずに)ただ重く、ときにふと(乍)軽いときがある。少陰病の[但欲寝][沈重]との鑑別を示している。
    [發之] 大青竜湯にて強く表邪を発汗とともに発散させる。[主之]よりもつよい表現である。

註釈 大青竜湯証の臨床的特徴は前条に示された[不汗出而煩躁者]〔皮膚がさらさらに乾いて煩躁する〕のである。

補記 康治本には大青竜湯は単に[青竜湯]と記されており、小青竜湯の記載はない。


『比較傷寒論』 田畑隆一郎編著 源草社刊
p.80
§3 大青竜湯の正証と活用 大青竜湯の正証を挙げて、中風の変を論じ、大青竜湯の活用を挙げて傷寒の変を明かにす。

38.大青竜湯


太陽中風、脈浮緊、發熱、惡寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、大靑龍湯主之。若脈微弱、汗出、惡風者、不可服。服之、則厥逆、筋惕、肉瞤、此爲逆也。
太陽の中風、※脈浮緊に、發熱惡寒し※身疼痛し、汗出でずして※煩躁する者は、大靑龍湯之を主る。若し脈微弱に、汗出で、惡風する者は、服す可からず。之を服すれば則ち厥逆し、※筋惕肉瞤す。此れを逆と爲す也。

※脈浮緊。水気の凝りたるときに多く見ゆ。
※身疼痛と身体疼痛。陽証の疼痛を身で表現し、陰証の疼痛は身体で表現している。
※汗不出と不汗出。汗不出は汗が出ない、不汗出は発汗せしめたが汗が出ない。
※煩躁。煩は表の不和より裏気の迫って、胸中に何となくせつなく、しんどく覚える。躁は血の迫りて手体をもがき、身体をじっくりと安んずることならず、さわぎまわる。
※筋惕肉瞤。惕はおそれおののく、瞤はまばたきで、筋肉がぴくぴくと痙攣する状。筋惕は一身の筋がぴくぴくと動き、肉瞤は総身までが動く。

 12.「太陽中風、陽浮而陰弱………」⇨⇦27.桂枝越婢一湯、35.麻黄湯、大青竜湯の正証を論じ、傍ら其の禁忌に及ぶ。大青竜湯は麻黄湯にして更に煩躁を加え、表鬱甚しくて熱性強く、発汗し難き者を峻発するの能あり。

p.82
 この証、中風の浮緩の脈、悪化して浮緊となり、発熱、悪寒、身疼痛は麻黄湯を与ふ可き証なり、故に麻黄湯を与ふるに、汗出でず。或は初より絶えて汗出でず。其の汗出でざるに因って煩躁を現す。而しての字、注目を要す。
 之を大青竜湯の主持と為す。
 精気漸く衰えて脈微弱なる者は本方の禁忌となす。
 以上の脈候で汗出で悪風する者は、桂枝湯証に似て、桂枝湯証に非ず。
 桂枝湯すら服す可からず、況んや本方をや。
 本方を服すると四肢厥逆が甚しくなり、亡陽、亡津液の為に筋惕肉瞤するようになる。
 此れは逆証なり。
 大青竜湯は発汗の峻剤なり。故に特に此の戒を追論したるなり。
 大青竜湯の変に二道あり。一は厥逆筋惕肉瞤す。是重し。其の人本来服す可からずして誤って之を服す。故に逆と為すと言ふ。若し薬方を擬すれば恐らくは真武湯、更に煩躁あらば、茯苓四逆湯ならん。一は悪風し、煩躁して眠るこを得ず。是軽し。其の人本来当に服すべくして唯過服せるを以てなり。故に逆とは言はず。若し薬方を擬すれば、恐らくは乾姜附子湯ならん。



大青竜湯方
麻黄六両去節 桂枝二両去皮 甘草二両炙 杏仁四十個去皮尖 生姜三両切 大棗十枚擘 石膏鶏子大碎綿裏
 上七味、水九升ヲ以テ、先ヅ麻黄ヲ煮テ、二升ヲ減ジ、上沫ヲ去リ、諸薬ヲ内レ、煮テ三升ヲ取リ、滓ヲ去リ、一升ヲ温服ス。微似汗ヲ取ル。一服ニテ汗スル者ハ、後服ヲ停ム。

 ※石膏鶏子大碎綿裏 の裏は、裹の間違い?

p.84
39.大青竜湯の活用

傷寒、脈浮疾、身不疼、但重、乍有輕時、無少陰證者、大靑龍湯發之。
傷寒、脈浮緩に、身疼まず、但だ重く、乍(たちま)ち輕き時有り、少陰の證無き者は、大靑龍湯にて之を發す。
 29.「傷寒、脈浮、自汗出……」⇨⇦前章の「太陽、中風」、傷寒の一異証を挙げ、大青竜湯の活用を示す。
 傷寒を悪性にして、陰陽何れへも転変し易き病なり。此の証、脈浮緊なるべくして今浮緩を現す。脈浮緩を現せば、当に発熱し、汗出づべし。而して汗出でず。汗出でざれば当に身疼痛すべし。然るに身不疼。
 身疼まずして但だ沈重を覚ゆ。是其の病勢漸く蟄伏の状を現せる者なり。此の証、一見良性なる中風に似て、中風に非ず。実に悪性なる傷寒の傷寒たる所以なり。
 沈着の暫く軽き時有りて、動揺を現すのは、固より純然たる埋伏の証に非ず、此の伏状を以て起れる証は、又大いに陰証に類似する所あり。無少陰証者の一句を挿みて其の陰証に非ざるを明かにす。此の悪性にして、邪熱の蟄伏せる者は、峻烈なる発汗法を以てせざれば癒えず、故に大青竜湯にて発汗す、と曰う。

p.81
§11 大青竜湯証の正証と傷寒の軽症の大青竜湯
大青竜湯の正証を挙げ、次いで傷寒の軽症の大青竜湯に及ぶ。

●大青竜湯の正証
 これ前の桂枝湯の太陽中風と同じ表証なれども、其人の宿の強弱によりて此の如き症を発するなり。其症状は傷寒と同じように見ゆるども、元来宿の強壮なる人、外邪の為に動揺せらるると、そのまま内の気の強きより、直ちに裏より表へ張りつめる勢につれて、水十分に表に凝結するより脈浮緊となる。発熱悪寒は桂枝湯の条と同じけれども、悪風のなきにて、表記の動揺も共にしまりて、裏の気までも動かぬようになりたるなり。また水気の変につれて身疼痛するなり。麻黄湯は自発にして始より水の凝って動かぬ証なり。此条は動揺する所の者なれど、此の如く勢盛にして疼痛をなすなり。汗出でざるに及び煩躁をなす。この煩躁は陽症実症にして裏気の上へ迫るにつれて煩し、その気の迫りにつれて血も共に迫るにて躁するなり。これ気血水ともに迫りたるなり。而し水気の変主にして血の変少し。これ麻黄湯の証を受けて裏気の迫りを帯びたる故に石膏を加えて裏気の迫りを下へ開くなり。この条の悪寒は水の凝結よりなる所にして、悪風のなきにて悪寒の勢の甚しきを知るべし。麻黄湯の如きは水ばかりを発して裏気の迫り除き難し、故に大青竜湯を以て表裏の気をゆるめ、凝結して進迫する水をゆるめるを以て此証と相応ず。此は麻黄湯と麻杏甘石湯とを一時に痛みたる証の如し。中風より来る者に於ては劇証と云うべし。若脈微弱以下の証は前の桂枝湯の証なり。桂枝湯の附録に大青竜湯の
p.83
証に軽き方を用いるは必ず害ありと云う如し。表虚の者に大青竜湯を与えれば、表気虚脱して、手足厥逆し、一身の水気、陽気の脱するにつれて外漏するより、血液順環を失って、水血常度を失い、筋惕肉瞤するなり。若しこの虚脱に至っては許叔微が本事方には真武湯を与えたり。一通りは尤もなれども、真武湯には厥逆の証なし、中らずと雖も遠からず。

 脱汗で動悸激しく 〔藤平〕
 本方で脱汗して動悸激しく汗出て手足冷える者は茯苓甘草湯。

 大青竜湯の活用 〔大塚〕
 大青竜湯を普通の感冒に用いることは稀で、体力の充実した人の流感や肺炎の初期に応用する機会がある。脳出血や脳軟化症などの後遺症に用いる続命湯は大青竜湯に当帰、人参、川芎を加えて生姜を乾姜に代えたものである。本方は結膜炎で炎症のはげしいものに内服させることがある。

p.85
  ●傷寒の軽症、大青竜湯
 前の大青竜湯を受けて、傷寒を始め此処に出す。此証、脈状など中風に似たり、前条の中風は却て傷寒に似たり。此中風の劇証と傷寒の軽症とを挙て同じく大青竜湯の治なることを示すなり。夫れ中風と傷寒とは自ら動揺と固密の別にて軽重あり。此証傷寒にして外よりの閉じ込み甚しと雖も、其人の宿の強壮ならざる故に、直ちに水と気と緊固ならず、故に発熱もなく、悪寒もなく、只常度のよどみたるより、水も凝らんとして未凝のようなり。故に脈浮緩を現す。而し傷寒なれば水に変を生じたることにまぎれなし。故に身不疼、但重と云う。疼は水の凝りたるなり。重は水のめぐりの常を失いたるなり。自汗なく、水のあちらこちらとよどみ、往来するにて、軽きときもあり。此の身の字、疼と重と軽との三をかけて水の変なり。この状、内の陽気のめぐり不足とまぎらわし、よくよく察して少陰の証無きを見定めて大青竜湯にて発すべし。此の傷寒は此の如くに陰証に凝似する程の軽症にても已に裏の気までも変を生じて身重と云う症を見せたり。病者を見ては、一向に目当のつかぬ者にして平臥に至らずして此の証を病む者多し、よくよく察すべし。


『ステップアップ傷寒論-康治本の読解と応用-』 村木 毅著 源草社刊
第十六条
太陽の中風、脉浮緊、發熱惡寒、身疼痛、汗にして出ずして煩躁する者は靑龍湯之を主る。
「太陽中風、脉浮緊、發熱惡寒、身疼痛、不汗出而煩躁者、靑龍湯之主」

 STEP-A
 太陽病の中風であるから本当は脈が浮緩で汗出るとなるのが(桂枝湯)、激(劇)症となつて脈も浮緊となって悪寒・発熱があり、身疼痛して傷寒を思わせる症状を呈したので発汗せしめたが(麻黄湯)、汗がなかなか出ないで煩躁するようになった(大清竜湯)。熱が表実証だけならば麻黄湯で発汗すれば良くなるのに、この場合は熱実が烈しく、熱の一部が裏にも及んでいるので裏熱も伴っているから、裏熱を清解(清熱)して、合わせて表邪も解さなければならない、そこで裏熱を清解する石膏が入っている麻黄湯剤(大青竜湯)が主治となる(«読解»)。

 STEP-B
 太陽中風は第四条の「太陽中風。陽浮而陰弱、云々を承けて、その悪化した病勢を挙げているのである。
 「不汗出」=汗にして出でず、は発汗させたが汗が出ない事。「汗不出」=汗いでず、は汗が出ない事(病状として)であり間違わないようにしなければならない。
「煩躁」とは苦しくて居ても立ってもいられない状態を言い、これは汗が出ないのが原因で煩躁するのである。この条文では「而煩躁」が大切である。

 STEP-C
 宋本では引き続いて「若し脈微弱にして、汗出で、悪風する者は之を服すべからず。之を服さば、則ち厥逆し、筋惕肉瞤す、此れを逆となす」(若脈微弱汗出悪風者不可服服之則厥逆筋惕肉瞤此為逆也)とある。
 もし脈が微弱で汗が出て悪風して煩躁していれば亡陽で亡津液であり、更には陰証になっているから青竜湯を用いてはならない(発汗してはいけない)。もし、これを服用すれば筋肉がピクピクと動くような脱水症状を呈し誤治となり、本当は附子湯を与えるのである。
 これは(大)青竜湯を変証に二つの病状があることを示していて、一つは悪風、煩躁して不眠を訴える軽症であり(乾姜附子湯)、二つは厥逆、筋惕肉瞤した重症である(真武湯、茯苓四逆湯)(«講義»)。
『傷寒論』では、太陽病には中風列と傷寒列のあることを示していると言う。そして、この第十六条は第五条に始まる太陽、中風列の最終条文としている。従って第四条での太陽中風とは関わりがないとしていて、その理由は脈浮緊の文言で、太陽病(脈浮)で脈が緊であれば陰陽倶に傷寒である(第四条)との記述に抵触してしまうからである。
 このように康治本を解読して行くと青竜湯は傷寒の激症に用いると言うよりも中風列の激症第五条、第六条、第十二条、第十三条、第十五条、第十六条となり、傷寒列と中風列との区別の下記の如くになっている。
 傷寒六条(桂枝加葛根湯)-十二条(葛根湯)-十三条(葛根湯「合病」)
 中風五条(桂枝湯)-十五条(麻黄湯)-十六条(青竜湯)
 の図式が出来上がる。詳しくは«研究»参照。
 また、傷寒論の文章論からは中風系列と傷寒系列があり、陽病での病状では後部に現れて肩が凝る時は陽病の陽であるから傷寒であり、前を通って下に進み喘息が出た時は陽病の陰で中風であると考えれば、第十六条の太陽中風が納得できる。傷寒論は虚実が基準でなくて陰陽が基準である(«要略»)。

 STP-D
 «弁正»
 これは脈証から見れば重症である。太陽の中風と言うものには、二つの意味がある。一つは桂枝湯(太陽の中風)を承けて、二つには傷寒に対して言う場合である。前者は陽浮の軽症を言い、ここでは陽浮の重症について述べているが、この重症にも二つの差異があり、陽浮には重症と軽症があり、それが各々に復々、軽重がある。
 太陽の中風と言うのは桂枝湯証を承けて言い、脈浮緊より身疼痛に至るまでの文脈では麻黄の証を挙げている。 桂枝湯や麻黄湯を与えて、汗するを得ず、には、一つは軽症、一つは重症の者があり、これらを汗しにして出でずと言う。その深劇は麻黄湯を越えていて、これに加えて、煩躁する者場には麻黄を倍量にして、更に石膏を加えて力を付けた大青竜湯と名付けた大発汗剤で発汗させて深劇を制する。
 若し脈陰弱の場合には、太陽の中風、を参照して所謂、陰弱の重症として、脈が微弱、発熱、汗出で、悪風する者には桂枝湯が宜しいが、若し熱が無い者には桂枝加附子湯が宜しい(青竜湯証は、むしろ不可)。煩躁するのは所謂、陰に発する者であるから茯苓四逆湯も宜しい。逆也の下には、諸家の記述には皆、以真武湯救之とある。
 (中略) 犯すこと何の逆なるかを知らしむ、とあり、証に随って治療するので、所謂、これは(病態の変化)に対する枢機(要諦)である。発汗が及ばず、或いは発汗過多で厥陰に陥らんとする動機もあるから、先ず陽浮の重症を挙げ、次いで陰弱の重い者を挙げている。陰位に陥る差異により、真武湯ばかりでなく、乾姜附子湯、芍薬甘草附子湯、茯苓四逆湯も考慮に入る。
 (中略) 桂枝湯証、桂枝加葛根湯証、麻黄湯、葛根湯、各半湯、二一湯は、皆、中風傷寒と言わないで太陽病と言う、その脈・証と方を見ると、その類には差異があるが総べて太陽病の圏内で、大青竜湯も同じである。(中略) 太陽の中風の場合には桂枝湯としては穏やかであるのを、何故に太陽病として説くのであろうか。
 それは、一つは陽浮の重症を述べて、その百変の転機は、ここに基づくからである。二つには重症の極を述べ、若し脈微弱、以下の様(病態)であれば所謂、陰弱の重症であり、その陰位に陥る暴急と、必ず逆が始まるのを現す危険を予則してである。これらを察するのは、病の始にあるので、発汗にはよくよく考慮を払うべきである。

 «集成»
 中風から傷寒になり、太陽病の表実では陽明の内熱を挟兼することもあるから、麻黄湯のみでは良くない。発汗を能くするするには大青竜湯を与えれば発汗は峻劇となる。若し仮に脈が微・弱で汗が出て悪風する者は、仮令、発熱や身体疼痛があっても少陰亡陽であるから通脈四逆湯(裏寒外熱)を与える。煩躁には呉茱萸湯を用い、身体疼痛に附子湯を与えるのも同じ理由である。これらは皆、真寒仮熱(裏寒外熱)であるから、大青竜湯の主治ではない。若し誤って大青竜湯を与えれば四肢厥逆、筋惕肉瞤して危険な状態となるのは逆治のためで、この場合には真武湯を思い出すことである。

 «輯義»
 これは中風の寒脈を検討するにある。脈浮は風と為し、風は衛を傷(やぶ)り、脈緊は寒と為し、栄を傷り、衛・栄倶に病めば発熱・悪寒、身疼痛する。風寒の両方が傷つけば衛栄倶に実して汗が出ないで煩躁する。若し仮に脈が微・弱であれば汗が出で煩躁しても、それは少陰の亡陽であるから陰陽表裏倶に虚である。

 «識»
 これは傷寒の症状であるのに太陽中風と言うのは、太陽中風が容易に変化して傷寒となるからである。大青竜湯証を中風傷寒と互称し合い、小柴胡湯にも傷寒中風と兼ねて言うのは、その本義を挙げているからである。この条文も麻黄湯を承けて、身疼痛するのは全く麻黄湯証と同じである。不汗出とは麻黄湯を与えても発汗しないので、麻黄湯証でも重症なものである。この場合には大青竜湯を用いる。

 «脈証式»
 この条文の太陽中風には二つの意味がある。一つは麻黄湯証とその変証、二つは大青竜湯を用いる傷寒(後条)と対比していて、病勢の軽重の差を示している。これらを弁えることが必要であり、それには無汗と言はず不汗出と言う。この両者の状態は均しいけれども、その病勢には差別があり、麻黄湯を与えても不汗出して煩躁する者は(大)青竜湯を主治する。煩躁は邪勢が鬱積するために起こり、そのために汗が出ないで煩躁するのである。

 «中国»
 表邪が解せず汗が出ないで陽気が内に鬱滞して内熱して起こるのが表寒内熱である。発汗したのに汗が出ないで、衛陽が表寒によって閉じ込められて鬱滞し、内熱化するから煩躁状態となる。単に表裏を解すだけであれば麻黄湯で良いのだが、本証は外寒内熱の証であるから、外は風寒を解し、内は煩熱を清解しなければならない。

 ●大青竜湯の構成
 麻黄六両節を去る、桂枝二両皮を去る、甘草二両炙る、杏仁四十箇皮尖を去る、生姜三両切る、大棗十二枚擘く、石膏鶏大のごときを砕く。右七味、水七升を以って先ず麻黄を煮て、二升を逆じ、上沫を去り、諸薬を内れて煮て、三升を取り、滓を去り、一升を温服す。

「麻黄六両節去桂枝二両去皮甘草二両炙杏仁四十箇去尖皮生姜三両切大棗十二枚擘石膏如鶏子大砕。右七味以水九升先煮麻黄減二升去上沫内諸薬煮取三升去滓温服一升」

 麻黄の色が青いので四神の一つである青竜神(東を護る)の名前を取った。この方剤は麻黄湯の麻黄三両を六両に増量し、杏仁を七十箇から四十箇に減らし、生姜、大棗、石膏を加味したものである。麻黄の増量で発汗作用を強め、石膏を加えることで裏熱の盛んになっているのを清解して清熱する。鶏子大は大凡60~80gであるが、本邦では10~15gを用いるのが普通である。(«研究»)。
 方剤構成は麻黄湯+石膏+(生姜、大棗)であり、発汗と清熱を主持すると思えばよい。また、石膏は清熱ばかりでなく煩躁に効果のあることを知るべきである(細野史郎)。

 石膏
 «薬徴»
 煩渇を主治し、讝語、煩躁、身熱、頭痛、喘を兼治す。
 {備微}(前略)故に煩渇する者、讝語する者、身熱する者、悪寒する者、頭痛する者、上気して喘する者、発狂する者、眼痛の者、歯痛する者、咽痛みする者に効あり。{弁誤}、{考微}、{互考}、{品考}は省略。

 «古方»
 {釈性} 性辛寒、能く熱を清す。而して其用に二道あり。何をか二道と謂う。内外是れなり。(中略)知母、麦冬、竹葉、竹茹、大黄を籍りて内熱を清粛するなり。是れを以て白虎湯には裏に熱ありと曰ひ、又熱結裏に在りと曰う。
 (中略) 石膏と麻黄との相配する時は則ち能く汗を止む。麻杏甘石湯と越婢湯には大熱無きを以て主となす。而して大青竜・桂枝二越婢一にいたっては反って之を大熱に用ふ。

 «新古方»
 ボク曰く、熱気の泛乱を収め陽気の発熱を助け熱による刺激症状を緩解するの能あるものの如し。

 «実践»
 辛・甘。寒。肺胃。肺・胃・気分の実熱を取り去る。清熱の重要薬。
 1) 清熱瀉火:除煩止渇、強い清熱作用を有するとともに津液を保持し口渇を止める。主に実熱証に使用される。①肺胃の熱を冷ます。陽明気分証の大熱・大渇・脈洪大などに使用される。 ②邪が気血にまで深入し、高熱、班疹、出血など呈するときに使用される。 ③肺熱を除くこと(清熱肺)で肺気が流暢にするが、止積平喘作用はない。肺実熱の咳嗽、呼吸困難や促迫、気管支喘息、黄色痰に使用される。 ④実熱による煩躁、焦燥感を沈静する。表寒裏熱の発熱悪寒、身体痛、無汗、煩躁に使用される。 ⑤胃熱を冷ます(清胃熱)。胃熱を冷ますことで胃気を下降させる。胃火亢進の嘔吐、頭痛、歯痛、歯肉炎、口内炎などに使用される。 ⑥胃熱を冷まし胃気を降下させる。胃熱の嘔吐に使用される。
 2) 他:清熱ともに能く傷口の修復を促進する。(収斂生肌)。火傷、湿疹、皮膚潰瘍などに使用される。主に外用で使用され、鍛石膏末が用いられる。単味も可。

 «知識»
 天然のものは純粋な硫酸カルシウムの結晶塊である。繊維状石膏は理石とも呼ばれ、含水硫酸カルシウムで砕けやすい。漢方薬理でいう清熱瀉火薬の代表的なもので、漢方に用いる石膏は歯水塩で滑石や竜骨などと共に鉱物生薬として配合される。有機成分の中に無機成分である石膏が入ると、単なるカルシウムの供給だけでなくて、湯液の中の特殊成分を吸着除去す識ことで、薬効の効率的な発現に寄与することも考えられる。
 «生薬»
 主要成分CaSO,2H2O、止渇作用、利尿作用。

 ●大青竜湯の方意
 «類聚»
 ・喘及び咳嗽し、渇して水を飲まんと欲し、上衝し、或は身疼し、悪風寒ある者を治す。(中略) 按ずるに、当に渇の証あるべし。蓋し厥逆以下は真武湯の証なり。考うべし。
 ・太陽中風脈浮数、発熱悪寒、身疼痛、汗出でずして、而して煩躁する者は、大青竜湯之を主る。若し脈微弱、汗出で悪風する者は、服すべからず。之を服すれば則ち厥逆し、筋惕肉瞤す。此れ逆と為すなり。
 ・傷寒脈浮緊にちて、身疼まず、但重く、乍ち軽き時有り。少陰病証無き者は大青竜湯之を発す。
 ・病溢飲の者し、当に其の汗を発すべし大青竜湯之を主る。小青竜湯も亦た之を主る。為則按ずるに、当に渇の証あるべし。蓋し厥逆以下は真武湯の証なり。考うべし。
 {頭註}
 *麻疹にして脈浮緊、寒熱頭眩、身体疼痛神、喘咳喉痛、汗出でず而も煩躁する者を治す。
 *眼目疼痛し風涙止まず、赤脈怒脹して雲翳、四囲にかかり、或は眉稜骨疼痛し或は頭疼み耳痛む者を治す。又燗瞼風にして洟涙稠粘し、疼痒痛甚だしき者を治す。倶に薏苡を加うるを佳とす。兼ゆるに、黄連解毒湯加枯礬を以て頻繁し洗蒸し、毎毎臥するに臨み應鐘散を服し、五日十日毎に紫円を五分か一銭を与えて之を下すべし。
 *雷頭風にして発熱悪寒し、頭脳劇痛して裂んが如く、昼夜眠る能わざるものを治す。若し、心下痞し、胸膈煩熱する者は、兼ぬるに瀉心湯、黄連解毒湯等を服し、若し胸膈に飲ありて心中満して肩背強痛する者は当に瓜蒂散を以て之を吐すべし。
 *風眠の症にて、暴発劇痛する者は早く救治せざれば、眼球破裂逆出し、尤も極陰至急の症とす。急いで紫円一銭か一銭五分を用いて峻瀉数行を取り、大勢已に解したる後の方を用うべし。其の腹症に随い大承気湯、大黄硝石湯、瀉心湯、桜核承気湯等を兼用する。
 *小児の赤遊(注:丹毒の一種、発生の場所が一定でない)、丹毒にして大いに熱し、煩渇し、驚惕し、或は痤壅盛なる者を治す。紫円、或は竜蔡丸を兼用す。
 *急驚風にして痰涎沸涌し、口禁する者、当に先ず熊胆、紫円、走馬等を撰んで吐下を取るべし。後、大熱煩燥し、喘鳴あり、搐搦して止まざる者は宜しく此の方を以て発汗すべし。

 «勿誤»
 発汗峻発の剤は勿論にして其他溢飲或は肺脹其脈緊大表盛なる者に用いて効あり。又天行赤眼或は風眼の初起此方に車前子を甘草て大発汗するときは奇効あり。蓋し風眼は目の疫熱なり。故に峻発に非れば効なし。方位は麻黄湯の一等重きを此方とする也。

 «方意»
 表の寒証・表の実証による頭痛、悪寒、発熱、無汗。熱証による煩燥、口渇、時に精神症状ある。水毒を伴う。太陽病位の実証。

 «指針»
 なし。小青竜湯と小青竜湯加石膏は掲載されている。

 ■私見

 この条文の冒頭にある太陽中風は次条の傷寒と互文をなしている。中風のような軽症でも病勢の推移によって重症に変化することを示唆している。それは宋本や康平本の各条文を読むe更に明らかになる。
 脈浮・緊、発熱、悪寒、身疼痛までは麻黄湯で良いが、不汗出して煩躁するのはもう麻黄湯証ではない。既に桂枝湯と麻黄湯を与えても発汗せず邪気が深くて汗が出ないで煩躁する時は麻黄湯よりも更に強い(大)青竜湯を主治するのである。
 仮に、これらの症状があっても脈微・弱で汗出でて悪風する者は中風であるから桂枝湯を与え、大青竜湯を与えてはならない。誤って与えれば厥逆、筋惕肉瞤(陰症)となるから注意する。

 ■診療の実際

 近頃は余り大青夢湯は使われないようであるが、日頃から体躯充実している者が肺炎やインフルエンザに罹患した時に用いると良い(森由雄)。また、脳出血や脳軟化症の後遺症に汎用する。続命湯は大青竜湯+当帰+人参+川芎+乾姜からなっている。
 元来は麻黄湯で発汗しても、汗にして出ない場合に、大青竜湯を用いるから発之と言うのであるが、現今では小青竜湯ほどには大青竜湯は用いられていない。
 麻黄湯証であるのに大青竜湯を使う目安は煩躁にあり、煩躁を治すのには石膏が効果を挙げるのを覚えておくと良い。煩躁と言っても、熱に浮かされてゼイゼイして、うわ言のような症状、疫痢中毒症状のようなものもあるから気をつけるべきである(細野史郎)。
 発之とあるように、麻黄湯で発汗できなければ、この方を用いるのが定番である。しかし、大発汗剤は峻剤なので、現在では敬遠気味であるが、麻黄湯でも効果のない実証には試みるべきである。麻黄湯を用いても発汗できない者に大青竜湯を用いて発汗させるから、これを発之と称するのである。

 老人で夜に痒くなるのは真武湯。若者で夜に痒くなるのは大青竜湯とある(村井琴山)。
 13歳の女児の麻疹に用いている(小倉重成)。
 皮膚掻痒症で昼間は軽く夜になると重くなる者には大青竜湯を用いる(『漢方診療医典』)。
 肝炎で(ベグ)インターフェロン+リバビリン与薬での発熱(副反応)に大青竜湯が有効であり(秋葉哲生)また、インフルエンザに大青竜湯は効果がある(森由雄)。

p.200
第十七条
傷寒、脈浮緊、身疼まず、但重く、たちまち輕き時あり、少陰の證なき者は、大靑龍湯之を發する。
「傷寒、脈浮緊、身不疼、但重、乍有輕時、無少陰證者、大青龍湯之發」

 STEP-A
 これは傷めであるにも拘わらず、脈が浮緊で身疼がなく傷寒と言うよりも中風に似ているが、これは傷寒の変証であり、ただ、ここで身重とあるのは少陽か陽明を思わせるが、次の文言に、たちまち軽き時あり(少しの時間だけ軽くなる)、と述べられているから、少陽や陽明のものではなく、やはり、太陽病位にあるのが分かる。また少陰病(真武湯の)四肢沈重とも異なる。現に少陰証は無いと明言しているから、これは表証の身重である。この場合は脈が浮・緩でも発熱、悪寒、無汗はある筈であるから大青竜湯で発汗させるのがよい。

 STEP-B
 この条文は第十一条を承けて太陽中風に対して太陽傷寒の一変証を挙げたものと解釈できる。
 傷寒は容易に病勢が重く変転することがあり、一般には脈は浮緊なのに、ここでは浮緩を現しているが油断はできないのである。傷寒であれば常に身疼もある筈であるが、身疼がない状態を、脈浮・緩と同じように注意を喚起し、次いて身重と表現していて身疼ではないが身体の重みや倦怠感を訴えて病勢の重篤化をうかがわせている。
 「乍有時軽」とは、「乍」暫く、の意味であるから、病勢が伏せられているが本当は重篤化しているから尚、沈重が時々、現れては引っ込むのである。
 「無少陰証者」とは、伏状(症状が顕性化しない)を以って起こる証であるから、この状態は一見すると非常に陰証に似ているが、これは陰証ではなくて病勢の悪化により邪熱が鬱積して少陰病に似た病状を現したものであるから強い発汗が必要である。
 


 STEP-C
 «研究»
 第十六条までは太陽病(中風、傷寒)の基本を述べ、第十七条から第二十五条までは太陽病から推移する変証を論じていると見るべきである。
 第十六条[太陽中風、脈浮緊、云々」とあり、第十七条では「傷寒、脈浮緩、云々」とは、両者が互文をなしていると考えると、その矛盾も分かりやすくなる。第十六条では、太陽中風なのに脈証は傷寒に似ているし、第十七条では傷寒なのに脈証は中風に似ているが、共に大青竜湯を主治することになっているが、第十七条では広義の傷寒と考えられて、これを互文とするよりは素直に(大)青竜湯の変証と見なすべきである。
 「身不疼但重」とは、身疼痛はないが全身が重くてだるいのは、殆どは陽明病の腹満身重、乃至は少陰病の沈着とも考えられるが、少陰病は否定されているので、邪熱の鬱積と伏状などからして、この状態は水毒(『金匱要略』痰飲咳嗽篇)に因ると考えねばならない。
 また、ここでは太陽病と少陰病を決定的に区別することができないから、殊更に「無少陰病者」と断っているが、それにはもしかして少陰病に移行する可能性の大きいことも示唆している(«研究»)。
 この条文だけでは解釈できないので、第十八条の症状が当然と考えると、急性病になって発熱悪寒して脈は浮・緩で体痛はないが、時々、体が重く感じる程度の状態である。これを『傷寒論』、『金匱要略』の条文に照らしてみると(詳しくは『康治本傷寒論要略』を参照)平素から水毒の体質であるから、なりやすい病態で、発汗で良くなるから必ず青竜湯を使用しなければならない訳ではなく麻黄湯でも良いが、平素からの水毒を考えれば青竜湯が適している(«要略»)。



 STP-D
 «弁正»
 この脈・証は傷寒の軽症に似ているが、本当は重いものである。今、ここに傷寒と標(しる)されているのは、前条にある太陽の中風の言葉に対比している。この両者は共に重いのであるが、その重症の中にも差異があり、その差は二つに分かれるが、その方剤(治療)に関しては一つであり、病勢の転帰も一つである。
 「傷寒」といえば脈は「緊」であるのが普通であるが、ここでは、反って「緩」であり、前条の脈が正しく「緩」である筈の処が「緊」であり、正に反対なので錯ではない。この条文は一見すれば軽症に見えても重く、その証拠には変脈を現しているので「傷寒」として論じられている。これは脈ばかりでなく証でも同じで、本来ならば汗無く、身に疼痛がある筈なのに、今は反って疼まず但、重く、時には暫く軽くなることもあり、脈・証ともに軽症に似て、或いは陰位にある様にも思えるが、これは尊ら陽位にあるから、汗無くして、熱は外には甚だしく発現しないが、内には怫欝として、肌肉の間に浮沈している。(中略)脈は浮・緩で身疼はなく、汗があって発熱し軽症に見えるが、横臥になりたくて身重く感じるのは少陰証のためとも思えるが、欲寐があるのに陰証でないのは、乍ち軽症となることがあり少陰証とは似ているが異なるので誤解しやすい、従って、「少陰の証無き者」、とわざわざことわり書をして陰位を否定して、これは陽位に尊一であることを明らかにしている。
 (中略)要するに、前条は脈が微・弱で、汗出で悪風する者に大青竜湯を誤用して、遂に陰位に及んだ者を述べ(注:併し、康治本には記載がない)、今この条文では脈緩、身疼まず、甚だ(大いに)軽症に似て、時には(一時的)軽くなるが、本来は重症であるので、これは、発汗の不及(不徹底な発汗)に因り状態が良くないのであるが、甚だ軽症に見誤られ易く眩惑されて、た陽位か、陰位に在るか惑うために陰陽、軽重(症)を鑑別するのが難しい。そこで大いに発汗させるには、所謂、之を発するに大青竜湯しかない。発汗剤は多くあるが、主之、宜之、与之など諸々の言い方があるが、「発之」「大青竜湯のみ」である。それは、麻黄湯や葛根湯ではk麻黄は三両でありが大青竜湯では麻黄は六両で、これに石膏が加わるから、発汗剤としては大青竜湯を越える薬剤はない(少陰病でも麻黄附子細辛湯、麻黄附子甘草湯にも「之を発す」とあるが、少し趣が異なり、ここでの「発之」「微しく其の汗を発す」の意味である)。

 «集成»
 この条文では前文を承けて、その異証のある者を論じている。前文とは異なると言っているが、発熱、悪寒、汗出ず、煩躁する症状は達意として含まれている。惟うに四肢沈重、転側が出来ないのは柴胡加竜牡蛎湯にもあり、これらは何れも皆、身が重いとの症状があるから鑑別する必要がある。

 «輯義»
 『(再重訂)傷寒論集注』を引用して、発熱、悪寒、無汗で煩躁する者は大青竜湯の主証であるが、脈浮・緩で身疼まず、但し身重であるが、時には直ぐに身重が軽くなったりする場合には大青竜湯を用いる。その場合には必ず少陰証でないことを確認してから用いることで、それが確認できなければ用いてはいけない。(舒詔*1)。また、『傷寒類方*2』を引用に、この条文には誤りがあり、脈浮・緩は邪が軽くて散じやすく、身疼がないのは、既に外邪が退いたためで、有軽時とは病が未だ陰位に入っておらず少陰証はなく、その病状も最も軽いのに、何故必ず青竜湯の様な峻薬を投与するのか疑問であり、別に主治する方剤がある筈なのに大青竜湯を用いるのは間違いである、としている。
 *1舒馳遠、名を詔と云う(清)、『(再重訂)傷寒論集注』、『六経定法』あり。
 *2徐大椿、字は霊胎(清)。既述。

 «識»
 この条文は前条に関連して、その変証を説いているので、傷寒は脈が緊であるのが普通なのに、それが変じれば脈は緩となる。浮緊が浮緩に到り、次いで弱となるのは、何れも変証のためである。浮緩や身疼せずして重く、たちまち(つかの間)治る時があるのは少陰に似ているが、本当の少陰証ではなくて、皆、逆を以って順を示しているのであるから熟膚すべきである。また、之を発す、とは発汗すべからざる者に似ているが、大青竜湯証があるから、この方剤を与える、との意味である。

 «脈証式»
 この条文にある傷寒には二つの意味があり、一つは太陽中風を承けて病勢が大青竜湯証に到るものであり、二つには大青竜湯証とは言え、病勢が進行し陰位に移行しようとしている変証の兆しがある者の両者であるが、それ等を推察するのが難しい。前条では脈緊が一転して脈緩とな責、ここでの脈緩は邪勢が深く肉裏に潜っているのを意味していて、身不疼して但重とは(身体に疼痛は感じないが、但し身が重く感じられる)、既に邪勢が肉裏に入り、身体の精気と相競って邪勢が旺盛で精気が弱っている状態だからである。
 身体が痛まない代わりに身が重く感じられるのは少陰位にも見られる状態なので、非常に混同しやすく(既に多少なりとも少陰が混じっているか?)、兎も角も大青竜湯証の極致を示しているのであり、時々、その症状が一時的に軽くなるのは少陰病ではないが、少陰病に極めて酷似しているから注意する。
 大青竜湯証では脈浮・緊を示すのが一般的であるが、脈浮・緩となるのは変証であり、それが本来は脈微・弱に到るのが順当であるが、脈緊が直ちに脈微・弱に変化するのは、これは逆であるから、その逆の状態と通常の状態とを一緒に挙げて区別を教示しているので熟膚すべきである。


 ■私見


 *第十六酸の項目も参照のこと
 この条文は大青竜湯の変証を論じたものである。傷寒であれば発熱、悪寒して汗が出ないで、身体疼痛し、脈は浮・緊であるのが、ここでは脈は浮・緩で身体の疼(注:疼は痛より軽い)もなく、ただ、身が重いのみであり、それも時には軽くなると言うのであるから太陽病の軽症を考えたくなるが、実際には却って重症なのである。現れる病状のみに眼を奪われて、太陽病の軽症と考えると誤治するので注意が必要である。
 身重には防已黄耆湯、附子湯、真武湯などの証にも、これらの証があるから鑑別が必要になる。大青竜湯は桂枝去芍薬湯+麻黄+石膏であり、桂枝去芍薬湯の腹診では直腹筋の拘縮がないから、腹を押さえてみると柔らかくて弱々しい(去芍薬のため)。急性熱病でこの腹証があったら躊躇しないで大青竜湯を用いる。石膏は胃を痛めるが甘草も入っているので、それほど心配することもない。
 要するに軽く見えて実際は重く、陰証ではないにしても、それに近い病勢であるが、尚も陽証なのである(陽証の極致)。身重を少陰病の四肢沈重して、寐るのを欲する症状と似ていることが多いが(鑑別の要点)、この身重は身体に水分が溜まって水飲が起きている状態(また、一方では気虚が亢じて陰証への推移も常に考慮する)と考えれば、大発汗させるのは合理的であり、これが所謂、「発之」の意味である。


『康平傷寒論解説(11)』 日本漢方医学研究所常務理事 松田邦夫
麻黄湯 大青竜湯

■大青竜湯
 次にまいります。「太陽の中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、汗出でずして煩燥する者は大青竜湯ダイセイリュウトウこれを主る。若し脈微弱、汗出で、悪風の者は、これを服すべからず。これを服すれば則ち厥逆し、筋惕、肉瞤す」。
 「汗出でず」は、ここでは麻黄湯で発汗させたが汗が出ないという意味です。「厥逆」は手足の冷えのはなはだしいこと、「筋惕肉瞤」は、筋肉惕瞤の意味で、筋肉がピクピクと痙攣する状態をいったものです。そこでこの章は、太陽の中風の重い証で、傷寒に類するものの証治をあげています。すなわち太陽の中風は、太陽病上篇の初めにありましたように、「脈浮緩にして発熱悪風汗出ず」を正証とし、「桂枝湯主治」としましたが、ここでは緩脈が緊に変わり、悪風は悪寒となり、身疼痛して傷寒に類する状態となったわけです。以上の症状から見ると、この場合は麻黄湯証のようにも思えます。そこ字;r麻黄湯を与えたところ、汗が出ずに煩燥するようになりました。この証のポイントは汗が出ずに煩燥するところにあります。
 麻黄湯はもともと表の熱実証に用いて、病邪を発汗によって発散する働きがありますが、この証の場合は表の熱実証が激しくて、裏熱を伴っているので、裏熱を清解すると同時に、表邪を発散しなければなりません。そこで、裏熱を清解する効果のある石膏セッコウ の配剤された大青竜湯が必要となるのです。
 煩燥は、『康平傷寒論』以外は「燥」ではなく、「躁」と書いてあります。すなわち熱のために苦しくて、手足をしきりにしわがしく動かすことです。『傷寒論』に「煩して躁せざるものは治し、躁して煩せざるものは死す」とあるように、躁は煩より悪証です。「煩して躁せず」というのは、病が重くて、煩を自覚しないのです。循衣模床は意識混濁して、危篤の時に見られる動作ですが、この証の煩燥は意識がはっきりしていて、もだえて苦しむのです。この煩燥の有無が麻黄湯との重要な鑑別点であります。この場合に、もし脈が微弱で、汗が出て、悪風して、煩燥するものは少陰病で陽の気が衰えている徴候ですから、大青竜湯で発汗させてはいけません。もし誤って、そういう証に大青竜湯を服用させると手足が冷え、筋肉がビクビクと痙攣して重篤な症状となる、と警告しております。
 以前私は流感にかかり、こじれて気管支肺炎となって、39℃以上の発熱となりましたが、大青竜湯が著効を奏したことがありました。その時は初め体の節々が痛かったので、身疼腰痛、骨節疼痛として麻黄湯を飲んだのですが、応じませんで、胸の中が何ともいえず苦しくて、じっと寝ていることができなくなつたので、大青竜湯を服用したところ、発汗をして、39.3℃から三十分で35.9℃に下降したことがありました。もっともこの時は強い発汗のため解熱後ぐったりして、補中益気湯ホチュウエッキトウでやっと回復しました。やはり微似汗でないとだめです。
 大青竜湯はそのほか急性関節炎、結膜炎、角膜炎で炎症の激しいもの、あるいは丹課、急性の浮腫などに昔は用いたものでした。
 大青竜湯の方は、「麻黄マオウ六両、節を去る。桂枝ケイシ二両、皮を去る。甘草カンゾウ二両、炙る。杏仁キョウニン四十我、皮尖を去る。生姜ショウキョウ三両、切る。大棗タイソウ十枚、擘く。石膏セッコウ鷄子大、砕く。右七味、水九升を以て、まず麻黄を煮て二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服し、微似汗を取る。一服にして汗する者は後服を停む」とあり、鷄子大は鷄卵大のことです。
 では最後の条文へまいります。「傷寒、脈浮緩、身疼まず、ただ重く、たちまち軽き時あり、大青竜湯これを主る」。
 前章は太陽の中風で、その脈証が傷寒に似たものをあげ、この章は傷寒で、その脈証が中風に似たものをあげています。両者が現わす症状が異なりますが、同じく大青竜湯の主治です。傷寒では脈が浮緊で、身疼痛を訴えるべきですが、ここでは脈が浮緩となって、体が痛まず、すこぶる太陽の中風に似ています。しかし太陽の中風には「身重し」という症状はありません。これが要点です。「身重し」は、少陽、貝選飛も見られますが、「たちまち軽き時あり」で、表証であることを示しております。また少陰の真武湯シンブトウの四肢沈着と区別するために、少陰の証なきものという傍註を入れています。

『金匱要略解説(36)』 日本東洋医学会会長 松田 邦夫
 痰飲咳嗽病②-甘遂半夏湯・十棗湯・大青竜湯・小青竜湯
 ■大青竜湯・小青竜湯
 「溢飲を病むものは、まさにその汗を発すべし。 大青竜湯ダイセイリュウトウ
これを主る。小青竜湯ショウセイリュウトウもたまこれを主る」。  『傷寒論』太陽病中篇の大青竜湯条には、「太陽の中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、汗出デズシテ煩躁するものは、大青竜湯これを主。もし脈微弱、汗出で悪風するものは、これを服すべからず。これを服すれば、すなわち厥逆し、筋惕肉瞤す」とあります。
  高熱が出て悪寒し、体が痛み、汗が出ずに何ともいえず胸苦しく、脈が浮で緊の時は、裏熱を清解する効のある石膏セッコウが配合された大青竜湯が必要であるというのです。この条文の主眼点は汗が出ずに煩躁するということです。煩躁のあるなしは、麻黄湯マオウトウとの鑑別点です。麻黄湯の証も高熱、悪寒に、節々が痛い、すなわち関節痛がありますが、これに煩躁が加わったものが大青湯証です。「煩」は熱のための煩、すなわち熱のために悶えるという意味、「躁」は手足をしきりに騒がしく動かして苦しむ状態です。
 「大青竜湯の方。
  麻黄(マオウ)(六両、節を去る)、桂枝(ケイシ)(二両、皮を去る)、甘草(二両、炙る)、杏仁(キョウニン)(四十個、皮尖を去る)、生姜(ショウキョウ)(三両、切る)、大棗(十二枚)、石膏(鶏子(ケイシ)大のごとし、砕く)。
 右七味、水九升をもって、まず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服す。微似汗を取る。汗多きものは温粉オンプンにてこれを粉す」。
 『傷寒論』には「これを撲つ」とあり、これに従えば、「汗多きものは温粉にてこれを撲つ」となります。大青竜湯は一番激しい発汗剤ですから、これを飲んだ後は温粉すなわち汗しらずのような粉をかけるというのです。
 「小青竜湯の方。
 麻黄(三両、節を去る)、芍薬(三両)、五味子五味子(半升)、乾姜カンキョウ(三両)、甘草(三両、炙る)、細辛サイシン(三両)、桂枝(二両、皮を去る、半夏(半升、洗う)。  右八味、水一斗をもって、まず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬を内れ、煮て三升を取り、滓を去り、一蛍を温服す」。
  「溢飲」は浮腫の一種だと考えられますが、湯本求真は一種の水気性疼痛症としています。
 『金匱要略述義きんきようりゃくじゅつぎには、「けだし二湯の別は、病の軽重により薬の緊慢を分かつにあり」とあります。重症には大青竜湯、軽症には小青竜湯を用いるわけです。
 本条では、浮腫の患者を大青竜湯で発汗させると浮腫がとれる、小青竜湯の用いられる場合もあるとあります。
 尾台榕堂は『類聚方広義』の頭注に「この証はまさに大青竜湯をもって発汗すべし。小青竜湯もまたこれを主るというのは誤りなり」と述べていますが、湯本求真は「誤りではない」と反駁しています。 ところで、「浮腫の患者に大青竜湯や小青竜湯を使って、汗が出たためしがない」と大塚敬節先生は述べています。そのような場合は結局、汗ではなくて小便に出ます。
 大青竜湯は普通の感冒に用いることはまれで、体力の充実した人の流感や肺炎の初期に適応があります。また脳出血、脳軟化症などの後遺症に用いる薬方に続命湯ゾクメイトウがありますが、この続命湯は、大青竜湯に当帰トウキ人参ニンジン川芎センキュウを加えて、生姜を乾姜に代えたものです。
  また大青竜湯は、昔は結膜炎で炎症の激しい時に内服させたものです。『類聚方広義』に尾台榕堂は、「大青竜湯は麻疹、爛瞼風(トラコーマ)、雷頭風(緑内障)、風眼症(淋毒性結膜角膜炎)などの眼の病気によい」と述べています。

■大青竜湯の治験例
 次に大青竜湯の症例として、私自身の経験をお話しいたしましょう。昭和五八年の冬もかぜが大流行しました。私も寝不足の不摂生続きのところに罹患しました。最初は強い脱力感で始まり、悪寒、発熱、頭痛、喉の痛みと痰のない乾咳で、すぐに私の常用の葛根湯カッコントウを飲みましたが、いつもと違ってまったく発汗しませんでした。そこで体温を測ってみると三八・二でしたので、もう一度葛根湯を飲みましたが、依然発汗しません。
 翌日、体温は三八・七度に上昇し、喉が痛み、乾咳が強くなってきました。悪寒し、頭痛し、とくにあちこちの関節が痛んできたので麻黄湯に変え、これを一日中服薬しました。しかい熱いうどんを食べて布団を被っても、やはり発汗しませんでした。
 三日目には朝から少し息苦しく、何ともいえず胸苦しくなりました。体を右下にしたり左下にしたり輾転反側するようになりました。これが煩躁です。体温は三九・二度で、強い頭痛や関節痛があり、咳をすると喉が痛みます。この時すでに乾咳ではなく、痰の色は黄色で、膿様の濃い痰が少しずつ喀出されるようになりました。恐らく気管支肺炎の状態であったと思います。脈は数で、ふだんの脈よりは強かったのはもちろんですが、洪大というほどではなかったと思います。依然として汗は出ません。何しろ苦しくて落ち着いて自分の病状を診断できる状態ではありませんでした。頭がぼうっとしており、口渇もありました。番茶をだいぶ飲みましたが、唇はなお乾燥していました。
 ここに至ってようや大青竜湯証の正証と考えつき、これを煎じて一日量の半分を服用しました。服用後約一〇分であれほど出なかった汗が出始め、その後およそ三〇~四〇分にわたってかなりの発汗をしました。この時煩躁という状態を十分経験させられましたが、強い発昔とともに煩躁は嘘のように消え、頭痛も消失しました。体温は一時三五・八度になりました。
 第四病日は最高三七・五度、虚脱感、倦怠感が強く、食欲がまったくなかったので、補中益気湯ホチュウエッキトウで調理すること数日で、ようやく元に復しました。
 大青竜湯証は、『勿誤薬室方函口訣』大青竜湯条に、「方位は麻黄湯の一等重きをこの方とするなり」とあるように、麻黄湯証より病状が一段と重く、深く、汗が出ずに煩躁する状態です。
 大青竜湯の服用法について『傷寒論』では、「わずかに汗を出すのがよい」と述べて注意を与えています。私の場合、発汗峻発の薬剤の効果が著しく大発汗したために、以上の結果となってしまいました。
 山田業広は、『温知医談おんちいだん』の第二〇号に次の症例を載せています。
 往年、一官吏の感冒したる翌日より身体疼痛甚だしく、寸時も平臥することあたわず、急に余を迎う。診るにその疼痛甚だしきこと例うるに比なし。譫語はなけれども挨拶もできず、まず半ば夢中にて輾転反側するのみなり。体熱、脈も洪大にて大青竜湯の正証なり。すなわち本方七貼を与え、大汗するは必定なりと言いて帰りぬ。翌日診するに霍然として癒ゆ。邪の十に八、九を去り、すこぶる平日のごとし。病人言う、「教えのごとく汗を汗を出ださんと欲して夜具を被り寝たれども、汗少しも出ず、その苦悶言うべからず。薬五、六貼服したる後、大いに下痢すること三、四行後、疼痛拭うがごとし」と言う。これも少し赤面の形なれども、病気のしきりに礼を述ぶる故、「汗も下痢も同じ理なり」と遁辞を言いて帰りぬ。
 大青竜湯服用後、発汗せず下痢して解熱する場合がある、という興味ある治験果です。


『類聚方広義解説(25)』 日本東洋医学会理事 室賀昭三
 本日は大青竜湯ダイセイリュウトウの解説を申し上げます。条文を読みます。
 「喘および咳嗽し、渇して水を飲まんと欲し、上衝し、あるいは身疼し、悪風寒ある者を治す」とあり、これはゼイゼイしたり咳や痰があり、喉が乾いて水を飲みたいと思い、非常にのぼせる、あるいは体が痛み、寒気がしたり体が冷えているものを治すというわけです。
 次いで「麻黄マオウ六両、桂枝ケイシ二両、甘草カンゾウ二両、杏仁キョウニン四十個、生姜ショウキョウ三両、大棗タイソウ十二枚、石膏セッコウ鶏子大、右七味、水九升をもって、まず麻黄を煮て二升を減じ、上沫を去り、諸薬をれ、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服す。微似汗を取る(うっすらと汗をかかせるのがよい)。汗出ずること多き者は、温粉(汗すらず)これをまぶし、一服にて汗する者は後服を停む。汗多ければ亡陽ぼうようし、遂に虚し、悪風煩躁はんそうし、眠るを得ざるなり」とあります。汗があまり出すぎますと、体の中の陽気が抜けてしまって体が弱ってしまい、体がつらくなってもだえ苦しんで眠れなくなってしまうといっております。
 『傷寒論』に「太陽中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、汗出でずして、しかして煩躁する者は、大青竜湯之を主る。もし脈微弱、汗出でて悪風する者は服すべからず。これを服すればすなわち厥逆けつぎゃくし、筋惕肉瞤きんてきにくじゅんす。これ逆となすなり」とあります。
 これは太陽病の中風に出てくるところでありまして、脈が浮いて緊張がよく、発熱して悪寒があり、体が痛んで自然発汗がない、そして煩躁が強いものは、麻黄湯マオウトウよりも病状が重いわけであります。そういう場合には大青竜湯が之を主る。もし脈が微弱であって、汗出でて悪風するものは、本来は桂枝湯ケイシトウを使わなければならない証でありますから、脈が弱くて自然発汗があって悪風するものは服すべからずで、これを間違えて大青竜湯を飲みますと、たちまち症状が悪化し、筋肉がピクピク痙攣を起こすような状態になるというわけであります。
 次は「傷寒、脈浮緩にして、身疼まず、ただ重く、たちまち軽き時あり。少陰証なき者は、大青竜湯之を発す。病溢飲いついんの者は、まさにその発を発すべし、大青竜湯之を主る。小青竜湯もまた之を主る」とあります。この「病溢飲の者は」というのは、『金匱要略』に出ている条文でありまして、その前の「傷寒、脈浮緩にして」というところと比べると、条文がどうもはっきりしないところがあります。
 「為則按ずるに、まはに渇の証あるべし。けだし厥逆以下は真武湯シンブトウの証なり。考うべし」。これは前のところで申し上げました「太陽中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、汗出でずして、しかして煩躁する者は、大青竜湯之を主る」で、これは麻黄湯よりもさらに病状が強いわけであります。「もし脈微弱、汗出で悪風する者は服すべからず」。先ほど悪寒はありましたが、今度は悪風であり:こちらの方が病状が軽いわけであります。これは本来は桂枝湯を与えなければいけないわけであります。「これを服すれば厥逆し、筋惕肉瞤す。これ逆となすなり」。もっとも弱い人に与える桂枝湯を与えなければいけないのに、一番体の丈夫な、病状の強い人に与える大青竜湯を与えてしまった場合には、体、手足が和えて具合が悪くなって筋肉が痙攣を起こす。これは逆となしたものである。すなわち厥逆以下の時には真武湯の証である。桂枝湯を与えなければいけないのに間違えて大青湯を与えて、このように筋肉の痙攣を起こした場合は、真武湯を与えなければいけない、考うべしと論じているわけであります。
 この『傷寒論』の条文についてご説明申しあげます。「太陽中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、汗出でず」、この文章では、浮、不汗出となっております。これは汗不出とも別であると、大塚先生の傷寒論の解説では次のように述べております。汗出とは汗は出ないの意で、不汗出は汗にし出ですとも読み、発汗せしめても出ないの意であるというものです。したがって、太陽中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛、汗出ですしてというところは、麻黄湯マオウトウで発汗をはかったが出ないという意味であるといっておられます。
 この証では太陽中風の非常に激しい証でありまして、傷寒に類するものの証と治をあげて述べていられるわけであります。この太陽中風は脈が浮、緩にして、発熱悪寒、汗出ずが正証でありまして、これは先ほど申しあげたように、桂枝湯の主治するところでありますが、この場合には脈緩であったものが脈緊に変じ、脈の緊張が非常に強くなってきます。
 悪風というのは前回に申しましたが、温かくしていれば寒さを感じないが、ちょっと起きあがったり、薄着になったり、寝巻を着替えたりする時にゾクゾクと寒気がするのが悪風であります。悪寒になりますと、あたたかくして寝ていても寒気を感じるというものでありまして、これは悪風よりも悪風の方が病状が悪いわけであります。先ほどあった悪風が悪寒となり体が痛む、筋肉や関節が痛んで傷寒に類する状態になった、以上の症状から判断すると、この場合は麻黄湯の証のような気がする。そこで麻黄湯を与えたところ汗が出ずに煩躁するようになった。この証の眼目は、汗出でず、しかして煩躁するというところであると現わされているわけであります。
 麻黄湯という薬は、本来は表の熱実証に用いて病邪を発汗によって発散させる働きがあるのですが、この証の大案f表の熱実証が激しくて裏熱を伴っておりますので、森熱を解消すると同時に表邪を発散しなければならない。そこで裏熱を解消する効のある石膏セッコウの使われた大青竜湯が必要となるのであります。麻黄湯には石膏が入っておりません。裏熱が強い場合には石膏を使わなければいけないといっているわけであります。
 煩というのは熱によってわずらわしいという意味で、熱のためにもだえるという場合でありまして躁は手足をしきりにさわがしく動かして苦しむ状態であり、煩と躁とが別々に現われることもあります。煩して躁せざるものは治し、躁して煩せざるものは死すという言葉もあります。つまり手足をしきりにさわがしく動かしていながら、熱のためにもだえないものは死すという意味の言葉であって、躁は煩よりもたちが悪いと述べられております。この証では煩躁となっておりまして、熱のためにもだえ、手足をしきりにさわがしく動かすということでありまして、これは非常に病状が重いという意味であります。
 そして煩躁の有無は麻黄湯との鑑別点になっています。麻黄湯の場合は煩躁がありませんが、大青竜湯は煩躁がありまして、麻黄湯を使うよりも一段と病状が重い場合であります。もしこの場合に脈が微弱で汗が出て、悪風して煩躁するものは少陰病で陽の気が衰えている徴候であるから大青竜湯で発汗せしめてはならない、もし誤って、使ってはいけない証に大青竜湯を服用せしめると、手足が非常に冷えてきて、筋肉がピクピクと痙攣して重篤な症状を現わすようになるといわれています。
 また「傷寒、脈浮緩、身疼まず、ただ重く、すなわち軽き時あり。大青竜湯之を主る」というのが大塚先生の傷寒論の解説の文章でありますが、この証は傷寒でありまして、その脈証が中風に似たものをあげています。この両者はその現わす症状は異なるけれども、同じく大青竜湯の主治であります。
 傷寒では脈が浮緊で、身疼痛を訴えるべきでありますが、ここでは脈浮緩で、病状が軽いわけであります。そして身疼まずとあり、筋肉痛や関節痛がなく、すこぶる太陽中風に似ております。しかし太陽中風には身重しという症状はありません。身重しは少陽病にも陽明病にも見られる症状ではありますが、この身重しは、少陽や陽明のそれではないきとは「すなわち軽き時あり」の句によって示しております。身重しは、体が非常に重いのが時々チラッと軽くなることによって、身重しが、表証の身重しであることを示しています。またこの身重しは少陰病の真武湯の主治にも似ております。そこで少陰の証なきものという註を入れて注意を呼び起こしています。もし脈沈微、もしくな微細で身重いものは少陰病でありますが、脈浮緩となっていますので、少陰病ではないと理解しなければなりません。
 この証は、傷寒と冒頭しておりますから、発熱悪寒あるいは悪風、昔なしの症状をその中に含むものとして解釈すべきであるというわけです。脈浮緩にして汗出で悪風するものは大青竜湯の主治ではないというように大塚先生は『傷寒論解説』の中で述べておられます。
 矢数先生の処方解説の中から拝借して大青竜湯の解釈を申しあげますと、『この方は麻黄湯の中に、麻黄マオウ杏仁キョウニンの量をふやし、石膏セッコウ生姜ショウキョウ大棗タイソウを加えたものであると考えられます。方中の麻黄は、麻黄湯より量が多く、ヒョウ緊張して、裏の水の多いのを強く発散させるものであります。そして麻黄は石膏と組んで裏の水と表の熱とを解消し、煩躁を鎮める作登置あるものであります。桂枝と杏仁は麻黄を助けて体の表面の熱を発散し、裏の水を去るのであります。甘草、大棗、生姜は、君・臣・佐・使でいえば佐であって、これらの主薬である麻黄、杏仁、石膏といったものの作用を強めると解釈されます。
  大青竜湯は使う目標は、熱性病の際には悪寒、発熱、脈浮緊で、いろいろな筋肉や関節が痛み、自然発汗がなく喉が乾いて煩躁するという状態でありまして、病状がすべて激しく、表が実して、裏に熱と水が停滞しているのを目標として使用します。これらの症状はみないわゆる実証で、つまり体の丈夫な患者に発現する状態でありまして、体の弱い人にこういう状態の発現することはありません。これらの状態を発汗によって皮膚の下にひそんでいる邪熱を発散させるというのが大青竜湯の目標であります。このほかに熱のない雑病に用いる場合は、発熱悪寒などが必ずしもなくてもよいとされておりますが、浮腫、腹水は『金匱』の太陽病篇にある溢飲イツインの証として使ってもよろしい。
 大青竜湯は眼の病気によく使われることがありまして、眼の病気であって痛みがはなはだしく、涙が出て止まらない、眼球の結膜充血がいちじるしく頭痛が猛烈なもの、つまり緑内障のような方に使われることがあります。大青竜湯はいずれも今申しあげたように症状が激しく、自覚症状も、苦痛のはなはだしいのを目標とするのが普通であります。それから体の丈夫な人を使用の主な目標としまして、脈の触れ方や緊張の弱いものや、汗をかきやすい体質の人に使った場合は先ほども申しあげましたように病状が悪化することがありますので、 contraindication であるといわれております。
 実際に応用する場合には、表が実し、裏に熱がある時に使うのでありまして、流感、急性肺炎、麻疹その他の熱性疾患に使われることが多く、また結膜炎、角膜潰瘍、風眼ふうがん(淋疾による結膜炎と思われる)、緑内障などの眼の急性疾患で自覚症状の激しい時に、病勢を頓挫させる時に使用されるといわれております。そのほか雑病では皮膚掻痒症などの皮膚病で、充血がひどく掻痒の激しいものに使われることがあります。そのほかに、意外に思われるかもしれませんが、皮膚にほとんど症状がなく痒みだけを強く訴える時に、この方が時に効を奏することがあります。


『■類聚方広義解説(24)』 日本東洋医学会名誉会員 藤平 健
大青竜湯・文蛤湯・文蛤散
 本日は、大青竜湯ダイセイリュウトウ文蛤湯ブンゴウトウ文蛤散ブンゴウサンの三つの薬方についてお話しいたします。
   
 ■大青竜湯  大青竜湯は太陽病の薬方の中で、一番実証度の強い時に用いられる薬方です。
大靑龍湯 治喘及咳嗽。渴慾飮水。上衝。或身疼。惡風寒者。
麻黃六兩九分桂枝二兩甘草二兩杏仁四十個各三分 生姜三兩大棗十二枚右四分五厘石膏鷄子大一錢二分
右七味。以水九升。先煮麻黃。減二升。去上沫。内諸藥。煮取三升。去滓。溫服一升。以水一合八勺。煮取六勺。取微似汗。『汗出多者。溫粉粉之。一服汗者。停後服。汗多亡陽。遂虛。惡風煩躁。不得眠也。』


 「大青竜湯。喘および咳嗽し、渇して水を飲まんと欲し、上衝し、あるいは身疼み、悪風寒する者を治す。
 麻黄マオウ六両(九分)、桂枝ケイシ二両、甘草カンゾウ杏仁キョウニン四十個(各三分)、生姜ショウキョウ三両、大棗タイソウ十二枚(各四分五厘)、石膏セッコウ鶏子ケイシ大(一銭二分)。
 右七味、水九升をもって、まず麻黄を煮て、二升を減じ、上沫を去り、諸薬をれ、煮て三升を取り。滓を去り、一升を温服す(水一合八勺をもって、煮て六勺を取る)。微似汗を取り汗多く出ずるものは、温粉にてこれを粉す。一服して汗するものは、後服を停む。汗多ければ亡陽し、ついに虚し、悪風し、煩躁し、眠ることを得ざるなり」。
 この最初の条文は『方極ほうきょく』の文章です。息苦しく、呼吸困難(喘)があって咳が出る。そして喉が渇き、水を飲みたがる。顔がほてるというような気が上衝する気味があって、あるいは体が痛み、悪風し、寒けがある(悪風寒)ものを治すということです。要を得た簡略にした文章です。
 大青竜湯は、ひと口にいえば麻黄湯マオウトウ証に、さらに煩渇と多少の上衝、それから煩躁の三つが加わったものというふうに考えるとよいと思います。そして構成生薬は、麻黄六両(九分)、桂枝二両、甘草二両、杏仁四十個(各三分)、生姜三両、大棗十二枚(各四分五厘)、石膏鶏子大(一銭二分)で、括弧の響尾台おだい榕堂ようどう先生の考えられた分量です。これはちょっと批判のあるところですが、尾台先生は、全体として一つの薬方の量として、『傷寒論』および『金匱要略きんきようりゃく』に出ている分量が多過ぎるものは少し減らし、少な過ぎるものは少しふやすというふうにしています。ちょうど一回分が四匁(15g)くらいになるように各薬方を調節されました。しかし、果たしてこれがよいか悪いかは問題のあるところです。
 水九升をもって先ず麻黄を煮て、二升を減らし、上の泡を取り捨てる。それで後の諸薬を入れて三升を取る。「升」は約一合に当たります。滓を去って一升を温服する。水一合八勺をもって煮て、六勺を取ります。
 『微似汗を取る」というのは非常に重要な意味を含んでいる言葉です。太陽病の薬方には「少しく汗あるに至る」とか、あるいは「わずかに汗に似たるを取る」というふうに書いてありますが、これは一応薬として結果的に発汗させる力が強くても、たとえば大青竜湯などは太陽病の薬方の中では発汗させる力が一番強いのですが、そのような強い薬であるからたくさん発汗させるのかというと、そうではないのです。発汗はわずかで、しとしとと汗が滲むような状態で発汗させなければいけないということで、これは大事な意味を持っています。
 太陽病の薬方というのは、いろいろな参考書にはひと口に発汗剤といわれていますが、本当は発汗剤ではなくて、「温熱産生援助の剤」というべきだと私は考えます。温熱の産生がうまくいって、敵勢がくじかれたことを確認すると、体の方では不要となった温熱を一刻も早く捨て、平熱にもどそうとする努力が、結果として行われます。それが発汗なのですから。

■太陽病の発熱・発汗

 といいますのは、太陽病の場合に、熱が上がってきます。それは人間は知らないのですが、上げるのがよいということを脳の温熱中枢は知っているのです。その時に入ってきたウイルスの強さ、あるいはウイルスの量というようなものを、体の中の白血球がとらえて食べてしまいますが、その時に白血球の中に発熱物質ができます。その発熱物質の強さ、量などにより、このくらいの毒力の強い敵が入ってきたのであるから、体温を38℃に上げれば敵は降参するか、この程度のものであれば体温を37.5℃くらいに上げるだけでよいとか、温熱中枢がそういう判断をして、それまでに体温を上げるように、これは異常体温れべるといいますが、異常体温レベルを38℃とか37.5℃とかに設定するわけです。その線に向かって体全体に命令が出るわけです。この線に向かって温熱の上昇に励めというわけで、体表面の血管は収縮させられ、温かい血液が表面に出ていかないで、そのために温熱が体に溜まっていくというふうなわけです。このようなことが体の中で自然にきちんと行われるようにできているわけです。
 ですから温熱を産生するために、どのようなことをすればよいか体の方が知っていて、今申しましたようなことをやって温熱を産生し、体温をどんどん上げていきます。そして設定したレベルに達すると、目的を達したので体温の上昇はそこで止めるというわけです。それで異常の状態が止まり、あとは目的を達したので、それ以上に体温が上がり過ぎては体がきちんと動かず機能が停止しますから、それで急いで体温を下げるというようなことが行われます。体温を上げる時とは逆に状態が行われて、下げるということで体温は正常に戻るわけです。
 体温の調節レベルを高く設定した場合には、急に下げることかできないので、そこで汗が出て、その汗が体表面から温度をどんどん奪って、そして急速に体温が下がるというふうになるわけです。その時に汗が出るわけです。汗が出過ぎれば温熱が下がり過ぎますし、必要な体液がどんどん捨てられますから、そこで汗がわずかに出る状態が一番よいということになるわけです。
 そこで本文に戻りますが、汗が多く出てきた場合には「温粉(米の粉)をはたいて汗を出ないようにしなさい」ということです。そして一服してもし汗が出たら、それはもう目的を達したのであるから、残りを勿体ないからといって飲んだりしてはいけない。もし汗がよけいに出るようなことがあれば、ついに体力が落ち込んで虚証の状態が強くなってきて、寒けがして煩躁して眠れなくなり、虚証の状態に陥ってしまうということです。

■汗出出ずして煩躁するもの


   
『太陽中風。』脈浮緊。發熱惡寒。身疼痛。不汗出而煩躁者。大靑龍湯主之。若脈微弱。汗出惡風者。不可服。服之則厥逆。筋惕肉瞤。此爲逆也。○『傷寒。』脈浮緩。身不疼。但重。乍有輕時。『無少陰證』者。大靑龍湯『發之。』後條辨。欑論。皆云。當是小靑龍湯證。今從之。○『病溢飮者。常發其汗。』大靑龍湯主之。小靑龍湯亦主之。
  爲則桉。當有渴證。葢厥逆以下。眞武湯之證也。可考。


  「太陽中風、脈浮緊、発熱、悪風し、身疼痛し、汗出でずして煩躁するものは、大青竜湯これを主る。もし脈微弱、汗出で悪風する者は。服すべからず。これを服すればすなわち厥逆し、筋惕肉瞤す。これを逆となすなり。」
 太陽病で、脈は浮で、表在性の脈で、緊張度が非常に強い。太陽病の中で、大青竜湯の脈が一番緊張度が強くなっています。時が経つにつれて速くなります(浮緊数)。そして体温がどんどん上昇してくるから発熱して、それで寒けがする。それは体の表面の血管の動脈を縮小させて、温かい血液をおなかの中から出回らないようにして、温熱を奪われないようにするから、それで悪寒がするわけです。
 それから身体が痛み、関節が痛む。汗は出ない。すなわち汗が出ないということは太陽病では実証の状態で、汗が出る場合には桂枝湯の虚証になりますから使えません。ですから、汗が出ないと感うのは大青竜湯を使う大事な条件です。そして煩躁します。
 私もこの煩躁という状態を経験したことがあります。体を右に反転し、左に反転し、輾転反側して苦しくて仕様がない状態です。この時に大青竜湯が主るということです。もしその時に脈が微弱であって、汗が出て、寒けがするという状態であれば、これは大青竜湯の服用してはいけない。もし誤ってこれを服用したならば、体が冷え(厥逆)、筋肉がひきつれてしまう。これは逆治となったのであるということです。
 「傷寒、脈浮緩、身疼まず、ただ重く、たちまち軽き時あり。少陰の証なきものは、大青竜湯にてこれを発す」。
 悪性の急性感染症で、脈は浮いているけれども一応ゆったりとしている。そして体は痛まない。関節も痛まない。ただ重く、たちまち軽くなったりする。そういう状態で少陰の証はないというものは大青竜湯の証であるということで、これはいかにも陰証あるいは陽虚証に似ているが、そうではなくただ体が重く、時に軽くなるというのはこれも大青竜湯の証であって、これを発汗させればよくなるというわけです。
 これについては、大青竜湯ではなく、小青竜湯ショウセイリュウトウの証であるなどいろいろな説がありますが、大青竜湯の証とするのがよろしいという説が勝っているようです。
 「大青竜湯これを主る。小青竜湯もまたこれを主る」。
 大青竜湯であるけれども、似た状態で虚証である時には、小青竜湯を使わなければならない場合があるということです。
 「為則ためのり按ずるに、まさに渇の証があるべし。けだし厥逆以下は、真武湯の証なり。考うべし」。
 先ほどの「厥逆云々」以下は真武湯の証であるということです。しかし、これは間違いではないかという説が多いのです。吉益東洞よしますとうどうが間違えたのではないかということです。頭註にも東洞が十分に読まなかったせいではないかという表現でやんわり書かれています。
 大青竜湯というのは非常に大事な薬方ですが、しかしまた慎重に扱わなければならない薬方でもあります。  


『勿誤薬室方函口訣解説(83)』 日本漢方医学研究所常務理事 松田邦夫
大青竜湯 大半夏湯 大百中飲 大寧心湯

本日は、テキスト180ページの大青竜湯ダイセイリュウトウからです。

大青竜湯

 大青竜湯は、『傷寒論』太陽病中篇に 、「太陽の中風、脈浮緊、発熱悪寒、身疼痛し、汗出でずして、煩躁する者、大青竜湯之を主る。若し脈微弱、汗出で悪風する者は、之を服すべからず。之を服すれば、則ち厥逆し、筋惕肉瞤す、之を逆となすなり」とあります。
 すなわち太陽の中風の劇症で傷寒に類し、汗が出ずに煩躁する場合の治療法を示し、煩すなわち自覚的にもだえ苦しみ、他覚的に躁、すなわち手足をさわがしく動かし、悪寒、発熱して体が痛むのは麻黄湯マオウトウのようですが、この煩躁のあることが、大青竜湯証の特徴、鑑別点となります。「若し」以下は誤治すると手足が甚しく厥冷し、筋肉が痙攣するに至るといましめています。
 さらに『傷寒論』の条文では、「傷寒、脈浮緩にして、身疼まず、但重く、たちまち軽き時あり。大青竜湯之を主る」とあります。傷寒で脈証が中風に似たものの大青竜湯証をあげております。
 さらに『金匱要略』痰飲咳嗽病篇には、「溢飲いついんを病む者は、当にその汗を発すべし、大青竜湯之を主る。小青竜湯ショウセイリュウトウまた之を主る」とあります。溢飲とは、『金匱』に「陰水流行して四肢に帰し、当に出ずべくして汗出でず、身体疼重す。之を溢飲という」とあり、浮腫あるいは浮腫性疼痛症のことです。浮腫の患者に大青竜湯で発汗させると、浮腫がとれることがあるというわけです。
 薬方の内容は、「麻黄マオウ桂枝ケイシ甘草カンゾウ杏仁キョウニン生姜ショウキョウ大棗タイソウ石膏セッコウ、右七味」で、麻黄湯の麻黄、杏仁を増量して生姜、大棗、石膏を加えたものです。表が実し、裏に熱がある時に強く発汗させる薬方です。
 『傷寒論』では服用法について、「わずかに汗の出るのがよい。汗の多く出るものは、温粉を打かける。一服して汗が出たら、あとは飲まなくてもよい。もし中止せずに飲んで、汗が多く出すぎると陽気が虚して悪風したり、煩躁したり、不眠となる」と述べて、本方の服用に注意を与えております。
 『口訣』には、「此の方、発汗峻発の剤は勿論にて、その他溢飲(水毒が手足に流れ溢れる)或は肺脹(肺炎)、その脈緊大、表症盛なる者に用いて効あり」とあります。大青竜湯は強力な発汗剤で、普通の感冒に用いることはまれで、体力の充実した人の流感や、急性肺炎の初期、熱が高い場合に応用する機会があります。
 今年の冬の流感には、大青竜湯証が多く見られました。私も寝不足の不摂生続きのところへ罹患して、大青竜湯でやっと解熱しました。その時の経験では、最初は強い脱力感で始まり、悪感、発熱、頭痛、喉の痛みと、乾咳で、私の常用の葛根湯カッコントウを飲みましたが、いつもと違ってまったく発汗しません。帰宅後測ってみると、体温は38.2℃でしたので、もう一度葛根湯を飲んで寝ました。しかし依然発汗せず、翌日は体温38.7℃に上昇し、喉が痛み、乾咳がひどくなり、時々悪感し、頭痛、とくに関節があちこち痛んできたので、麻黄湯に変え、一日中服薬を続けましたが、熱いうどんを食べてふとんをかぶっても一向に発汗しませんでした。三日目には朝から少し息苦しく何ともいえず胸苦しく、体を右下にしたり、左下にしたり、輾転反側するようになりました。体温は39.2℃、強い頭痛、関節痛があり、咳をすると喉が痛み、すでに乾咳ではなく、黄色、膿様の濃い痰が少しずつ喀出されるようになりました。恐らく気管支肺炎の状態であったろうと思います。脈は数で、ふだんより強かったのはもちろんですが、洪大というほどではなかったと思います。何しろ苦しくて、落着いて自分の病状を診断できる状態ではありませんでした。少しボーッとしておりましたが、口渇はあったと思います。番茶を大分飲みましたが、なお唇は乾燥していました。
 そこで大青竜湯の正証と考え、これを煎じ、一日量の半分を服用しました。服用後約10分で、あれほど出なかった汗が出始め、およそ30~40分にわたってかなりの発汗をしました。煩躁という状態を十分に経験させられたのですが、強い発汗とともにうそのように煩躁は消え、頭痛も消失しました。体温は一時35.8℃となりました。第四病日は最高37.5℃、虚脱感、倦怠感が強く、食欲がまったくなかったので、補中益気湯ホチュウエッキトウで調理すること数日でもとに復しました。
 次に山田業広の経験を紹介しましょう。「先年、ある官吏が感冒にかかり、次の日からひどく体が痛み、ちょっとの間もじっとしていられないとい希改r往診を請うた。診察をしてみると、その疼痛のひどいことはたとえようがない。譫語はないけれども、挨拶もできず、半分は夢の中で、輾転反側するばかりであった。熱は高いし、脈も洪大である。よって大青竜湯の正証と診断してこの方を与え、これを七貼も飲めば必ずうんと汗が出て治るといって帰宅した。翌日行ってみるとさっぱりと治り、ほとんど平日の通りである。病人がいうのに、汗を出そうとして大きな夜具をかぶって寝ていたけれども、汗は少しも出ずとても苦しかったが、五、六貼を飲むと、うんと下痢をして、疼痛が拭うように去った」ということです。これは珍しい瞑眩の例です。
 『口訣』の文は続いて、「又、天行赤眼(流行性結膜炎、トラコーマ)或は風眼(淋毒性結膜角膜炎)の初起、此の方に車前子シャゼンシを加えて大発汗するときは奇効あり。蓋し風眼は目の疫熱なり。故に峻発に非れば効なし。方位は麻黄湯の一等重きをこの方とするなり」とあります。車前子はオオバコの種子で消炎、利尿、解熱、強壮剤として用いられます。「風眼は目の伝染病であるから強い発汗療法でなければ無効である。麻黄湯証より病状が一段と重く深いものに大青竜湯を与えよ」というわけです。
 「麻黄湯証の一等重き」というのは煩躁です。山田正珍が『傷寒論集成』に「麻黄湯を服しもってこれを発すといえどもなお汗を得ず、煩躁するもの、すなわちはじめて大青竜湯を与うべし」といっている通りです。葛根湯、越婢加朮湯エッピカジュツトウ、大青竜湯などの麻黄の配剤された薬方は、古人が外障眼がいしょうがんと呼んだ結膜や角膜などの病気に用いられました。とくに大青竜湯は、急性炎症で自覚症状のはげしいものに用いられます。
 『類聚方広義』の頭註に尾台榕堂は大青竜湯の応用について次のように述べております。
 「眼目疼痛、風涙止まず、赤脈怒脹、雲翳四圍、或は眉稜骨疼痛、或は頭疼、耳痛する者を治す。又爛瞼風らんけんふう(トラコーマ)にして涕涙粘稠、瘙痒甚しき者を治す。倶に芣苡ヒユウイを加うるを佳とす。兼ねるに、黄連解毒湯加枯礬オウレンゲドクトウカコバン(焼明礬)をもって頻々に洗蒸し、毎夜臥するに臨み、応鐘散オウショウサン(芎黄散キュウオウサン大黄ダイオウ1g、川芎センキュウ2g)を服し、五日、十日毎に紫円シエンを五分(約1.9g)、一銭(約3.7g)を与えて之を下すべし。風眼症(淋毒性結膜角膜炎)、暴発劇痛する者は早く救治せざれば、眼球破裂迸出し、尤も極険至急となる。急いで紫円一銭か一銭五分を用いて峻瀉数行を取り、大勢已に解してのち、此の方を用うべし。その腹証に従い、大承気湯ダイジョウキトウ大黄硝石湯ダイオウショウセキトウ瀉心湯シャシントウ桃核承気湯トウカクジョウキトウ等を兼用する」とあります。ペニシリンのない昔の苦労がしのばれます。
 大青竜湯や小青竜湯ショウセイリュウトウを『金匱』の条文によって浮腫、ネフローゼや腎炎に用いる田合もありますが、発病後数日の間は使えますが、日数が経ち過ぎたものには使えません。村井大年の『大年口訣』には「若き者など夜に入って、全身痒く、吹き出もの出来、脈浮ならば必ず大青竜湯にて治す。昼は治し、夜発する症なり、脈浮緊ならずとも必ず浮なり」とあるのも面白く思われます。
 その他急性関節炎など、表の実熱症で、しかも裏に熱を伴うものを治するのに大青竜湯は用いられます。


ウチダの大青竜湯
使用上の注意
■相談すること
 1.次の人は服用前に医師又は薬剤師に相談すること
  (1)医師の治療を受けている人。
  (2)妊婦又は妊娠していると思われる人。
  (3)体の虚弱な人(体力の衰えている人,体の弱い人)で軟便下痢になりやすい人。
  (4)胃腸の弱い人。
  (5)発汗傾向の著しい人。
  (6)高齢者。
  (7)今までに薬により発疹・発赤,かゆみ等を起こしたことがある人。
  (8)次の症状のある人。   むくみ,排尿困難
  (9)次の診断を受けた人。   高血圧,心臓病,腎臓病,甲状腺機能障害

 2.次の場合は,直ちに服用を中止し,この文書を持って医師又は薬剤師に相談すること
  (1)服用後,次の症状があらわれた場合


関係部位 症状
皮ふ 発疹・発赤,かゆみ
消化器 悪心・嘔吐,食欲不振,胃部不快感



     まれに次の重篤な症状が起こることがあります。その場合は直ちに医師の診療を受けること。


                症状の名称
           

                症状
           

                偽アルドステロン症
           

尿量が減少する,顔や手足がむくむ,まぶたが重くなる,手がこわばる,血圧が高くなる,頭痛等があらわれる。
           


   (2)1ヵ月位(感冒に服用する場合には5〜6回)服用しても症状がよくならない場合

 3.長期連用する場合には,医師又は薬剤師に相談すること


効能・効果
発熱して身体疼痛し,汗なく口渇し,煩躁注1)するもの,あるいは頭痛,四肢浮腫,尿利減少,喘鳴.2),眼充血などを伴うもの:感冒,急性関節炎

注1) 「煩躁はんそう」とは胸中に熱と不安があり,手足をばたつかせることを指します。
注2) 「喘鳴ぜんめい」とは喘息ぜんそくして喉の中に痰声があるものを指します。




※大青竜湯をエキス剤で代用する場合
1.麻黄湯+越婢加朮湯
2.麻杏甘石湯+葛根湯
3.麻杏甘石湯+桂枝湯
芍薬など、余分な薬味が入るので、完全な大青竜湯とはならない。